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帰る方法

「おじゃましまーす」


 大岩の入り口でそう言ってから通路へと入ると、すいすいと通路を進んであっという間に部屋へとたどり着いた。泳ぎにもだいぶ慣れてきた。


「いらっしゃい」


 部屋の前でセイレーン様が出迎えてくれた。どうやら俺のことを待っていてくれたようで、軽くぺこりと礼を返して顔を上げるとセイレーン様と目が合った。


 セイレーン様の目はうろこと同じとても淡い水色をしていて、それでいて透き通っている。ずっと見ていると瞳の中に吸い込まれてしまいそうなほどきれいだ。

 ついつい長い間見とれてしまい、セイレーン様が不思議な顔をしたので俺は慌てて目をそらして、聞きたかったことを話し始める。


「あのセイレーン様、この鱗のことなんですけど戦いの最中に全部の鱗が一度濃紺に染まったのに今はこんな感じになってるんですけどなにか知ってますか?」


 俺は濃紺の鱗が、人間で言うと腰のあたりを覆っている下半身を見せた。それをセイレーン様はちらっと見てから答えた。


「はい、知っています。ですが立ち泳ぎで話すのもなんですから座りませんか?」


 セイレーン様はそう言って部屋の入口から見て右前の方にある、岩に座ることを勧めてくれた。


「ありがとうございます」


 その岩は厚さは三十センチほどで、座る部分は平べったくなっていた。イメージとしては絵画の中で、女の人魚が陸で髪をとかすときに腰掛けるような岩だ。


 おしゃれだけど実用性としてはどうなんだ、と思いながら俺は下半身を蛇のとぐろのように巻いてその上に上半身を乗っけて座る。そして座ってみて驚いた。


 岩の表面は赤ちゃんの肌のようにとってもすべすべで、それでいて、滑るから座りづらいということもなくこの人魚の下半身にフィットする。

 この衝撃の心地よさは、小さい頃に初めてホテルのロビーの沈み込むふかふかのソファーに座った時以来かもしれない。


「カイト、そうではなくこう座ったほうが後々楽ですよ」


 そう言ってセイレーン様は、とぐろを巻いた下半身をほどいて岩に巻きつけるように俺に勧める。


 なるほど確かにこっちの方がいい。最初の座り方はあとから下半身がしびれてくる正座のようだったがこの座り方なら下半身に何の負担もない。

 俺の座る体勢が落ち着くとセイレーン様は話し始めた。


「あなたのその濃紺の鱗は異界から来た者である証です。本来人魚の鱗の色は海と同じ水色なのですが、人魚としての能力が(かたよ)っているほど中間色の水色から濃くなったり薄くなったりするのです」


 この鱗にそんな秘密があったのか。じゃあアイクの濃いめの鱗は結構強いことの証なんだろう。セイレーン様は続けて話す。


「最初は濃紺の鱗が一枚だけだったのを覚えていますね?ですが今はここまで濃紺に染まりました。これは異界の力がその体に馴染んできた証です。これから戦闘や経験を重ねるにつれ、濃紺の部分はどんどん広がっていくでしょう」

「じゃあ、しっぽまで全て濃紺に染まったら……?」


 俺は期待感と共に質問した。


「それは私にもわかりません。なにせ私も異界の者の力を借りるのは初めてなものですから……お役に立てず申し訳ありません」

 悩ましげにセイレーン様はそう答えた。どうやらセイレーン様も全てを知っているわけではないようだ。


 ところで異界の者という言葉で俺は聞きたかったことを思い出したので勇気を出して聞いてみる。


「いえ、大丈夫です。そういえばこの前言っていた元の世界に帰れるショッキングな方法って……?」

「ああ、それは……」


 セイレーン様は口ごもって、誰かに助けを求めるように視線をあちこちにやったが、そんな都合よく救世主が現れるわけはなく時間だけが過ぎていく。長い沈黙のあとセイレーン様は小さな声で告げた。
























「死ぬことです」


 覚悟はしていたが、ショックだった。セイレーン様が口にするのをためらうのも無理はない。俺はうつむいて心の中でその言葉を反芻した。


 死ぬ……死ぬ……か……。この世界で死ぬとしたら戦死?それとも病死?人魚は病気にかかるのだろうか。苦しいのは嫌だなあ。

 すると、セイレーン様がそんな俺を見て静かに淡々と話した。


「あなたが今すぐ帰りたいのならば、この海中には眠り薬になる海藻や、苦しまずに死ねる毒の海藻があります。半日もあればあなたは眠るように死んで元の世界に帰ることができるでしょう」


 俺はその言葉に複雑な気持ちを感じて、顔を上げてセイレーン様の瞳をじっと見つめると、セイレーン様は言葉を続ける。


「ですがもちろん私はあなたに異界に帰って欲しくないです。あなたは私達人魚族を救ってくれる希望ですから。でもそれ以上に大きな理由があります。それはあなたが今使っているその体はもとはシーカという人魚の体でした。シーカはとても優しい子でライラに懐かれていて、アイクともよく訓練をしていました。あなたにはその体の持ち主であるシーカの分まで生きて欲しいのです。こちらで呼んでおいて勝手な願いなのはわかっていますが、どうかお願いします」


 そう言い終わったセイレーン様は射抜くように俺を見つめた。

 まっすぐなその目に俺は目を合わせられず、おもむろにまだ濃紺に染まっていないシーカの水色の鱗に視線を落として、その鱗をしばらくぼんやりと眺めた。


 きっとこの人魚には俺が乗り移らなければ、このびっしりと生え揃った鱗よりもたくさんの楽しいことや悲しいことがあったはずだ。それを俺がこの体ごと預かって、シーカが愛した人魚族の同胞を守る力をもらったんだ。


 そう思うと自然と生きようという強い志が胸の奥から湧き出てくることを自覚した。だから俺は言った。


「俺、生きます、シーカの分まで。人魚族に平和を取り戻すまではもとの世界には帰りません」

「そうですか。本当にありがとう」

 セイレーン様は言葉少なに俺の覚悟を受け取ってくれた。

 

 俺がシーカの分まで仲間たちを守ろう。その強い気持ちが俺の中の何かを変えた。絵の具が水を染めるように、濃紺の鱗が人間でいうと今までは腰だけだったのが、股関節あたりまでを染めた。

 そしてその濃紺の中に、色が変わらない水色の一枚の鱗が海に溶け込むようにひっそりときらめいていた。

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