人間と人魚
「どうしてそう思ったんです?」
「あなたの声がシャワーの時に聴こえてきた歌声とそっくりだったからそうかなって」
彼女は少し驚いたような顔をしたがすぐに微笑しながら答えた。
「その通りです。おっしゃるとおり、私があなたをこの世界へと導きました」
やっぱり俺の予想は当たっていた。なら、俺には彼女に聞きたいことがたくさんある。
「どうして俺をこの世界に呼んだんですか?そもそもなんで俺なんですか?俺の元の体はどうなっているんですか?それにこの体は――」
「落ち着いて、私の話を聞いてください」
「……はい、すみません」
気持ちが高ぶってずっと考えていたことが思わずあふれ出してしまった。でも、そんな俺に彼女の不思議な声は一言で冷静さを取り戻させた。
少し間を置いて、彼女は話し始めた。
「あなたの名前を教えて下さい」
「カイトです」
「そうですか、カイト、まずあなたに私は謝らなければいけません。私達の都合であなたの魂を異世界に転生させてしまったこと、本当にごめんなさい」
そう言って彼女は深々と頭を下げた。
今の言葉からして俺は本当に地球ではない異世界に来てしまったようだ。だとしたら気になる発言がある。
「今、魂って言いましたよね。ここにあるのが俺の魂なら元の俺の体はどうなるんですか」
「それについては、安心してください。大丈夫です。あなたはいつでも元の世界に帰ることができます。ただ、一度元の世界に帰ったらもう二度と帰ってくることはできませんが」
帰れるのか、元の世界に!俺は嬉しくて興奮しながら彼女へと尋ねた。
「どうやったら帰ることができるんですか?教えて下さい!」
「それは……少しショッキングなことなのであなたをこの世界に呼んだ理由から、順を追ってお話してもいいでしょうか」
「……わかりました」
マジかよ。俺、ショッキングな方法でしか帰れないのか。
まあでもいつでも帰れるなら別に話を聞くぐらいどうってことない。そう思って俺は彼女の美しい声で語られる話を静かに聞いた。
「この世界には私達人魚族、エルフ族、そして人間がいます」
「はぁ」
お、おお?エルフってなんだ?と思いつつも俺は相槌をうってから黙って話を聞く。
「人魚族は水の力、エルフ族は植物の力、人間は自然現象を再現できる魔法の知識、共に生きる者として獣の二つを持っています。人間は魔法を使い生活を豊かにし、獣を利用し、時には狩って共生してきました。」
「……はぁ」
信じられないことにこの世界には人魚というトンデモ生物がいるだけじゃなく、魔法を使う人間がいるようだ。
……まぁ、話を最後まで聞こう。
「人間は豊かさを求めて魔法の力を持った獣、魔獣を生み出して自分たちの思う通りに動かそうと考えました。結果として、魔獣は誕生しましたが凶暴で人間の手に負えず、程なくして人の手を離れ、この世界中に散っていきました。」
どの世界でも人間が欲深いのは同じらしい。魔獣ってゲームのモンスターみたいな感じかな?
ところでいつになったら俺の話になるんだ。彼女の聞きやすい声と静かな空間が相まってちょっと眠たくなってきたぞ。
「……ごめんなさい。話が長かったですよね。手短に話しますね」
「あ、いえそんな……」
バレてた。エスパーですか?
「単刀直入に言います。あなたに人魚族の戦士として私達人魚を襲ってくる人間を倒して欲しいのです。あなたが私達の希望なのです」
「え……?」
いきなり飛び過ぎだろ。もしかしてセイレーン様は話下手か?何があったらそうなるんだ。でも、衝撃的な発言でだいぶ目は覚めたぞ。
「なんで人間が人魚を襲ってくるんですか?」
「私達人魚の肉を食べると傷が治り、寿命が伸びるからです。さっき話した通り魔獣は凶暴で人間を襲います。そのため人間には魔獣を倒せるような強い戦士のケガを治し、長く現役を続けさせるために人魚の肉が必要なのです」
なるほど、それで納得がいった。この半分人の姿の人魚の肉を食うってこの世界の人間なかなか恐ろしいことしてるな。
まさかとは思うが人の体の部分は食わないよな?
「あの、食べるってこの魚の部分ですよね?」
「いえ、全身です。どの体の部分にも等しく回復と延命の効能がありますから……」
「うえぇ……」
「すみません、この世界に来たばかりで刺激が強かったですよね」
「あ、いえ、大丈夫です……」
強がったがそんなのは嘘だ。今でも強い吐き気がしてなんか出てきそうだ。自分のこの上半身が喜々として元同じ人間に食べられると思うとゾッとする。
「それで、俺が元の世界に帰れる方法ってなんな――」
「セイレーン様!遊びに行ったライラが帰ってきません!人間に襲われているかもしれません!」
俺の問いかけは突然部屋に入ってきた、俺をここに連れてきた男人魚の必死の叫びによって打ち消された。
ライラってあの子どもの人魚か!?それってやばいんじゃ……
セイレーン様は取り乱すことなく返答した。
「わかりました。波を探ってライラを見つけましょう。そしてカイト、私は訳あってここから動くことが出来ないのです。どうかお願いです。あなたにライラを助けに行ってほしい。人魚族の戦士として」
「そんな急に戦えって言われても無理ですよ!なんで俺なんですか!?それに人間は魔法を使えるんですよね?この泳ぐのが速いだけの体で何ができるんですか!」
俺は戦いへの恐怖と、今さっき聞いた食べられるという話への気持ち悪さを思い出して必死にそう訴えた。
「セイレーン様、こんな意気地のないやつが本当に人魚族を救う希望だっていうんですか」
「アイク、戦いが怖いのは何も知らずこの世界に来たばかりなのだから当たり前です。あまりカイトを責めないで下さい。」
男人魚が怒ったような呆れたような口調でそう言うのに対し、セイレーン様はなだめるようにそう答えた。
「アイク、今からライラを探します。外で少し待っていてください。カイトはライラを探す間、私の話を聞いてください」
そう言うとセイレーン様はなにかに集中するように目を閉じて両手を開き、前へと突き出した。これが言っていた(波を探る)ということなのだろうか。
「カイト、私はさっきあなたのことを『何も知らない』と言いましたね。」
「はい」
「これは言葉通りの意味です。あなたは何も知らない。仲間の大切さも、仲間を失う辛さも、そしてあなたの中に眠っている力も。」
「力……?」
彼女はおもむろに開いた両の手のうち片方をこちらに向けた。すると直後、今まで流れが全くなかった水が渦を巻き始め俺の体を取り囲む。
「うおおぉっ!?」
「わかりますか、カイト。これが力です。先程人魚は水の力を持っていると言ったのを覚えていますか?これが水の力です。人間がするというマジックや手品とかいうものでもなく正真正銘、これが私達人魚に備わっている力なのです」
そう言い終わると彼女はこちらへ向けた片手を元の位置に戻して波を探る作業を再開した。
俺は何も喋ることができず、ただその場に突っ立って呆然とした。目の前で起こった超常現象のような出来事に驚きすぎて空いた口がふさがらない。信じられない。こんな力が俺の中にあるのだろうか。
セイレーン様は続けて言った。
「もうひとつのあなたが知らないことを伝えましょう。私達人魚族は海の魔力から生まれます。ですから決して滅びません。しかしそれは一族が滅びないというだけであって、人間に仲間を攫われた辛さや悲しみを薄めるものではないのです。」
と、そこまで言葉を言い終わった所でセイレーン様がピクリとヒレを動かして叫んだ。
「アイク!ライラが見つかりました。北東の方角です。近くに人間の船らしき反応もあります!急いでカイトを連れてライラの元へ行ってください!」
「ありがとうございますセイレーン様!おい、カイトとやら早く行くぞ!」
分かってる。行かなければいけないと頭で分かっているのに、同時にまだ怯える自分がいる。
そんなもう一人の自分の怖い、行きたくないという気持ちとライラを助けにいくのだという気持ちがせめぎあって俺の尾びれはただ震えている。
そんな様子を見たセイレーン様が優しく俺の手を握って言った。
「カイト、あなたなら大丈夫です。必ずライラを救えます。私達はもう、仲間を失いたくありません。今一度お願いします。私達人魚族を救ってください。」
そのセイレーン様の言葉は今まで言われたどんな言葉よりも俺の胸に深く、強く響いた。そしてその言葉は俺の怯えを勇気へと変え、俺の心に覚悟の炎を灯した。
「いってきます」
俺は短くそう言い残して細い通路をできる限り速く泳ぎ抜けると、外ではアイクが遅い!と言わんばかりの怒りの表情で俺のことを待っていた。
「待たせてすみませんでした」
そう伝えるとアイクは何も言わず、俺をここに連れてきた時とは比べ物にならないほどの猛スピードで泳ぎだした。アイクの泳ぐスピードは俺とは比べ物にならないほど速く、こっちも全力で泳いでいるのに全然ついていけない。そんな俺の様子を見かねたアイクが俺にペースをあわせて話しかけてきた。
「あんた、力の使い方をセイレーン様に教わってたんじゃなかったのか?セイレーン様のすみかの中で何してたんだ?」
……説得されてたなんて恥ずかしくてとても言えない。俺はその質問には答えることなく言った。
「ライラのところに着くまでに人魚の力のことを教えて下さい」
それからアイクは俺に簡単に人魚の能力について教えてくれた。人魚族は個人差はあるが、水の中で身体能力や傷の回復速度が上がり、体の触れている場所から水を操れるようだ。
さっきのセイレーン様の渦はそういう仕組みだったのか。そして、それの応用として水を操って泳ぐスピードをあげているのだと話してくれた。
「さあ、ここまで説明したんだ。時間もない。さっさとやってみな」
アイクはそういってまたフルスピードで泳いで俺から離れていった。
人魚が泳ぐとき一番大事にするのは下半身な気がする。なら、尾びれから水を操る感じで推進力を得るのが一番いいと考えて尾びれに意識を集中させる。
水よ……俺に勢いをくれ!
そう念じ、尾びれを一かきしてみると、ゴボボボ……と俺の顔の横を海の泡が段違いに速く去っていき、自分のスピードが速くなったことを目に見えて実感する。
どうやら成功したようだ。俺は少しずつアイクに追いついていき、ついに横に並んだ。
「へえ、あんたなかなかやるじゃねえか」
「へへ」
お褒めの言葉を頂いて嬉しくなり、笑みをこぼす。
「それじゃ次は戦うときのテクニックを、といきたいんだが……いたぞ!人間の船だ!」
戦闘のテクニックは知りたい所だったが諦めて頑張るしかないな。俺は腹を決め、アイクに続いて船に向かう。
「ライラァ!!」
突然アイクが叫んだ。アイクの視線の先を見るとそこには弱りきってうつぶせの状態で、波の流れのまま流されるライラと船の上から今か今かと捕獲する機会をうかがう人間の姿があった。