音楽のない世界#8
彼のパソコンのデスクトップには色々なソフトやアプリがインストールされているようだ。その中に、『埼玉県教科書6年生』というソフトがあったので、クリックしてみた。
トップ画面には色々な教科がある。おそらくここの科目のリンク先なのだろう。
国語、算数、理科、社会、英語、道徳、家庭科、図工、体育と保健、技術(プログラミング、パソコン)、だがしかし、音楽だけが存在しない。音楽専科の私はこれに疑問を感じていた。
「うん、どう見ても、音楽が存在しないね。『音楽のない世界』の表現はあながち間違っていないのかもしれないよ。」
夫は、この事象に頷いている。
とりあえず、裕太君が勉強していたであろう、算数を見る。
まさしく、算数の教科書だ。小学校6年生で習う、つまり、学習指導要領に記載されている内容が、盛り込まれている。最小公倍数、平均、分数の掛け算、割り算、体積その他諸々。
特に、小学校の教科書と何の変化もない。まさにこのパソコンが教科書である。先ほどの裕太君のパソコンが教科書という、事実はあながち間違ってはいないようだ。
国語も同じ。小学校6年生が読めるであろう、小説や説明文がずらり並んでいる。小学校6年生で習う漢字も全く同じだ。
理科を見る。
「ああ、これも6年生の時に習ったよ。酸素とか、窒素とか。アルカリ性も乗っているな。『信号は青でアルカリ(歩ける)』そんな風に覚えた記憶はあるよ。リトマス紙とかBTB溶液とか。」
夫はなつかしそうに理科の教科書を見る。
確かに、周りと変わらない。
社会。確か6年生は日本の歴史について、学んでいるはずだ。同じように目次をみてみる。
旧石器時代、縄文、弥生、と続く。卑弥呼に邪馬台国、古墳、聖徳太子、大化の改新。時代が進んでいく。
大仏、藤原氏、頼朝、義経、足利義満で金閣寺、足利義政で銀閣寺、信長、秀吉、家康。彼のパソコンの教科書を探っていく。明治、大正、昭和、平成、そして、令和。
令和があるのか、まだ令和は始まったばかりだというのに。おそらく、昭和までが、私たちの歴史の教科書に存在している。
だが、しかし、この教科書は令和という時代まで、存在しており、どうやらそれ以降も続いている。
令和のサブタイトルを見る。『新型肺炎と東京オリンピック中止』これに私たちは唖然とする。
「東京オリンピックが中止。そんな馬鹿な。」夫と私は顔を見合わせる。
今、生徒の間でも、来年の東京オリンピックがブームだ。野球選手の名前、オリンピックでホームラン打ってほしい。水泳、体操、生徒たちが好きなスポーツを、東京オリンピックがあるから、自分も頑張っていると言っている。あの東京オリンピックが中止。
教科書を読んでいく、恐る恐る。
『中国大陸で発生した、新型肺炎、CNウィルスは瞬く間に世界中で100万人以上が感染。東京オリンピックは2020年から2021年に最初は延期された。』と書いてあり、
『感染拡大防止のため、テレワーク、時差通勤、3密の状態にならないように、人との交わりを避けることになった。』とある。
考えられない事態。これまでにも、中国で、新型肺炎のウィルスはニュースになったが、この事象はそれよりも悪いということになる。おそらく、震災の時よりも状況は悪化している。
そして、サブタイトルには延期ならばまだいいのだか、中止とある。
『CNウィルスは、第2波、第3波と次々と襲いかかり、第2波、第3波ではウィルスの毒性が強くなり、ウィルスの形が変化したことから、ワクチンも薬も効き目を持たず、さらに世界で、数億人の人が感染することになった、これに伴い、東京オリンピックは中止。社会も、人と接することを避ける世の中へと変化した。日本でも緊急事態宣言を何度も出したが、その度に効果はなく、政権もその度に交代した。』とある。
そして、ウィルスは年々形を変化させ、現在でも形を変化させているワクチンや薬の製造が追いつかず、世界中で今も毎年数千万人が感染しているとあった。そして、50年以上たった今でも終息宣言は出ていないとのこと。そして、人とかかわることをできるだけ避ける風潮が今でも続いているとのこと。
「いま、西暦何年?私は裕太君に聞いてみる。」
夫も同じ質問をしたいようだった。
「2090年だよ。」
今は、2019年。来年には東京オリンピックが開かれる。71年後の未来から来たというのか。
そして、おそらく、この子は私たちの曾孫の可能性が高い。さっき、ひいおばあちゃんと同じ名前といったのだから。
彼は未来から来た。それならばつじつまが合う。
「ああ、まさしく、君は未来から来たんだ。今は2019年だよ、誰もがそう答える。」
「そんな・・・・。」彼の眼には涙があふれていた。まさにこれからどうしようという顔だった。
確かに彼は未来から来たのだ、彼の家がハマダ電気だったこと、6年2組に、斉藤君と、黒田君もいないこと、そう考えればつじつまが合う。
「そして、 『音楽なない世界』の正体は・・・・・・」夫が恐る恐る、私に言った。
私も、想像できる。新型肺炎の感染防止から、人とのかかわりを避ける。感染を避けるということなのだろう。
みんなで歌うことは同時に大きく皆で呼吸をすることなのだから、感染するリスクが高まる。
オーケストラも合唱も、バンドも、そして音楽のライブも感染予防の観点から中止させられてしまったのだろう。そして、それが時代と共に積み重なり、音楽を知らない若者が増えた。音楽が、ウィルスの感染防止の理由で、この世からすべて消えたのだ。
音楽は人と集まって演奏する、つまり、感染のリスクが人数が集まれば集まるほどそれだけ高くなってしまう。
彼の、ひいおじいさんと、ひいおばあさん、つまり私たち二人は、音楽を知っていた。なぜならばウィルスの流行前の時代を生きていたのだから。
『音楽のない世界』これは未来の、この世界の姿だった。
おそらく、階段から突き飛ばされた衝撃で、タイムスリップしてしまったのだろう。
これで、彼の手掛かりはつかめた。
私たちは他の教科書も見ることにした。
体育。野球、サッカー、水泳、陸上とある。内容は同じようなものだった。スポーツは存在するのかと思い安心するが、ルールが違っていた。
サッカーはPK戦だけで戦い、ゴールを決めた数を競うだけのルールになって行った。ゆえにサッカーコートもゴールネットがあるだけになっていた。
野球のピッチャーはピッチングマシンだった。ピッチャーは全てエンジニアが選手としてなり、スライダー、カーブ、ストレートと様々な球種をピッチングマシンにエンジニアが伝達する。それをバッターである人間が打つ。人間が打ったホームランの数のみで得点をカウントして、ホームランの数が多かったチームの勝ちらしい。
水泳と陸上は、一人でタイムを計測し、それを報告するルールに変わっていた。ゆえに水泳と陸上の大会は何週間も開かれ、一人ずつ、タイム計測をして、一番タイムの早い人がその大会の優勝者らしい。
正月恒例の駅伝は20日間開かれ、一日1チームずつタイム計測が行われ20日目ですべてのチームのタイム計測が終了し、そのタイムで測るそうだ。
相手チームの駆け引きもゼロ、全てが個人種目化した大会に変化していた。
相手チームとひたすら打ち合うテニス、バトミントン、バレーボール、そのような競技はおそらく時代と共に存在しなくなったのだろう。少しでも感染するリスクが高まるからだ。
英語の教科書を次は見た。
英語はただただ文章を読むだけになった。外国人と会話をする概念が無いようだ。ネットから配信される、文章を読む訓練をしているだけだった。
おそらく、飛行機もないのだろう。外国へ行くツールも無いはずだ。だから、今日、リンダと会話した時、彼は見たこともない人がいるなと思うような目で見ていたのだ。
「ねえ、空を飛ぶ乗り物の飛行機って知ってるか少年。」夫が一番聞きたいことを聞いた。
「知らない。空を飛ぶ乗り物があるんだ。」
これには唖然だった、そうか飛行機も知らない、外国という概念も無いんだ。
「飛行機事故の可能性はゼロだが、少しさびしいな。」
夫はそう言った。
全てが変化している時代。未来はこのようになっているのか。
この時代であれば、裕太君、私たちの曾孫は評価されるべき器なのに。
私はなぜか知らないが、涙が出た。夫も同じだった。