音楽のない世界#3
リンダのことがそれほど不思議なのだろうか、斉藤君はずっと目を離さない。リンダが言った。
「コンニチハ。」
少し日本語がたどたどしい。リンダは、斉藤君の隣に座った。
「えっと、この人は。」
斉藤君が珍しそうに聞いてくる。
「英会話の先生、リンダ先生。英語を教えているの。イギリスの出身で。」
イギリスという言葉に斉藤君の目の色が変わった。
「本物の外国の方ですか。」
「そう、外国の方。」
「外国人の人、初めて見ました。」
彼は、恐る恐る、そう口を開いた。今時珍しい。外国人の人を初めて見るなんて、金髪で青い目の人は今、日本にもたくさんいるはずなのに。それこそ、肌の色が黒い人も日本に居るはずなのに。もしかすると、アジア系の人に気付いていないだけなのかな。そう思って、
「そうなんだ。まあ、金髪で青い目の人は初めてかな。肌の色が黒い人とか、少し、日本人に似てるけれど、日本語がたどたどしい人とか居るんじゃない。たとえば、コンビニとかで、キムとかパクとかカタカナで名前を付けた人とかは居るんじゃないかな。」
そう聞いてみたが、彼は首を横に振った。
この会話に、リンダもドキドキしていた。外国の人を見るのは初めてという。
斉藤君はランドセルからノートとペンを取り出した。そして、紙に文字を書く。
『Nice to meet you. My name is Yuta Saito』
『会えてうれしいです。斉藤裕太です。』という意味の英語だ。外国の人を見たことがないのに、英語は分かっているようだ。
しかし、何で話さないのだろう。わざわざ、紙に書いて伝えるものなのか。
紙の文字を見て、リンダの表情が、嬉しい顔つきになる。リンダは同じように自己紹介する。ただし、リンダは紙には書かないで、口頭の英語で。同じように、My name isから始めた。
しかし、斉藤君はそれがわからなかったらしい。英語は書けるが、発音がわからないのか・・・・。つまり、英語は読める、書けるが話せない現象が目の前に起きている。普通は逆の方が多いのだけれど。話して聞いて最初は覚えるという。
リンダは、斉藤君と同じように紙に書いた。My name is・・・と。すると斉藤君もわかってくれたのか、表情が笑顔になる。
「ユウタクン、ジ、ジョウズデスネ。」リンダはそう言った。
「ありがとうございます。」
このやり取りをみて、まるで英語の発音のない世界から来たのかな。そんな風に思えた。
大橋先生が、校長先生、教頭先生を連れてきた。
「この子かあ、僕も見たことがないなあ。」
という校長先生、教頭先生の首を傾げた表情を目にした。
「斉藤君、だよね。住所、わかりますか。」校長先生が訪ねた。
「わかります。」彼は、その後に住所を続けた。
「うん、まさに、この学校区内ではないか。とりあえず、頭にこぶができていた子をほったらかしにするわけにはいかないし、学校区内の子なのだから、義務教育期間をほったらかしにするわけにもいかないよね。確認が取れるまで、うちの小学校で預かるしかないでしょ。」
校長先生は続ける。
「よし、伊藤先生、この子を最初に発見したということで、仕事が終わったらでいいから、この子を家まで送り届けて。そして、明日から確認が取れるまでの間は、音楽室か保健室へ登校させて、プリントなり、課題をやらせて。大橋先生は明日、階段で誰かを突き飛ばした子がいるかどうか、クラスで聞いてみて。ああ、6年生全クラスに周知しといて。今日のところはそれで。」
校長先生、教頭先生はそういって、保健室から去って行った。
「アヤ、ワタシモ、イッショニ、オクッテイク、ワタシノジュウショ、ユウタクンノイエ、チカクダカラ」
校長先生、教頭先生が出ていった後、リンダがそういった。心強い。
「それでは、伊藤先生、よろしくお願いいたします。」
大橋先生もそう言って、去って行った。
「斉藤君、こぶはもう痛くない?」
彼は、こくりと頷く。
「音楽室、行こうか。そこで待っていてくれる。リンダも一緒に音楽室で待っててもらえる。少し職員室で仕事をしたら、音楽室へ行って、荷物整理して、帰るつもりだったから。それに、きっと帰りの時間はかなり遅くなると思うので。待つ時間も長いと思うから。」
「音楽室・・・・。わからない。」
斉藤君、裕太君はそう言った。
仕方ない。残りの仕事は音楽室のパソコンで実施することにした。学校のパソコンであれば、どこの教室のパソコンを使っても、資料の保存場所へはアクセスできるし、職員室への用事は、教科書を取ってくるだけで済む。
保健の先生にお礼を言って、裕太君、リンダの3人で音楽室へ向かった。