音楽のない世界#11
夫が帰宅して、今日の打ち合わせの内容を話した。
夫も、電子カルテの医療系のシステムを納品した経験があるため、そのシステムを扱うクライアントのことが、真っ先に思い浮かんだそうだ。クライアント、つまり夫の会社のお客さんである。
「まあ、話せる機会があればいいのだけれど。」
夫は言った。
「保健室の島田先生という人も掛け合ってくれるそうだけど。」
まあ、信じてくれなさそうだな。という結論しかなかった。裕太君を医療系の知り合いに合わせればいいのだが、そうもいかない。何か、良い手はないのか。
「それにしても、裕太君が不憫でならない。ピアノとか教えられないだろうか。」
夫の提案が変わる。
「そうだわ、ピアノを教えてみよう。この世界では評価されていいはずよね。この時代では。」
「そうだよ、ピアノを教えて発表会に出よう。」
ピアノであれば、私の自宅にもキーボードが一台ある。
そう、彼は私たちの曾孫であり、家族なのだ。やっと、家族を救える時が来た。
その時、裕太君がこちらの部屋へ来た。
すぐに、リビングの奥の部屋へ通し、キーボードへ案内した。
「裕太君、これ何かわかる。」
私は、聞いてみた。
「なんとなく、黒くて大きいものに似ている。」
よし、正解だ。
「そうだよ、これは黒くて大きいもの、名前は覚えようか。黒くて大きなものの名前は、ピアノというんだけど。これはそのピアノを簡単にしたもの。」
キーボードの電源を入れて、音を出してみる。
私は目で裕太君に合図を出すと。彼は『エリーゼのために』を弾いて、同じものだと実感したらしい。
「他にも使い方があって。つまり、他の曲も教えるね。」
彼は6年生、いくつか曲が弾けるということもあるので、モーツアルトの『トルコ行進曲』を教えてみることにした。その後に少し難しいショパンの曲を入れてみよう。そう思った。ピアノの腕は3年生の時から変わらないと思っていた。
ひいおばあさん、つまり、私がこの時に死ぬことになる。ここから教えてもらえる人はいなくなる、つまりピアノをやめている状態と言ってもいい。
だが、しかし、彼はピアノを弾くことをやめていなかった。夫と私が未来で彼に教える曲の数が多かったのだろう。
指導者がいない状態になっても、弾き続けていたのだ。ピアノを弾くことは楽しいと思いながら。ずっと弾いていたのだ。
たしかに最初に『エリーゼのために』を弾いた時、少し力が強く感じられていた。そう、指にも力がついてきたのだろう。
彼は、「音楽のない世界」で、唯一ピアノを弾き続けていたため、モーツアルトの『トルコ行進曲』をすぐに弾けるようになっていた。
この勢いだと明日には完成する。そう思った私は、すぐにでも発表会に出して、彼を評価してくれる人たちに会わせたいと思った。
そう、未来の私たちではできなかったことだ。
翌朝、学校へ行き、裕太君も保健室での投稿であったが、昨日から、珍しい給食の味をゆっくり味わい、そして午後は、音楽の授業が入っていない時間であったため、一緒に、『トルコ行進曲』の練習をした。
すぐに曲は完成し、早速、放課後、リンダと校長先生、大橋先生、保健の島田先生の前で披露すると、皆から拍手をもらった。
この拍手に、裕太君は恥ずかしがっていたが、少しうれし涙を浮かべているのがわかった。
「そうだ、今までそんなことがなかったもんな。人から拍手をもらうなんてな。」
と大橋先生は言った。
「つい昨日までは、これが弾けることがすごいこととは知らなかったので、思い切って、教えてみました。」
「うん、あっぱれだよ。伊藤先生。まずは、斉藤君が褒められる場所を作ることが大切なのかもしれない。こちらに来たことがチャンスだよ。この時代に来たことがね。」
校長先生も嬉しそうだ。
「とにかくこの時代にいる間は目いっぱいピアノを伊藤先生から教わってね。」
校長先生は続けた。裕太君は生まれて初めてだろうか、笑顔を作っていた。