其の二 密室は閉ざされていない
「これは難事件ですよ……」
構って欲しそうに大き過ぎる独り言をこぼす助手を無視して、探偵はデスクに向かいパソコンを立ち上げた。
「これは難事件ですよ……」
探偵事務所の中で、自称助手が大き過ぎる独り言を呟く。無視だ無視。
「事件当時、この部屋は完全な密室になっていました。鍵はサクラギさんが持ってる一本と、僕が持っているスペアだけ。サクラギさんが犯行を行うわけなんて無いし、もちろん僕も犯人じゃありません」
メールフォルダを開いて、今日の分……というか昨日帰ってから今日来るまでに届いた分の依頼を確認する。0件。今のところお金には困ってないから、何か問題を抱えてる人がいないというのは単純に良いことだ。
「犯人は一体どうやってこの密室の中で犯行を行なったのか……謎は深まるばかりです」
さて。依頼が無い以上出かける用事は無いし、直接この事務所に人が訪ねてきた時のために事務所にいる必要がある。つまりは暇ができた、と。
ならアンドウ君の茶番に付き合ってやるのもまた一興か。
「で、何が起こったんだい、アンドウ君」
「返事が遅いですよー。ちょっとはこっちに興味を持ってくださいって」
そう言われてもなぁ。アンドウ君が何かしてる時ってほとんどの場合どうでもいいことだし。
「まあいいです。そんなことより密室事件ですよ!」
「知ってる。いいから詳細を話せ」
アンドウ君の独り言からは密室である以上の情報は一切伝わってこない。代わりに密室であることはこれでもかと強調されてるから改めて言われるまでも無い。密室の中で何が起こったというのだ。
「あ、はい。すみません。それで、事件の概要ですけど……昨日の夜、僕が買って冷蔵庫にしまっておいたケーキが、密室であったこの部屋から盗み出されたんです!」
はい終了。閉廷。
……というのも酷かな。正直アンドウ君の災難にはまるで興味は無いけど、どっちにしろ暇だし。
少なくとも私は犯人では無い。ということはこれがアンドウ君の自作自演で無ければ──それも十分あり得る可能性ではあるけど──この事務所に泥棒が入ったということだ。盗まれたのがアンドウ君のケーキだからよかったものの、貴重品や個人情報が盗まれるなんてことがあったら一大事だ。
だからまあ、解決までは付き合ってやろう。
「ふぅ……。それで、犯人がこの部屋を密室にした動機は?」
「へ? 動機……? ええと、サクラギさんが僕に疑われるように仕向けた、とか……? やりましたねサクラギさん、見事犯人の目論見を阻止してやりましたよ!」
「落第。出直して来なさい」
そう言って、アンドウ君の頭をコツンと叩く。
「仮にそうだとしよう。そうした場合のメリットとデメリットは?」
「ええと、メリットはサクラギさんに罪を被せられること……デメリットはトリックを作る手間、ですかね」
「そこまでは正解。思ったよりはマシじゃ無いか、見直したよアンドウ君」
「ありがとうございます! ……あれ、僕もっと低く見られてたんですか!?」
贔屓目に見て中学生くらいと思っていたよ。中学卒業レベルくらいまでは認めてやってもいい。
「じゃあ次に。仮にこの部屋が密室じゃなかった場合。最初に疑われるのは誰だい?」
「それは……普通にこの部屋に出入りできる、僕かサクラギさん?」
「正解。密室を作るメリットなんて、実は何一つ無いんだよ。この世界はミステリーじゃ無い。部屋が閉ざされていなかったところで疑われるのは関係者だし、部屋が閉ざされていたなら絶対に開ける方法があったということ。密室を作ったところで、何も変わったりはしないんだ」
一息にそこまで言って、微笑みの顔を作る。
「ところでアンドウ君。私の見間違いじゃなければ……君の後ろのその窓、クレセント錠が開いていないかい?」
昨日の帰り、もしくはそれよりもずっと前から戸締りを怠っていた罰としてアンドウ君には事務所の留守番を命じて、私の本領発揮。すなわち人探し。
すぐに犯人は見つかった。意外にも彼女は小学生の女の子。なんでも、とある名店の最後の一個を、大人気なく、彼女に見せびらかすようにして買って行ったアンドウ君を恨めしく思ってのことらしい。
叱るほどのことでも無い……と、個人的には思う。とはいえ不法侵入は不法侵入。彼女とその親御さんに説教をして……その上で彼女にはアンドウ君をひどい目に合わせたご褒美に飴玉をプレゼントして。
そういえば。ケーキの話をしてたから、なんだか私もケーキが食べたくなって来たな。
事務所のテーブルに、ポンと箱を置く。
「や、アンドウ君。これはお土産。今度はちゃんと……この部屋を密室にしておいておくれよ?」




