第八六話 拳と盾
ズタボロのマントをたなびかせ、私の前にヒーローのごとく駆けつけたのは、果たして彼の女騎士クラウさんであった。
ダンジョン主であった黒鬼に敗北し、死にかけの状態でボス部屋前に倒れていた彼女は、ココロちゃんと私で治療したことで全回復までこぎつけることが出来たが、ダメージや疲労も大きくしばらくは目を覚まさないと思っていたのだが、流石にドカンバカンとココロちゃんが大暴れしたものだから、冒険者特有の自衛本能も相まって目覚めたのだろう。
正直に言うと、彼女の登場を全く期待していなかったわけではない。可能性くらいは考えていた。
だが、見ず知らずの私たちに力を貸してくれるかは、彼女の人格次第だったし、本当に目覚めるかも分からなかった。
だからこうして彼女が駆けつけてくれたのは、私たちにとって幸運以外の何物でもない。
「すまない、横槍を入れてしまったか?」
「ううん。助かりました!」
ふっ飛ばしたココロちゃんに向けて構えたまま、ちらりと横顔を見せて問うてくるクラウさん。
い、イケメン女子! うっかりトゥンクしそうだったけど、今はそんな場合じゃない。
ココロちゃんは突然の乱入者にご立腹だし、私は相変わらず手が離せない。
そして放っておいたら、クラウさんはココロちゃんを殺すべく挑んでいくだろう。それは拙い。
「あの、不躾で申し訳ないんだけど、少しだけ時間を稼いでもらえませんか! それと出来れば、その娘のことはあまり傷つけないでほしい」
「……なにか、訳有りのようだな」
「彼女、ココロちゃんは今、鬼に乗っ取られています」
「なるほど……っ」
とそこへ、体勢を立て直したココロちゃんがお返しとばかりに突っ込んでくる。
しかしクラウさんはそれを避けるのではなく、見事にいなしてみせた。ベコベコにひん曲がった、その盾でだ。
芸術的なほどに力の逃し方が上手い。今や恐らく黒鬼以上の力を発揮するココロちゃんの一撃を、見事に受け流してみせるクラウさん。
直後、体勢の崩れたココロちゃんを何らかの衝撃が叩き、先程より更に遠くへふっ飛ばしてしまった。恐らくクラウさんが何らかのスキルを使ったのだろう。
凄いなこの人、完璧な壁役じゃないか。私たちにはなかった戦い方をする。
こんな状況にも拘わらず、私は思わずそれに見入ってしまった。
ああ勿論、オルカにかける治癒魔法は一切緩めていない。
「それで、彼女を鬼から解放する手立ては?」
「私が一つ持っています。ただ、今は手が離せません」
「分かった、時間は私が稼ごう。どれくらい要る?」
「三分あれば」
「承知した!」
情報交換は短く、要点だけを述べる小気味良いものだった。
再び怒り心頭と言った具合に突っ込んでくるココロちゃんへ、しっかりと構えを取り、再度迎え撃つクラウさん。
なんと頼もしい背中なのだろう。彼女に任せておけば、本当に三分間なんて容易く稼いでしまいそうな気がする。
なれば私も、間違いなくオルカを生死の境から呼び戻してやらないと。
MPの過剰供給をフル活用し、私は全力でオルカの治療にあたった。
その間、ココロちゃんの猛攻は一層激しさを増すも、クラウさんは必死にそれらへ対応。見事に凌いでいる。
とは言え彼女は黒鬼と戦い、そして負けた身。今や黒鬼以上の脅威となったココロちゃんの攻撃を、安々と凌げるはずもなく。
攻撃を受けるごとに、着実にダメージを蓄積させていくクラウさん。
だというのに、宣言通り彼女は防御を固め、吹き飛ばしで暇を作っては体勢を整え、また受ける。そんな風に時間稼ぎに徹してくれた。
真っ直ぐな人だ。彼女にしてみれば、そもそも加勢する必要性さえないだろうに。
確かに死に瀕していた彼女を救ったのは私たちだ。特にココロちゃんの再生術がなければ、彼女は今頃生きてはいまい。
だけれどそのことをクラウさんは知らないだろう。意識なんて無かったのだし、状況証拠的に私たちがなにかしたのだと推測は出来ても、確証もなしにこうして体を張ってくれるなど余程のお人好しと見える。
対するココロちゃんは、いくら殴りつけようと揺るがぬクラウさんの護りに業を煮やし始めていた。
それに、ここで私を仕留められなければ、再び厄介なことになるという認識があるのだろう。その表情からは焦りの感情が伺えた。
オルカの治療が一段落するまで、後少し。もうひと踏ん張りだ。時折裏技でMPを補充しつつ、私は全力で治療を続けた。
それを見て、とうとうココロちゃんが構えを変える。
なにか大技を放つつもりのようだ。恐らくアーツスキルだが、どうにも見覚えのない構え方をしている。
もしかすると、鬼の駆使する新たなアーツスキルだろうか。この局面で使用してくるということは、恐らく相応の消耗や反動があるのだろう。故にこそ温存していた。
であれば、その威力は絶大。
「クラウさん、ヤバいのが来ます!」
「くっ、ならばこちらも!」
私の警告に、クラウさんもすぐさま構えを変えた。こちらもまた、アーツスキルで迎え撃つつもりなのだろう。
双方から感じられるプレッシャーが、加速度的に膨れ上がっていく。
ここが分水嶺となるのだろう。なら、私は私に出来ることをしなければなるまい。
いつの間にか、当たり前のようにやっていて驚かれたことがある。あ、いや、この体になってからはそれも結構たくさんあるんだけど、その中でも特に印象深かったことの一つが、魔法やスキルの複数同時使用だ。
オルカたち曰く、普通魔法等を二つ三つ同時に展開することなど出来ない。出来るとしたら、熟達した使い手か、それ専用のスキルを持っている特殊な人だけだと。
しかしどういうわけか私にはそれが出来るようで、もしかするとそのうち、専用のスキルとやらが生えてくるのかも知れない。
とは言え、流石にオルカの治療に専念している今の状態では、別の魔法やスキルを使うことは出来ないだろう。
何せ、MPを全部治癒魔法へ供給してしまっているため、他に回す余裕がないのだ。
だが治療の甲斐あって、オルカの状態も幾分マシにはなってきている。なれば一時的にMPリソースの一部を別の魔法ないしスキルに回し、クラウさんに加勢することは出来るはずだ。
私は治癒魔法に過剰供給していたMPの一部を使って、ココロちゃんへスリープの魔法をかけた。
勿論MNDによってレジストされはするものの、その分だけ彼女のMPを削ることは出来る。
ココロちゃんが今発動しようとしている技がどんなものかは不明なれど、それにはやはりMPを消費する可能性が高いと私は睨んだ。しかもここで決めに来たということは、消費は大きいはず。
私が事前に削った分を鑑みるに、もしかするとMP残量のすべてを注ぎ込んだ大技になるのかも知れない。
であれば、私がこのタイミングでMP削りを再開すれば、削った分だけ技の威力を減衰させる効果が望めると、そう思ったのだ。
理想はMP不足による不発なのだけれど、既に発動プロセスに入っているならそれは望み薄だろうか。その辺の検証はしたことがないため何とも言えないのだが、ともあれ無意味ということはないと信じたい。
オルカへの治癒効果を一時的に犠牲にし、私はスリープをココロちゃんにかけ続けた。
彼女の表情は苦々しげで、凄まじい形相でもってこちらを睨みつけてくる。だが、私だって頭にきているのだ。
ココロちゃんを散々苦しめ、挙げ句オルカまで傷つけた鬼。そろそろ痛い目を見てもらわねば割に合わないというものだろう。
目論見が叶ったのかは不明だが、ココロちゃんから感じられた巨大な圧力が、こころなしか減衰したように思える。
私はそれを手応えだと信じ、スリープを持続した。
クラウさんは既にスキルの準備を終え、ココロちゃんの技が発動するのを待っているらしい。防御ないしカウンター系のスキルであることが予想される。
そしてココロちゃんは、その様子から見るに本当はまだまだチャージで威力が上がる予定だったのだろう。しかし、最早削られる一方と悟ったのか、やけくそ気味に発動へ踏み切った。
「うぅぁがぁあああああぁぁあああ‼」
ココロちゃんの角が、バチバチと放電じみた光を放ったかと思えば、彼女の額あたりに何やらえげつないエネルギーを孕んだ、MP由来と思しき球体が生成された。
恐らく、あれに残存MPを詰め込んでいると思われる。ならば今なら状態異常が効くのではないかと、試してはみたのだけれど。
どうやらあの球体に阻害され、私からの干渉がココロちゃんまで届かないらしい。
こうなれば、後はクラウさんに委ねる他ないだろう。私に出来ることと言えば、彼女を信じ、オルカの治療に専念することだけだ。
ココロちゃんは肩で息をしながらこちらを睨みつけ、何を思ったか徐にその球体へ右手を伸ばしたではないか。
どうする気なのかと凝視すると、彼女はなんと球体をその右手に握り込んでしまった。
瞬間、ココロちゃんの手が凄まじい速度で破壊され、同時に再生し、骨や皮が見えたり隠れたり、消し飛んでは復元されたりと、凄絶な光景を生み出している。
察するにあの球体は、MPを鬼の破壊衝動で染め上げたもの。破壊そのものを形にしたような、そういうものなんじゃないだろうか。
だから、それを握ったココロちゃんの手は凄まじい速度で破壊され、同時に鬼の再生力を右手に集めて超再生を施している、といったところか。
常識じゃ有り得ない、無茶苦茶なアーツスキルだ。鬼の力があればこそ可能な技であることは間違いない。
そして、破壊の力を無理矢理に宿したその右手を引き、ココロちゃんは深く腰を落として構える。
これより振るわれるのは、文字通り死力を尽くしたかの如き一撃。
狙う先は私。けれどその射線を遮るよう、立ちはだかるは女騎士クラウ。
彼女の、ベコベコに歪んだ盾が不意に強烈な輝きを放ちはじめ、こちらも受け止める準備を万端に調えたようだ。
暫しの睨み合いの後、そうしてついにココロちゃんが床を爆砕させるような勢いで踏み込み、一直線にこちらへ突っ込んでくる。
遮るクラウさんは、ここで吠えるようにスキル名を唱えた。
「ディバインシールド‼」
一層強烈な蒼き光を放つ彼女の盾は、ココロちゃんの破壊を確かに受け止め、拮抗に持ち込んだのである。
凄まじい衝撃波を周囲に撒き散らしながら、双方の力比べは優に三〇秒も続いた。
「うがぁぁぁあああああ‼」
「ぅおぉぉぉおおおおお‼」
まばゆいばかりの光がついぞ収まった時。
果たして私は……無傷だった。
片膝を突いて尚、私たちを背に庇い構えるクラウさんは、苦しそうに肩で息をしている。
一方でココロちゃんはと言えば、見るも無残な右腕をだらりとぶら下げ、忌々しげにこちらを睨みつけながら立っていた。
再生力が仕事をしておらず、右手の傷は修復される様子が見えない。
もしかすると再生力もMP由来のものであり、それが尽きた今回復もままならぬということだろうか。
どうやら、勝負はあったみたいだ。
私は、ようやっと状態の落ち着いたオルカの額を一撫ですると、裏技でMPを回復しながら立ち上がった。
そうして彼女へ向けて手をかざし、プレイアブルを発動。強制的に身体の操作権限を奪取することに成功するのだった。
「がぁ……ぐぅ……!?」
「……? 今、なにかしたのか?」
「ココロちゃんの行動を封じました。これでもう、暴れられる心配はありませんよ」
自由を奪われ、痛覚さえ消えたという違和感に気づいたココロちゃんは、直ぐに苦しけな声を上げる。
それで異変に気づいたクラウさんが訝しんでくるが、今は説明の時間も惜しい。
ここからが、いよいよ最後の仕上げであり、決戦でもある。
「ココロちゃん、今鬼を黙らせるからね……!」
私はココロちゃんに駆け寄ると、早速彼女へ正常化の魔法をかけた。無論、過剰供給にて威力を思い切り強めてある。
同時にステータスウィンドウも表示して、PTメンバーの欄に彼女の名前が戻ることを祈りながら、必死に魔法の行使を続けた。
「ぅぅぁあああ……がぁああっ」
「悪あがきしてないで、ココロちゃんを返せ!」
魔法が効いているのか、苦しむ……というよりは、必死に引き剥がされまいとしがみつくような、踏ん張るように声だけで悶える鬼。
私は奴が黙るまで、延々と正常化魔法を強く強くかけ続けた。
結果、ようやっと魔法は成果を実らせ、PT欄にココロちゃんの名前が戻ったのである。
すかさず私は彼女へ向けて、キャラクター操作の申請を送った。そしてその手を取り呼びかける。
「ココロちゃん! 聞こえてる? ココロちゃん!」
「ぅ……ぅう……ミコ、ト……様……」
黒鬼の言う、一時しのぎは幸いにも間に合い、辛うじて残っていたココロちゃんの意識を引っ張り出すことに成功した。
だが、今にも消えてしまいそうなか細い声は、彼女の存在自体風前の灯であるかのようで、私の不安感を煽り立てる。
「ココロちゃん、聞いて。キャラクター操作を使ってココロちゃんと融合できたなら、私も一緒に鬼へ立ち向かうことが出来るんだ。もう一人で戦わなくていいんだよ!」
「……で……も、それ……ですと、ミ……コト様……まで、危険……に……」
「何言ってるのさ! その危険に足でも手でも頭でも突っ込まないとココロちゃんを救えないっていうんなら、私はそれをいとわないし躊躇いもしないよ」
「っ……でも……」
「……仲間は、一緒に戦うものでしょう? 私にとってココロちゃんは、間違いなく掛け替えのない仲間だよ。だけどココロちゃんにとっては、そうじゃなかったの? 私は、仲間と呼ぶにはそんなに頼りなかった?」
「! …………っ」
おかしいとは思っていたんだ。
私とオルカが融合するのを見て、どうして今の今までココロちゃんは一度として、自分もしてみたいって言わなかったのか。
あまつさえ、まだ正式なPTメンバーじゃないからと遠慮されたこともあった。遠回しに彼女は、キャラクター操作のスキルを避けていたように思える。
もしかすると、気づいていたのだろうか? 自分と融合すると、私が内なる鬼に害を及ぼされる可能性があると。
「こん、な……力、加減……も、ろくに……出来ない、ような……ココロ、を……それ、でも……仲間と…………呼んで、くださ……るん、ですか……?」
「ずっとそう言ってるじゃん。私はココロちゃんと、これからも一緒に戦っていきたいんだ。それを仲間と言わずになんて言うのさ?」
「……ぐす……ミコト、様……ココロ、も……ミコト様と、一緒が……いい、です……! 一緒に、……戦いたい!」
彼女は震える息を吐き、弱々しくすっと息を吸うと、確かな瞳で私を見た。
その目にはもう、迷いはなく。
「お願い、です……ココロに、力を貸して……ください……! 仲間として、一緒に戦って、ください!」
「うん。任せて!」
斯くして。
私の体は光の粒子へと解け、ココロちゃんの中へと吸い込まれていく。
チラリと気になって背後を見ると、目を丸くしたクラウさんの表情が妙に印象的だった。
更に、未だ目覚めぬオルカが目に入り、気持ちを引き締める。
私はオルカの分も背負って、鬼退治に臨むのだ。絶対に無様な結果は晒せない。
きっと、きっと勝つから……!
そうしてふっと、意識が暗転。
ここからが、ようやっと最終ラウンドの始まりだ。




