第八五話 詰み
昨日の敵は今日の友、なんて言葉がある。
いろんな解釈の出来る言葉だけれど、『敵』を『話の通じない相手・解り合えない相手』とするなら、『友』とは相対的に『話の通じる相手・解り合える相手』ということになる。
それに当てはめて考えると、今目の前で、痛いのは嫌だと駄々をこねるこの鬼も、先程までの話が通じない暴れっぷりを披露していた状態が『敵』だとするなら、会話の成り立つ今は『友』と言えなくもないわけで。
何が言いたいかというとつまり、流石にちょっと可哀想に感じてきたという話。
「はぁ、確かに色々教えてもらった手前、私だってあまり痛い思いはさせたくないかな」
『じゃろう! そうじゃろう!』
「でも貴方をこのままずっと手足のように動かし続ける、というのも無理な話だ。プレイアブルの効果は半永久的ってわけでもないだろうし……っていうか、持続的にMP消費してるし」
「かと言ってスキルや魔法を解除すると、また暴れだす可能性は高い」
無闇に恩や情なんて抱くものじゃないなと思った。
そりゃ感謝は大事だけどさ。代償に冷酷さを発揮できなくなる。冒険者にとって、時としてそれは致命的だ。
可愛いモンスターが現れたからって、無理! 攻撃なんて出来ない! とか甘ったれたことを言っていては、逆にあっさり食い殺されるのがこの世界なのだから。
『ならば、核の位置を教える。幸い痛みは感じぬからの、一撃で屠ってくれ』
「それは……貴方は、それでいいの?」
『なに。我ら怪物は死んだところで、すぐにまた世界のどこかに、同じ姿のまま生まれ変わる。そうして儂も長い時を過ごしてきたからの』
「そっか……」
黒鬼が地獄だというのも分かる話だ。
いつ存在が消滅するとも知れぬまま、モンスターとして戦いを強いられ続け、殺されてもまた別のどこかで蘇ってしまう。
一度モンスターへ身をやつしてしまえば、そんな連鎖へ取り込まれてしまうということだ。
なればこそ、ココロちゃんをそんなふうにはさせたくない。させてなるものか。
「分かったよ。それなら、いずれまた何処かで会うかも知れないね」
『違いない。もっとも、このような目に遭うのは二度と御免じゃがな』
私は苦笑を返し、そして構えを取った。
右足を一歩引き、アルアノイレに意識を集中する。爪の力を引き出していく。
『儂の核は眉間の奥じゃ。一息に穿け』
「わかった……!」
十分に力を溜めると、私は勢いよく足を弾ませ、渾身の力で右の足を黒鬼の眉間めがけ突き出した。
黒鬼までの距離は優に二メートルはある。だが、アルアノイレの爪は何ら問題なくその距離を埋め、繰り出した爪の一本は見事彼の頭上半分を吹き飛ばしたのである。
コアは砕かれ、瞬く間に黒鬼は塵に還っていく。
その間際。
『ココロを、救ってやってくれ――』
そう、聞こえた気がした。
★
ボスを討ち果たした瞬間、ダンジョンは攻略達成となる。
ダンジョンそのものも急速に力を失い、破壊したとて一瞬で修復されてしまう壁なども、直ぐにただの岩壁と成り果てるだろう。
上の階層で壁に取り込まれた中級鬼も、もしかすると無事脱出できたのではないだろうか。まぁ今はどうでもいいことだが。
ボス部屋の奥には一枚の扉が出現し、その向こうにはダンジョンクリアの特典が待っているはず。
しかし、私もオルカもそんなものに気を取られたりはしない。
今は何を差し置いても、ココロちゃんを救うことが大事なのだから。
塵に変わり行く黒鬼を見送っていると、しかし突然にそれは起こった。
私たちの背後で突如、俄には信じ難いほどのおぞましい気配が膨れ上がり、そして。
「ミコト‼」
「っえ!?」
ドンッ、と。力いっぱいオルカに突き飛ばされた。
その直後、オルカの体はさながら新幹線にでも跳ね飛ばされたかのような勢いでもって、弾けるように吹き飛ばされた。
石の柱を破壊してなお止まらぬ勢い。数度バウンドし、ゴロゴロと地面を慣性任せに転がり、そうしてやっと動きを止めた。
ピクリとも、動かない。
オルカが、私を庇って……。
「オ、オルカ……?」
突き飛ばされた私は呑気に尻もちなんかついて、ズタボロで数十メートルも吹き飛ばされた彼女を呆然と見ていた。
だが、それを引き起こした元凶は、私の胸に去来する驚愕も、悲哀も、恐怖も、怒りも、絶望も、何も汲み取りはしない。
ただ物言わず、私めがけてそのメイスを振り上げていた。
「ココロちゃん……っ」
「ぅぅああああ!」
振り下ろされたそれを、私はとっさに身を翻して躱した。が、巻き起こした衝撃だけで私の体は面白いように吹き飛ばされた。
何とか空中で姿勢を制御し、地に足をついた時には既に追撃の手が伸びており、間近まで迫ったココロちゃんのメイスが再度物騒な風切り音とともに振り下ろされ、石畳をたたき砕いた。
再度回避自体には成功するも、やはりその衝撃と飛び散った石の破片等に苛まれ、少なからずダメージを負うことになる。
そんな彼女の攻撃は一方的に繰り返され、息つく暇もなく私は吹き飛ばされては受け身をとり、回避しては吹き飛ばされを延々と続けるのだった。
キャラクター操作による反動から、体は重く思うように距離を取れないのも原因の一つであり、何よりココロちゃんのステータスが明らかに跳ね上がっていることが事態を悪化させている。
そして更に、衝撃的な変化を一つ見つけてしまった。
それは彼女の額。そこには確かに、象徴的な一対のそれが生じていたのである。
そう。角だ。
鬼のシンボルとも言えるそれが、いつの間にかココロちゃんの額から二本、しっかりと突き出ているのである。
その形相も険しく、普段の彼女とは似ても似つかない。
堪らず、嫌な考えが脳裏を過り、私の心臓は不安に早鐘を打った。
まさか、ココロちゃんの精神は内なる鬼に食い殺されてしまったのではないか。
そう思うと、酷い虚無感、虚脱感に何もかも投げ出したくなってくる。だが、諦めちゃダメだ。
必死に己を叱咤し、繰り出される彼女の大振りを適宜捌き続ける。受けた傷は魔法ではなく、アルアノイレの持つもう一つの特殊能力、自己再生の力によって都度回復している。
が、このままではジリ貧だ。オルカの容態も心配だし、ひょっとしたら即死もあり得るような飛ばされ方だった。一秒でも早く治癒を施しに行きたいのに、全くその隙を与えてくれない。
それどころか、段々と動きの鋭さが増しているようにさえ思う。もしかしてこうしている今も、鬼による侵食が進んでいるのだろうか?
だとするなら、無茶をしてでも止めなければならない。そうでなければ、取り返しのつかないことになってしまう。
再度ココロちゃんのメイスが、凄まじい勢いでもって床を叩きつけ、恐ろしいほどの衝撃波を発生させる。
しかし私は起死回生を狙うため、今回は踏ん張って耐えた。代償に、飛んできた石の欠片などで少なからず怪我を負うが、そんなものは直ぐに治る。だから、策に集中する。
衝撃波の通り過ぎる直後を見計らい、彼女の頭上にストレージから水瓶を取り出した。それも、逆さまに。
重力に引かれ、すぐさま落下したそれはびっしょりと彼女の体を濡らし、且つ頭に覆いかぶさった瓶に視界を覆われる。
そのシーンだけを切り取るなら、さながら喜劇のようだが、到底笑えるだけの余裕は見当たらない。
これはとても、とても貴重な隙だ。
自慢ではないが、私の魔法はえげつないとオルカからも、ココロちゃんからもよく言われる。
だから、この一瞬で彼女に大きなダメージを与えることは可能だろう。部位欠損だとか、下手をすれば絶命させることも出来るかも知れない。
だが、ココロちゃんを相手にそんなことが出来ようはずもない。
甘いことを言っていられるような温い状況でないのは百も承知だが、そも生半なダメージを与えたところで、恐らくあの黒鬼と同等かそれ以上の再生力を発揮するであろうことは、半ば鬼化してしまっている彼女を見れば容易に想像がついてしまう。
なれば、取れる手段は搦手一択。
とは言えまず、拘束系の魔法は意味を成さないだろう。水を浴びせたのだから凍らせれば、とも思うのだが、今のココロちゃんを氷ごときで縛れるとはとても思えない。
黒鬼にしたような、地獄の拘束術なら可能性はあるだろうが、あんなのは仲間に向ける技じゃない。
精神魔法系も、恐らく意味を成さないだろう。何せ彼女は自ら、私のスリープを打ち破って覚醒したのだ。多分鬼の侵食が進んだことで、色々強化されちゃっているのだと思う。魔法に対する抵抗力なんかも。
と言うか、そもそもスリープが効いたのだって、もしかするとココロちゃんがダメージを負って弱り、抵抗力が下がっていたからこそという可能性は高い。
だから、全快状態の今それは意味を成さないだろう。
同じ理由で、多分プレイアブルのスキルもダメだと思う。黒鬼にこれが通用したのも、同じく弱っていた時に使用したからだろうし。こんな場面で検証もあったもんじゃない。
あれもダメこれもダメと、熱が出そうなほど頭を捻って選んだ私の選択は、結局の所ゴリ押しだった。
ココロちゃんが頭にかぶった水瓶を叩き割るまでの僅かな時間に、私はまず気配遮断を用いて姿を隠した。
それからダメ元でまずは、キャラクター操作の申請を送ろうとステータスウィンドウを呼び出す。
が、なんとそもそもココロちゃんの名前が表示されない。PTとしてウィンドウに認知されていないということだ。
これでは申請が送れない。やむなく私はそれを断念し、全力で彼女にプレイアブルを仕掛けた。
そも、魔法抵抗力とは何なのか。ステータスで言うところのMNDがそれに当たるのだが、ではどのような場面でこれは発揮されるのだろう? と、以前ちゃんと調べたことがある。
結果から言うと、精神魔法や、状態異常魔法など、魔法の効果で心身に直接的な異常をもたらそうとする場合に発揮される抵抗力がこれだ。
しかし、この魔法抵抗力というものが何の代償もなく発揮されるかと言うと、そんなことはないわけで。
MNDが仕事をする際消費されのは、MPだ。MPを用いて、外からの魔法やスキルによる侵攻を阻んでいるのである。
なら、MPが尽きたならどうなるか。
そう、MPが尽きれば抵抗力は消え失せ、無防備を晒すことになる。それはたとえMNDが化け物みたいに高かろうと関係ない話で、MPさえ削り切ることが出来れば今のココロちゃんにだって、問題なく精神魔法も状態異常魔法も、プレイアブルというスキルだって通るはずなのだ。
私は気配と姿を隠したまま、全力全開でココロちゃんへスキルを仕掛け、MPを削り取ることに努めた。
対してココロちゃんは、突然私が姿を消したことを訝しんだようだが、直ぐに異変を感じ取ったらしく。
こころなしか焦ったように私の姿を捜し始めた。大本を叩けば攻撃も止まるというのは、至極当然な話だからね。
如何な鬼と言えど、HPは再生することが出来ても、MPは休息を取る以外回復の手段が無いはず。
それを裏付けるように、ココロちゃんは躍起になって私を捜し回る。だが見つからない。そしてそうしている間にもMPはどんどん削られていく。
プレイアブルというスキルの効果は、強力無比。しかしそれ故に私のMP消費もかなり重いのだが、そこは裏技でカバーだ。
回復薬の貯蔵は十分あり、正直根比べなら全く負ける気がしない。
斯くして勝負はあったかに思われた。が。
あろうことか、ココロちゃんは私を捜すのを中断したかと思うと、フッと視線をある一点へ向けた。
瞬間、背筋がゾワリとした。
それはダメだ。それは待ってくれ。それだけは、看過できない。
ココロちゃんはまっすぐ、未だ倒れたまま身じろぎ一つしないオルカを、その視線の先に捉え、そして飛び出したのである。
あと一歩だったのに。くそ!
彼女の突っ込む先へ、空間魔法を幾重にも張り巡らせた。
結果、ココロちゃんはゲートをくぐって部屋の隅っこへ飛び出す。首を傾げ、再度オルカに向かうも結果は同じ。
それでも彼女は諦めることを知らず、何度も何度もオルカめがけて突進を繰り返した。
対する私も、消耗の極めて大きな空間魔法を連発させられ、プレイアブルを使用するだけの余裕が得られない。
さながら千日手のような様相を呈し始めたが、不意にココロちゃんが違う動きを見せた。
近くの石柱をメイスで派手に叩き壊すと、砕けた破片を一つ掴み、オルカめがけて思い切り投擲したのだ。
勿論投げられた破片はゲートを通って遠くへ転送されるが、ココロちゃん自身はその場から殆ど動いていない。
更には、突っ込むような素早い移動ではなく、ゆっくりと歩いて移動することも試してくる。
これをやられては、ゲートを作ったところですぐに気づかれ、避けられてしまう。
てっきり鬼に侵食されたことで、判断能力や学習能力等はほぼ機能していないものと思ったのだけれど、どうやらそうではないようで。
いや寧ろ、侵食が進んだからこそただの暴走状態ではなく、考えたり、学習したりするようになったのだろうか?
何にせよ、状況は最悪である。ココロちゃんは一歩一歩、着実にオルカへ向けて歩み寄っていく。
私はすぐさまプレイアブルによるMP削りを再開したが、ココロちゃんは慌てること無く確かな足取りで進む。
ダメだ。間に合わない。心臓がバクバクとうるさいほどに鳴り、冷や汗がとめどなく流れ出る。
このままでは、オルカが殺される。ココロちゃんに、オルカを殺させてしまう。最低最悪の事態だ。
それは、それだけは何があっても阻止しなくちゃならない。
……私は、とうとう観念して姿を現してみせた。
すぐさまそれに勘付き、狂気に歪んだ表情で、それでもニンマリと口角を釣り上げてみせる彼女。可愛い顔が台無しだ。
プレイアブルによるアプローチは止めない。それでもココロちゃんは焦るでもなく、一歩また一歩と、私ではなくオルカへ向けて歩んでいく。
最悪だ。私がされて一番イヤなことを理解しているらしい。
私は駆けた。こうなればオルカを抱えて一度逃げる他ない。
こんな状態のココロちゃんを残してこの場を去れば、いよいよ完全に鬼に食い尽くされてしまうかも知れない。
それでも、オルカを死なせるわけには行かないんだ。
私はココロちゃんより早くオルカのもとへ駆けつけると、オルカを抱えあげようとした。
だが、彼女の状態は私が思うよりもずっと酷く、ともすれば今にも息を引き取りそうなほどである。
瞬間、私の思考は完全に止まった。
気づいたら、何も考えずオルカに治癒を施していた。だって、こうしないと助からないから。
オルカが、死んじゃうから。
ボロボロと、仮面の下で涙が溢れた。
自分が痛い目を見るのならいい。でも、大事な親友が、私を庇ってこんなことになるなんて……。
ココロちゃんが近づいてくる足音を聞きながらも、私はどうすることも出来ず治癒魔法をかけ続けた。
そうして、とうとう傍らで足音がピタリと止まる。
もう、見向きする必要もない。彼女がそこにいるのが分かる。
そして、徐にメイスを振り上げたことも。
終わりか。
こんな形で、終わっちゃうのか。
ココロちゃんも救えず、オルカも救えず、何もなせず。
それは、イヤだな……。
なにか、何か打てる手はないかと。治癒魔法を施しながら必死に考えた。マルチタスクは得意なんだ。
でもダメだった。オルカは全く予断の許されない状態が依然として続いているし、治癒にはそれなりに時間が要る。
今更生半可な攻撃も防御もココロちゃんには意味をなさないだろうし、空間魔法のスペースゲートは設置型であって、トラップ型の魔法だ。だから彼女を遠くへとばすことは出来ない。
思いつくのは精々が悪あがき程度。それでも無いよりはマシと言うほどの効果しか見込めないだろう。
詰みだ。
そう思った、その時だった。
「そこまでだ‼」
「!?」
何処からともなく声がして、そして次の瞬間ココロちゃんが、勢いよくぶっ飛ばされたのである。
斯くして私の前に現れたのは、ベッコベコの鎧を身にまとった勇ましき女騎士。
Aランク冒険者クラウその人だった。




