第八四話 競合する衝動
モンスターは死ねば塵になり、世界に還元されてまた生み出される。
現在私たちの目の前で、地獄だ地獄だと喚くこの黒鬼が言うことも、あながち間違いではないのかも知れない。
モンスターにとっては、何度も何度も殺される世界だ。確かに地獄以外の何物でもないのかも。
まぁそうは思えど、解放してやるわけにも行かない。
現在黒鬼は、太いものは丸太ほど、細いものだと鉛筆くらいか。そんな様々な氷柱に体中を串刺しにされ、再生することも叶わず、その凄絶な痛みに悶え苦しんでいる最中だ。
それは苦しいだろう。なんとも申し訳なくは思えど、相手はモンスター。それも癇癪を持った鬼だ。
解放した途端暴れられても困ってしまう。だからこの状態のまま話を聞くことにした。
融合を解除した私は、継続的に影踏みと正常化の魔法を黒鬼にかけつつ率直に問う。
「ココロちゃんを救う方法を教えてほしい」
『地獄じゃ! ここは地獄じゃぁぁ』
「ココロちゃんを救う方法を……」
『ジゴクジゴクジゴク!』
「……ねぇオルカ、香辛料って使ってもいいかな? 辛いやつ」
「ミコト、気持ちはわかるけど落ち着いて」
そりゃぁ、想像するに余りある痛みを味わっているのは分かる。まぁ、モンスターの痛覚がどうなってるかまでは知らないけどさ。
ああでも、もし人間がこんなことされたら一瞬でショック死するだろうから、モンスターのほうがまだ痛覚は鈍いのかも知れないな。
しかしこれでは話しにならない。かと言って黙らせても話が出来ない。解放したら危険だし、困ったな。軽い八方塞がりを感じている。
「何か、痛みを消すような魔法って無いの?」
「む? 麻酔とかかな。流石に覚えてないけど……そうだね、今からちょっと習得してみるよ」
「うん。がんばって」
生前、私だって麻酔の一つや二つ打たれた経験はある。
その時の感じを思い出しつつ、MPを操って再現する。
この手の魔法は被験体になってくれる対象がいないと、試行錯誤もままならないため難しいのだが、今回は直接黒鬼を相手に施していけばいいだけの話なので、その点は楽でいい。
ただ、影踏みと正常化魔法を持続したままなのでちょっと難しいが。
部分麻酔のかかった患部を触ると、それはそれは不気味な感触がする。
自分の体の一部なのに、まるで他人のそれを触っているような強烈な違和感。それくらい、触られたという感触が感じられなくなる。痛みがどうとか以前に、それが自分のものでなくなってしまったかのような錯覚すら覚える。
日常に落とし込んで例えるなら、めちゃくちゃ足が痺れた時にそこに触れてみても、自分の足という感じがしないような、アレの発展型だ。
イメージを強く固め、MPを操作して黒鬼へ流し込んでいく。
そして、その全身がさながら自分のものでなくなったような感じを再現……。
『痛い痛い痛い! 地獄じゃ! 地獄じゃぁぁ! ここが地ご……お?』
「あ。ミコト、もう出来たの?」
「え、うーん、ん? これは、なんか思ってた感じとちょっと違うような……」
黒鬼は、痛みから解放されたのか喚くのをやめ、何やら目を丸くしている。
オルカは私が早速麻酔の魔法を手に入れたのかと、期待を向けてくるけれど、当の私はどうにもそんな感じがしないと言うか、手応えに違和感を感じ首を捻っていた。
こういう場合は確かめるのが一番手っ取り早いと、まずはステータスウィンドウを呼び出してスキルの魔法欄をチェックしてみる。
属性魔法の内、多分精神魔法に属すると思うのだけれど、と当たりを付けて詳細を確認すると、別窓で覚えているマジックアーツの一覧が表示される。
そこをチェックしてみるも、しかしおかしなことに新しい名前の追加は確認できなかった。
けれど確かに、何らかの魔法かスキルは黒鬼に対して効果を及ぼしている。
他の属性魔法も一応チェックしてみたが、目新しいものは無い。
ならばスキルだろうかと確認してみたところ……あった。スキル欄に新しいものが一つ。
「む、何だこれ……【プレイアブル】……ってまさか」
「なにミコト、もしかして新スキル?」
「あぁ、うん。そうみたい」
プレイアブル……プレイアブルって言えば、真っ先に思い浮かぶ言葉が『プレイアブルキャラクター』。つまり、プレイヤーが操作可能なキャラクターって意味だ。
スキル名から推測するに、これはつまりモンスターの肉体操作権限を強制的に奪い取るような、そんなスキルなんじゃないだろうか。
もしそれが正しければ、これまたヤバいスキルである。
私は後方で腕組をしながら、支配したモンスターを動かして見物していればいいだけなのだから。それこそ、さながらゲームでもしているように。
あ、ダメだ。最悪だ。悪趣味すぎる。
どうやら、『まるで自分の体じゃないみたいに』ってイメージしすぎたのと、オルカと融合したことで多分【キャラクター操作】のスキルが育ったんだろう。そのせいで派生した可能性が高い。
試しに、黒鬼の体を少し動かしてみる。まるで自分の体のようにイメージし動作させる感覚でむむむと念を送ってみると、思いがけず容易く想像通りに黒鬼の体が連動して動いた。
ただ拘束されているため、当然イメージそのままの動作とは行かなかったけれど。
これに際し、当の黒鬼は状況が飲み込めずに目を白黒させている。
『お、おい小娘! 儂の体に何をした!? なぜ痛みが消えた! なぜ体の感覚が失せた‼』
「なるほど、意識はあるし、喋れもする。でも体の感覚は消えた、と……」
「一応話が出来るなら、それで結果オーライ?」
「私もアレな自覚はあるけど、オルカも大概だよね……」
ともあれ、ようやっと安心して話ができそうだ。
私は影踏みを解除し、しかし氷での束縛は止めず黒鬼との対話に移った。
正面へ移動し、しっかりと目を見てまずは交渉を持ちかける。
「何をされたか知りたいなら、私の質問に答えてくれるかな?」
『ぐ、ぬぅ、何じゃ。何が訊きたい?』
ようやっと混乱を一旦引っ込め、聞く耳を持ってくれるらしい。
私は内心安堵しつつ、早速問うた。
「貴方はさっき、ココロちゃんが鬼に喰われかけていると言った。まずはそのことについて詳しく聞きたい」
『ふん、言葉のとおりじゃよ。見たところあの娘、ココロの精神は酷く摩耗しておる。そして手合わせしてよく分かった。その内に飼うておる鬼は、驚くほど強大な力を秘めておる』
「……それは、一時的にココロちゃんの精神が弱っているから、主導権を握られかけているだとか、そういう意味?」
『否。ココロの自我は、やがて奴に噛み砕かれるじゃろうて』
「「っ‼」」
黒鬼から語られた言葉は、どれもこれも衝撃的で、無慈悲なものばかりだった。
ココロちゃんはあんな小さな体で冒険者になり、旅を続けてきたというのに、たどり着いた答えがこんなものだなんて。
私は、彼女をこんな場所へ連れてくるべきじゃなかったのだろうか。この鬼に話を聞くべきじゃなかったのだろうか。
そんな後悔が、暗雲のように胸に去来するのを感じる。
だが、落ち込んだところで事態の好転は望めない。他にやるべきことがあるはずだ。
「ココロちゃんを、救う方法は? どうしたら鬼から守れる?」
『こればかりは当人の問題じゃ。他者がどうこうできるものではない』
「っ、それでも何か無いの!?」
『儂とて叶うなら、我らが同胞が鬼に変わり行く様など見とうはないわ。なればこそ、この手で引導を渡すべく金棒を振るったというに』
「……それは、大昔の話? それとも、ココロちゃんとやり合ったことを言ってるの?」
『ふん、どうだかな』
憮然とした黒鬼の様子に、どうやら本当にココロちゃんを救う方法を知らないのだと理解させられる。
だがそうだとて、それでハイソウデスカと諦めるわけには行かないのだ。
私は気になったことを片っ端から論ってみる。
「貴方にも効果があったように、正常化の魔法で何とかならない?」
『無意味とは言わん。が、一時しのぎにしかならんな。鬼と宿主の力関係が一度逆転してしまったなら、最早どうにもならんわ』
「昔の鬼たちはどうしてたの?」
『鬼に心を喰われぬよう、皆が気遣い合い、寄り添って暮らしとった。じゃが、それでも時折鬼が暴れることはある。どうにも手の施しようのないものは、儂等が人知れず……』
「…………」
間違いなく、昔の鬼族たちもココロちゃんと同じような悩みを持っていたのだろう。
けれど彼らはココロちゃんのように一人ではなかった。皆が助け合ってその問題に立ち向かい、生きていた。
最終的には、他の種族との軋轢から鬼の暴走に歯止めが利かなくなり、ほとんどの鬼がモンスターと成り果ててしまったが、僅かなれど生き延びた者たちもあったのだ。
それがココロちゃんの祖先であり、彼らは鬼を鎮めたまま生きながらえてきた。
それはきっと、支え合える仲間がいたから。家族がいたから。
ココロちゃんには私たちがいる。でも、彼女と出逢ったのは最近のことだ。
ココロちゃんはずっと一人だった。一人で鬼の恐怖に怯え、それに打ち勝つ方法を探し続けてきた。
旅の中で幾度も辛い思いをしてきたのだろう。それでも彼女は諦めず、足掻き続けたんだ。
その過程で、彼女の心はきっとボロボロになり、摩耗しきっていたに違いない。
そうしてその旅路の果て。この場所で、彼女に突きつけられた真実が、果たしてどれ程の衝撃をもたらしたか。
彼女の中に住まう鬼が、主導権を握る最後のひと押しとするには十分に過ぎたのではないか。
そして無情にも、黒鬼は言った。鬼に主導権を握られては、どうしようもないと。
ココロちゃんの自我が鬼に食い殺されるのを、指を咥えて見ている他ないと。
「……自身もまた鬼に呑まれたと貴方は言った。なら、貴方の自我はどうして今もそこにある?」
『無論、耐えたからに他ならぬ。長らく鬼を御してきた儂が、鬼に主導権を譲ったところでそう安々とは消されんよ。こうして自我を表に出せておるのは、鬼の衝動と怪物としての衝動の隙間を縫っておるからじゃ』
「モンスターとしての攻撃衝動と鬼が競合して、不具合を起こしている……?」
『さてな。何にせよ、精神の弱りきったココロに儂と同じ真似など出来ようはずもないじゃろう』
「……いや、ちょっと待って」
黒鬼の言葉に、私は引っかかりを覚えた。
モンスターには、人間を見るなり攻撃を仕掛けるという習性と言うか、攻撃衝動らしきものがある。
そして鬼には、目に入るもの全てを敵とみなし、破壊しようという衝動が。
私は今まで、それら二つは重なり合って、より凶暴な激情をもたらすものと考えていた。
しかし、黒鬼はそれら二つの隙を突いて自我を保っている、こうしてお喋りができるのだと言う。
通常のモンスターなら、また話が違ってくる。もともと自我や知性というものを持たない、或いはそれらが薄い彼らに、己というものが芽生えるということなのだから。
ココロちゃんはモンスターじゃない。だから、鬼と競合するようなものもなく、それが生じるとしても完全に喰われた後になるだろう。それでは手遅れだ。
なら、鬼に喰われる前に、彼女の中へ競合する何かを送り込めたなら……?
「黒鬼。私が彼女、オルカと融合していたのは見ていたよね?」
『ああ。何じゃあれは、到底人の業とは思えん』
「その業を使って、私がココロちゃんの中に入ったとしたら……どうなると思う?」
『! ……ほぅ、成程。そうなれば……鬼は、ヌシともども喰らおうとするじゃろうな』
「そっか。それが聞ければ十分だ」
私はニィと、仮面の下で口角が上がるのを堪えられなかった。
成功するかは知らない。でも、やれることが見つかった。まだ希望は潰えていない。
私はオルカと頷き合い、そして黒鬼へ再度向き直る。
「ありがとう黒鬼。おかげで道筋が見えた」
『ならば約束通り、答えよ。儂に何をした? 儂の体はどうなっておる?』
「ああ、うーん。私も、ついさっき手にした新しいスキルだから、詳細までは分からないけれど。貴方の体を私の意のままに操れる状態にした、というところだろうね。副次的な効果で、痛覚も消えてるみたいだけど」
『なんと面妖な……やはりヌシは、何かの物の怪ではないのか?』
「聞くことも聞いたから、スキルを解除するよ。痛覚が戻ると思うけど、我慢してね」
『ま、待て待て待て! 待たぬか‼』
斯くして私たちはココロちゃんを救うべく、次の一手へ取り掛かるのだった。




