第八二話 鬼と暴走
ドゴン、ガゴンと、耳をつんざくような轟音が二度三度と打ち鳴らされる。
それは圧倒的な膂力でもって振るわれる、メイスと巨大な金棒がぶつかり合う、激突音。
ビリビリと不快な衝撃が私達の肌を打ち、その凄絶さを直に伝えてきた。
あれが、鬼の所業。加減を失ったココロちゃんと、黒鬼の殺し合い。
私達とはまるで格が違う、別次元の光景にすら見えた。
「拙い……拙い拙い拙い! なんとかしないと……!」
「でも、どうやって? アレはレベルが違いすぎる……今の私達じゃ、殺されて終わり」
「く……っ」
オルカの言葉に、思わず飛び出すのを躊躇してしまう。
そんなこと関係ない、ココロちゃんに加勢するのだと突っ込んでいくことは出来る。だが、今の彼女は見境なく、目に見えるすべてを敵と断じて排除しにかかるだろう。
それは私たちとて例外ではない。下手に手を出せば、ココロちゃんから攻撃を受けてしまう。
ココロちゃんが正気に戻った時、それが一体どれだけ彼女の心を傷つけるかと考えると、考えなしに突っ込むのは得策とは言えないのだ。
そうして二の足を踏んでいる間にも、ココロちゃんと黒鬼との激しい殴り合いは続いている。
しかしながらどうにも、ココロちゃんの旗色が悪い。体格差もあるし、戦闘の技術に関しても黒鬼が上回って見えた。
ココロちゃんはただただ力に振り回されているというような、技術とは無縁の本能任せの動きで黒鬼へ襲いかかる。それは最早獣の動きだ。
対して黒鬼は、鬼の破壊衝動と、モンスターの敵愾心。それらに駆られているにも拘わらず、洗練された体捌きが見て取れる。恐らく体が覚えている動き、というやつなのだろう。
故に、手強い。ココロちゃんは攻めあぐね、獣のように悔しげに唸っている。
そんな彼女へついに、金棒による思い一撃が叩き込まれ、ココロちゃんの体は信じ難い速度で水平に飛ぶと、全く減速せぬまま壁面へ叩きつけられ、凄まじい破砕音をフロア全体へ轟かせた。
「ココロちゃん‼」
「拙い、追撃しようとしてる!」
「させないっ‼」
こうなってはもう、悩みも迷いもしない。私たちは躊躇うことも忘れてココロちゃんを背に庇い、黒鬼の前へと立ち塞がった。
凄まじい威圧感だ。恐ろしくて直視することすら憚られる。
それでも、ここは退けない!
「止まって!」
『ぅぅう……ガァァ‼』
「ダメ、もう話が通じない」
力づくで止める他ない。
私は今持ちうる最強の装備へ換装し、迫りくる鬼を迎え撃つべく構えた。
黒鬼も止まっていたりはしない。私とオルカの乱入に少しばかり面食らったようではあったが、それだけだ。
すぐさまこちらへ飛びかかってきた。凄まじい勢いである。だが、動きを見切るのは得意なんだ。
黒鬼が金棒を振るおうとする、その初動。力の入り始めを狙い、的確にアルアノイレの爪を叩き込む。
が、怯みもしない。なんて頑丈さだ。
畳み掛けるようにオルカの矢が黒鬼の眼球めがけて飛翔するも、奴は軽く顎を引いて角で弾いてみせた。
そして私たちめがけ、金棒を振り下ろしてくる。
余裕を持って回避したにもかかわらず、衝撃波に打ち据えられ空中姿勢を崩されかけてしまった。
黒鬼はそれを見逃さず、その巨大な金棒を一旦手放し、私めがけて拳を突き出してきた。
直撃すれば、軽く三回くらいは死ねる。だが、こうなっては恐怖する間も惜しんで必死に頭を動かす。この場面で切れるカードは何かと。
選択したのは、燃費のすこぶる悪い隠し玉。みんな大好きシリーズ。
空間魔法【スペースゲート】だ。
空間と空間を繋ぐ門を生成するマジックアーツだが、移動魔法としてはほぼ使えない。
何せ、ゲートを作れるのは私の視界が捉えている空間に限られるから。
だから今回は、私の正面と黒鬼の側頭部をゲートで繋げた。
結果、奴の凄まじい拳は自身の右顎を綺麗に撃ち抜き、凄まじい衝撃を与えた。
さらにそこへ。
「解除!」
『グァアアアアァ!?』
ゲートを素早く解除。結果、空間を飛び越えて伸びていた奴の腕は、ものの見事に切断された。
黒鬼は痛みに悶え、腕を押さえて膝をついた。顎も外れて下顎が不自然な方向を向いている。
目に見えてダメージは大きいが、鬼の再生能力は下級ですら侮れないものがあった。黒鬼ともなれば、当然のように部位欠損もすぐさま再生してしまう。
案の定、切り落とした奴の腕は骨、筋、肉、皮と、本当にあっと言う間に元通りになってしまった。
下顎も、ゴキゴキっと手で掴んで強引にもとに戻してしまう。まるで悪夢のようだ。
対する私も、空間魔法で一気に減ったMPを裏技を用いて瞬時に回復する。こういう油断も隙も許されない局面でこそ、この裏技は大きな効果を発揮してくれるようだ。
MP強化補正が一切つかない装備へ一瞬だけ換装。その瞬間回復薬を服用し、回復したら素早く元の装備に戻す。
とは言え二、三秒は要するため、殴り合いの最中に出来るような芸当でもないのだけれど。
そしてその間オルカはと言うと、気配を絶ち、隙あらば急所へ向けて矢を打ち込んでいた。
ただ、どれだけ射っても刺さりは浅く、思ったようにダメージは通らないようだ。
だがそれでいい。鬼は間違いなく煩わしさを覚え、ついにオルカの姿を探し始めた。
そして見つけたそれに、勢いよく飛びかかったのだが。
鬼が叩き潰したそれは、しかし実態のない幻だった。私がオルカに贈った腕輪の効果である。
自らの残像を残すその力を十全に駆使して、オルカは黒鬼を翻弄してみせた。
そうして私たちの奮戦により時間は稼がれ、オルカと私に手間取っていたやつの鼻っ柱に、一直線に突っ込んでいったココロちゃんのメイスが思い切りめり込んだ。
黒鬼が吹っ飛ぶ番だった。ココロちゃんは咆哮を上げると、昂ぶる殺意任せに追撃していく。
私とオルカはここでようやく息をついた。どうにか戦況を持ち直させることには成功したようだが、しかし自力は黒鬼が上。このままではまた直に、今の繰り返しとなるだろう。
かと言ってココロちゃんと共闘しようにも、狂ったように暴れる今の彼女とは叶わぬ話。
出来ることと言ったら、黒鬼にココロちゃんのヘイトを集めておいて、横合いからチクチク嫌がらせをする程度か。
しかしその程度のことで黒鬼を仕留められるとも限らないし、仕留めてしまっていいのかという問題もある。
黒鬼は、ココロちゃんが内なる鬼に喰われかけていると言った。
ならばもしかすると、それをたとえ一時的にでも留める方法を知っているかも知れない。
何より、ココロちゃんのことも止めなくてはならないんだ。
何か、手を打つ必要があった。
でも、一体どうすればいいのか……。
「ミコト。私、少し気になることがあるんだけど」
「ん、なに?」
「ミコトがあげたチョーカー、ココロが暴れだす直前に壊れたよね」
「!」
言われてみると、確かにそうだった。
このダンジョンに潜る前の日、オルカへ腕輪を贈ったのと一緒に、ココロちゃんにはチョーカーを贈ったんだ。
それが、唐突に砕けた。その直後ココロちゃんは暴れだしたのだ。
「チョーカーには、精神異常をレジストする効果があった……つまり、ココロちゃんを止めるには……」
「聖魔法での異常治癒が有効かもしれない」
「! それってもしかして、黒鬼にも言えることかな?」
「それは、やってみないと分からないね……」
鬼の癇癪と呼ばれるそれは、【狂化】というスキルから来るものだ。少なくともココロちゃんの場合に於いてはそうだった。
もしかすると精神系状態異常のレジスト効果は、これに作用していたのではないか?
ココロちゃんが暴れだす前。あの時、黒鬼からは衝撃的な事実を突きつけられていた。
しかも、上の階層で中級鬼と戦った際も、精神的に強烈なストレスを感じていた。
蓄積したストレスは、狂化を発動させるのに十分なものだったはず。しかし、それをギリギリまであのチョーカーが抑え込んでいたとしたらどうだ。
いよいよ狂化のもたらす精神異常効果をレジストし切れなくなり、自壊してしまった。結果ココロちゃんは自我を見失い暴れだしたと。
もしそれが正しければ、レジスト効果は確かに働いていたという裏付けになるのではないだろうか。
それならば、オルカの言うように聖魔法が有効だという可能性は、十分にあるはず。
だが問題は、ココロちゃんを止めたとして黒鬼はどうするのかということ。
正直私達に出来るのは、精々が時間稼ぎだけ。ココロちゃんの火力が頼れないのでは、勝ち目はほぼ無いと言っていい。
ならば暴れるココロちゃんを上手く活かして無理やりな共闘の形を作り、どうにか黒鬼を討滅。その後ココロちゃんを聖魔法で落ち着かせる?
しかしそれでは、既に鬼に喰われかけているというココロちゃんを救う手段を、聞き出せないままではないか。
理想的な手順としては、なんとかしてココロちゃんを正気に戻した後、黒鬼にも何とか正常化魔法をかけて再度対話し、話を聞ける状態に持っていくこと。
けれどそのためには、黒鬼とココロちゃんが激突する中に入って、ココロちゃんを正気に戻させる必要があるわけで。
鬼に喰われかけているというココロちゃんが、そもそも正気に戻ってくれるのかというところからして不明であるため、あまりにリスクが大きすぎる。
「ミコト……ここは悔しいけど、ココロが気絶するのを待ったほうがいい」
「! そ、それは……っ」
「私だって、他に手があるならこんなことは言わない……!」
「…………」
つまりは、ココロちゃんが劣勢に追いやられ、完全に意識を失い黒鬼とだけ対峙できる状況を作ると、そういうことだろう。
そのためには、ココロちゃんが黒鬼に痛めつけられる所を、ただ傍観していなくてはならないと。
提案したオルカ自身、酷く悔しそうに肩を震わせている。私も、他に手はないかと必死に考えるが、焦りもあってか上手い手が浮かんでこない。
不甲斐ない自分の脳みそを恨めしく思いながらも、代替案がないのならばその話に乗る他無かった。
「……次、ココロちゃんが吹っ飛ばされたら、私がスリープの魔法で意識を奪う。そこからは黒鬼とやり合うことになるけど、オルカはそれでいいの? 死んじゃうかも知れないよ」
「大丈夫。ミコトが私を使ってくれるなら、アイツにだって負けない」
「! ……わかった。その案に乗るよ」
それは私達のとっておき。たった一〇分間だけの特別。
けれど多分、黒鬼とココロちゃんの双方を相手にしては及ばないだろう。
黒鬼だけならなんとかなるか、ならないか。かなり危ない橋を渡る事にはなる。でも、私も信じよう。
オルカと一緒なら、きっとやれると。
正常化魔法の効果次第では、黒鬼を止めることも出来るかも知れない。勝算はあるのだ。
私たちは揃って、ココロちゃんと黒鬼の激突を見守り続けた。その瞬間を、歯を食いしばり待ち続けたのだ。
そうしてついに、鬼の金棒が再度ココロちゃんの体を強かに弾き飛ばす。
作戦の時は、今。




