第八〇話 鬼のボス
Aランク冒険者クラウは、高度な剣術と優れたスキルを持ち、また防御にも秀でた資質を持つ。さらには魔法まで使いこなすという、非常にハイスペックな女性だ。
頑丈な全身甲冑に身を包み、ギルドで依頼を受ける彼女はよく目立つ。
いつしか付いたあだ名は女騎士。
強者を求めて西へ東へ、さながら武者修行の如き旅を続けるうちに、いつしか彼女の名は広く知れ渡っていった。
……とかなんとか。確かそんな話を聞いたのだけれど、私達の目の前で血溜まりに倒れ伏すこの甲冑の人は、恐らく件のAランク冒険者クラウさんに間違いないだろう。
手足はおかしな方に曲がっているし、出血量から見ても相当ヤバい状態である。
慌ててココロちゃんが駆け寄り、凄まじい速度で治癒魔法をかける。が、それでは間に合わないようで、仕方なく鬼の力由来の【再生術】を駆使してクラウさんを治療し始めた。
思えば私も、あれで命を救われたのだ。というか部位欠損まで治してもらったからね。ココロちゃんの手にかかれば、生きてさえいるなら問題なく治せるはずだ。
一応私もMPには十分な余力があるため、加勢して彼女の傷を魔法で癒やしていく。
それにしてもまさか、既にボスに挑み、敗北した後だとは思わなんだ。
私達はてっきり、マップでこの人の反応を見つけて、ボスに挑む前に追いつくことが出来たと思っていたのだけれど、そうではなかったらしい。
ボス部屋と私達のいる小広いスペースを隔てるのは、一枚の大扉。何なら門と言ったほうがしっくり来そうなほど重厚な石造りのそれだが、その下からズルズルと何かを引きずったような血痕が延びており、クラウさんが命からがらボス部屋から逃げ出てきたことを示していた。
何故なら、その血痕の先で彼女は倒れており、石畳の床にはじんわりと血溜まりが広がっていたのだから。
マップを見れば、ボスの反応は健在であり、そして彼女は今にも命の灯を失いそうな有様。それだけで、大まかな経緯は察しがつくというものだ。
「……ふぅ、だいぶ容態は落ち着いてきたかな。っていうか、甲冑着たまま治療始めちゃったけど、拙いのでは?」
「あぅ、すみません。ココロが脱がそうとすると、力加減的に、その……」
「手伝う」
「じゃぁオルカ、一緒に脱がせようぜぐへへ」
「ミコト様、邪念が漏れてます」
「おっとっと」
一時は緊迫したものの、クラウさんの状態も大分安定してきたことで軽口を叩き合う余裕も出てきた。
私とオルカはせっせと彼女の重たい甲冑を一つ一つ脱がしていった。こんなの、一人でどうやって着てるんだろうって考えると、それだけで変に感心してしまう。
頑丈そうな鎧も兜も、ちょっと引いてしまうくらいボコボコだ。一体ボス戦で何があったのか……ここまで単身で降りてきた彼女が、こうも手酷くやられている様を見てしまうと、堪らず不安が掻き立てられてしまう。
だからこそ私達は、あえてその話題を避けるように振る舞った。
「見てミコト、この人すごく綺麗……」
「あ、ホントだ。もしかしてそれでそんなフルフェイスのヘルムなんてかぶってたのかな? だとしたら親近感湧くなぁ」
「でも、ミコトのほうが綺麗……だよ」
「あらやだ、オルカったら」
「ちょっとお二人とも、何イチャついてるんですか。まだ手当は終わっていないんですよ」
「「はい。ごめんなさい」」
ちょっと悪乗りしてしまった。治療中のココロちゃんはいつも以上に真面目なのだ。それに私たちも不謹慎だったね。
内心で反省しつつ、クラウさんの装備を片っ端から外して下着姿にまで脱がしてみると、至るところにまだまだ打撲や切り傷等が見られた。
私とココロちゃんは手分けしてそれらをチクチクと魔法で癒やしていった。
さして時間は掛からず、全身の傷という傷は消え去り、その表情にも苦しげな色は見当たらない。規則正しく胸を上下させる彼女は、全快と言っていい状態だろう。後は意識が戻れば完璧だ。
「はぁ、ちょっと疲れたね。少し休もう」
「マップを見る限り、ボスに動きもないみたい」
「MPも結構使ってしまいましたからね」
治療も済んで、ようやっといくらか安堵した私達は、移動の疲れも相まってため息をついた。
念の為大扉からは少し距離を取り、各々マップでボスの様子に注意しつつ休憩を取ることに。
クラウさんにはストレージから出した毛布をかけておいた。あと浄化魔法も。
恐らくマップスキルを持たない彼女が、一体どうやってここまで、こんな短期間にやって来たのかは分からない。
けれど、あんな重い装備を身に着けたまま、すごい距離を駆けて来たのだろうということは想像がつく。
不思議と、鎧を脱がせた時強烈なニオイが! なんてことはなかった……というか寧ろ、いい匂いがしたのだけれど、それでも浄化魔法は掛けておいて怒られるようなことはないだろう。女の子だしね。
女の子と言えば、彼女の素顔が思いがけず若かったことには驚いたな。多分私たちとそう歳も違わないと思う。
……あ、ごめん嘘。私まだ0歳だった。この人のほうが全然お姉さんだ。
まぁでも、見た感じ一五歳以上二〇歳未満ってところかな? それで単身こんなところまで……世の中にはやっぱり、すごい人がいるものなんだなぁ。
なんてスヤスヤ眠る彼女を見て私が感心していると、不意にオルカから声がかかった。
「ミコト、それでどうするの? ボス」
「む、むー……どうしようかなぁ」
かの有名な女騎士クラウさんが、こうも手酷く負けたボス。
果たして、私たちで挑んで勝ち目はあるのだろうか。
いや、勝算自体はある。どんな相手だろうと、オルカと融合すれば負けはすまい。
クラウさんがそうしたように、最悪ボス部屋からの脱出を図るという手もある。
ならば思い切って挑んでみるのもいいだろう。でも、かと言って確実に勝利できたり、逃亡が成功するという保証もない。
そもそも私たちは、クラウさんがこうなった経緯を詳しくは知らないのだし。
なにか特殊なスキルを用いてボス部屋から出たのだとすると、ここのボス部屋は閉じ込め型という可能性もあるのだ。
もしそうなら逃走は許されないことになる。それで更にボスが、私たちの手に負えないような相手だった場合、ほぼ詰みではないだろうか。
「安全性を考えるのなら、それはまぁ引き返すべきだとは思うよ。でも、ここまで来てボスの顔すら拝まず戻るのも、やっぱり嫌だよね」
「確かに。逃走を視野にいれるのなら、挑んでみるのもありだと思う」
「……ココロも、ボスには会っておきたいです。何か分かるかも知れませんから」
「だね……よし。ヤバそうならすぐ逃げるってことで、とりあえずボス部屋には入ってみよう。そのためにもまずはしっかり休憩して、各自コンディションを整えるように」
「「了解」」
それから数時間に渡り、私たちはゆっくりと体を休めた。
十分に食事を摂り、交代で仮眠もして、MPもバッチリ回復させる。疲労もしっかりと抜いた。
結局クラウさんが目を覚ますことはなかったけれど、とりあえず彼女の枕元に食事だけ置いておき、私たちは作戦会議を済ませると、足並みをそろえて大扉の前に立ったのである。
★
重たい大扉を少しだけ開き、ボス部屋の中を覗き込んで、私たちは息を呑んだ。
広大な広間の中心に、佇む巨躯が一つ。
鬼だった。紛うことなき、大鬼。中級鬼よりも明らかな格上なれば、差し詰め上級鬼とでも言うべきもの。
肌は赤みのない黒。距離があるため体高は大雑把な目算になるが、三メートルほどではないだろうか。
額には立派な角が一対。黒い肌に赤い角は、とても映えて見えた。
携える武器は、巨大かつ無骨な金棒。体の色より尚黒いそれは、鈍く輝いているようにも見える。
遠目にも分かるほどの、圧倒的な強者のオーラ。膝が震えそうなほどの迫力。
なるほど、これは間違いなく強敵だろう。以前攻略したダンジョンなどとは比べ物にもならない。
「ふぅ……二人とも、手筈通りに行くよ」
「まずは逃走ルートの確保から」
「心得ています!」
私たちは頷きあって、しっかり覚悟を決めると、ソロリソロリと大扉を開いた。
鬼はこちらをじろりと見て来るが、襲ってくる様子はまだない。
これ幸いと、私たちはこそこそーっと扉を目一杯開き、水と氷結魔法を用いガチガチに固定した。しかも、太い氷の柱を扉の間に横倒しに置いて、つっかえ棒代わりにしておく。これで扉は勝手に閉まらない。
逃走ルートは確保した。えらく逃げ腰で格好は付かないが、それが私達のスタイルなんだから仕方ない。
ここまでは予定通り進んだ。しかしここからが本番だ。
私たちは一層気を引き締めつつ、ゆっくりと大鬼へ向き直った。距離は一〇〇メートル近くも離れているが、早くも緊張で体が強張りそうだ。
なんて、いよいよ初手を仕掛けるべく動き出そうとしていた、その矢先だった。
想像だにしていなかった、驚くべき事態が起こったのである。
『ヌシら、何をしておる』
「「「‼」」」
大鬼が、言葉を投げてきたのだ。
ブワッと、嫌な汗が背中を濡らす。奴は、言葉を解するモンスターなのだという、その事実に私は戦慄した。
人の言葉を話すモンスターというのには、二種類ある。
一つは、力の弱いもの。搦手を得意とし、人を陥れるために言葉を操るのだ。
確かにこれも厄介ではある。だが、私にはマップウィンドウがあり、それを介せば人に化けたモンスターなどを見破ることも簡単だろう。
だが、恐ろしいのはもう一方だ。
言葉を操るモンスターのもう一つは、逆に力あるモンスターだ。
最も有名なところで言うと、ドラゴンがそれに当たるだろう。
この世界においても、ドラゴンというのは最強の生物として名高い特別なモンスターとされている。
そして彼らはその知性故か、はたまた崇高な魂故か、詳しいことは定かでないが確かな自我を持ち、言葉を理解し、操ることが可能なのだと言う。
そしてそれはドラゴンだけではない。
言葉を操る強いモンスターは、一線を越えたものであると。
そんな話が、冒険者の間ではまことしやかに語られているのだ。
それはつまり、目の前の黒き大鬼が尋常ならざる相手である証左だと言えるだろう。
瞬時に私達の誰もがそれを理解し、今すぐにでも逃げるべきだと即断しそうになる。
事実、オルカとココロちゃんは踵を返そうとした。
だが、私はそうしなかった。考えてしまったのだ。
これは、またとない好機なんじゃないか、と。
だから私の足は反転するどころか、一歩を踏み出していた。黒鬼へ向けて、一歩。また一歩と。
そして震えそうになる声音を必死に制御し、言った。
「何をって、察しはつくでしょう? 逃げ道を用意しているんだ。でもそんなことより、言葉が通じるのなら好都合。貴方にどうしても、訊きたいことがあるんだ。答えてくれるかな?」
『ほう……?』
ずるいと思った。
黒鬼との距離は依然として七〇メートルはあるだろう。
なのに向こうの声は、不思議とこちらに届く。まるで鼓膜ではなく、別の何かを通して届いているんじゃないかと思えるような響きだ。
対して私は声を張り、舞台役者にでもなったつもりで言葉を運んでいる。
こんなことでさえ、黒鬼との格の違いというものを実感させられる。一生懸命大声を上げる自分が、滑稽に思えてきてしまうのだ。
それでも、ここは退けない。
『何が訊きたい?』
「彼女のことについて。貴方になら、何か分かるかな?」
私は自らの背後を示し、ココロちゃんに関しての情報を求めた。
おずおずと私の後ろについて来ていたオルカとココロちゃんだったが、急な展開に身を竦める。
それでも、自らの中にある鬼の力。その正体や、それを何とかする方法が分かるかも知れないとあり、ココロちゃんは覚悟を決めて歩み出た。
対して、鬼は彼女を見るなり表情を変えたのである。
『これはまた、珍しい客もあったものだ』
果たして、鬼は何を語るのか。私たちは固唾を呑んで、次の言葉を待つのだった。




