第七九話 進むべきか否か
モンスターにも感情や自我、喜びや恐怖って存在するのかな、なんてあんまり考えたことなかったな。
現在私たちが相対しているコレは、正しくそれを直視するべき機会なのかも知れない。
ダンジョンの壁というのは堅固であり、ちょっとやそっとの破壊力ではびくともしない。
そしてもし仮に破壊できたとしても、ほんの一瞬にして逆再生のごとく復元されてしまう。
そうまでして、ダンジョンは冒険者が壁を破壊し、迷路を一直線に突っ切る行為を嫌うらしい。
それならば、復元が始まる前に破壊した壁を通り抜けようとするとどうなるか。その答えが、今私達の目の前にある。
即ち、壁の一部と化してしまったこの中級鬼。僅かに頭から右肩にかけてのみを残し、体の殆どを壁に埋め込まれてしまった恐ろしくも哀れな姿だ。
私達の仲間、ココロちゃんと鬼には浅からぬ因縁があり、そんな鬼の一体が目の前でこんな姿になってしまった。
どう対応するのが正しいのか。迷った末に、私が引導を渡すことにしたのだけれど、それを悟った鬼は悲痛に表情を引きつらせ、死物狂いで藻掻いてみせた。
しかしそれでも壁は微動だにせず、奴は狂ったかのように絶叫する。
さながら、死にたくないと叫ぶ人間のようだと、そんな考えが頭を過り、私は努めてそれを無視した。これからとどめを刺そうという相手に対して、抱くべき思いではないと。
そうしていよいよ私が氷結の魔法を放とうとした、その間際だった。
中級鬼は何かに気づき、そしてバッとココロちゃんを凝視したのだ。
それは、さながら命乞いのようであった。
ココロちゃんへ向け、何かを訴えかけるように鬼は声を上げた。何度も、何度も。
その度にココロちゃんは身を竦ませ、私も堪らず構えを解いてしまった。
モンスターにも、感情はある。これは間違いなく、その証左と言えるだろう。
だから倒せないだなんて言うつもりもないけれど、今回ばかりは話が違う。
「やめだ。二人とも、先を急ごう」
「うん」
「……はい」
結局私たちは、中級鬼にとどめをさすこと無く、その場を立ち去ったのだった。
仮にもし、あいつが何らかの方法で壁を抜け出し、そして再び私達の前に現れたとしても、奴は何ら躊躇いもせずモンスター然としてこちらに襲いかかってくるのだろう。下手を打ったなら、その戦闘で取り返しのつかないような大怪我や、致命傷を受けるかも知れない。
冒険者としては、仕留められる相手を見逃すことほど愚かな選択はない。
それでも、私たちには私たちの事情があり、その上で選んだのだ。間違った選択をしたとは、オルカもココロちゃんも思わなかったはずだ。
それにもしも再び襲いかかってくることがあれば、次こそは容赦なく倒す。今はそれでいい。
些か苦い気持ちを抱えながら、私たちは足早にその場を後にしたのである。
★
十分に彼の中級鬼から距離をとった後、一旦休憩を取ることにした。
ココロちゃんの顔色は相変わらず悪く。自らの手で鬼を砕いたことと、まるで助けを求めるかのようなアイツの呼びかけは、いずれも強いショックを彼女にもたらしたに違いない。
それでも一応、ゴリ押しじみてはいたが中級鬼にも勝てることは分かった。
オルカの狙撃で仕留められなかった、あのタフネスは確かに脅威ではあったが、足止めすることは可能だったし、上手く連携で攻撃を畳み掛けられるなら、問題なく倒し切ることは出来るだろう。
だが、それは単体が相手であれば、という話。
「今回はなんとかなったけど、あれに囲まれたらと思うとヤバいかもね」
「私もそう思う。火力が足りていなかった」
「…………」
「階層が進むと、更に強力になるのか。このダンジョン、相当危険度が高いね」
予想は出来ていたとは言え、いよいよステータス不足による危機感が顔を覗かせ始めた。
ココロちゃんの件も相まって、いつになく空気が沈んでしまう。
オルカの悩みは以前から、器用貧乏であるがゆえの、慢性的な火力不足にあった。そしてそれは今も、根本的な解決を見せてはいない。
最近は一撃必殺というスタイルでそれを目立たなくしていたが、それが通じぬほど硬い相手と出くわしてしまうと、まず苦戦を強いられるのが彼女だ。
その顔は悔しげにしかめられている。
ココロちゃんは、精神的に一層きつくなってくることだろう。
下級鬼に比べ、中級鬼は明らかにココロちゃんの存在を強く意識していた。
もしかすると、彼女の中の鬼に反応しているのかも知れない。
そしてココロちゃんもまた、その影響なのか彼らを単なるモンスターだと断じることが出来ないでいるようだ。
それに引っ張られる形で、私もオルカも彼女の前で鬼を仕留めることに、幾らかの躊躇いを覚えているのが現状である。
そして私にしても、現在揃っている装備は良くて中級冒険者装備。それ以外は初級冒険者が身に着けるような物の寄せ集めに過ぎない。
装備の良し悪しがそのままステータスの数値に変わってしまう私は、現状の装備でこの先を戦っていくとなると、相応に工夫や戦術で対応する必要が出てくるだろう。
総じて、もしもエンカウントしてしまった場合、苦戦は必至となる。
「ミコト、どうする? このまま進めば状況はどんどん苦しくなるよ」
「ふむ……かと言って、ここで引き返すのもね。中級鬼の反応を見るに、更に奥へ行けば鬼についてもっと分かることがあるかも知れない。出来れば多少の無理を通してでも進みたくはあるけれど」
「ミコト様……ココロのために、無理はしないでください」
「むむむぅ……」
もしもだ。
もしもこれがゲームだったなら、私は無理をしてでも先へ進むだろう。
何故なら、負けたとしても次があるから。死が終わりを意味しないから。
けれどこれは現実なんだ。死ねばそこまで。失ったものは戻らない。
そして、無理を通せば死の危険性がどんどん上がる。本来なら徹底的に排除するべきそれを、自ら背負うことになるわけだ。
冒険者と言うと、命知らずな職業と思われがちだが、その実は違う。冒険者ほど命をベットしたがらない生き物はいない。
命を落としやすいからこそ、命を何より大事にする。考えてみれば当たり前の話だ。
冒険者は兵隊とは違う。危険に自ら赴くも、赴かぬも自由だ。誰に命を張れと強制されることもない。なればこそ、なるべく安全に稼げる方法を探すのは当然のことだろう。
だから私たちが立たされている岐路とは、正に冒険者らしからぬ行動を取るか否かの分岐点と言っていいだろう。
オルカもココロちゃんも、危険を訴えている。直接言いはしないが、ここで引き返すことを提案しているように思えた。
けれど、それで良いのかと思ってしまう。何のためにここまで来たのだと。
確かに二人の言いたいことはよく分かる。もしも今まで通り、敵との遭遇を徹底的に避けて、ツルッとボスフロアまで辿り着けたとしよう。
けれどそこで、一体どうしようと言うのか。ボスと戦う? 実力が足りぬと分かっていて?
それこそ、命を投げ出すようなものだ。勝てぬと決まったわけでこそ無いが、負ける可能性も低くはない。
そんな危険な賭けめいたものに、自らはもとより仲間の命までベッドする。それはあまりに、無謀な選択と言えるだろう。
まともな冒険者なら、論外だと鼻で笑うに違いない。
「……よしわかった。それじゃこうしない? ここから五階層。五階層先まで進んでみて、それでボスフロアに辿り着けなかったなら、大人しく引き返そう」
「ボスフロアが見つかったら?」
「挑む。きっとそれならまだ、手に負える相手だと思うから。ヤバそうなら逃げれば良いし」
「「…………」」
私の提案に、オルカとココロちゃんは逡巡する。
私としては、悪くない案だと思っているのだけれど、どうだろうか。
中級鬼は、単体ならば普通に倒せた。多分二、三体を相手にしてもなんとかなるとは思う。苦戦は避けられないだろうけれど。
他のモンスターたちなら、強化されていようと既に倒し方が分かっているため、ある程度なら囲まれても何とか出来るだろう。このフロアまでなら、ちゃんと勝てるということだ。
確かにこの先、階層を降りるにつれて苦しくはなるだろうが、私たちの逃げ足はAランク級と言っても過言ではないだろう。
だから、五階層程度ならまだ戦うなり逃げるなり、対応するのにリスク過多を背負うことにはならないと思うのだ。
流石にそれ以降階層が続いているとするなら、鍛えて出直す他ないだろうとは思うけれど。
とは言え命がけの選択だ。考えが甘いと指摘されたなら、それは真摯に受け止めねばならない。その上でよく話し合いをせねば。
と、身構えていると、どうやら答えが出たらしく二人が口を開いた。
「……分かった。ミコトがそう言うなら、私はついていく」
「もしもの時は、命をかけてお二人をお守りします。ですから、ココロも先へ進みたいです」
「! ありがとう、二人とも。ごめんね無茶な提案をしちゃって」
「無茶と分かっているなら、大丈夫」
「感謝も謝罪も、ココロこそお二人へお伝えすべきことです。こんな危険なことに付き合わせてしまって、本当に……」
「おっと、それ以上は言いっこなしだよ」
「そう。全てはリーダーであるミコトの判断」
「うぐ、ま、まぁそういうこと。私がそうしたい、するべきだって思ったから提案したんだし」
「ミコト様……!」
斯くして、私たちは危険な橋を渡る事を選んだ。
方針としては、これまで以上に徹底してエンカウントを避け、そして何より罠に注意する。
万が一モンスターを呼び寄せたり、モンスターのひしめく部屋へ落っことされたり、転送されたりなんかして包囲されようものなら、たまったものではないからね。
ひたすら安全第一、命大事にで第一五階層を目指す。
それまでにもし、ボスフロアがなかったなら出直しだ。流石にこれだけ強力なダンジョンなら、そう安々とクリアされることもないだろう。
唯一の気がかりは、未だにその姿を見ない先行しているはずのAランク冒険者だが。
聞いた話によるとソロで活動しているらしいし、中型鬼のような強力なモンスターが徘徊しているこんなダンジョンだ。きっとどこかで引き返すだろう。そう、祈るほか無い。
そうと決まれば出発だ。
マップを慎重に見ながら、私たちはナビに従いつつ、時折それに逆らってでも一層の安全マージンを確保し、着実に足を進めたのだった。
★
そうして迎えた、第一五階層。
私達は三人揃って、ぽかんと間抜け面を晒していた。
目前に広がるのは、これまでの洞窟とは打って変わっての、人工物と思しき石の装飾。
敷き詰められた石畳に、規則正しく並ぶ石の柱。さながら何かの遺跡だ。それが洞窟内にこしらえられたような、そんな空間だった。
洞窟と古代遺跡の融合、とでも言うべきか。
くねくねと続く道は、しかし一本きり。そしてその奥には巨大な扉と、それを隔てた向こうに広大な空間がある。
私たちはそれを、マップウィンドウでもって確かめ、そして確信した。
「コレ、ボスフロアだ……」
「まさか、一五階層丁度にあるなんて」
「ミコト様、本当に挑まれるのですか……?」
「そうだね、そのために来たんだしね……というかそれ以前に」
「うん。マップに気になる反応がある」
徹底してエンカウントを避け続けた結果、私たちは体感時間で言うところの、その日の内に第一五階層へ至ったのである。
果たして運がいいのか悪いのか。どうせならもう一、二階層上にあってくれたなら、もう少し挑んでも勝てる自信が持てたと言うのに。
よりによって、恐らく潜れる限界だろうと定めた一五階層でボスフロアとは、また判断に困窮するような展開じゃないか。
だが、そんなことよりもだ。
私たちはマップの中に一点、とんでもない違和感を見つけてしまっていた。
それは、モンスターの存在を示す赤い印でもなければ、仲間を示す緑のそれでもない。
私たち以外の人物を示す、黄色の光点。それが、ボス部屋の真ん前にぽつんと一つ存在しているのである。
ここまでくれば、もう何者なのだろうと考える必要もない。
私たちに先んじて、このダンジョンの本格攻略を行っていたAランク冒険者その人に違いないだろう。
折角こんなところにまで来て、先を越されましたと言うんじゃあまりに悔しい。
ボスに挑むにせよ引き返すにせよ、まずはこの冒険者に接触してみようと。私たちは短くそう話をまとめ、駆け足で一本道を進むのだった。
しかし、そうして見えてきた大きな扉。
その前に居たのは……。




