第六九七話 VSガルグリフ
かつて戦場となった、大平原が一角。
多くの戦士とモンスターがぶつかり合い、途方も無い血が流れた場所。
現在は付近のダンジョンなども駆逐され、比較的安全なフィールドが一つとして知られており、新たな町も作られている。
大きな教会が特徴的な、どこか厳粛な空気の漂う町。
かつての戦いに於ける犠牲者や、戦場で散って行った魂たちを弔わんと、立派な慰霊碑もこしらえられており。
今に至るまで参拝に訪れる人の絶えない、小さくとも人の多い町である。
尤も、この世界に於いては人っ子一人いない、空っぽのイミテーションではあるが。
仮想空間の中、そんな町の様子を彼方に眺め、イクシスは鋭い表情にて前方のそいつを睨んだ。
初期待機位置の光の中。
そこに佇むは、忘れもしない忌々しき姿。
鷲のような雄々しき鳥類の頭と、背には橙色の輝きを放つ巨大な翼。
獣と人を足したような身体は、自然体でありながら前傾姿勢を是とし。
感情の感じられない瞳は、そこに宿るNPCの存在を主張しているようにすら見えた。
イクシスは小さく嘆息する。
(そうだ。奴は本物のガルグリフではない。この場所も異空間による再現だ……だが)
そうと分かっていても、自然と闘争心がとめどなく湧き出てくる。ともすれば、憎しみすら滲み出して来そうではないか。
それ程に、目の前の憎き姿はかつて、多くの同胞をその手に掛けた奴の容貌と寸分違わぬものに見えたから。
風と炎を絶大な力でもって操るガルグリフは、範囲殲滅に於いて途方も無い能力を発揮した。
実力の足りぬ者は、戦場に出ただけで燃やされ、引き裂かれ。天に舞い上げられて落下死した者も多い。
それ程に大規模な術の行使を、奴は難なくこなしてみせたのだ。
この場所とて、かつては火の海にされた。悪夢が如き景色の中で、どれほど自身の非力さを嘆いたかも知れない。
(さて。今の私の力が、奴を圧倒できるか……試金石にこれほど相応しい存在もないな)
心の中でそのように嘯けば、やがて試合の開始を告げるカウントダウンが目の前で尽き。
そして、初期待機位置を示す光がパンと弾け散った。
同時である。
イクシスとガルグリフの姿が、同時に消失した。
いや、きっと傍目にはそう錯覚するほどの速度でもって、両者が初動を行ったのだ。
彼我の距離は五〇メートルほど。さりとて、そんなものは彼女らにとって無いも等しく。
(…………)
ガルグリフが直前まで存在していたその場所にて、剣を振り下ろした姿勢のイクシス。
切っ先は空を切ったようだ。
瞳は既に彼方を睨んでいた。さりとて彼女の表情に落胆の色はない。
(やはり疾い。だが、記憶にあるそれよりもずっと遅い……いや、私がそれだけ成長したということだろう)
もう二〇年近くも前のことだ、イクシスが四天王ガルグリフと対峙したのは。
なれば成長も当然、とは思う。なれど。
こと疾さに於いては、これほどの相手はいない。魔王すら超越するスピードを有するのがガルグリフであり、残念ながら未だそれを捉えるには至っていないようだった。
(とは言え、ミコトちゃんの転移や雷速などとは比べるべくもないがな!)
なんて強がりを内心に浮かべてみるも、視線は依然として鋭く。
彼女の睨みつける先、彼方の景色が只中に静かに浮かぶ敵影が一つ。
かと思えば、濃密な魔力反応がちらりと瞬き。
とっさにブンと剣を振るうイクシス。柄を握るその手に、恐ろしく重い衝撃が伝った。
直後、イクシスの背後にて凄絶な火柱が左右で二本立ち上る。彼女が斬り分けたが故に、二本。
もしも反応が遅れていたならば、それらより尚凄まじい火柱が巻き起こり、イクシスを焼滅させんと猛威を奮ったに違いない。
イクシスをもってして、対処に手を焼く程の火力。それをあの距離から、易易と放って来るのだ。
それもまだまだ、ほんの小手調べ。ガルグリフにとってはジャブも同じことである。
そうと知っているが故に、イクシスの表情は幾らか険しくなり。
(やはり、一人で対処するには難しい相手のようだ)
危機感を刺激されつつも、かつて仲間たちと戦った未熟な時分を思い、少しだけ懐かしくなる。
当時はガルグリフの猛攻を、頼もしき盾が見事に遮ってみせたものである。
その面影を、今は愛娘に見つけることが出来る。自然と成った連想に、一瞬口元が綻びかけるイクシス。
さりとて戦闘中だ。気を抜くような愚は犯さない。
(だが、どうしたものか)
お返しとばかりに、光魔法を飛ばしてみる。
光の速さで飛来するそれであれば、如何な四天王ガルグリフとて見てから回避などは不可能。
だが。
イクシスの貫いたそれは、奴の生み出した幻影に過ぎなかった。
風と炎を巧みに操作するガルグリフは、幻影の扱いにも長けている。
スキルのなせる業か、はたまた奴自身の妙技によるものか。
何れにせよ、ただでさえ異常としか言えない程の超速移動をデフォルトに持つガルグリフは、その上近距離戦を嫌い、長距離にて幻影まで駆使し逃げ回るのだ。
はっきり言って捉えるのは困難を極める。
(仮に速度で拮抗できたとて、これでは勝負にもならんな)
良く言えば慎重。悪く言えば臆病者。
姿を見せず、一方的に遠距離から大出力の魔法を無尽蔵に叩きつけてくる。
そこだけピックアップすると、どこぞの仮面が脳裏を過る彼女だったが。アレと一緒にしては流石に可哀想だと思考を修正。
どのようにして攻撃を通したものかと、眉根を寄せて思案した。
(ふむ……やはり、バフなしでは埒が明かないか)
ここまでは、自己強化スキルの類を用いずに様子を見たイクシス。
さりとてこのままではガルグリフを捉えることすら叶わず、一方的に魔法を浴びせられる、自身にとっては面白くない展開が続くものと理解した。
なれば、バフの解禁も已む無し。躊躇いなく、彼女はバフスキルを自らへ重ねがけしていった。
すると当然、効果は覿面だ。
(なんと、以前はレラおばあちゃんのバフを貰っても、全く目で追うことすら叶わなかったというのに、今は見えるぞ!)
自らの成長を改めて感じ、少しばかり気持ちが高揚するイクシス。
依然としてバカスカと飛んでくるガルグリフの魔法を、剣一本で次々に切り捨てながら、先程の焼き直しが如く彼方へ手をかざす彼女。
そうしてバシュンと閃光を撃ち放ったなら。
(む。避けるか)
しかしガルグリフは、回避に於いても非常に長けているらしく。
野生の勘でも働いたのか、或いは危機感知系スキルのなせる業か。
光の速度にて迫る脅威を、ひらりと見事に躱す姿がイクシスの目には見えていた。
そこからは、一気に激化する戦闘である。
遠距離に於ける魔法の応酬。さながら光弾飛び交うSF映画が一幕のようですらあった。
片や魔法を切り払い、無傷を維持するイクシス。
直接攻撃が意味をなさぬならと、周囲へ着弾させ衝撃に巻き込もうというガルグリフの思惑すら、障壁を駆使して見事に阻んでいく。
片や回避を続けるガルグリフ。軽々と閃光を避け続けるも、しかし回避を行うたびにイクシスの狙いは精度を増しているようで。
傍目に観ても、このまま行けばガルグリフが先に一撃を浴びるであろう事が、容易に予想出来た。
すると、その時だ。
カッと、唐突に輝きを増したのは、四天王最速の携えし眩き翼。
かと思えば動きは一変。先程までのそれが、まるでお遊びだったかのように、見違えるほどの加速でもって再びイクシスの視界より消えるガルグリフ。
(ち。本気になったようだ)
彼方に見ゆるは、橙色の軌跡のみ。頭の無い箒星が如き、奇妙極まる様を忌まわしくも懐かしく思うイクシス。
そう、ガルグリフは本気を出すと強い光を放つようになる。
だが、臆病者のガルグリフ。光ることで得られる大きなメリットはあれど、反面己が位置を知らせることにもなり。これを嫌って、危機感を煽られねば本領を発揮しないとは誰の分析だったか。
(やはりCPU対戦モードはすごいな。そんなところまで再現しようとは)
などと感心を懐きつつも、しかし状況は良くない。
瞬間、無数に飛来した超速の火球たち。
忌々しげに隔離障壁にて受けたなら、それをビリビリと軋ませる凄まじい威力を見せつけるではないか。
これこそが、ガルグリフ本来の力。
まるで開き直ったかのように攻勢へと転じた彼のモンスターは、これまでの立ち回りとは打って変わって、あの手この手で猛攻を仕掛けるようになる。
ふと面前に幻影が現れ、動揺を誘って来たかと思えば、周囲の気温がグンと上昇。
呼吸一つで常人ならば容易く肺を焼かれるような、灼熱の気温が猛威を振るわんとする。
が、対策スキルを既に有するイクシスは、それらに眉一つ動かさず。
自身の脅威と成り得る攻撃のみ、的確に打ち払っていった。
ならばと時折、一際強烈な熱線がガルグリフより放たれたなら、それはとうとう隔離障壁すら貫いてみせ。
僅かに回避を仕損じたイクシスの肩を、浅からずごっそりと抉ったのである。
だが、各種苦痛耐性系スキルもあり、彼女の顔色には然程の変化もない。
傷も回復系スキルにより、直様完治する。
が、調子づいたガルグリフはこれ見よがしに弾幕を厚くし、その中に紛れさせるよう強力な一撃を織り交ぜるようになった。
(く。かつての私なら、ここで詰みだっただろうか……やはり仲間の存在というのは偉大だな)
ジリ貧である。
ガルグリフは当然、撤退など許そうはずもなく。
直ぐにでも打開策を打ち出さねば、そのまま敗北は決定してしまうのが現状だ。
ソロで相対してみたなら、想像以上の難敵。各種スペシャリストが集い、短所を補い合い、長所を引き出し合えばこそ、以前の戦いに於いて奴を打倒せしめたのだと。
イクシスは今、改めてそう確信を得た。
勇者の冒険譚だなんて語りぐさになってこそいるが、こうして思い返してみたなら薄氷の上の勝利ばかり。
良くも悪くも若気の至りとは、正にであると言えるだろう。
(まぁ、それはそれとして。今の私には、まだ切れる手札があるわけだが)
その時だ。
バキンと奇妙な破砕音を立て、隔離障壁が破損。
イクシスへ向けて、悍ましき威力の火球が怒涛の如く殺到し、彼女を直ちに焼き尽くさんと荒れ狂った。
そして。
金色の衣をはためかせた彼女は、それらを容易く一掃したのである。
当時、ガルグリフとの戦闘時に於いてはまだ習得に至っていなかった、最強格の強化系スキル。
神気顕纏。
その輝かしき威容が、さしもの四天王を怯ませる。
誤字報告感謝です! 適用させていただきました!
うぅ、似たような間違いが多いなぁ……精進せねば!




