第六九三話 パフォーマンス
廃坑のダンジョンに通うのも、今日で五日目になる。
時刻は既に午前一一時。階層は一五階層。依然として皆の運動不足解消のためのランニングは続いており。
すっかり表情の抜け落ちた皆は、怖いくらいの真顔で今日も淡々黙々と足を動かしている。
先頭を走る私としては、背後からの圧がおっかなくて仕方ないわけだけれど。
とは言え、五日も日がな一日重力負荷を受けた上で走って戦ってと繰り返していれば、流石に衰えた体力も随分戻ってきたようで。
結果、皆の余裕を見つつ、なるべくこっそりバレないよう、じわりじわりと負荷を強化したりして。
このままの勢いなら、もしかするとそのうち『界◯拳じゅうべぇだぁぁぁ!!』とか誰かが言い出しても不思議じゃないかも知れない。
それはそれでパワーアップである。きっと当人も喜んでくれることだろう。嗚呼鍛錬の何と素晴らしいことか。
なんて現実逃避しつつ、心眼の見せる景色にそっぽを向く。
彼女たちからはすっかり、鬼教官の如く忌々しがられる私である。
分かってくれ、みんなのためなんだ! なんて、それは彼女たちとて百も承知のことだろう。
だからこそ乱闘騒ぎに発展せず済んでいるまである。
それでも、超重力の中丸一日走らされる地獄は想像を絶する苦行のようで。
そのくせ、こんな状況の原因となったミコバトは、今尚イクシス邸に戻ってからの彼女たちの楽しみとなっているらしい。
何でも、仮想空間内では疲労の溜まった身体を脱ぎ捨て、コンディションが万全な自分を試せるため、今日の地獄の成果を直に感じられるとか何とか。新手の飴と鞭かな?
そんなこんなで結局の所、反発はあれど良い鍛錬にはなっている様子。
リリ辺りからは、こっそり重力を追加する度に、射殺さんばかりの睨みを頂戴するわけだけれど。
どうやら一部の人には過重がバレているらしい。私もまだまだである。もっとバレないように慎重に重さを加えていかねば。
きっとスキルを発動してるのが察知されてるんだ。なら、それを如何に悟られないよう行使できるか……って考えると、なかなか興味深いテーマである。
なのでもっぱら、この機会に私が心血を注いでいるのは、魔力制御に長けた者にも気づかれることのない、極めて自然なスキルや魔法の発動を行うための研究と特訓であった。
異なるテーマで一緒に鍛錬するだなんて、なんて理想的な関係なんだろうか。
この時間がいつまでも続けばいいのに。
廃坑ダンジョン七日目。時は夕暮れ。
残念なことに、とうとうボス部屋前へ辿り着いてしまった。
ギラついた皆の視線から察せられる通り、明日へ決着を引き伸ばすつもりなどは微塵も無いみたいで。
溜め込んだストレスをボスにぶつけてやろうという気概が、ビシバシと痛いくらいに伝わってくるもの。
なれば心配なんてものは無用だろうか。しかしストレス同様溜め込んだ疲労もピークを迎えているはず。一抹の不安もある。
もしもの時は私が何とかする他ない。仮に私一人の手に余るとしても、皆と力を合わせれば大抵の危機は乗り切れる、或いはやり過ごせるだろう。
けど、それは慢心ではなかろうか。本当に大丈夫だろうか。やはり万全でこそ臨むべきではないか。
暫し自問し、ゼノワにも相談し。
「グラ」
ってことで、やっぱりボスに挑戦して帰ることになった。勿論皆からは反対の声など無く。
階層は二〇階層。
昨日今日もべらぼうに走ったせいで、今や皆人殺しすら躊躇わないような表情をしている。
表情が抜け落ちているくせに、なんとも矛盾した話だが。しかしそう見えるのだから仕方ない。
適度にその殺意の矛先を、モンスターへ誘導してこれたのは心眼あってのこと。神スキルと言っても過言ではないのかも知れない。
などと、今更心眼の有り難さに合掌し、私はそっとボス部屋の頑丈な扉を押し開けるのだった。
ボスの姿はない。これからポップするのだろう。
皆で足を踏み入れたなら、案の定黒い塵が広大な部屋の最奥へ集まり始める。ボスポップの予兆だ。
対し、こっちはこっちで異様な覇気を纏った一一人の戦士たち(勇者含む。私を除く)がゆらりと立ち並んでは、戦闘隊形を整え。
そうして程なくし、すっかり巨大になった黒き渦がボスポップ現象の最高潮を迎えた頃、そこにようやっと一体の大型モンスターを顕現せしめたのである。
それは見上げるほどに大きなドラゴンだった。巌の如き厳つい顔と、ゴツゴツと如何にも頑強そうな身体。尾に至るまで、まるでそれこそ岩で出来ているんじゃないかと思える風体である。
モンスターをハントするゲームで見たアレに近い。口から熱線を吐くやつ。今なら私も同じようなことが出来るんだから、人生って不思議なもんだ。
そんな岩竜を前に、さりとて一切驚きも怯みもない面々。据わった瞳は何を見ているのやら。
奴の産声が、戦闘開始の合図だった。ビリビリと大気を破裂させんほどの乱暴な音圧。
さりとてそれは、スイレンさんの楽曲にて見事に上塗りされ。私が遮音の魔法でどうこうするまでもなく。
皆はその結果を予想、いや確信していたのだろう。奴が咆哮によって消費したターンをこれ見よがしにチャンスへ変え、群がったのである。
けれど彼女たちは、依然として荷重というハンデを背負った身。特に機動性に優れた者ほどそれは顕著で、普段なら瞬き一つにも満たぬ間に潰せた彼我の距離が、なかなかどうしてずっしりと皆と奴の間を隔てていた。
だから、光ったのは魔法。あと、ココロちゃんやイクシスさんのパワーファイトだ。
ソフィアさんの魔術が、聖女さんの光魔法が、クオさんの弾丸(魔法じゃないけど)が喉を震わす岩竜を強襲。
決して小さくないダメージを負い、堪らず怯んだ奴へ砲弾が如く突っ込んだココロちゃんとイクシスさんである。
彼女らはそれぞれ岩竜を一発ずつド突き。かと思えば見事な連携でもって、その巨躯を突っ込んでくる前衛組の方へと放り投げたのだ。
全長にして二〇メートルくらいはありそうな岩竜。そんな巨体が投げ飛ばされる様ったら、それはもう圧巻で。
ともすれば、ビルでも飛んできたんじゃないかと見紛わんほどの迫力。そんな恐るべき岩竜へ平気で突っ込む前衛組の勇姿たるや、まるで勇猛果敢に絶望へと立ち向かう英雄たちが如し……いや、違うか。さながら弱った得物へ飛び掛かるハイエナが如し、だ。
見るに堪えないとはこのことか。正しくフルボッコである。
ストレス発散なる言葉が脳裏をこれ見よがしに通過し、私はこっそり背筋を冷やした。
当人たちを思ってのこととは言え、ちょっぴり厳しくしすぎただろうか。
なんて少しばかり自らの行いを省みつつ、しかしこっそりと今回の修行の成果である『サイレントスキル』を皆に紛れて行使してみたり。
きっとソフィアさんですら、今の私のスキル発動には気づけない。技量の熟達した者にこそ刺さる、なかなか使い勝手の良いテクニックであると言えるだろう。勿論、まだまだ磨いていく所存ではある。
そうこうしている内、あれよあれよと原形を損ない。やがて黒い塵へと還って行った岩竜。
いつもなら核を破壊して倒すところが、今回は敢えてHPを削りきった様子。
普通の冒険者なら、寧ろそれこそが当たり前なのだけれど、核の位置を容易く割り出すオルカが居て、それを破壊できる決定力を持て余さんほどの彼女らが、うっかり核破壊に失敗したとはとても思えず。
ゆえにこその、敢えてなのだろうと。それだけ殴る蹴るの暴行に飢えていたのだろうか。恐ろしい話である。
ともあれ、これにて決着。ボス撃破で赤の三ツ星ダンジョン踏破だ。
にもかかわらず、誰から喜びの声が上がるでもなし。皆はぺたんとその場に尻をつけ、今更になってくたびれた様子を晒すじゃないか。
心眼で見ずとも分かる。ボスを倒して気が抜けたのだ。何故ならそれは、この運動不足解消イベントの終了を意味しているのだから。
とは言えだ。
「もうみんな、ボスを倒したからって気を抜いてちゃダメでしょ? ダンジョンなんて何が起こっても不思議じゃない場所なんだからさぁ」
呆れた風を装ってそのように声がけをすれば、返ってきたのは殺意。
ヒッと小さな悲鳴が我慢できなかった。
「だったらぁ……早くこの重たいの、解除しなさいよぉ……!!」
とはリリの言。屈したわけではないけれど、ボス倒したもんね。クリアだもの。要求の権利は正当だ。それを飲むのも当然だ。
ってことで、重力魔法を解除する私である。解除した瞬間飛びかかられるのではないかと、ビクビクしちゃったのは仕方ないよね。猛獣を檻から解き放つようなものだもの。
幸いにして、分からされるような展開にはならなかった。
皆少なからず思うところはあったようだけれど、さりとてやはり痛感したのだ。
ミコバトだけに頼っては、正しい意味での成長は見込めないのだと。
私の言わんとしたことは、どうやらしかと皆に届いたらしい。それでこそ心を鬼にした甲斐もあったというもの。
まぁ、みんなからの好感度は大分犠牲になったみたいだけども。何かを得るには、何かを手放さなくちゃならないってきっと、こういうことなんだろうね……。
その後、身軽になった彼女たちと特典部屋を漁り、イクシス邸へ戻ったのは午後六時近くになってのこと。
今日も一日よく頑張った皆は、身体が軽くなろうと疲労は拭えないようで。口数は少なくトーンもテンションも低く。
とてもじゃないけど、特級ダンジョンの踏破という偉業を果たした者たちの様子とは思えなかった。
なんて冗談めかして思える私も、大分染まってしまった感はある。
だってこれと同じことが、一体どれだけの人に出来るっていうのか。
ワープポータルや新たなジョブ、スキルの登場により、徐々になれど着実に人々は力を付け始めていると、クマちゃんが言っていた。
ならばいつかの未来に於いて、多くの冒険者が特級危険域の開拓に乗り出すこともあるのだろう。
さりとて今は成らず。現代に於いて、この転移室に集う面々は間違いなく英傑と言って過言ではない。
こんな、一人残らずくたーっとしていても、である。
一つ咳払いをする。
皆の視線がこちらを向く。コホンという音一つが口を開かんとする合図になるんだから便利なものだ。
注目する皆へ向けて、私は述べた。
「えー、それでは改めまして。今回は皆さんお疲れさまでした。この一週間の頑張りによって、皆さんの運動不足もすっかり解消されたことでしょう」
皮肉ではなく称賛だ。そのつもりだけれど、クオさん辺りはジト目を向けてきている。これだから深読みしがちな人は困っちゃう。
けれど、私はそれを気にするでもなく続けた。
「それでは最後に、皆さんステータスウィンドウを開いてもらえますか? ええ、そうです。検索機能です」
指示に従い、徐に操作を行い始める彼女たち。テキパキと動いているのはソフィアさんと崇拝組、あとオルカくらいか。下手をすると派閥とか出来そうで私は恐いよ。
皆が言われた通りの操作を済ませたのを大まかに認め、私は言を継いだ。
「そうしましたら、そこに入力してください」
一拍。
「『パフォーマンス』と」
目を丸くする者、怪訝そうにする者、直ぐに食いつきを示す者。
反応はそれぞれ異なれど、さりとて誰もが興味を抱いた様子であり、直ぐに操作は成され。
そして、どよめきが起こった。
何故ならそこに表示されたのは、各種ステータスと、それぞれに付随したメーターである。
「メーターが見えますね? それは、現在のステータス値の何%が、今のコンディションで発揮可能かを示すものです。この前見つけてこっそり検証しておきました」
ガタッと、立ち上がった者が数名。特にソフィアさんの顔が怖い。目を合わせないようにしないと……。
「運動不足は、これらパフォーマンス値の低下を加速させる由々しき問題でした」
と説明したなら、プンスコしながら食って掛かるリリである。
「だったら何でもっと早く教えないのよ!?」
そーだそーだと言わんばかりの視線がチラホラ。
「今だからこそ、実感を伴ってパフォーマンス値の重要性が理解できたんじゃない?」
と普段の口調で述べたなら、忌々しげにぐぬぬと二の句をつげない彼女である。
「仮想空間の中では何時だって、理想的なパフォーマンスを発揮できます。現実での活動にしたって、近頃は移動も転移任せ。ダンジョン攻略も私がひたすら走り、ボス戦だけで済ませるような有様でした。それではパフォーマンスの低下にだって気づき難かったはずです」
「仮に教えられても、それ程重要視はしなかった……」
オルカがしょんぼりと呟けば、皆の表情も渋いものへ変わり。
良薬口に苦し、だなんて言葉がふと想起されたけれど、それこそ皮肉じみてて面白くもなかった。
しょげる皆へ、あと私が言うべきことはと言えば。
「ってわけで、ミコバトは確かに有用な鍛錬スキルだとは思うけれど、肉体の管理も負けず劣らず大事だってことはこれで分かってもらえたと思う。勿論スキルの鍛錬に関してもそう」
そう述べれば、素直な面々からは頷きが返ってきて、ちょっと一安心。
「幸い強敵と相対したなら、それだけモンスター図鑑が充実するっていう特典もあることだし、今後はみんなでモンスターハントも頑張ろう! ってことが言いたかったんだけど……理解してもらえたかな?」
今更ちょっぴり不安になり、尻すぼみがちにお伺いを立ててみる私である。
すると皆はやれやれと肩をすくませ、一部深いため息をつく者もあり。
そうして。
「ならばミコト、次はミコトが我々に付き合ってみないか?」
などと、笑顔で不穏なことを言うクラウであった。
私が現実で鍛錬に勤しんでいる間、彼女たちが仮想空間でバカみたいな死闘を繰り広げているのだと。
それから一週間に渡り、私は嫌というほど分からされたのである。
考えてみれば、それは当然のことだった。ステータスを効率良く上げるためには、死ぬほどおっかない目に遭って、心底力を欲する必要がある。
楽しいだけの対戦をしていて、それが成せるはずもないのだ。
とどのつまり、私が思うより皆はずっと過酷な戦いをしていたってことだ。それも一月、暇さえあれば延々と。
うん……正気の沙汰じゃない。
けれど、その苦労を自ら味わい知ることで、私たちの間に生まれた溝を埋められるというのなら安いものである。
皆が丹精込めてセッティングしてくれた地獄の対戦相手に、私は鍛錬の傍ら毎日延々と挑み続け。
そうしていつしか……。
誤字報告、感謝であります! 適用させていただきました!
ようやく今回の報告ラッシュも本当に落ち着いてきたみたいですね。
かと言って油断しないようにしなくちゃ……!




