第六九二話 叩き直す!
すっかりリアルな冒険よりミコバトに熱中するようになった皆を焚きつけるべく、最近発見した検索機能のヤバい検索ワード。
これを奥の手として会議の場にて開示してみたところ、その効果は正しく覿面だった。
凍りついたのかと思うほどに、冷え切り、固まった彼女たち。
『体重の推移グラフ』だなどと、それが何を示す検索ワードかなんて語るまでもないことだったようで。
当然検索を実行するのに、小さくない躊躇いを覚えたようだ。
けれどやがて意を決したかのように、誰からともなくウィンドウを操作し始め。
そうして次々に、皆が皆ワナワナと肩を震わせ始めたわけである。
そんなこんなで現在。
やってきたのは特級危険域のとあるダンジョン。脅威度は赤の三ツ星と、イクシスさんも含めた今の私たちにとっては安定して攻略の為せる、ほどほどのダンジョンと言えるだろう。
火のついた彼女たちからは、もっと難しいところでいいとも言われたのだけれど、安全マージンを思えばここが無難であるという判断だった。
何せ、今回は普段以上の運動こそが目当てでやってきたのだからね。攻略達成が目的のいつもとは違うのだ。
入り口は枯井戸になっており、林の中にぽつんと存在するそれはホラー感を醸していた。
しかし、おっかなびっくり井戸の中へ飛び込んでみたなら、中身は普通のダンジョンで。
特徴を挙げるとするなら、廃坑が如き様相を呈していた。
何者かによって掘り進められたような、不自然に真っ直ぐな穴。時折隅っこに積み上げられた石塊たち。
敷かれた古めかしいレールは、かつてトロッコでも運用していたのか。ちょっぴりときめくものを感じてしまうじゃないか。
気まぐれに転がっている、古びたツルハシはもしかしてアイテムなのか、それともオブジェクトなのか。
この廃坑ダンジョンを舞台に、これより始まるは乙女たちの戦いである。
普段であれば、「それじゃボスフロアまでよろしく」「仕方ないなー」って感じで、私が雷帝の双面をつけてバリバリっと走るわけだけれど。
しかし今回に限っては、そういうわけには行かない。
「まずはランニングだよ。スピード差があるからね、みんなの足の速さが均一になるようにバフで調整するよー。イクシスさんとオルカにはデバフね」
「む、まぁ已むを得まい」
「分かった」
イクシスさんは言うに及ばず、オルカのスピードも今や皆から抜きん出てしまっている。
ぶっちゃけ隠形を抜きにしたって、彼女に攻撃を当てるのは至難の業であると言えるだろう。
そんな二人には、バフではなくデバフにて能力値を下げてもらい、皆のスピードが同じくらいになるよう整えていく。こういう時ステータスを見ながら作業できるのはとても便利だ。
「ココロちゃんも、パワー任せに走っちゃダメだよ」
「了解ですミコト様!」
彼女の場合、純粋なスピードっていうか地を蹴る瞬発力だけで、無理やり爆発的な加速を行うことが出来ちゃうからね。
正直その辺りのステータス設定ってガバガバだなぁと、たまに思ったりする。
そうこうして準備が整い、いよいよ走り始めようとした、その時である。
異を唱えたのはリリだった。
「ぬるい! こんなの全然ぬるいわ! こんなことで疲れるわけないじゃない!!」
自信満々の発言である。体力に自信がありすぎて、侮られたと感じているようだ。
しかし、言われてみたらそうかも知れない。幾ら一ヶ月ほど運動をサボっていたとて、今をときめく特級冒険者がランニング程度でバテるとも思えない。
なれば、彼女のリクエストに応えるのも吝かではないか。
「分かった。それじゃ重力負荷でも掛けてみようか。一・二倍くらいでどう?」
「だからぬるいって言ってるでしょ! 三倍よ!!」
「ほぉ……?」
「ガウラ」
一部顔を引き攣らせるメンバーたち。
なれど、自身の体重の推移グラフが脳裏を横切ったのだろう。結局誰が口を挟むでもなく。
要望に応えるべく、「本当に良いんだね?」という確認の後、私は皆へ重力魔法を掛けたのだった。
重力三倍。仮に体重が四〇キロあるとするなら、常に八〇キロの荷重が働くわけだ。
が、事はそこまで単純な話ではない。八〇キロだなんて言うのはあくまでトータルに過ぎず。
全身くまなく、指先に至るまで常に三倍の荷重を強いられるというのは、想像を絶する試練を彼女たちに課すことだろう。
「! これは……」
「なかなかしんどいですね……」
「うむ。耐えられないことはないが、なんとも煩わしいな」
「ココロは割と平気みたいです」
「パワーに秀でているほど耐性があるのかな?」
「なら私不利じゃないですか~!」
「な、情けないわね! このくらいで騒いじゃって!」
「リリエラ、頭を下げるなら今ですよ?」
「そうだよ! これって後で痛い目を見るやつだよ!」
「だね。じわじわ効いてくるやつだ」
「ミコトちゃん、私のはもうちょっと重くていいぞ」
そんな具合にひと悶着あり、結局ココロちゃんとイクシスさんは五倍荷重ってことになった。
私は勿論無荷重。あ、無荷重って言うとジュースが飲みたくなってきちゃうな。こういう何でもない時、ふと前世が懐かしくなるんだよなぁ。
まぁそれはいいとして。
「それじゃ、レッツゴ! 気合い入れて走ってこー」
「グラグラー」
皆を先導するように、先んじて駆け始める私と頭上のゼノワ。
すると直ぐのことだった。
「は、速い、速いですよ~!」
「ペース配分を考えないと死にます!」
とか何とか、後ろから声が聞こえてくるじゃないか。
一応配慮はしたはずなのだけれど、後衛組のスイレンさんとソフィアさんには絶望が見えたらしい。よく見たら聖女さんの顔も青い。
適切なスピードを割り出すのに、それから少しばかり苦戦しつつ、どうにかランニングが本格的にスタート。
ふと思いつき、ウィンドウの検索機能に『スピードメーター』なんてワードを打ち込んでみたなら、何と本当に出てくるじゃないか。
おかげで常に一定の速度を維持し走ることが出来た。
取り敢えずエンカウントを避けて、皆が身体の重さに慣れるまでひたすら持久走である。
当然、そんなことをしていれば時間が掛かり。普段であればとっくにボス部屋へ至っていたはず。と考えると、何だかもどかしい思いが湧いてくる。
それに鍛錬欲求もあり、私も皆同様に重力魔法を掛けようかな、などという考えが脳裏をちらつき始めた。
さりとて今回の私は監督役のようなもの。万が一皆が疲労により危険な目に遭ったなら、私が率先してカバーに入る必要がある。
つまり、私だけは常に万全でなくてはならないわけだ。なんとも損な役回りなれど、これも皆にミコバトを広めてしまった責任のとり方ってものだろう。甘んじて受け入れる他ない。
そんなこんなで一時間ほどが経過。
「「「……………………」」」
何時からか、すっかり誰も何も喋らなくなった。念話すら飛ばない。
ただ黙々と、頬に汗を伝わせながら走る彼女たちである。
心眼は皆の驚きを密かに見抜いており。どうやらたかだか一時間程度でこれほど汗をかくことになるとは、後衛組を除いて予想していなかったらしい。
荷重が効いているのもそうだけれど、やはり運動不足が原因だろう。
肉体が鈍っていることを、ようやっと自覚し始めたきらいが見て取れる。良い傾向だ。
そうしたら、そろそろ次の段階へ移っても良いだろう。
私は真顔で後ろを付いてくる彼女たちへ向けて、提案を投げた。
「それじゃここからは、エンカウントもちょこちょこ挟んでいこうと思うんだけど、大丈夫そう?」
確認の問いを投げかけてみれば、特に否定の声は上がらなかった。
前衛組からは挑戦的な感情が。後衛組からは幾らかの安堵が伝わってくる。
戦闘中は足を止めることが出来る、とでも思ったのだろう。
まぁでも、考えてみればそうして前衛後衛でスタミナの調整を図るのもありと言えばありか。
それから程なくして、私たちはモンスターとのエンカウントを果たした。
モグラのような見た目で、何とツルハシを担いでいるじゃないか。えらくキャラクターチックなビジュアルである。
さりとて脅威度は赤の〇・五つ星。一般的な冒険者の手には負えないレベルのモンスターだ。
群れる習性でもあるのか、数は八体が屯していた。
小広い空間に彼らの存在を見つけた皆は、早速目をギラつかせる。
そうして、接敵。
即座に動いたのは前衛組である。
さりとてその戦いぶりは、流石と言えないこともないのだけれど、磨き上げた力を誇示するようなパワープレイであり。
最低限の連携と鬱憤を晴らすかのようなオーバーキルでもって、モグラたちを瞬殺したのである。
心做しかスッキリした表情の前衛組と、げんなりしている後衛組。
休憩する時間なんてほぼ取れなかったのだから、当然といえば当然か。
そんな様子を見かねた、というわけではないのだけれど。私は満足げな前衛組へ向けて声を掛けたのである。
「せっかくのエンカウントなのに、そんな戦い方で良かったの? どうせなら、もうちょっとしっかりミコバトで磨いた技術を試してみたら良いのに」
そのように述べてみれば、確かにそれはそうだと良いリアクションが返り。これには後衛組もニッコリ。
そんなこんなでちょいちょいエンカウントを挟みながら、更に一時間ほど掛けて第一階層を突破した私たちである。
クオさんの予想したとおり、時間が経つほど荷重は重く響いたようで、皆滝のような汗を流し、肩で息をしている。
ケロリとしているのは私とゼノワばかり。そのことで、少々恨めしく見られたりもするけど。まぁ役得ということで納得してほしいものだ。
それよりも、である。
ここまでの戦いに於いて、ようやっと皆は私の言わんとしたことを理解してくれたようだった。
即ち、運動不足に関してもそうだし、何よりミコバトと現実の差異だ。
仮想空間では出来たことが、何故か現実では思うように出来ない。そんなシチュエーションが、チラホラと見受けられたのだ。
それらは本当に、些細なことだった。ほんの少し初動が遅れたり、攻撃に際して力が微妙に乗り切らなかったり、敵の動きが予想とちょっぴりズレていたり。
さりとて超一流に数えられる彼女たちにとっては、決して見過ごせない大事である。
皆は困惑し、分析し、愕然とする。
そうさ、運動不足は結果として、仮想空間での理想的な肉体操作と、現実の運動不足や疲労に伴い鈍った肉体操作の間に、決して軽視できない歪を生み出してしまったのだ。
普段であったなら、意識するまでもなく感覚的に掴んでいたはずの、肉体の状態変化。調子の揺らぐ思考速度。蓄積し続ける疲労を加味したペース配分。
常にベストコンディションで戦える仮想空間での状態に慣れすぎて、現実に於いてそれらが適切に運用できないでいる。感覚が麻痺してしまっているのだ。
加えてステータスの上昇や、運動不足による肉体への影響等という大きな変化も相俟ったなら、繊細な身体のコントロールは上手く行かなくて当然である。
このままではマズい、と。ようやっと皆の顔色が変わり始めた。
前衛組こそ顕著で、きっと後衛組もやがて気づくだろう。そうなってからが本番だ。
私は心を鬼にして、休憩もほどほどにランニングの再開を皆に告げたのである。
このダンジョンにて、精々皆自身を磨き直すがいいさ。




