第六九一話 ミコバトのリスク
時刻は午前九時。場所はお馴染み、イクシス邸会議室。
さりとて、私から見える景色は普段と違っていて。
それもそのはず、いつもならイクシスさんの特等席たるマジックボードの前。教室で言うなら先生の立ち位置。
そこに、今日は私が立っているのだ。何せ会議を開くと言い出したのは他でもない、自身ゆえに。
当然皆からは、自然と視線が集まり。それらの何と面倒くさ気なことか。
今にも、「そんなのはいいから、早くミコバトをやらせろ」とでも言い出しそうじゃないか。
しかし、そのような皆の現状を嘆いたればこそ、こうしてこの場に彼女らを集めたのだ。
VSモード系スキル、通称『ミコバト』は一時的にその共有を絶ち、ブーイングにも負けず断固たる姿勢を示す私である。
突き刺さる白い視線にも負けず、先ずはマジックボードにデカデカと本日の議題を書き殴った。
即ち、『運動不足』と。
心眼さんがキャッチした皆の反応は様々。
ギクリとしてくれた者もあれば、何を言っているんだと訝しむ者もあり。
そんな彼女らへ私は改めて向き直ると、徐に口を開いた。
「おはようございます!」
まずは朝のご挨拶。ゲーマーの私が、まるで体育会系のノリを演じていることに、つい自嘲しそうになる。
投げやりな返事(一部崇拝組からは元気の良い返事)を受け、私は先ず皆を集めた理由から説明することにした。
「今日皆さんに集まってもらったのは、他でもありません。この一月、皆さんのミコバトへのハマりっぷりが度を越えて見えたからです」
リアクションは無い。けれど心眼さんは頼りになった。
残念なことに、大半のメンバーがピンときていない様子である。
一部のメンバーに於いても、分かっているけどやめられない! って状態のようで。
それも含めて、嘆かわしい限りだ。やっぱり廃人まっしぐらじゃないか!
「今回は改めて、皆さんに『ミコバトの注意点』についてよく考えてほしいと思い、招集をかけさせたいただきました」
そのように私が述べたなら、早速ついっと手を上げた者があった。イクシスさんだ。
「それに関しては、以前説明があったと思うが。もしかして新たな発見でもあったのだろうか?」
今更になってスキルのデメリットでも判明したのかと、些か不安を抱えつつ問うてくる彼女。
それに対して、私は小さく頭を振って答えた。
「別にそういうわけではありません。ミコバトは安心安全なコンテンツなので、利用に際する直接的なデメリットなどは特にありません」
「? ならば……」
「ただし。それは、常識的な運用であったなら、という前提あっての話です」
「ガウガウ」
ピシャっと言い放てば、口をつぐむイクシスさん。ゼノワも頭の上で相槌を打ってくれている。
流石にこれには、皆とて大なり小なり心当たりはあるのだろう。すっと目を逸らす者が大半だった。
何せ、時間さえあれば延々と潜っている人たちだもの。用法用量クソ喰らえってなものである。
ゲームは一日一時間、だなんて言うつもりはないけどさ。
それでも、日常生活よりミコバトを優先するようになっては、流石に物申したくもなるだろう。
これにより、ようやっと皆幾らか聞く耳を持つ気になったらしい。
それを認めた私は、これみよがしに言を継いだ。
「先ずは大まかに三つ、ミコバトの過剰利用に伴うリスクについて紹介します」
そう言うなり、マジックボードにそれら三項目をつらつらと書き並べる。
内容は
『ミコバトではスキルの鍛錬が出来ない』
『ミコバトと現実の差異』
『運動不足』
という三つ。
「順に説明します。先ず一つ目、以前にも何度か注意したことだとは思いますが、仮想空間内で幾らスキルを使用しても、スキル熟練度には反映されません。あくまで仮想空間内に於ける事象は全て幻想の産物であり、言うなればイメージトレーニングです」
これには、ソフィアさんが顕著に顔色を変える。
彼女にとっては痛いポイントだろう。しかし、そうは言えどもトレモなどでは『MP無限』なる設定が可能なのだ。
であれば、ソフィアさんでなくとも虜になるのは致し方ないことだと言えるだろう。
同じく眉をひそめたのはリリ。彼女も多くのスキルを操る冒険者である。現実ではMP総量の関係上、練習の行き届かない部分もあるようで。
そんな彼女たちにとっては、トレモが楽園のように感じられたに違いない。
だからこそ、とても苦そうな顔をしていらっしゃる。
「言わずもがな、現実でスキルを磨けばその結果は仮想空間内の自身にも反映されます。ミコバトは便利ですが、万能ではないということを改めて留意しておいて下さい」
一部のメンバーには、なかなか刺さった注意事項。
さりとて、そんなことは承知の上で潜っているという猛者も、それなりの数居るようだ。
そんな彼女らへ向けて、二つ目の項目。
「次に二つ目、ミコバトと現実の差異についてです」
これだけでは、イマイチなんのことかピンとこないメンバーが大半のようだ。
それはそうだ。ゲームと現実の混同がどうのこうのと、度々騒がれた前世の世界。
さりとて当のゲーマーからすれば、現実とゲームが違うのなんて言われるもなく当たり前である。
興味深いのはミコバト。ゲームに近いシミュレーターであるところのミコバトは、むしろ現実に反映させることが目的のデータ収集ツールであると言えるだろう。
だからこそ、ミコバトと現実との間にある差異について言及するというのは、彼女たちにとってナンセンスにすら映ったかも知れない。
が、これは決して軽視して良いようなものではないのだ。
「ミコバトでのトレーニングや対戦は、最近追加された設定も相まって様々なシチュエーションが再現できます。限り無くリアルに近いと言えるでしょう。が、しかし。現実には戦闘が起こる以前にも様々な出来事が起こり、その積み重ねの上で強敵とのバトルがあるものです。即ち、それらの積み重ねをコントロールする管理能力に関しては、ミコバトでは磨くことが出来ないのです」
「グラグラ」
「もっと言うなら、冒険者としての勘というやつですかね。以前にも、私のへんてこスキルに依存しては冒険者としての感覚が鈍る! だなんて問題が挙がりましたけど、その例に漏れずミコバトにもそうしたリスクが存在するものと私は思うのです」
主に移動と索敵の面に於いて、私と行動を共にするとそれらのコストやリスクを大幅に削減できてしまう。
それ故にいざ自分たちだけで行動すると、思いがけず移動時間にイライラしたり、索敵が面倒だったりするとか。
私も縛りプレイによってその感覚は痛感しているからよく分かる。
利便性を手放した瞬間、人は想像以上にストレスを感じる生き物なのだ。
便利を知らなかった時はなんてこと無くとも、一度快適を知ってしまうと手放せなくなってしまうのだよね。
ミコバト内では、基本的にどのバトルも万全な状態から始まる。
現実では、なかなかそうも行かないだろう。怪我や病気をしていたり、お腹が減っていたり、仲間たちと喧嘩をしていたり、誰かを庇う必要があったり。
想定したシチュエーションを用意することなら可能だろう。
けれど、それはあくまで想定でしか無い。事実は小説より奇なり、だなんて言うように、リアルでは想定を超える悪い状況に立たされる、だなんてきっとよくあることだもの。
それに対する準備だなんていうのは、やっぱりミコバトではなくリアルの冒険で対応力を高める他ないと思うんだ。
「そして最後に、三つ目」
今回一番私が、彼女たちに言いたかったこと。最大の注意喚起。
すっかりテンションが下がった皆へ、私は説明を続けた。
「単純な話、運動不足だと思うんです、みんな」
「ガウラ」
シンプルな私の言に、思いがけずキョトンとする皆。
そんな彼女らへ、もう少し噛み砕いた説明をしていく。
「正直な話、これに関しては私もちょっと想定外だったんですけど。まさか皆がここまでドハマリするとは……ミコバトに集中し過ぎるあまり、最近みんな他のことをおざなりにし過ぎだと思うんです。特にイクシスさん、執事さんとかメチャクチャ渋い顔してたよ」
「うっ」
「一食くらい食べなくてもなんてことはないって、食堂に顔を見せなかった人も居ますね。心当たりのある人は?」
「グラー?」
大半のメンバーが気まずそうに視線を逸した。これが現状である。
けれど、ここでリリがふんすと挙手。発言を許可すれば、彼女は勢いよく噛み付いてきた。
「そうは言うけど、別に問題ないわよ! 実際ステータスはどんどん伸びてるわけだし、ちゃんと特級冒険者としての仕事もこなしてるじゃない。運動ならそれで十分よ!」
これには、そうだそうだと言いたげな面々がチラホラ。
確かに彼女たちのステータスは上昇している。特級モンスター相手にだって、問題なく戦えているし、何なら以前よりずっと簡単に処理してみせるくらいだ。
一見して問題は無いように思うのも仕方のないことだろう。
それに対し、私はふむと一拍。
投げ返したのは問いかけである。
「なら、運動をする必要はない、と? 今のままミコバトに注力していれば、最速で強くなれると?」
「最速の上に、最良の強さも得られるって確信してるわ!」
堂々と言い放ったリリである。寧ろそこまで言ってもらえると、スキルを提供している側としてはうっかり喜んでしまいそうにもなる。
が、我慢だ。
「ちなみに、モンスター図鑑に新しいモンスターを追加するためには、当然新しいモンスターと戦う必要があるのだけれど」
「そうは言うけど、まだまだ今収録されているラインナップの攻略も追いついてないしね」
レッカの言である。便乗するようにクラウも口を開いた。
「難易度設定を上げてやれば、新たなモンスターの追加などまだまだ不要とすら言えるな」
これには、同意を頷きで示すメンバーまで居り。どうやらミコバト攻略が楽しい盛りのようだ。
「へぇ、そっか。なるほどなぁ……」
これだけ言っても、やっぱりミコバトを優先したいという考えを改めるつもりのない皆を、じっくりと眺め回す私。
その様が不気味に思えたのか、気味悪げに顔をしかめるメンバーたち。
そんな彼女らへ、いよいよ私はとっておきのカードを切ってみせたのだった。
「ならさ、ちょっと試してみて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
「な、なによ」
「そんなに警戒しないで、簡単なことだよ。先ずはステータスウィンドウを表示してみて」
指示に従い、皆が訝しみながらも言われた通りの操作をする。
一様に虚空へ視線を走らせていることから、全員がちゃんと自身のステータスウィンドウを眼前に浮かべた事が見て取れた。
「そうしたら、検索機能を呼び出して、こう入力してみて欲しいんだ」
勿体ぶるように少しばかり間を空け、述べた。
「『体重の推移グラフ』って」
斯くして、乙女たちのハートに物騒な火が灯ったのである。
グラフがどのような変化を示していたのかは、当人たちのみぞ知るところなれど。
まぁ、その豹変ぶりから結果はお察しと言ったところだろう。
ほ、本日も誤字報告感謝……くぅ……!
あたしゃ情けないよぉ! 何時になっても無くならない誤字!
チェックしてくれる読者様が居る。なんて有り難いことかね!! 作者感激!!
適用させていただきました!




