第六八六話 トレーニングモード
皆の協力を得て、ようやく獲得したVSモードからの派生スキル。
期待したとおり、出現したのは【トレーニングモード】と【CPU対戦モード】という、豪華二本セット。
私としては勿論嬉しいし、これらに大きな期待を寄せているわけだけれど。
しかし仲間たちにも利用してもらえるだろうか、と考えると需要的な意味に於いて不安もあり。
実際心眼が捉える皆の期待値は、高からず低からずと言った感じ。
時刻は午後五時を過ぎた頃であり、夕飯にはまだ早い時間帯。
ならば勿体つけず、このまま検証に着手してしまおうということで話は進み。
「取り敢えず私が潜ってみるよ。みんなは観戦モードで見てて」
一先ずスキル主である私自身が先行して試してみることに。VSモードを起動する要領で、先ずはトレーニングモードを立ち上げる。
起動に際して幾つかの設定項目が用意されていたが、取り敢えずはデフォルト設定で。
どうやら観戦許可の有無も変更できるようで、勿論『許可』を選んだ後、いよいよトレモ発動である。
机に突っ伏すように意識を飛ばし、皆に見守られながら私は、単身仮想空間内へと潜って行くのだった。
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地平線の彼方まで、無限にグリッド線と薄灰色のまっ平らな地面が続くだけの、極めて殺風景な景色。
空は白く、正しくトレーニングモード然としたような、そんな広大なフィールドは、トレモのデフォルト設定としてセットされている特殊な空間のようで。
初めて足を踏み入れたっていうのに、何故か初めて来た気がしないのは、きっと格ゲーなんかのトレモに雰囲気の似た場所だからなんだろう。
違いといえば、画面奥に壁が見えるか見えないかと言ったところか。っていうかこの空間、一体何処まで続いているのやら。◯神と◯の部屋って言われてもしっくり来そうな雰囲気がある。
それと、どうやらVSモードともやはり異なる点はあるようで、一先ず足元に初期待機地点が輝いていないことがちょっとした驚きだった。このモードにはスタートのカウントダウンもなく、いきなり始まる感じらしい。
そして。
「アレが、トレーニング相手ってことかな?」
自身の正面、一五メートルくらい向こう。嫌でも視界に入るそこには、見慣れない人影がぽつねんと一つ立っていた。
だが、それが人でないことくらいは一見して判断できる。
なにせ先ず、顔がないのだ。色は真っ白。背景色に紛れて分かりづらい。何に似ているかと言われたなら、デッサン人形なんかが一番近いだろうか。背丈は私より一回りほど大きく、性別はやや女性型に近いか。
一応設定でモデルを変更することも出来るようだったけれど、今回はデフォルトのままである。
一先ず私はそんなデッサン人形……いや、せっかくだしあだ名でも付けてみようか。
トレーニングモードの住人だから、安直に『トレモちゃん』でいいか。
トレモちゃんの前にまで歩み寄ると、じっとそれを観察。
どうやら動く様子はなく、しかし棒立ちってわけでもない。ファイティングポーズを取り、一定のリズムを刻んでいるじゃないか。
正しく格ゲーのファイターをニュートラル状態で放置したような、そんな立ち姿である。
この子を相手に、これからしこたま訓練を積むことになるのだ。
そう考えると、少しばかりの罪悪感。一方的にサンドバッグにしようってんだから、やっぱり申し訳なくは思うよね。
だけど、そのためにここに来たんだ。何もせず帰る、なんてことはしない。
背筋を伸ばし、姿勢を正してヘコっと一礼。
「よろしくおねがいします」
と、スポーツ少年宜しく挨拶を行ったなら、取り敢えずトレモちゃんの触り心地から試してみることに。
おっかなびっくり手を伸ばし、トレモちゃんの脇腹を擦ってみる。
……くすぐったさは感じないらしい。脇腹は強いタイプ? 単純に感覚が無いって可能性のほうが高いだろうか。
手触りは、なんて表現したら良いんだろう。サラサラとしていてなめらかな感じ。理科室の机みたいな。
硬度としては、人体のように柔らかくもなければ、金属のように固くもない。強いて言えば硬質な粘土? みたいな。
試しにと、ペチンと叩いてみた。
すると、驚くべき現象が二ついっぺんに生じたのである。
一つは、叩いた横腹。そこが一瞬赤い発光を見せたのだ。恐らく、ヒットした箇所を知らせる為の仕組みなんだろう。
そしてもう一つは、そんな赤い箇所の直ぐ側に、ポンと数字が浮かんではフェードアウトしていったのである。同時にトレモちゃんの頭上にも、同様に値が表示されたっぽい。
浮かんだ数字は1。直ぐにそれの意味を察した私は、確認の意味も込めてもう少し強くトレモちゃんを叩いてみることにした。
ベチン。
すると、次は6の数字が飛び出たではないか。間違いない。
「この子、ダメージポイントを知らせてくれるんだ……!」
これは思いがけない便利機能。テンションの上がった私は、高揚に任せてグーを握りしめていた。
そして、それをトレモちゃんの腹へ鋭く突き立てる。無論踏み込みも十分。
ズバンと、さながら剛速球をグローブで受けたときのような痛快な音が鳴り、身体をくの字に曲げるトレモちゃん。
勢い良く飛び出した数字は120。
「ははっ!」
ヤバい、トレモちゃんには申し訳ないけれど、これは良いものだ!
ダメージ値を数字として確認できるっていうのは、それだけで大変に価値のあることだと言えるだろう。
だってそうだ。ゲームのようなこの世界にあっても、ダメージ値だなんてものは概ね感覚頼りで測るのが常なのだもの。
自分の攻撃が相手にどの程度のダメージを齎しているか、なんていうのは、存外達人であろうと見極めの難しいことだと思う。
故に。
「もう我慢できません!」
「私も! それ私にもやらせてくれ!!」
「あんたばっかりズルいわよ!」
スキル大好きソフィアさんや、血の気の多い面々が次々にトレモへ参加してくるじゃないか。
このことから、どうやら観戦モードにて問題なくこちらの様子は見えていたのだと確信する私である。
それから程なくして、結局観戦していた全員がトレーニングモードを使用したらしく、お馴染みの顔ぶれがずらりと揃っていた。
って言うか、図らずも同じルーム内にこれだけの人が、普通に入れてしまうのだなと。
それが分かっただけでも検証の手間が一つ省けたってものである。
それにもう一つ。
「なんか人形の数が増えてる」
オルカの言うとおり、トレモちゃんがいつの間にか増殖していたのだ。
数は一二体。綺麗な横並びをしている。こうして見ると、一二っていう数もあって何かの組織の幹部って感じがしてかっこいいな。〇〇機関みたいな。
まぁ、どれも同じ姿形だし、見分けなんてつかないんだけど。
「多分一人につき一体、トレモちゃんが用意されてるんだろうね。私たちの人数と同じ数だし」
「トレモちゃんってなんなんですー?」
「あだ名。人形呼ばわりも味気ないじゃん」
「これから殴る相手にあだ名をつけるとか、バカなの? サイコパスなの?」
「辛辣! 殴る相手にも敬意は払いたいじゃん!」
私の言い分に、なんとも変な顔をするリリである。
さりとて皆が先程の私同様に、ヘコっと一礼して「よろしくおねがいします!」と挨拶をすれば、彼女も不承不承なれどそれに倣った。
長いものに巻かれるタイプなのか、それとも納得してのことか。まぁ何にせよ、その姿はツンデレの気がある彼女らしいなと思った。
すると。
『ギャウラ! ガウガウ!!』
「あ、やば。ゼノワが放置されて怒ってる」
仮想空間にあってもゼノワとのリンクが切れるわけでなし、一人除け者にされたような彼女の憤りが、思念となって届いたのである。
とは言えここは、謂うなればスキルの中。魔法の再現はともかく、スキルは使えないゼノワ。皆と同じようにダイブすることは叶わない。
しかし、そこをどうにかして彼女もこっちに呼べないかと頭を捻る私。さて、どうしたものか。
「意識だけを飛ばす仮想空間ですし、頑張れば呼べるんじゃないですか?」
とはソフィアさんの言。なるほどである。
その旨をゼノワへ伝えたところ、彼女は何やら力み始めたらしく。『ギューーーッ! ギューーーーッ!』と、踏ん張りボイスをわざわざ念話に乗せて届けてきたのだった。
余談だが、ゼノワの念話はスキルによるものではなく、私とのリンクを介してのものらしい。よって他の面々には聞こえないようだ。
そうして暫しゼノワの踏ん張りボイスを聞いていると、不意にポコンと私の目の前に何かが出現した。
「お、懐かしい姿」
「グラァ!」
そこには、絡繰霊起を練習し始めた頃の小さなゼノワ、所謂プチゼノワの姿があったのだ。
すると早速、可愛い物好きの面々がわらわらと群がってくるじゃないか。
ちゃっかりクラウやイクシスさんまで参加してるし。ギャップ女子どもめ!
っていうか、仮想世界ゆえだろうか。絡繰霊起を使うでもなく皆の目に見えるし、何なら触れることも出来る様子。
そうして暫し揉みくちゃにされたプチゼノワだったが、ここで一つ重大なことが判明。
どうやらこの空間に於いては、ゼノワは力という力を発揮できないらしく。正しく無力なマスコットに甘んじる他無いようだった。
精霊力の届かない仮想空間である。それも已むからぬことなのかも知れないが、これはこれで興味深い事例だと言えるのではないだろうか。
って、そんなことはさておき。
ゼノワいじりが一通り済んだなら、皆はようやっと各々トレモちゃんへと向かい合う。
そうして各自トレモちゃんの触り心地や殴り心地などを確かめ始め、人によっては他者を巻き込みかねないからと距離を取ったりもして。
飛び出すダメージ表記に皆一喜一憂。
かと思えば、誰が言い始めたのかスコアアタックが始まったようだ。
大人げないイクシスさん大張り切りである。
「私の記録を超えられるかな?」
だなんて言って、神気顕纏を使ってアーツスキルをぶっ放しているではないか。
しかし驚くべきは寧ろ、それを受けても原型を留めるばかりか、五体満足のトレモちゃんである。
倒れたトレモちゃんは直ぐにムクリと自力で起き上がり、何事も無かったかのように構えを取るのだけれど、その時にはすでにダメージの痕跡なども消え去っているのだからびっくりだ。
何なら大きく破損した地面まで、あっという間に修復されてしまう。流石は仮想空間、ダンジョン以上に不思議な場所だった。
みんながバカスカとトレモちゃんを殴る中、私はそれらを尻目にウィンドウを展開していた。
トレーニングモードの専用ウィンドウ。そこでは各種設定を変更出来る他、スコアの確認まで出来るらしい。
一撃あたりの最高ダメージポイントやDPS以外にも、消費や速度計測関連も充実。
ダメージにしたって、武器ごとのダメージ値まで記録してくれるらしく、非常に詳細なデータ収集が可能なようだった。
正しくトレーニングモードである。
皆へもそうした情報を共有してみたところ、またもスコアを競い始める彼女たち。
何とバフによる強化能力まで測ってくれるようで、珍しくスイレンさんも楽しそうに打ち込んでいた。
そんな様子を見て、私は確信するのである。
「これはみんなの役に立ちそうだね」
「グル」
そして私もまた、元気よく自分用のトレモちゃんへと魔法を打ち込んだのである。
誤字報告感謝です。
うぅ、今回はぐぅの音も出ません……誤用が目立ってしまいました。
もしや国語の先生とかですかね?! 大変勉強になるんですけど!
修正適用させていただきました。色んな意味で感謝です!




