第六八話 最後の選択
日本出身で、しかも中二病を患った者であるなら、『属性魔法』なんて大好物に違いない。
私がそうだった。MPを用いて、無理やり奇跡を実現させさえすれば、それが魔法としてスキル欄に登録されるだなんて。そんな夢のような話が目の前にあって、何もしないわけがない。
スキル訓練と並行して、私は密かに新しい属性魔法を習得しようと手間も暇も惜しまなかった。
同時進行で複数の異なることをこなせる、というのは、私が他人に誇れる数少ない特技の一つである。それがまさかこんな形で役に立つとは思わなかったが、とにかくスキルの訓練をしながらも私は新しい魔法を求め続けたわけだ。
とりわけ、ロマンの塊のような属性には力を入れた。
その一つが、今こうして活用している重力魔法である。
ものすごく便利で夢があり、そして強力なこの魔法だけれど、いかんせん燃費は良くない。
私のMP量だって、装備で補わなくては一般人程度。とても魔法を乱発できるようなステータスではないのだ。
なので、実戦に利用するのならば、よりコスパの良い魔法やスキルを選んでしまうわけで。重力魔法や、その他ロマン魔法の出番はなかなか訪れてはくれない。
しかし、オルカとココロちゃんが持たせてくれたこのウサ耳カチューシャは、重力魔法と高いシナジー効果を持っているようだ。
重力魔法の中でも、物体の重さを軽くする【ローグラビティ】はMP消費も少なく、自身に使用する場合は特に燃費が良い。そこにウサ耳の特殊能力を加えると、消耗も気にせず凄まじい挙動が出来てしまうわけで。
床も壁も天井も関係なく、正に三次元的な挙動で私はダンジョン内を疾走し続けた。
とは言え迷子になっても困るので、マッピングも手書きで行いつつの移動となる。悔しいことに、あまり大はしゃぎして高速移動するわけには行かない。が、既知の道であるならそれも気にせず、好き放題駆け回れるわけだ。
冗談みたいに体が軽いため、とにかく一歩の距離が長い。軽々と十メートル以上を一跨ぎにできてしまうので、逆に姿勢制御が大変なほどである。移動しながら慣らして行かなくては。
そんな感じで、ウサ耳と重力魔法の組み合わせに四苦八苦しつつ、マッピングも行い、更に注意深くモンスターパレードの現在地を探るという作業をわちゃわちゃしながらこなし、移動を行っていたのだが。
「そろそろ、見えてくるかも」
幾つもの分かれ道を駆け抜けていると、不意に直線の続く太い通路に出た。そしてこの道の先から、こちらへ向かっておびただしいモンスターが接近してくる気配がある。やはりと言うか案の定と言うか、この音と振動の原因はモンパレで間違いなかったようだ。
私は床を軽く蹴って飛び上がると、重力を逆転させ天井に着地。仮面の力で思い切り気配を殺して、それがやってくるのを待った。
はてさて、何か止められる手立てでも見つかると良いのだけれど。
そうして待つこと少し。今や迫りくる音は轟音と言って差し支えないもので、ざっと見ただけでも一〇〇はくだらないモンスターの群れが恐ろしい勢いで迫ってくる。前のやつらの陰になって見えないが、多分奥にはまだまだいる。全部合わせると三〇〇体を軽く超えるんじゃないだろうか? 恐ろしい光景だ。
しかしあまりの迫力に、いっそ現実味が薄らいで感じてしまう。思わず頭を過ぎったのは、生前ニュース番組の特集で見た、福男選びの映像。それを彷彿とさせるほど、一心不乱に走る下級鬼にヒトツメ。そして負けじと飛ぶウィスプ。
和風なラインナップから、百鬼夜行って言葉がしっくり来そうではあるが、それにしてはめっちゃ走ってるしな。やっぱり福男選び……って、そんなどうでもいいことに思考を割いてる場合じゃなかった。
私はぐんぐん迫りくるモンスターたちを、注意深く観察する。
すると、ヤバいものを見つけてしまった。思わず一瞬、思考が止まりかける。
下級鬼は、あれでいてかなり身体力が高い。Cランク冒険者相当という話は、何ら大げさではないわけで。寧ろほぼ裸でCランク冒険者と互角なのだから、純粋なフィジカルなら冒険者を圧倒するだろう。
だから、そんな奴らが全力で走るとなると、それはもう凄まじい速度なわけだ。恐らくオリンピックのマラソン選手とタメを張るくらいには速い。いや、それ以上だろうか。
しかしそんなモンスターたちの前、つまりパレードの先頭を走るのは、驚くべきことにモンスターではなく人間だった。女性の冒険者である。
「あの人、まさかあの調子でずっと逃げ続けてるの!?」
その表情はまさしく死物狂いと言わんばかり。というか今にも意識が飛びそうな顔色をしている。
モンスターたちはずっと彼女を追いかけ回しているのだろう。それにしたって、一体全体どうしたらそんなことになるんだという状態ではあるが。
兎にも角にも、モンパレの原因は彼女に間違いないだろう。
ならば、それをどうにかすればモンスターたちも止まってくれるだろうか? とにかく試してみる価値はあるだろう。
それに、あまり考えている時間もない。何せすごい速度で走ってくるのだ。あっと言う間に私の下を通過して、走り去ってしまうに違いない。そうなる前に動かねば。
「あの人を抱えて隠れるか……いや、走ったほうが早いか」
私は一つ息をついて覚悟を決めると、天井に張り付くのをやめて床に降り立った。
先頭を駆ける彼女は、私に気づかない。気配遮断は効いているらしい。
そうしてビビって竦みそうな足を、小刻みに足踏みして誤魔化しつつ、彼女が私の脇へ至るのを待った。
緊張から、その時間がやけに長く感じられた。迫る轟音はもはや、地面を面白いほど振動させており、巨大なスピーカーみたいだ。
やがてついに、一切スピードを緩めず彼女が、私の脇を通過していく。その瞬間に、一気に動いた。
彼女をガッと小脇に抱え、重力魔法にMPの薪をくべる。ウサ耳の効果も相まって、人一人を抱えているとは信じられないほど軽い身体でもって、一気に加速した。
あまりに体が軽く、そして速い。それはもう駆けると言うより、弾くという方が相応しい体捌きだ。
三次元的なピンボールのように、私の体はただ直線距離を一気に跳び、壁だか床だか天井だかにぶつかる瞬間、それを蹴って体を弾く。その繰り返しで、私は瞬く間にモンパレからの離脱を成功させたのだった。
ちょっと酔った。
「う、うぇ、きもちわる……」
「う……うぷ……」
私以上に、私が小脇に抱えているこの人の方が辛そうだが。
しかし可哀想なことに、もはやリバースするようなものも胃に残っていないのだろう。プルプル震えてえづくのみである。
一先ず振り返ってモンパレがついてきていないかとチェックをするが、距離は離せたらしく、数度小道に入ったりもしたので恐らくこちらを見失ったことだろう。
私は軽くしすぎた重力をある程度戻し、三次元ダッシュを中断した。ただ足は留めず、ずいぶん長いストロークで緩やかに走っている。
念のため、もしモンスターが彼女のニオイか何かで追跡してきたら困るので、浄化魔法で彼女の体や衣服、装備品等を綺麗にしておいた。
モンパレの気配も随分遠ざかったし、多分もう大丈夫だろう。出来ればこのまま、パレードが沈静化してくれればそれに越したことはないんだけど、そこは様子見する他無い。
「さて、とりあえずの危機は去ったと見ていいと思うんだけど、お姉さん大丈夫です? 意識あります?」
「…………」
「だめか」
小脇に抱えたまま、トップランナーお姉さんに声をかけてみるも、どうやら意識を失ってしまったらしい。うんともすんとも言わない。
まさか死んではいないと思うけれど、正直確信はない。
ちょっと不安になったので、一応息があるかとか、心臓は動いているかとか確認してみたが、弱ってはいるものの大丈夫そうで一安心。
しかしメチャクチャに走ったので、ちょっと道が分からないな。
記憶と手書きの地図を頼りにしばらくウロウロしていると、見覚えのある場所に出た。
あとは地図に従えば、オルカたちの待つ場所へ戻ることが出来るはず。やっててよかったマッピング。
「お姉さん、またちょっと飛ばしますよー」
「…………」
意識がないなら寧ろ好都合か。
私は再度体を軽くし、一気にオルカたちの待つ場所へと駆け戻ったのだった。
★
「――と、いう感じでこのお姉さんを拐ってきたんだけど」
「な、なるほど。モンスターパレードを撒いてしまうだなんて、流石ですわね……」
「ミコトお姉ちゃん、カチューシャ役に立ったか?」
「うん。このウサ耳があったからこそ、こんなに簡単にこの人を救出できたと言っても過言じゃないくらいにはね!」
「そっかー、それはよかったのだー!」
無事帰還を果たした私を、オルカとココロちゃんはホッとした表情で迎えてくれた。
しかし私が小脇に抱えているトップランナーお姉さんを見るなり、ぎょっと表情を一変させて即座に彼女の介抱を始めた二人。
現在はお姉さんの様子も大分落ち着いたので、改めてことのあらましを語っていたところだ。
「それで、これからどうしますの? この方をここに残して出発、というわけにも行かないでしょう?」
「それはちょっと可哀相だじょ……」
「だね。でもだからって、五階層まで連れて行くのもどうかとは思うし、悩ましい話だ」
前回助けた冒険者PTなら、階層もまだ二階層だったし、PTだったことから自分たちでどうにかするだろうと思い、ほったらかしてきたんだけど。
でも流石にこのお姉さんは捨て置けないだろう。
合理主義に全振りするのなら、冒険者は自己責任だと言い捨てて、このまま放置してしまっても良いのだろうけれど。
しかし流石にそれはどうかと思う。
「……とりあえずこういう場合は、まず護衛対象であり、依頼者である二人の意見を尊重したい。それにこのお姉さんが目を覚ましたら、彼女自身がどうしたいのかってことも聞かなくちゃならないし」
「わたくしは……できれば、五階層まで行きたいですわ」
「ココロも。せっかくここまで来たんだじょ! ちゃんと五階層までたどり着きたいじょ!」
「ですが、最終的な判断はプロであるミコトさんに委ねますわ。あなたが戻るべきだと判断するのであれば、それに従いますし、この方の扱いについても口出しするつはりもありませんわ」
「むむぅ……そっか。とりあえず今は、このお姉さんが目を覚ますのを待つとしようか。私も重力魔法でMP使っちゃったからね、回復しないといざって時大変だ」
「そ、そうでしたわ! わたくし天井に立ちたいですの!」
「ココロも!」
「あー、はいはい。それじゃ休む前にちょこっとだけね」
お姉さんのことに関しては、何にせよ彼女当人の意思を聞いてみないことには判断がつかない、ということで暫く休憩して目覚めを待つこととして、私は約束通りオルカとココロちゃんに重力魔法をかけて逆さま体験を楽しんでもらうのだった。
その際ウサ耳を着けさせると、消費も随分軽減されることが分かったので、天井に立ってはしゃぐ二人はウサ耳を元気にひょこひょこさせている。はいかわいい。
っていうか動くんだね、あの耳。
逆さま体験を終え、いよいよ私のMPも底が見えてきたので、二人に断ってから一眠りさせてもらうことにした。
MPの回復方法に関しては、時間経過でじわじわ回復する他、睡眠を取れば一気に戻ったりする。
ただ、眠りの質が悪いと回復量が微妙だったりするので、休む時はしっかり休まねば効率が悪いわけだ。
その点私は、元インドア派のゲーマーだったにもかかわらず、どこでもすぐに眠れてしまう。寝付きも良ければ、寝起きも悪くない。
なので仮眠程度でも、結構なMP回復が可能なのだ。MP総量こそたかが知れている私だが、回復は多分人より早いと言うか、効率が良いのではなかろうか。
そのうち、MP回復速度上昇とか、そういう特殊能力付きの装備が手に入ったら重宝しそうだな。
なんて妄想を膨らませながら、私は微睡みに身を委ねた。
★
それから暫く。オルカに起こされて、意識が深海めいた夢の中から急浮上。
ぼんやりする頭ではじめに感じたのは、嫌な騒がしさだった。
ただ事ではないとすぐに思い至り、何があったのか知るべく体を起こした。
「何事?」
「あの冒険者さんが、お目覚めになったのですわ。ですが……」
視線を件のお姉さんに向けると、彼女は頭を抱えてうずくまり、ガタガタと震えながらうわ言のように何かをつぶやいている。
聞き耳を立ててみると、えらく断片的な情報がばらまかれていたが、暫く聞いているとおおよそ彼女の身に起こった出来事の輪郭が見えてきた。
どうやら、彼女はPTでこのダンジョンに潜って来たらしい。
ところがこの階層でモンスターに囲まれ、PTは壊滅。仲間たちは命がけで彼女を逃した。
彼女は自分だけ逃げたことに、強い後ろめたさを感じているようで、まずそのことが彼女を精神的に苦しめているようだ。
逃亡を図った彼女だったが、仲間たちの奮戦虚しくモンスターの何体かが彼女の後を追いかけた。
そこからはひたすら、モンスターを振り切ることが出来ず走り続けたようだ。
運の悪いことに、何度も別のモンスターとエンカウントしては、必死に逃げて、しかし振り切ることが出来ず。そんなことを延々と繰り返す内にいつしかモンスターパレードにまで至ってしまったと。
そんなまさかと思うような話ではあるが、実際それを目にしてしまったのだから信じる他ない。
おびただしい数のモンスターに追い回され、せっかく仲間に生かされた命を捨てることも出来ず、彼女は数時間にも渡ってほぼ全力疾走を続けたのだ。
肉体的、精神的負担は計り知れず、現在はろくに会話も成り立たない状態である、と。
彼女の口からこぼれ落ちた情報の欠片からは、そういった経緯を読み取ることが出来た。
ココロちゃんは先程から、彼女につきっきりで介抱しているものの、すっかり怯えきっており、現状手の施しようがない状態だ。
不意にココロちゃんと目が合うも、小さく首を横に振って今はどうにもならないことを告げてくる。
オルカに視線を向けると、難しい顔をして口を開いた。
「それで、どうしますの? あの方の意向をお聞きするのも難しそうですけれど」
「そうだね……ちなみにモンパレの方はどうなった?」
「時折まだ、音が聞こえますわね。以前よりは随分マシではありますが」
「なら、移動自体は何とかなりそうだね。となるとやはり……」
モンパレを何とかするためとは言え、思いがけない展開になってしまった。
乗りかかった船、なんて言葉が脳裏を過るも、はてさてどうするべきか。
……いや、わかってる。どうもこうもない。
こんな人を放っておいて、この場を離れるなんて出来ようはずもないだろう。
かと言って、こんな状態の彼女を伴い、先に進むなんて選択肢はありえない。
手を差し伸べてしまった責任、なんてものを感じていたりもする。
下手くそな喩えだけれど、拾ったペットの面倒は最後までみなさい、というのににてる気がしないでもない。いや、ペットとは全然違うんだけどさ。
ともあれ、『彼女を抱えて街まで戻る』。今の私に選べるのは、それしか無いように思えた。
だけれど、そうすると試験には不合格。それは、とても困るんだ。
既にここには、Aランク冒険者が潜っているという情報もある。
今回試験に落ちるということは、もしかするとこのダンジョンの深部へ立ち入る機会を、完全に失うことと同義なのかも知れない。それに関しては、件のAランク冒険者次第ではあるのだけれど。
何にしても手痛いタイムロスなのは間違いないだろう。
でも、だったらどうするというのだ。お姉さんを連れて五階層へ行く? こんな状態のお姉さんを連れて? ……あり得ない。
しかし、それでは試験が……。
ここに来て、最後の選択である。
行くべきか、退くべきか。それが問題だ。




