第六七話 天井に立つ
第四階層。
それは、修行期間中足を踏み入れることのなかった階層だ。
危険だからという理由ではなく、この試験を見越して、初見で挑ませるための差配だったように思われるが、その甲斐あって私は今回この階層について何ら情報を持ち得ていない。
事前に情報を仕入れること自体は可能だった。同業者や情報屋から手書きの地図を買ったり、出現するモンスターの情報を聞いたり。何ならギルドでも幾らかの情報は把握しているはずだ。
実際第二、第三階層に挑む際はそういった情報収集作業をやらされたりもした。
だが、この第四階層に関してはそれを禁じられている。何せそうでなくては、わざわざマップウィンドウというスキルに制限を設けた意味がなくなってしまうから。
ここでは、全く未知の階層に、護衛対象を伴って挑む際の動きを見たい、ということなのだろう。
「二人ともよく聞いて。これまでの階層は、事前にルートを把握していたから迷うこともなかったし、簡単に次の階層へ降りることが出来た。だけどこの第四階層に、私は今回初めてやって来たの。道も分からないし、モンスターがどれだけ強くなっているかも不明。もしかしたら今まで見かけなかったようなやつに出遭うかも知れない。つまりは、ここからが本当の冒険なんだ」
「冒険……冒険ですのね!」
「うおー! この時を待っていたのだー!」
「そう。だから、より一層気を引き締めて欲しい。気づいたことがあったら教えて欲しいし、疲れを感じたならすぐに知らせて欲しい。一緒に、この階層を攻略しよう!」
「「‼」」
護衛対象に対して、一緒に攻略をしようだなんてどうなのだろうとは思う。だけれど、今回に限ってはそれが正しいと、私はそう思ったんだ。
オルカもココロちゃんも、わんぱくで、好奇心旺盛で、冒険を求めていた。
そんな彼女らには、ただ安全第一で守護するより、力を借りられるところは借りて、自らも攻略に参加しているという自覚を持ってもらうことが、自衛の意識を引き出す鍵になるんじゃないかと考えたのだ。
二人は目を輝かせて、任せてくれと強く頷いてくれた。
「ここからは、誰か一人の無茶な行動が、チームを危険に陥れるかも知れない。そのことをしっかり念頭に置いて、ベストを尽くして欲しい」
「わかりましたわ。必ずやお役に立ってみせましてよ!」
「ココロも頑張るじょ!」
私達は皆で頷き合い、そうして第四階層の攻略へ着手したのである。
★
探索に入って、早くも数時間。
景色自体は上の階層と大した違いもないが、当然造りは異なっているため、ひたすら歩いて第五階層へ続く階段を捜す他ない。
モンスターの強さは幸いにも、対処が十分に可能なものだったし、罠に関しても飛び抜けて厄介なもの、発見しにくいものというのには今のところ遭遇していない。
しかしながら、長らく気を張り詰めての探索が続いているため、流石に二人の集中力が切れ始めていた。
「疲れましたわ。ミコトさん私、なんだか無性に疲れましたわ!」
「ココロはまだ行けるじょ! でも、ちょっとだけ疲れたじょ」
「了解。それじゃいい場所を見つけたら休憩にしよう」
これまでは、二人とも単純に守られながら同行するだけの護衛対象でしか無く、自分たちで注意を払ったり、何かを考えて行動する必要がなかったため余裕があったのだろう。
しかしこの階層では、自分たちの行動が全体へのリスクとなる。そのことを、独断で探険に出てしまったことから学び取ったのだろう。二人とも、今までのような無茶苦茶を言わなくなった。とても有難いことだ。
けれどその反面、精神的な負荷は大きく、それは体力にも影響を及ぼしたりする。実際こうして、疲労をはっきりと訴えているのだし。
よく、応援は驚くほど選手の力になるのだ、なんて言うけれど、その逆もしかり。緊張や暗いムードというのは、思いがけず選手のパフォーマンスを低下させるばかりか、体力を奪ったりもする。それと同じことである。
目立ちにくい脇道を見つけ、罠や敵の気配がないことを入念に調べてから、私達はそこで休憩を取ることにした。念の為結界も張っておく。あと、今のうちにアラートの魔法も習得しておきたい。
MPを駆使してそれらしい現象を無理やり実現させる。
という作業の傍ら、ぺたんと地べたに座り込んだ二人がシリアスになりすぎないよう、声掛けも行う。
「二人ともお疲れ様。一緒になって二人が気を張ってくれるおかげで、私も随分助かっているよ。分かれ道の時相談にも乗ってくれるし、心強いなぁ」
「ふ、ふふ、ま、まぁ? わたくしにかかればこのくらい、何ということもありませんし?」
「ココロやくにたってる! やっぱりなぁ、ココロだもんなぁ!」
ちょろい。かわいい。
いや、でも実際分かれ道というのは、どちらに進むか悩むことがよくある。判断材料を並べてみても、ほぼほぼイーブンな状態というのが結構あって、そういう時相談に乗ってくれる相手がいる、皆で道を決められる、というのは精神衛生上とても良いように思う。
この道を独断で選んで、もし行き止まりだったら申し訳ないなぁ……というような不安は、正直いつだってついて回るしね。だけど皆で選んだのなら、仕方がないねと気持ちをさっぱり切り替えることが出来る。
まぁそうは言っても、今回は護衛対象がわんぱくで、冒険を求めている娘たちだったからこそ、こういったやり方で回せているのだろうけれど。
場合によっては、相談なんかせずにとっとと決めてくれという人もいるだろう。逆に、道はこっちで決めるからお前は護衛にだけ専念していろ、だなんて依頼主もいるだろうし。
ともかく今回のやり方が、すべての場合に通用すると思わないことが大事だ。そこはきちんと理解しておかねばならない。
と、考え事をしている内に【アラート】のマジックアーツを習得することが出来た。ステータスのスキル欄で確認したから間違いない。
早速実験してみる。アラートの魔法を発動すると、自分を中心に半球状の領域を展開することが出来た。
この領域の境を生き物が通過すると、私にだけ聞こえる警報が鳴る、という仕組みだ。
これを結界と併せて使うことで、夜中に誰かが結界を抜け出したり、逆に入ってきたりしてもすぐに気づくことが出来るわけだ。
でもこれ、もしかするともっと応用の利く魔法に発展させられるんじゃ……。
主にトラップ魔法のトリガーとして、とても重宝しそうな気がする。
オルカたちの冒険を許したのは失敗だったけど、転じて怪我の功名になったかも知れないな。追々、新しいマジックアーツの試作を行っていこう。
そんな感じで、時折しっかりと休憩を挟みつつ、手書きでマッピングをしながら慎重に第四階層の探索を進めていった私達。
大きなトラブルもなく、トラップやエンカウントも卒なくやり過ごしながら、地道ではあるが確実にルートを埋め進めたのである。
この調子で行けば、第五階層へ至るのは時間の問題。勝ち筋は見えた。
そう、確信した時である。
「なんか……嫌な感じがするな」
「? ミコトお姉ちゃん、どうかしたの?」
「お腹でも痛いんですの?」
「いや、うーん。なんか、モンスターの気配がおかしいっていうか……ちょっと、念の為に避難しようか」
はじめは特におかしいとも感じなかったのだけれど、どうにもモンスターたちの気配が一方向に偏っているような、そんな感じがした。
まるでなにかに吸い寄せられているように、近くの気配も遠くの気配も、とある方向へ移動しているのだ。気のせいでないとすると、ちょっと不気味に思える。
なので私は、二人を促して目立たない小道で結界を張り、しばらく様子をうかがうことにした。丁度休憩時でもあったしね。何なら今日は、ここで就寝してもいいな、なんて思い始めた頃、異変は起こった。
地響き。
地を這うような、振動と低音が微かに感じられたのだ。しかも一瞬のものではない。ゴゴゴゴゴと、継続して響くそれは明らかな異常事態。少なくともこんなことは、修行中にだって経験したことがない。
だが、知識としてなら思い当たるものがあった。
「これってまさか……モンスターパレードの音……?」
「! まさか……」
「それは、だとしたら非常事態です……っだじょ!」
モンスターパレード。
通称モンパレと略されるそれは、何らかの要因から大量のモンスターたちが一塊になって、大移動を行う現象のことを指す。
発生の原因はまちまちで、一番多いとされているのがゲームで言うところのモンスタートレイン。プレイヤーがモンスターを引き連れて走り回ることを言うのだが、これが雪だるま式に肥大化したものがモンパレの原因になりやすいという話だ。
他にも、自然発生することもあるらしいため、いうなれば一種の災害みたいなものだとされている。
もし本当にモンパレが起こっているのだとしたら、巻き込まれるわけには行かない。
モンパレ中のモンスターたちは、とにかく一心不乱に走る。今年の福男でも決めるのかとツッコミたくなるほど、とにかく走るらしい。
そんなものに巻き込まれては、転がされ踏んづけられて、ボロ雑巾のようにされてしまうに違いない。
や、ギャグで済むならいいんだけど、実際問題何十という鬼に思い切り踏みつけられたのでは、普通に内臓が破裂する。骨も肉もエグいことになるだろうさ。
ましてオルカたち一般人なんて、それこそひとたまりもない。正に非常事態だ。
「まいったな……」
「ど、どうしますのミコトさん!」
「ココロがぶっ飛ばす?」
「多勢に無勢だから、やめておいたほうがいいかな」
ともかくとりあえずは、通路の出入り口を土魔法で塞ぎ、見つからないようにしておく。
普段は酸素が心配だからやらないんだけど、今回はそうも言っていられない。
と言うか、なるほど。物理的に出入り口を塞いでしまえば、夜中の勝手な抜け出しも防げる……って、今はそれどころじゃなかった。
カモフラージュをしておけば、多分ここにモンパレが突っ込んでくることはないだろう。
モンスターの体力も無限ということはない。やがてスタミナが尽きて沈静化するはずだ。或いは、体力を使い果たして塵に変わるモンスターもいるとかいう話も聞いたことがあるけど……。
塵に変わってリポップして、またパレードに参加――なんて無限ループが起こったとしたら、流石に拙い。それが起こらないという保証もない。
「……なにか、明確な原因があってモンパレが起こっているのなら、それを取り除くことで沈静化出来るかも知れないけど」
「パレードを率いる何かがいる、ということですの?」
「そいつをぶっ飛ばせばいいの? あちょーってする?」
「ここにじっと籠もって、やり過ごせるならそれが一番だとは思うけどね」
「そうは仰いますが、いつ収まるともわからないのではなくて? 食料にも限りがありましてよ」
「そんなに何日もかかるのか!? ココロ耐えられないじょ……」
「確かに……わかった。ちょっと私、様子を見てくるよ。何とかできそうならしてくる」
「なっ、む、無謀ですわミコトさん!」
「そうだじょ! 危ないのだ!」
「でも、もしかするとここに突っ込んでくる可能性だって無いわけじゃないんだ。出来ることはやらないと。それに、ちょっと秘策もあるしね」
そう言って私は、とある魔法を唱えてみせた。
次の瞬間、私の体はふわりと浮かび上がると、そのまま天井に引き寄せられるように上へ向けて落下。そして着地。
私は天井に足をつけ、何の不自由もなく立ち上がると、頭上へ向けて手を振ってみせた。
見上げるとそこには、上下反転した姿でポカンとしているオルカとココロちゃんの可愛い顔。
「は、え、な、なんですの……? 何をしましたの!?」
「ミ、ミコトお姉ちゃんが天井に立ってるのだ!?」
使用したマジックアーツの名は【リバースグラビティ】。効果は名前のとおり、重力を反転させる魔法だ。
そう、みんな大好き重力魔法である。こんな夢のある魔法を、この私が密かに練習していないはずがないだろう。
先日苦心の末、ようやく習得にこぎつけたのだけれど、いかんせん燃費が悪くて実用性は低い。そのため今まで出番には恵まれなかったのだけれど。
「こうやって、天井から様子をうかがえば安全だよ。モンパレ中のモンスターなんて、多分みんな前しか見てないからね。ただでさえ頭上は多くの生き物にとって死角なんだし。更に仮面で気配も消して、なるべく視界に入らないように立ち回れば私を捉えられるやつなんていないさ」
「そ、そうですわね。そうかも知れません……ま、まぁそれはそれとしまして、私も天井に立ってみたいですわ! 私にもその魔法をかけるのですわ!」
「ココロもココロも!」
「あ、ごめんね。この魔法、自分以外の生き物を対象にすると、魔法抵抗力のせいなのか一気に燃費が悪くなるんだ……」
「一瞬くらいなら平気でしょう! いいから早くわたくしを天井に立たせなさい!」
「ココロもー!」
「ひ、必死かよ……」
とは言え、流石に作戦前にMPの浪費は避けたい。
ここは申し訳ないけれど、二人にはこらえてもらうよう説得した。
「ごめんね、戻ってきたらちゃんと魔法かけてあげるから、今は許して」
「知ってますわ、それ死亡フラグというやつでしてよ!」
「どこでそんな言葉覚えたの……」
「お姉ちゃん死亡するのか!? ココロはそんなのイヤだじょ!」
「しないから! 死亡しないように安全策を練ったわけだし」
「そうやって慢心するから死亡するのですわ!」
「死亡するのか!?」
「しないってば!」
これから危険な作戦に赴こうっていうやつに、なんて不謹慎なんだこの娘ら……ともかく、実は密かに緊張していたのが幾分和らいだのは事実。
オルカの言うように、慢心することだけはしないよう、しっかり気を引き締めて臨もう。
そうしていざ出発しようとした私に、それならばせめてコレをと二人が、とある物を渡してくれた。
……ウサ耳だった。
かくして私は、モンパレと思しき地響きの元を確認すべく、二人を残して調査に出たのである。
尚、出入り口には入念なカモフラージュの他、結界も可能な限り強力にしておいたし、早速アラートの魔法も用いている。
少なくとも私が調査を終えて戻るまでは、変なトラブルも起こらないだろう……起こらないはず!
私は地響きとおびただしいモンスターたちの気配を頼りに、手早くマニュアルマッピングも行いながら走ったのだった。




