第六六八話 刀の骸
不意に一陣の風が、涼やかに駆け抜けた。
しゃらしゃらと鳴る音は、頭上にて竹の葉が揺れる風情ある響き。
心静かに見渡したなら、深い緑の竹林に息を呑むことだろう。
さりとて。今の私には残念ながら、そんな余裕などはなく。
いつ以来だろうか、こうして精霊降ろしの巫剣を握るのは。ばかりか、これを駆使した二重宿木まで発動しているのは。
鍛錬の過程でならそう珍しいことでもない。けれど、これは鍛錬ではない。実戦である。
私の切り札と言っても過言ではない、この二重宿木状態。これがアニメなら勝利確定BGMが鳴ってそうなものだ。
だって言うのに。
どうして私は、こんなにもボロボロになるまで追い詰められているのか。
睨む先には、一体の人影。
それでいて、金色の光を纏う人ならざるもの。
かと言ってモンスターというわけでもない。
骸であった。
☆
ヨーシゲッタ大森林。その最奥にて、既に赤の一つ星にまで至った大洞窟のダンジョン。
骸戦のついでとばかりにそこへ侵入した私たちは、いつもの如くダンジョン内を突っ走り。
そうして、あれよあれよとその日の夜には攻略を終えて脱出し、イクシス邸への帰還を果たしていた。
考えてみたら大忙しの一日だった。朝一番にイースリーフから戻り、午前中は依頼の消化。午後に骸と戦って、その後ダンジョンを一つ踏破してきたっていうんだから。まぁ、ぶっ壊れスケジュールと言って過言ではないだろう。
しかし、これでエルフの里も頭の痛い問題から開放されたと思えば、大した苦労でもない。何より、跳ねる骸の無念もこれできっと晴らせたことだろう。
尤も、骸の無念が本当にあの洞窟にあったのかどうかは定かじゃないため、その辺りはアルバムを時折見て確かめておきたいところである。
そして、今回の【失せ物探し】によるキーパーソン発見からの骸呼び出しという成功実績は、その後に続く私たちの活動を一気に加速させたのだった。
あっちこっちと飛び回りながら、私たちはキーパーソン探しに注力した。
勿論クマちゃんからの依頼の消化にも時間を割いたため、完全にかかりきりという訳ではなかったけれど。
それでも、活動の甲斐あって探し人は何人か見つかった。
アルタさんの時と同じような手順を踏んで、その人たちにもどうにか【キャラクター操作】を掛け。
そうして新たに出現した骸を、十分に警戒しながら倒し続けること数体。
なかなかどうして、『鍵のページ』に関する情報や有力なヒントの得られぬまま、地道なんだか派手なんだかよく分からない活動が一月あまりも過ぎた頃。
活動の過程で、私たちは一つの仮説を立てるに至った。
それは、骸の強さと得られるヒントの重要性に、幾らかの比例が見られるんじゃないかっていうもので。
それというのも、力を蓄えた骸はいずれ、今の私と同じように『コンティニュー』って可能性に思い至るんじゃないかと考えたためだ。
もしそうなら、何処かで命を落とすその瞬間、恐らく私は次以降の周回に向けて、何かしらの有意義な情報を残そうとするのではないだろうか。
他方で、コンティニューに思い至らない、未熟な私は次のことなんてきっと考えない。無念を呟き散っていく。だから有益なヒントにはなり得ない。
この一月ほどで倒した骸は、どれも強大と呼ぶには不足を感じるような、さして大きな力を持たないものばかりだった。
そんな彼女たちが残したメッセージは、どれもヒントとは呼べないような内容ばかりで。
跳ねる骸のように、嘆きを残すようなものが殆どだった。
であるならば、私たちが求めるべきは、より強力な骸ということになる。
ヒントを得るためには、強力な骸を倒さなくてはならない。
そのためにはやはり、より強いキーパーソンを探すのが早道だろう。
自然と候補に登るのは、やはり我らが勇者イクシスさん。彼女と行動をともにした周回の私なら、まず弱いはずがない。骸だって十中八九最強クラスが現れるはずだ。
が、問題なのはそれが、きっと今の私の手には余ってしまうことだろう。勝てなければ意味なんて無いのだから。
何処かに強いキーパーソンは居ないかな。
なんて探していると、オルカが言ったのだ。
「あ。この前接触を断念した、焦げ茶髪の冒険者が辺境の町に到着したみたい」
彼女は確か、それ程強そうではなかったはず。脳裏にグランリィスで見た焦げ茶色をした髪の彼女を思い浮かべ、少しだけ微妙な心持ちになる。
が、せっかくオルカが彼女の動きを追ってくれていたのだ。ならばここは一度、接触を試みようじゃないか。
ということで、早速私たちは現地へ飛び。
そして例の如く偶然を装い、彼女たちと接触。無事に合同依頼を受けるに至ったのである。
で、なんやかんやあり。
無事に依頼を果たした私たちは、まさかの結果に目を見開いたのだった。
「これ、特級危険域……それもかなりの奥地じゃん!」
「驚いたな。彼女はミコトと一緒にこんな場所まで至れる器だったか」
「人は見かけによらないのです……!」
「ふ。ココロさんが言うと説得力がありますね」
「ソフィアそれブーメラン刺さってる」
「ガウラ」
マップを眺めながらそのようなやり取りをしつつ、胸中に抱くのは一抹の不安。
果たしてこの骸は、私の手に負えるようなやつなのだろうか、と。
出現したのは大陸でも相当に北の方。北へ行けば行くだけ人の手は入らず、長らく放置され続けたダンジョンがあると言う。
話によれば、成長限界にまで至ったダンジョンが共食いをし、より恐ろしいダンジョンへと変貌を遂げているのだとか。そんなことが実しやかに語られており。
そうすると必然、フィールドを彷徨くモンスターのレベルというのも、計り知れないものに違いないだろうし。
実際あのサラステラさんですら「迂闊に踏み込んだら怪我じゃ済まんぱわ」とか言ってるくらいだもの。共食い云々の真偽は別にしても、正しく天外魔境の類であることは間違いないだろう。
そしてそんな場所に眠るこの骸はきっと、本当に踏み込んで怪我じゃ済まなかった、哀れないつかの私なんだ。
さりとて、そんな場所に慢心嫌いなこの私が、果たして何の勝算も理由もなく足を踏み入れるとは考え難い。
だからきっと、不測の事態にでも陥った結果、命を落としてしまったのだろう。つまりは、少なくとも彼の地で活動できるだけの力は有していたものと見て間違いないと思う。
そのような相手に、勝負を挑むか否か。私たちは皆で、慎重に検討を重ねた。
その結果、挑戦することが決まったのである。
★
そして、今朝のことだ。
入念な事前のフィールド調査も行い、何なら蒼穹の地平にまで声を掛けて万全のサポート体制を築き。
そうした上で、私たちはこの竹林の真ん中で骸を目覚めさせに掛かったのだ。
失せ物探しで見つけた欠片は、白と黒で色分けされた、そこはかとなくモダンさを感じさせるようなもので。
私は離れてその時を待つ皆へ目配せし、念話で合図を告げると、ツツガナシを片手にゆっくりとそれへ手を伸ばし。
酷く緊張しながらも、指先にて欠片へと触れたのである。
その瞬間だった。
背筋に冷たい刃でも突き込まれたかのような、強烈な危機感。さながら電撃にでも撃たれたかのような、鮮烈なほどに強いその感覚に私は、息を呑むのさえ忘れて飛び退っていた。
その時には既に、確信していた。
これまで対峙してきた相手の中で、間違いなく屈指の脅威になると。
いや、私一人で立ち向かわなくちゃならない相手であることを鑑みれば、きっと過去一番の相手になるだろうと。
視線の先では、勿体つけるようにゆっくりと欠片が宙に浮かび上がる。
周囲から集まった欠片たちと重なり、作り上げたのは特徴的な仮面だった。
黒い面に、白の大きな十字傷をつけたようなデザイン。横の傷は目を横一文字に抉ったようであり。縦の傷は、右目を中心に面を縦断している。
普通に欲しくなる、かっこいい仮面である。なんて、普段なら呑気な感想も出ていたところだろうけれど。
とてもそんな、浮ついたことを考えられるほどの余裕など無く。
ゆらりと、陽炎のように揺らめきながら現れ、そんな十字の仮面を身につけたのは、かつて見たどんな骸よりも人間に……というより、私の背丈に近しい一体の骸だった。
腰に携えしは一振りの刀。格好は何だか和装めいていて、一目でそれが『侍』を意識したものであると理解できた。
と同時、彼女が刀の扱いを極めた骸なのだろうことも。
その体躯だけを見れば、華奢である。流石に吹けば飛ぶほどのか弱さと言うほどではないけれど、それでも叩けば骨の一本や二本簡単に折れてしまいそうなくらいにはほっそりしている。
まぁそれは、翻って私自身にも同じことが言えるのだろうけれど。そこは棚上げというやつだ。問題なのは、そこじゃない。
体つきだけを見たなら、確かに華奢で、弱そうな刀の骸。
さりとて、その身より放つ異様な気配はどうしたことか。
撒き散らすような畏怖があるわけでも、迸るような力強さがあるわけでもない。悍ましい不気味さとも違う。
きっとそれは、どこまでも洗練された──戦意。
幻視する。私の首が、四肢が、ともすれば次の瞬間分かたれて、この胴体より離れてしまっている光景を。無残に血飛沫を上げる自身の姿が嫌でも脳裏に湧いてくる。
首筋を触って、自身の無事を確かめたい衝動に駆られるが、それを必死に堪え。
そして私は、静かに構えを取った。
きっと彼女に比べたなら、稚拙極まりない構えだ。そんな卑屈が自然と浮かんでしまう。
だけれど、だからこそ意識を張り巡らせる。
骸の、ほんの僅かな挙動さえ見逃すまいと。心眼だって見開く。奴の希薄な意図さえ読み解いてやる気満々だった。
だって言うのに。
次の瞬間には、その刃は私の首元に迫っていて。
そして更に次の瞬間には、事態が急転を始めていたのだ。
唐突に切り替わった私の視界。理解は早かった。自動回避が働いたのである。
一拍遅れて背筋は泡立ち。
さりとてその一拍で、とんでもないことが起こっていたのだ。
視界の端っこ、立ち並ぶ青竹に遮られた景色の隙間で、イクシスさんが目にも留まらぬ動きを見せた。きっと膨大な経験の齎した、超直感の成せる業だろう。
彼女はスイレンさんを庇うように前に出て、自身の得物を構えた。そして。
得物ごと、骸に斬られたのである。




