第六六四話 英雄の生まれた日
一度石化したなら、鋭く撃ち放った矢も容易く撥ね退けてしまう。ガーゴイルとはそんな、恐ろしい相手だった。
動きも素早く、背には翼。空まで飛ぶのだから与しがたい相手と言えるだろう。
現に、アルタはこれを前にして攻略の足を止めたのだ。
ともに潜っていたPTのメンバーが怪我を負った。奴の振るった固く鋭い爪は、前衛を担っていた剣士の肩口から胸へかけて深々と抉り、あわや致命傷に至るほどの大怪我だ。
辛くも件の戦闘はやり過ごしたし、怪我を負った彼も魔法や回復薬による処置で一命を取り留めることは出来た。
それでも、彼らの実力ではこの一五階層を突破できない。無理やり進んでも命を無為に捨てるだけであると。
幸いだったのはワープポータルの出現。
アルタたちがこのダンジョンに潜り攻略を進めている最中のことだった。突如、何の脈絡もなく失った意識。忘れることの出来ない明晰夢。
脳裏に焼き付いたのは、アップデートという現象が世界に齎されたという眉唾めいた情報。
けれど一〇階層にてアルタたちは、実際にそれを発見したのである。夢の中に現れた、その白き石碑を。
そして知る。夢で見た情報が、事実であったことを。
だからアルタたちは、一五階層にてダンジョン攻略の中断を決めたのだ。
この階層にも石碑は存在しており、その気になればまたこの階層から再スタートできる。その安心感こそが決め手だった。
けれどアルタの胸中には、決して小さくない悔いがあり。
自身の矢は、ガーゴイルを屠るには心許ない。もっと力をつけなくてはならない。
今回剣士に怪我を負わせてしまったのは、後衛としての不甲斐なさ故であると。そんな負い目を彼女は感じていたのだ。
「本当に優れた後衛なら、彼らとともにもっと深い階層に潜ることが出来たはずだ。情けない。Aランクだなんて呼ばれても、僕はまだこんなにも未熟……」
イースリーフに戻ったアルタは一人、深く落ち込んだ。
だが、冒険者に怪我や落命は付き物。アルタとてそうした場面に出くわしたことは何度もあり。
凹んでいても好転は見込めないと知っている彼女は、気分を変えようとお気に入りの場所で読書を始めた。
そして、場面は切り替わる。
ココロに蹴飛ばされ、木っ端微塵に飛び散るガーゴイル。
同時にアルタの常識も、木っ端微塵に吹き飛んでしまった。
そして極めつけが、ボス戦だ。
そう、ボス戦だ。あんなにも高い壁に思えた一五階層を軽々と突破し、行ったことと言えば延々と続く持久走。
エンカウントする恐ろしいモンスターたちは、嘘みたいに容易く瞬殺秒殺。和気藹々とした雰囲気のまま階層を突き進み、気づけばどういうわけかダンジョン主であるゴルゴーンゴーレムと対峙する自分が居た。
鮮烈に刻まれた感覚があった。
それは他でもない、止めの一撃。普段であれば棒立ちでチャージしなくてはならない、必殺の一射。
それを私は、ゴルゴーンゴーレムの石化光線を華麗に避けながら構え、力を溜め込み。そして、解き放ったのだ。
【セブンスピリオド】は、最大七段階のチャージを経て繰り出される強力無比な弓のアーツスキル。
七色の尾を引いて飛翔する矢は、万物を貫き破壊する必殺の一撃となる。
アルタの放ったそれもまた、期待に違わぬ力を、いや、それ以上の結果を見事に叩き出してみせたのである。
ゴルゴーンゴーレムの胸部に穿たれた大穴。砕かれた核。
黒い塵へと変わりゆく奴の姿に、アルタは震えた。残る手応えと、体の芯にある痛快な感覚。とても信じられない。
自身が、これを成したのだと。正に現実離れだ。
そして、そこからの記憶は曖昧で──。
目が覚めた。
視界に飛び込んできたのは、見知った部屋の様子。宿の自室だ。
途端にこみ上げてくる虚しさに、彼女は寝起きの喉をぼんやりと震わせ、つぶやいたのである。
「なんだ、夢か……」
直前まで浸っていた夢の内容を反芻し、自然と失笑が浮かんでくる。
まるで英雄譚を自身に投影した、子供の頃のような感覚。現実との落差。
複雑な感情が胸中に渦巻いて、目覚めて早々少し泣きそうになった。憂鬱な朝である。
けれど、はたと思う。
一体何処からが夢だったのかと。そう言えば彼女たちは、同じこの宿に泊まっているのではなかったかと。
そう思い至るなり、途端にまさかという思いが灯り。アルタは再度思うのだ。
何処からが、夢だったのかと。
そも、昨日自身は一体、何処で何をしていた? 何時宿に戻って床に就いた?
酷く記憶が曖昧で、驚くほどに覚えていない。必死に記憶を辿れば、やはり『彼女たち』の姿がそこにあり。
「……確かめてみれば分かることだ」
そう結論したアルタは、急ぎ身支度を整えると自室を後にするのだった。
★
時刻は既に正午を過ぎており。
アルタは自身が、珍しく盛大に寝坊したことに、宿の食堂にて気がついた。
「あら、今日は随分とゆっくりなんだね」
だなんて女将さんに言われて、アルタは盛大に目を丸くしたものである。
物の序でである。女将さんに『鏡花水月』について訪ねてみれば、これまた驚くべき返答があった。
彼女たちは確かに、今朝までこの宿に居たのだと言う。けれど、朝早くにチェックアウトしたとも。
理解が追いつかず、さりとてそこで一つ思い至ったことがあった。マジックバッグだ。
もしも夢のとおりにボスを撃破したとしたなら、果たしてその成果物はどうしたのかと。
自分のマジックバッグの中に、何かしらが入っているんじゃないかと。それこそが、物証足り得るのでは。
そう考えたアルタは、踵を返して自室へ戻り、急ぎマジックバッグの中身を改めたのである。
そして、固まった。
出るわ出るわ、覚えのない品物がザクザクと。
だが、ようやっと記憶が戻ってくる。そう言えば特典部屋にて、それらをマジックバッグに収納したような覚えがあるではないか。
自分は殆ど何もしていないからと遠慮したのに、彼女たちは「貰ってもどうせ使わないから」の一点張りで押し付けてきたのである。
それに。
マジックバッグから他の品に紛れて、ぽろりと何気なく出てきたのは、これまで手にしてきたどれよりも強力な力を感じる弓。
紛れもなくそれは、特典宝箱から得たアイテムに他ならなかった。
即ち、夢の内容は全て事実であり、朧気な記憶もまた真実の出来事だった。
昨日まで自分は、やはりダンジョンの中に居たのだと。ようやっと確信したアルタは、堪らずワナワナと震え始める。
「ま、待て、落ち着け、僕は今混乱している。混乱していると自覚できている。そうだ、深呼吸だ……すぅ……はぁ……そう。うん、少しずつ記憶がハッキリしてきたぞ……そうだ、僕は確か……」
ここに来てようやく、昨日までの出来事をしかと思い出すアルタ。
一五階層以降の攻略は、本当に現実味というものがまるで感じられず、本気で夢現の中にいるものといつの間にか思い込んでしまっていたらしい。それほどまでに馬鹿げた体験をしたのだ。
勿論アルタとて長く生きるエルフである。この世界には、自身の物差しで推し量ることも出来ないような、とんでもない力の持ち主が居ることくらいは理解している。
けれど、ワープポータルの出現という前代未聞の珍事からして、彼女の中のリアリティというものは揺らぎを見せ始めていた。
鏡花水月が、ただ強大な力を持っただけのPTというのであれば、アルタもここまで取り乱したりはしなかっただろう。
しかし彼女が目の当たりにしたのは、奇妙に過ぎる集団だった。
勇者の娘。常軌を逸した斥候。ガーゴイルを軽く蹴り砕くヒーラー。魔法少女。そして、憑依合身してくる天上の美。
そんなものが実在するだなんて、如何なAランク冒険者だとて容易くは信じられないだろう。というより、現にアルタは現実を疑ってしまった。
それでも攻略を終え、宿でぐっすりと寝坊までした今、ようやっと本来の調子を取り戻した彼女は改めて頭を抱えるのである。
自分は一体、何に遭遇してしまったのかと。
「……ともあれ事実として、彼女たちのおかげで石柱のダンジョン攻略は成った。……って、そうだ! 宿を出たって、それならミコトくんたちは何処へ?!」
眼下に視線を落とせば、お宝の数々。明らかに不当な分配だ。
それにダンジョン踏破報酬の分配についても、まだちゃんと話し合っていないはず。
ならば彼女たちは一体、何処へ行ってしまったというのか。
アルタは急ぎ、アイテム類をマジックバッグへしまい直すと、再度部屋を飛び出した。
そうしてやって来たのは冒険者ギルド。宿を引き払ったというのなら、もしかすると町を出たのかも知れない。
しかしそれならば、一度ここへ顔を出すはずである。そう考えたアルタは、真っ先に受付嬢のパットを訪ねた。
すると。
「ええ、来ましたよ。アルタさんへのお手紙を預かってます」
そう言って彼女は、一通の封筒を差し出してきたのである。
受け取ったアルタはその場で開封。急くように取り出した便箋へと視線を走らせた。
『アルタさんへ。
お世話になりました。私たちはもう行きます。ダンジョンクリアの報奨金は差し上げますんで、好きに使って下さい。では!
鏡花水月のミコトより』
雑。大雑把に過ぎるお手紙である。
しかしそれより何より、そのあんまりな内容に、とうとうアルタは白目を剥いた。
報奨金を、受け取らない? 特典部屋のアイテム類だって大半を押し付けられ、特典宝箱の中身だってきっちり欲しい物をもらった。
ゴルゴーンゴーレムのレアドロップはミコトが手にしたけれど、そこには所有権を主張するつもりすら無い。
総じて、彼女たちは今回のダンジョン攻略に於いて、不相応に少ない利しか得ていないのではないか?
目立ちたくないから、と。そう言えばそんなことを言っていた気もする。
考えてみたら、こんなに報酬の偏りがあったのでは、ダンジョン攻略の立役者はアルタであると言っているようなものではないか。
つまりは、名声すら押し付けていったってことだ。
「一体彼女たちは、何がしたかったんだ……?」
疑問は深まるばかり。納得は遥か遠く。
さりとて、問いかける相手はもう町を出ていってしまったらしい。次の行き先はパットも知らないと。
Aランク冒険者アルタは、後にも先にもこれほど珍妙な経験はしたことがないと語る。
斯くして長らくこの町の脅威として君臨し続けた石柱のダンジョンは、唐突にその姿を消し。
一人のエルフが英雄さながらに、イースリーフにて一層名を馳せることとなるのであった。




