第六四六話 黒から紫へ
王龍を無事に打倒した喜びと安堵。一方でアップデートという世界的な大異変を引き起こしてしまった衝撃で、祝勝会は何とも奇妙な空気の中始まり、そしてそんな空気を振り払えないまま終わった。
正直なところを言えば、まだ実感は薄いのだ。殊更私たちは、転移なんてもう幾度となく体験しているため、ワープポータルって物に対しても腰を抜かすほど驚くはずもない。
新たなジョブにスキル、アイテムだなんて言われても、それこそやっぱり実感は薄く。
それでも世界の常識に大きな影響を与えてしまったのだ、というその事実はモヤモヤといつまでも私たちの頭を悩ませたのである。
当然といえば当然だろう。これから先、何処にどれ程の変化が起こるとも分からず、分からないからいつまでも考えてしまう。
少なくとも宴の最中であろうと、みんな何処か上の空だった。勿論、私も。
とは言え、おもちゃ屋さんに戻って師匠たちと新たなコマンドの研究に打ち込むのには、つい夢中になってしまったけれど。
すっかり私も秘密道具職人の端くれである。
それと、念話が可能な他のメンバーたちからも連絡があった。
みんなアップデートと私たちの関係性に疑いを持っているようで、話して良いものかという点にはやっぱり迷ったけれど、結局今は黙っておくことにした。
特に特訓に協力してくれた蒼穹の地平や、ムゲンヒシャを作ってくれたオレ姉たちへは明かしても良いんじゃないかと考えたけれど、やはり保留である。
何とも、難儀な秘密を抱えてしまったものだ。
そんなこんなで、長い一夜が明けた。
一晩寝れば、モヤモヤだってある程度は落ち着くものだ。
と言うか、いくら考え悩んでみたところで賽は投げられたのである。やってしまったものは仕方がない。
それにソフィアさんの言ったように、『人類の夜明け』というのも存外本当になるかも知れないし。
責任云々も結構だけれど、一つの大きな目標を果たした私たちである。なれば、今後の活動についても今一度話し合わなくてはならないだろう。少なくともPT会議は必要だ。
そんなことを思いながら、朝のルーティンをこなしていつものようにイクシス邸へと飛んだのである。
ほらこのとおり、ワープなんて別に珍しくもないのだ。
ゼノワも頭の上でのんびりしているし、彼女を見習って私も平常運転で行くとしよう。
食堂へやって来ると、何だか異様な気配が感じられた。
皆昨日はあまり眠れなかったのか、何だか眠そうにしている。けれど、私が感じた気配はそれとはまた別の強烈なもので。
視線をやれば、奇妙な雰囲気を醸し出すソフィアさんの姿が見て取れた。
殺気立っている、というのとは違う。謂うなれば、そう、飼い犬が『待て』を受けているような。好物を前に我慢しているような感じ、とでも言えば良いのか。
どうせまたスキル関連で何かあったのだろうけれど。さて、今日はどんな話題が飛び出してくるものか。
「おは」
「ミコトさんっ!!」
「は、はい」
おはようすら言わせぬ気迫でもって、ガタッと立ち上がるソフィアさん。目の下に隈が出来てますけど。
彼女に詰め寄られ、ガシッと両肩を掴まれる。やけに強く掴まれたもんだから、ちょっぴり驚いてしまった。するとソフィアさんの背後で、スッと金棒を構えるココロちゃん。
「えっと、二人とも落ち着こうか」
「これが落ち着いていられますか!」
「ですです」
ああダメだ、話が噛み合ってないや。このままではソフィアさんの頭部に大きなたんこぶが出来てしまう。
一先ず肩を掴むソフィアさんの手をやんわりと解かせ、彼女の話に耳を傾けた。
と言うか、傾けるまでもなくすごい剣幕で、彼女は問いかけてきたのだ。
「ミコトさんっ、黒いスキルオーブどうなりました?!」
「へ」
「どうなりました?!」
黒いスキルオーブと言えば、以前イクシスさんから譲ってもらったやつのことだろう。
使おうとしても使用不能で、何をどうしてもうんともすんとも言わない謎のスキルオーブ。
ストレージに入れたまま放置していたので、どうなったと問われても困ってしまう。
ソフィアさんの剣幕に、ココロちゃんがいよいよ金棒を振り上げそうなので、とりあえず私はそれを視線で制しつつストレージより件の品を取り出してみた。
すると。
「……うん。どうもこうも、何も変わってないね」
以前と変わらず、真っ黒なまま。特にこれと言った変化は見られなかった。
私の手に出現したそれを、私以上にまじまじと観察したソフィアさんは、しばらく注視して満足したらしい。
次は顎を指で撫でながら、何やら考え事を始めた様子。流石鏡花水月随一の変人である。行動が読めない。
私はそんな彼女の脇をそっと抜け、ココロちゃんと一緒に着席。同じ卓についているオルカたちに、一体何事かと問うてみたところ、首を傾げるばかりだった。
なので、恐る恐る私は思案に耽るソフィアさんの背へと質問したのである。
「黒いスキルオーブと言えば、もう一つあったよね。私たちで手に入れたやつ。もしかしてアレに何か変化でもあったの?」
瞬間。
ガバっと振り向いたソフィアさんは、その表情にじんわりと満開の笑顔を咲かせてみせた。
まぁ、なんて分かりやすいこと。
どうやら本当に何かしらの変化が見られたらしい。仲間たちの表情を伺えば、皆は驚いた様子。どうやらソフィアさんだけが知っている変化のようだ。同室で寝泊まりしてるはずなのに。
ソフィアさんは素早く自分の席に戻るなり、バンバンとテーブルの天板を叩いて「よくぞ訊いてくれました!」と興奮を隠そうともしない。
かと思えば懐から何かを取り出し、そっと音もなくそれをテーブルの上に置いたのである。
スキルオーブだった。それも、黒ではなく紫色の。
「む?」
「これって、もしかして……?」
「まさか例のやつなのです?」
「ガウ?」
ムフーッ! と、何やらご満悦な様子のソフィアさん。どうやら本当に、例の黒いスキルオーブらしい。もう黒くないけど。
しかし、一体どうしてこんな変化が起こったのだろうか?
騒ぎを聞いて、隣のテーブルからレッカたちも覗きにやって来る。
「もしかして、これもアップデートの影響だったりする?」
「! 流石私の嫁、同じ見解ですか!」
思いついたことを口に出してみれば、どうやらソフィアさんも同意見だったらしい。
そうするとイクシスさんも、一層興味深げにスキルオーブを眺めて口を開いた。
「なるほど、これにはアップデート前の世界には実装されていないスキルが封じられていた。だからアップデートで新たなスキルが追加された事に伴い使用が可能になった、ということか?」
「そ、そんな事があるものなんですか~?」
「確か真・隠し部屋で見つけたって話だったよね。そこにはひょっとしてアップデート前のアイテムも紛れてるってことなのかな?」
レッカがなかなか鋭いことを言う。
彼女たちの考えは、私も正しいもののように思えた。
「つまり、この黒オーブをアンロックするためには、さらなるアップデートが必要ってことか……」
手の上のそれに視線を落として述べれば、皆は形容しがたい表情を作った。
興味の色は濃く。それでいて、さらなるアップデートと聞けば躊躇いや辟易とした色もあり。
私としても、またアップデートを実行するとなると、流石に躊躇いを覚えるところである。
そんな中、ソフィアさんだけは素直にやる気を漲らせているけれど。彼女ほど単純と言うか真っ直ぐであれば、きっと気も楽なのだろう。
まぁ、それはそれとして。
「ところで、そのスキルオーブにはどんなスキルが宿ってるの?」
空気を切り替えるべくそのように問えば、待ってましたと瞳を輝かせるソフィアさん。
そうして始まったのは、語りである。
「毎晩、床に就く前に私は、このスキルオーブを丁寧に磨き上げ、早くお目覚めくださいと祈りを捧げてきました。一日も欠かしたことはありません。この子がどのようなスキルを宿しているか想像する一時は、やがて生まれるミコトさんとの愛の結晶に思いを馳せるかの如き幸福な時間でした……」
「ミコト様、こいつ殴ってもいいですか?」
とうとうこいつ呼ばわりである。
そんなココロちゃんをどうにか宥めつつ、一応話の続きを聞く。
「『一日千秋の思い』とはミコトさんの国の言い回しでしたね。正にそれです。この子の才能を解き明かすこの時を、私は今か今かと待ち続けてきました」
すると、唐突に深々と頭を下げるソフィアさん。つむじが向かう先に居るのは、イクシスさんである。あ、私の方にも向いたぞ。
「イクシス様。若しくはミコトさんでも良いです。鑑定のほど、宜しくお願い致しますっ!!」
無言で顔を見合わせる私とイクシスさん。どっちでも良いと言われると、なんかモヤッとするんですけど。
「イクシスさんのほうが鑑定レベル高いし、お願いしてもいいかな?」
「そうか? 分かった。ならばその役目、誠心誠意務めさせてもらおう」
そのように彼女が頷けば、自然と周囲のメンバーが場所を開け。
皆の注目が集まる中、彼女は深く息をついて真剣な表情を作った。
そして、「では早速始めるぞ」と述べるなり、鋭い眼差しでもって紫色のスキルオーブへと視線を注ぎ始めたのである。
深い沈黙。
窓の外からは朝の光が差し込み、小鳥のさえずりが鳴る。
既に馴染んで久しい音楽を奏でる魔道具は、今朝も落ち着いた音を響かせている。
さりとて、それらを塗りつぶすほどの静寂がここにはあった。
目を血走らせてスキルオーブとイクシスさんを、ギョロギョロと交互に見つめるソフィアさん。怖い。
その他の面々も、興味深そうにイクシスさんの発表を今か今かと待っている。勿論私も例外ではない。
そんな中で、力強くスキルオーブを凝視していたイクシスさんの唇が、ようやっと微かに震えた。
そうして、とうとう彼女は一つの言葉を紡ぎ出したのである。
「────【まじかる☆ちぇんじ】」
……え? なんだって?
皆が一様に困惑する中、私だけはそっと自分の耳の穴に小指を突っ込み、グリグリ。
我が耳を疑うって、こういう事を言うんだな。
新年あけまして、おめでとうございます!
やぁ、明けましたね。予約投稿なので、これを書いている時点の私は皆様から見て昨年に居るわけですけれどね。時をかけるカノエカノトでございます。
などと言いつつ。
昨年はお世話になりまして。今年もどうぞ、よしなにしていただけなら幸いでございます。はいー。
あと、誤字報告いただきました。年の瀬だろうとやらかすのだなぁ。全部師走のせいにしてやろう。ふはは。
修正適用させていただきました。感謝です!




