第六三九話 モノリス
靴の裏に触れる感触は、硬質。それでいて無機質。
仮に踏み砕いたとしたら、やはり真っ白な石片が飛び散るのだろうかと、割とどうでもいいことを考えつつ歩を進める。
向かう先には真っ黒なモノリス。敵影は特に無く、心眼にもこれと言った反応は無い。
ただし、王龍のように感情が極めて希薄な存在が身を潜めていたとするなら、心眼などは大した役になど立たないだろうけれど。
皆で一塊になって、ぞろぞろと歩くこと少し。
これと言ったハプニングがあるわけでもなく、私たちはついにモノリスの目前にまでやって来た。
むしろそれ以外、これと言った何かが見当たるわけでもなかったのだから必然と言えるだろう。
好奇心の強いレッカやスイレンさんが、おっかなびっくり早速モノリスをまじまじと眺め、首をかしげる。
「これってなんなんだろうね?」
「これが頑張った報酬、ですかね~?」
彼女たちだけではない。他の皆も、事ここに至ったなら興味津々だ。警戒こそ解きはしないものの、各々真っ黒なモノリスをじっくりと観察している。
そんな中、私は一歩前に出て。
「とりあえず、触れてみようか」
と徐に手を伸ばしてみる。
皆からは悲鳴のような声が上がり、危険だと制止されてしまう。が。
伸ばした手に取り出したるは、蛇腹剣である。
それを鞭のように伸ばし、先端にてちょんと触れてみようというのだ。
「完全装着の効果で、この子は私の体の一部として扱われるからさ。試しに触るのならこれがベストかなって思って」
と説明すると、皆から安堵のため息。止める声はピタリと止んだ。
気を取り直し、蛇腹剣の先端にてそ~っとモノリスへの接触を試みる。
音も匂いもない空間。緊張に、心臓の音だけが大きく聞こえ、期待と興味と不安の綯い交ぜになった感情を抱えたまま、慎重に蛇腹剣を操作。
切っ先が、つん、と。
真っ黒なモノリスの表面に触れた、その瞬間である。
ウィンドウが立ち上がったのだ。
それも、普段見慣れたものとはいささか趣の異なるウィンドウだ。
まるでモノリスが投影してみせたホログラムのように、モノリスの真ん前にスンと現れた半透明の窓。
問題は、そこに何が記されているのかというところだが。
私たちはそれを目の当たりにして、一様に目を丸くしたのだった。
──────
『Tips キーオブジェクトとは
世界の何処かにある、破壊不可能な特殊オブジェクト。
ワールドをアップデートするために必要な鍵。
対となるモノリスが存在する。』
──────
……皆も驚いたことだろう。キーオブジェクト、恐らくは私たちで言うところの『オーパーツ』がこのモノリスと対を成すほどに重要なものだったっていうんだから。
しかし、本当に驚くべきはそこじゃない。
『ワールドをアップデートする』という、この部分だ。
そんなの、正にこの世界がゲームか何かだって言ってるようなものじゃないか。
いや、でも、確かに驚くべきことだけれど。そのくせどこか、しっくりきている自分が居るのも事実で。
それが無性に気持ち悪い。
だって、ゲームらしい単語だったら、これまでに何度も見てきたんだ。
私のジョブである『プレイヤー』に始まり、『キャラクター操作』や『ステータスウィンドウ』『アイテムストレージ』『オートプレイ』『VSモード』……。
どれもこれも、この世界では耳に馴染みのない言葉だろう。
そのくせ、モンスターだのダンジョンだのスキルだのと、ゲームっぽい要素てんこ盛りの世界だ。
だからだろうか。アップデートだなんて言われても、意外なほどに冷静なままで居られるのは。
とは言え、すぐに言葉は出てこない。
周りでは皆が、「どういう意味でしょうか?」「つまりこのモノリスに、対となるキーオブジェクトを用いれば何かが起こる、ということだろう」「あっぷでーと……? ココロ、ミコト様のお話で聞いたことあります!」なんて早速考察をしているけれど、そこに参加する気にはなれなかった。
ゼノワが気遣わしげにこちらを見てくる。無言で頭を一撫でしておく。
すると、私の様子に気づいたのだろう。皆が心配げに声を掛けてくるけれど、何だか、無性に心細く感じてしまって。
上手く返事が出来なかった。
だってそうだ。
この世界がゲームだって言うんなら、彼女たちは……プレイヤーでない彼女たちは、何だって言うんだ……?
私はそんなみんなへ、どう接したらいいんだ……。
(…………。あ、いや。それも今更か)
少しばかり考え込んで、ふと思う。
プレイヤーでない彼女たちが何であろうと、別にそれほど大袈裟に考えるようなことでもないかなって。
例えば、オルカには獣人の血が混じってるらしい。ココロちゃんは鬼の末裔だし、クラウは次世代勇者だ。ソフィアさんもハイエルフだし。最早鏡花水月の一員と言っても過言でないゼノワに至っては精霊だもの。
普通の人なんて鏡花水月には居やしないじゃないか。
で、私もまた『プレイヤー』っていう、普通じゃない存在らしい。それが今、何となく実感を伴って分かってしまった。
謂うなれば、たったそれだけのこと。皆が自分とは少なからず異なる人たちを『仲間』として受け入れているのと同じで、私もまた皆がプレイヤーでなくたって『仲間』には違いないって思うもの。
ならば、まぁそこは良いや。
大事なのはみんながどうとかじゃなくて、この世界はどうなってるんだって部分だろう。
そしてプレイヤーって……私って……。
「ガウ!」
「ぎゃっ!」
ゴッスと、後頭部にゼノワのドロップキックが決まる。
あまりの衝撃にチカチカと視界に星が飛ぶけれど、それでようやっと我に返った私。
顔を上げてみると、皆の心配そうな表情がずらりと並んでおり、私はたちまち申し訳ない気持ちに苛まれた。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してて」
後頭部を撫でながら、ヘコっと頭を下げる。
「もしかしてミコト、『アップデート』って前ミコトが言ってた……?」
「確か、システムやソフトウェアを最新の状態に更新して、不具合の修正や新要素の実装を行うこと……とかなんとか」
「むっ! ココロが言いたかったのに!」
「はいはい、揉めるな揉めるな」
「グラァ」
ソフィアさんが説明したとおりである。
ゲームの話を語る上で、アップデートの話題には時々触れていた。鏡花水月メンバーはそれを覚えていたらしい。
すると、聞き馴染みの薄いレッカたちは眉を寄せており。
「しすてむ、そふとうぇあ……」
「何のことやらさっぱりです~」
「私もその辺の話は、聞きかじった程度だったな」
三者三様に首を傾げている。
そんな彼女らへは、改めてゲームの知識から説明して聞かせた。
勿論、聞き終えた彼女たちの表情は何とも言えないもので。
一応私のコンティニュー説が浮上した辺りで、ゲームがどうこうという話は一通り聞いていた彼女たちだけれど、この世界がゲームかも知れない! なんて言われたところで、やっぱりしっくり来るはずもなく。
もしも仮にそうだったとして、この世界で生きているみんなや今の私にとっては、それって結局「地球は宇宙の中に浮かんでる一個の惑星に過ぎないんですよ!」なんて初めて聞かされた時のような、漠然とした驚きしか無いわけで。
要するに「だから何?」の一言で片付けるしかない問題なのである。
だから私にとっても、その点はあまり気にしても仕方がないわけで。
「とどのつまり、キーオブジェクトってのを対になるモノリスに使えば、アップデートっていう大規模な異変が起こるかもしれない……ってこと?」
「何だか全然現実味の湧かないお話ですねー……」
一応理解には至った皆。さりとてやっぱり、スイレンさんのコメントこそが皆の総意だろう。
ワールドをアップデートだなんて言われても、そんな話を真剣に捉えるのは難しいのだ。
っていうかよく考えてみたら、その『ワールド』というのが、『この世界』を示すとも限らないじゃないか。うっかり早とちりするところだった。
とは言え、なら何を指して『ワールド』と表しているのかと問われたなら、返答に迷うところではあるのだけれど。
「しかしまぁ、何だな。態々百王の塔に隠されたこのような場所で見つけたものが、ただのデタラメとも考え難い」
腕組みをしてそのように唸るイクシスさん。
確かに彼女の言うとおりである。あまつさえ王龍だなんて、私たち以外でアレを倒せる人と言えば、きっと勇者PTくらいのものだろう。ああいや、それはちょっと思い上がりかも知れないけども。
でも、それほどにただならない力を王龍は有していて。それを突破してようやっと見つけたこのモノリスが、根も葉もない虚偽を吐いたとも考え難いのだ。
皆が難しい顔になる中、徐にココロちゃんが口を開く。
「ところで、このモノリスの対になるキーオブジェクトって分からないのです?」
「! そう言えばそうだね。そこら辺のヒントが何処かにあっても良さそうなものだけど」
色々と気になることはあるけれど、一先ずココロちゃんの言葉に乗っかり、私たちはモノリスをより詳しく調べ、他に情報はないかと確かめに掛かったのである。
すると。
「あ。このウィンドウ、スワイプしてページを切り替えられるじゃん!」
存外あっさりと、新たな情報の発見に成功したのだった。




