第六三七話 奥の手祭り
力を示せと王龍は言った。
果たしてそれは、すっかりと様変わりを見せたこの白き龍を打倒しろという意味なのだろうか。
そんな疑問をのんびりと考える間もなければ、勿論議論する暇もなく。
バサリと己が身の丈にも勝らん程の、巨大な翼を大きく広げた奴はゆっくりと宙に浮き上がり。
そうして静かに、私たちを睥睨したのである。
とっさにマップウィンドウにて脅威度を調べてみたなら、赤の五つ星。さりとて推定はそれ以上。きっとカンストしてるんだ。
蛇に睨まれた蛙とは、正にこういう事を言うのだろうか。
身じろぎ一つでもすれば、殺される。
どこからやって来るかも分からない、そんな確信が私たちの身を否応なく固くさせた。
けれどそんな中。
ガツン! と、甲高くも鈍い音が唐突に響いた。
クラウである。
自らの盾を叩き、敵のヘイトを自身に集めるクラウの盾スキル、【目立ちたがりの鐘】。
誰もが王龍の迫力に気圧され、息を呑んだこのタイミング。きっと彼女とて例外ではなかったはずだ。
にも関わらず動けてしまうクラウは、やっぱりイクシスさんの娘なんだと。次代の勇者なのだと。
そんな尊敬の念が過ぎった、瞬間の出来事だった。
天より私たちを見下ろしていた白き王龍の姿が、フッと掻き消え。
次の瞬間には凄まじい激突音が鳴ったのである。盾を叩く音としては、あまりに歪で激しい音。
かと思えば、彼方の壁が派手に砕け。僅かに遅れて衝撃と轟音がやって来る。
クラウがふっ飛ばされたのだと。その事実に気づくのに、きっとタイムラグは消し得ないものだった。
けれどその事実こそが、皆の正気を呼び起こし。その身に受けた気後れという緊縛を打ち払ったのである。
しかし、その頃には既に次の動きを見せていた王龍。
生じたのは魔力の気配。
されど。
『それはやらせない!』
脊髄反射とでも言うべきか、魔法発生の予兆には私の魔力操作が勝手に反応を示した。数多繰り返した反復練習の賜である。
先程までよりも段違いに強固な魔法行使だ。
けれど、相応に強い魔力で乱してやれば、問題なく発生を妨害することが叶った。
が。
その瞬間、私の目の前には白の巨竜が佇んでいたのだった。
いやに、奴の全容がよく見えた。
金色の名残など僅かすら無い純白の鱗は、まるで蛇を彷彿とさせるそれのように滑らかで、いっそ神々しさなどを印象に織り込んでくる。
身の丈は小さくなったとは言え、人の四倍ほどはあるだろうか。十分に巨大だ。
殊更印象的なのは、暴力的なまでの魔力量と、それを流麗に操ってみせるその技量。
緩急と言うべきか、メリハリと言うべきか。流水が如くどこまでも自然な魔力の運びは、さりとて動きの要所要所にて爆発的に膨れ上がり。
掲げられたその腕が、強化魔法を纏い振り下ろされるその様は、さながら芸術的ですらあった。
たとえそれが、私を叩き潰さんとするものであったとしても、だ。
だが、その直前のことである。
カッと彼方で青の光が迸った。
その刹那、私の視界は唐突に切り替わり。自らの意思でも、自動回避でもなしに転移が働いたのだと理解したのは、彼女のそのスキルを知っていたからに他ならない。
仲間と自身の位置を入れ替え、庇うスキル。名を【スワップ】。
誰あろう、たった今他でもない王龍の手により遠い壁まで吹き飛ばされ、その身を大激突させた彼女のスキルである。
自動修復力により、巻き戻しが如く元通りになっていく壁の中より慌てて脱出しながら、私は見た。
驚くべき速度と威力でもって振り下ろされた、白き王龍の巨腕を今度こそしかと受け止め、強かに弾き飛ばした彼女の勇姿を。
そうさ、ミコト杯では大した活躍も見せぬまま首を刎ねられたその姿は、間違いない。
聖剣の力を覚醒させし、勇者イクシスの後継者。
誰が呼んだかブレイブクラウ、満を持してここに見参である!
『仲間は私が護る!!』
力強い念話が皆の胸を打てば、響くように逸早く動いた者が二つあった。
クラウが聖剣の真なる力を目覚めさせたように。
愛剣の力でもって『焔ノ化身』と化した、紅蓮の少女が斬りかかる。
言わずと知れたレッカである。私との対戦で見せた、自らの身体を焔と一体化させる、擬似的な物理無効を体現せし形態。
彼女の振るう焔ノ刃は、遥かに硬度を増したはずの奴の鱗を食い破り、見事な太刀傷を与え燃やしたのだ。
正しく、恐るべき火力。触れれば火傷じゃ済まないとはこの事である。
だが、そんな恐ろしくも美しい彼女の活躍を、横から掻っ攫っていく者があった。
逸早く動きを示したもう一人。即ち。
『ミコト様に手を上げるとは、万死に値します』
殺意を漲らせた、ココロさんであった。
それも頭からニョッキリと二本角を生やし、鬼の力を開放したココロさん。
以前はイクシスさんすらビビらせた、ココロちゃんの全開。
それが特訓期間を経たとあっては、以前の比ではないだろう。
現に。
ガシッと王竜の翼に組み付いた彼女は、ギュインと身体を回転させ。ほんの一瞬の間に、奴の片翼をねじ切ってしまったのである。
これには堪らず仰け反る王龍。奴め、怒らせちゃまずい子を激怒させてしまったようだ。
私としては、少しばかり面映い気持ちなのだけれど。
そんな彼女たちの活躍に続くように、他の皆もいよいよ各々奥の手を出し始める。
そうさ、きっとここが潮目だ。
顕著な変化は、先ず音楽にあった。無論スイレンさんによるものだ。
先程一〇〇階層にて彼女が言っていた奥の手とは、きっとこのことだろう。
それにしても、なんて面妖な。
奏でるのはスイレンさん一人。にも関わらず、この場に響く音楽は紛うことなき見事な二重奏。
重なる音は何倍にも楽曲の魅力を引き立て、比例するようにバフの効果もまた飛躍的な上昇を見せた。
と同時、湧き上がる闘志はすっかり奴への畏怖を駆逐していて。
心身ともに強力なアシストを得た皆の力は、通常の何倍にも大きく引き上げられたに違いない。
その傍らではソフィアさんが、何やら宙に無数の魔法陣を浮かべて準備を行っている。
これが彼女の奥の手なのだろう。即ち、かつて無いほどのフィニッシュ技を仕込んでいるはず。
その威力は、何だか想像することすら躊躇してしまうような、絶大なものに違いない。
なれば、それが確実にヒットするよう盤面を整えなくては。
そんな後衛組を護衛するイクシスさんからは、クラウをぶっ飛ばした王龍への怒りがふつふつと感じられ。
なにかの切っ掛けで今にも爆発してしまいそうな、感情と力の高まりが感じられた。
恐ろしくも頼もしい。彼女が居てくれるから、多少の無茶も許されるんだ。
ならば、私たちもぼんやりはしていられない。
『ゼノワ!』
『グラ!』
私は最早お馴染みの黒宿木を。
そしてゼノワはと言えば、この三ヶ月あまりですくすくと育った媒体の力を遺憾なく解き放ち。
小さきその身を、忽ちの内に大きく変じさせたのである。
即ち、ゼノワ『成龍モード』。
その影響を受け、私のステータスも爆発的に上昇する。
携えしはムゲンヒシャ。双剣形態にて構えたなら、テレポートにて瞬く間に距離を潰し。
そうして、一気呵成に攻め立てる。
だが、そうまでしても、敵もさる者。
喉元に光が灯れば、生じた絶大な衝撃にて私たちを大きく後退させた。
ブレスの予兆だ。よもやそれだけでここまでの力を及ぼそうとは。なれば万が一アレが解き放たれようものなら、果たしてどれほどの被害が出るだろう。さながらそれは、全体即死攻撃クラスの破壊力に違いない。
私はすぐさま白枝を伸ばす。が、同じ手が二度通じるような相手ではない。固く閉じられた口の中に、枝を突き込むことは叶わず。かと言って喉を直接穿とうにも、あまりの魔力に枝が届かず崩れてしまう。
皆もどうにか阻止しようと動くも、ココロさんの破壊ビームですら奴を止めるには至らなかった。
まるで敗北へのカウントダウンだ。ゆっくりと喉元を上がり、ますます力を増幅させる光は既に、解き放たれる寸前。
いよいよイクシスさんが動き出そうとした、その時である。
『任せて』
短くも、頼もしい一言。それとともに、私の傍らを一陣の風が駆け抜けた。
たなびかせるは漆黒のマフラー。さりとて、携えし頭髪とつややかな尻尾は見覚えのない、灰色。
彼女は驚くべきことに、何人の接近も許さぬこの激しい圧力の中を苦にもせず、泳ぐように真っ直ぐ奴へ向けて駆けていくではないか。
これには流石の王龍も視線を鋭くさせ、すかさず神速の尾が迎撃せんと飛んでくる。
が、彼女はそれを容易く潜り抜け、瞬く間に距離を殺して行った。
一体何故にそんな事が出来るのか。そして彼女は一体何をするつもりなのか。皆が一斉に目を剥く中、それは刹那の内に起こったのである。
喉の奥、激しさを増す強烈な光は必然、その足元に濃い影を作った。
そこから伸びたるは、見覚えのある無数の帯。さりとてその動きは、私たちの知るそれとは明らかに違っていて。
認識した時には既に、奴の全身を隙間なく包み閉じ込めていたのである。
ばかりか、マフラーを駆使して更に奴を閉じ込める念の入れよう。
光をも呑み込む、不条理な影。
それを見事に操ってみせたのは、そう。
灰髪を携えし、二段階目の変身を果たしたオルカであった。
彼女は奴を見事に封じ込めると、こちらに視線をやり、念話にて叫んだ。
『ミコト!』
『うん!』
即座にムゲンヒシャを合体させ、弓形態へ。
そうして強かに弦を引いたなら、とあるとっておきの魔法を鏃に込めて解き放つ。
流星の如く飛翔し、『浸透』の力でもってオルカのマフラーも、影帯も、王龍の肉体すら素通りして突き刺さったのは、ブレスとなる直前の強烈な魔力の塊。
直後、鏃に込めた魔法が解き放たれる。
ソフィアさん直伝、【種火】。相手の発動しようとしたスキル・魔法の内容を書き換え、まるで異なる術へと変化させてしまう恐ろしい特殊魔法である。
これを私は、魔力と精霊力のブレンドでもって行使し、鏃に込めて打ち込んだのだ。
精霊魔法はスキルの影響を受けず、たとえドラゴンブレスというカタチになりかけの莫大な魔力塊にだろうと、圧殺されること無く干渉を行うことができる。
結果、種火の介入によりブレスは転じて別の魔法へと変わり、奴自身へと牙を剥いた。
その身を凍てつかせる、絶大な威力の氷結魔法として。
けれど流石は王龍と言うべきか、あんなデタラメな密度の魔力塊を乗っ取ったにも関わらず、凍ったのは精々が上半身のみ。とてつもない魔法抵抗力を発揮し、全身氷結を免れたのである。
ばかりか、すぐに上半身も解凍し、何事もなかったかのように暴れるに違いない。
けれど、それには僅かなりとも当然時間がかかる。
そして時間は、勝敗を分つに十分なものであり。
『ソフィアさん、やっちゃって!!』
『ええ、決めます』
『これはヤバそうだな。皆、私と母上の後ろへ!』
マフラーと影、そして氷に囚われ、一切の自由を封じられた王龍。
そんな奴を見据え、幾重もの魔法陣が折り重なり、複雑怪奇な魔力変化を起こした。
それらは悍ましき膨張を繰り返し、かと思えば一点に圧縮され。
『来たれ──【終わりの雫】』
その言葉が示す通り、数多の魔法陣が最前の一つより、滴るように吐き出されたのはほんの雨粒が如き一滴。
けれどそれを目にした瞬間、イクシスさんから感じられた危機感たるや。
瞬時に発動された【神気顕纏】と、全力で展開された隔離障壁。厄災級の折に見たっきりの、全力行使である。
そして、重力を無視し王龍へ向けて水平に落下したその雫は。
文字通り、終わりを連れてきたのだった。




