第六一話 安眠の妨げ
この世界には分からないことがたくさんある。
勉強も結構したんだけど、それでもまだまだ知らないことは幾らでもあるわけで。。
例えば、ダンジョン内の酸素なんてのは一体どうなっているんだろう? とか。
野営と言えば焚き火。焚き火と言えば野営、みたいなところがあると思うんだけど、出入り口が一つしか無いようなダンジョン内で火を扱うだなんて、広さを鑑みるにすぐさま致命的な事態にこそならないとは思うけれど、酸素を無闇に消耗しちゃうんじゃないかとか、煙はどこに逃げるんだろうとか、色々考えると怖くて仕方ない。
ってことで、以前潜ったダンジョンではなるべく火を扱わないようにしていたのだけれど。
「イヤですのイヤですの焚き火がない冒険だなんてありえませんの!」
「ココロも火がみたいのだ! 火! 火を!」
「この娘ら、もしかして何かに取り憑かれてるんじゃないかってたまに思えてくるんだけど……」
厄介な一般人役を熱く演じるオルカとココロちゃんが、一生懸命駄々をこねている。そこまでしなくてもいいんだよ……?
しかし実際、資料室や図書館で目を通した本によると、ダンジョン内で火を焚いても、不思議と問題にはならないらしい。どこからか酸素が供給されているか、或いはダンジョン内で独自に生成されていたりするのだろうか。
はたまた、異世界人は酸素なんて必要ない体の作りをしているのかも知れない。
なんて、超理論を妄想しながらも、私はとりあえず二人に問いを投げてみた。
「まぁ、焚き火をするのは構わないよ。着火も魔法で出来るし。でも……」
「でももヘチマもありませんわ。それなら直ちにイグニッションですわ!」
「火ぃ! 火を見せろぉ!」
「わかったよ。それじゃぁ、燃やすものを準備してくれる?」
「「…………」」
黙るのか。そこ考えてなかったのか。
焚き火をするなら、薪や、燃やせるものが必要だ。しかしそんな荷物になるものを、わざわざ外から持ち込むわけもなく。かと言って洞窟型のダンジョンで、燃やせるものなんてあるはずもなく。
ようやくそこに思い至ったのか、二人は暫し固まると、ふっと軽く鼻を鳴らした。
「さ、晩餐に致しましょう。メニューはなんですの?」
「ココロはお腹が空いたぞー!」
「え、まさか……自分で用意してきてないの?」
「「……え?」」
「…………」
……どうやら、やけに軽そうなその荷物には、自前の食料なんて入っていないらしい。
オルカとココロちゃんのお腹が、タイミングを合わせたようにクゥとあざとく鳴いてみせた。
あーはいはい、こんな事もあろうかと多めに持ってきてますとも。
「食料には限りがあるので、よく噛んでたくさん満腹中枢を刺激しておいてね。じゃないと後々、空腹で泣くことになるから」
「ぐすん。どうしてわたくしがこのような仕打ちを受けなければなりませんの」
「足りないよー! もっとちょうだいよー! おいしくないしー!」
「明日ごはん抜きになってもいいなら、おかわりどうぞ」
「そんなー! ばかなー!」
ココロちゃんそれ、やんちゃとかわんぱくじゃなくて、もうただのアホの子じゃんか……。
その後も二人は飽きもせず不満を言い続け、私はむしろよくぞそこまで演技できるなと感心した。
や、演技自体はお粗末なんだけど、言動には妙な説得力があると言うか。
当人たち曰く、モデルとなる人がいるそうだけれど。オルカはともかく、ココロちゃんはマジか。ほんとにそんな頭のネジが数本抜けてそうな子がいるのか。
っていうか、よりによってこの試験でそのロールを選ばなくても……。
それからしばらくし、私は就寝中の見張りについて二人に提案した。
先に二人には休んでもらって、その後交代で私も休みたいと。
「まぁ。あなたにも休息は必要ですの?」
「人並みにはね!」
「ココロたちが見張番するの?」
「出来ればさせたくないんだけどね!」
恐い。恐いよ! 二人に見張りを任せて就寝するなんて、ただただ恐怖なんですけど!
でも、休まねば体が持たないからね。どうしたって仕方のない問題だ。
話は決まり、二人はそれぞれ雑魚寝を始めた。寝具もなにもないので、オルカがまた騒いでいたけれど、やがてスースーと寝息を立て始める。ココロちゃんはいつの間にか気絶するように意識を飛ばしていた。
子供はスイッチが切れたように眠りはじめると言うけれど、まさにそれである。役者だなぁ……役、だよね? まさかあれが地だなんてことはないと思うけど。
それからは、例によって暇を持て余すため、二人と交代の時間までいつものようにスキル訓練を行った。
修行期間中は、主に冒険者としての多様な経験を積むことを目的としていたため、そこまでパワーアップ面の訓練は行わなかったのだけれど、それでも空いた時間なんかには当たり前のようにスキルのトレーニングを続けていた。もはや癖のようなものと言っても過言じゃないくらい、スキル磨きが染み付いてしまっている。
そんなわけで、あっという間に交代の時間はやって来た。
「オルカ、ココロちゃん、そろそろ交代だよ。起きて」
「んぅ、ぅぅ……ミコト……おはよ」
「ふぁぁ、おはようございますミコト様」
「ぶわっ」
「「!?」」
ぶわっと、涙腺からミコト汁が発射された。いや、そう思えるくらい勢いよく涙が出てきた。
オルカとココロちゃんは、突然のことに眠気も吹っ飛び、目を丸くしているが。
「い、いづものふだりだぁ……!」
「あ、ちが、これはっ」
「い、今のはノーカン! ノーカンですミコトさ……じゃなくて、お姉ちゃん!」
ほぼ一日ぶりに演技が解けた二人の、素の声を聞いて、つい涙腺がバカになったらしい。
自分でもびっくりするほど感極まってしまった。それ程厄介モードの二人に、参ってしまっていたのだろうか。
ともあれ、今のは寝起きのうっかりであって、折角二人が頑張って演技してくれているのを、こんな形で台無しにするわけには行かない。試験が終わるまで、グダグダにしちゃいけないんだ。
私は二人に背を向け、涙を拭い、鼻をすすって平常心を取り繕うと、ヘコっと頭を下げた。
「ごめん、何でもないよ。眠すぎてつい、変なことを口走っちゃったみたい」
「そ、そうでしたの。仕方ありませんわね、見張りは交代して差し上げますから、ゆっくりお休みになるといいのだわ」
「なにか来ても、ココロがぶっ飛ばすぞ! だから安心だー」
「いや、何か来たならちゃんと起こしてね。一応魔物除けの魔法は張ってあるから、モンスターは寄ってこないと思うけど、人間が相手だと効果がないから、そこは注意しておいて」
私も聖魔法は使える。なので修行期間中、ココロちゃんの扱う魔物除けの結界は習っておいたのだ。
これによりモンスターは近くでポップもしないし、近づいてもこない。
しかしこのダンジョンには、たまに冒険者の気配がある。一時期に比べるとその数も減少傾向にあるけれど、それでもたまに気配察知に引っかかるため、遭遇を避けるように進行ルートを選んだりしているのだ。
そんな冒険者達がこの場所に偶然やって来ない、なんて保証はないので、その点だけ注意喚起しておく。
それと……。
「あと、勝手にウロウロしないように。結界から出たら普通にモンスターに遭遇するし、迷子になる可能性もあるので」
「そんなこと、一々仰らなくとも分かっていましてよ」
「迷子になんてなるもんか! モンスター倒す!」
「……大丈夫かなぁ」
「いいから、早く寝てください。寝不足で倒れられたら、それこそ大迷惑ですの!」
「ぐぉ、ここに来てド正論!」
オルカの言葉にとどめを刺され、私は心配こそあれ大人しく眠ることにした。
何かあったらすぐに起こすように、と重ねて念を押しながら、私の意識は微睡みに呑まれていったのである。
★
「……きて……き……ちゃん……お姉ちゃん! 起きて!」
どれくらい眠ったのだろう。薄ぼんやりした意識の中で、耳に入ってきたのはココロちゃんの音量を落とした囁き声。しかしそこには張り詰めたものが含まれており、やけに重たい瞼をこすりながら私が体を起こすと、ココロちゃんの真面目な顔が視界に入ってきた。
眠い。寝不足のやつだ。ということは多分、私が床に就いてそんなに時間は経っていないのだろうけれど、何かあったようだ。
「どうかしたの?」
「足音が近づいてくる。多分、冒険者」
「どうしますのミコトさん、ここから離れますの?」
「うー……とりあえず、私が様子を見てくるよ」
眠くてまだフラフラするけれど、漂う緊張感のおかげか急速に眠気は飛んでいってる。やがて足取りもしっかりするだろう。
あくびを噛み殺して立ち上がると、隠密の仮面で気配を隠しながら周囲を探った。
確かに人の足音がする。人数は四人か……しかしどうにも不自然な感じだ。
足音が不規則で、しかも鈍い。もしかすると怪我をしているのかも知れない。が、何らかの誘い出しだという可能性もなくはない。
やがて眠気はすっかり覚め、私は気を引き締めつつ気配を辿り、慎重に接近を試みた。
すると案の定、ボロボロでフラフラな冒険者が四人、ダンジョン内を彷徨っている姿を確認することが出来た。
奴らのせいで私の貴重な睡眠が……と、全く思わないでもないけれど、それどころではない。
さて、どうするべきか。冒険者として、選択の時である。
幸い彼らは、私達が休んでいる場所へやってくる様子はない。たまたま近くを通りかかっただけのようだ。
彼らに声をかけるメリットは殆どないし、声をかけることで寧ろリスクを背負うことになるだろう。
合理的に判断するのであれば、ここは見なかったふりをするのが正解なのだろう。
たとえ彼らがこの先で力尽き、モンスターの餌食になるとしても、だ。
しかし……。
情けは人の為ならず、と言うしな。寝起きにバッドエンドを見過ごすのも気持ちよくないし、ここはリスクを覚悟で声をかけるとしよう。
私は一旦オルカたちの所に戻ると、事情を説明した後荷物から回復薬を四本取り出す。ストックはまだあるけれど、私達にも備えは必要だからね、大盤振る舞いは出来ないさ。
「大丈夫だとは思うけど、一応二人はここにいて。万が一危険な相手だったら、何か大きな音で合図するからすぐに逃げてね。私もなんとかして合流するから」
「わ、わかりましたわ」
「お姉ちゃん、気をつけてね……?」
二人に見送られつつ、私は再び冒険者たちの気配を辿って彼らを追跡した。するとすぐにその姿を捉えることができた。
さて、どう声をかけたものか。もし? お困りですか? だなんて突然近づいては絶対に怪しまれるだろう。なら、怪しまれないことに重きをおくべきか。
私は努めて自然に足音を鳴らし、不自然に思われぬ距離で隠密を解いてゆっくりと彼らに接近した。
私の存在を感知し、ビクリと身を強張らせた彼らは、しかし即座に警戒態勢を取る。
だが、振り返って私の姿を確認するなり、その警戒も随分薄まった。が、油断は無いようで。
「止まれ!」
鋭く発せられた声に、私は抗わず歩みを止める。
とりあえず敵意がないことを示すべく、私は両手を上げて無抵抗をアピールした。ちなみに回復薬は、リュックとは別に普段から下げているウエストバッグの中だ。
冒険者たちは男女混成チームらしく、中でもリーダーと思しき槍使いの男がこちらを観察しつつ、問いを投げてくる。
「あんた、冒険者か……その仮面は見覚えがあるな。たしか、野良シスターと組んでる新人だったか」
「よくご存知で。Dランクのミコトです」
「そうか、Dでここをうろつけるとは、実力はランク以上ってことか……」
「あはは、逃げ隠れが得意なだけですよ。それより、あなた方は随分とその――」
「ああ、ちょっとドジっちまってな。回復薬も尽きてご覧の有様さ……その。それでだな」
「みなまで言うな、ですよ。お任せを」
こうしてやり取りをしている間も、ボロボロのお姉様方に支えられてるお兄さんが、かなりしんどそうだ。
私はウエストバッグから回復薬を取り出すと、それをリーダーのお兄さんに差し出した。
「どうぞ使ってください。それと治癒魔法の心得もあるので、そちらの方は直接私に診せてもらえますか?」
「本当か! ……すまない、恩に着る」
「ええ、街に戻ったらちゃんと請求しますので、そのつもりで」
「ああ。仲間を助けてくれるのなら、いくらだって払ってやるさ!」
話を聞いていたお姉さん方は、自分たちもなかなか痛そうな怪我をしているのに、重傷のお兄さんを気遣いゆっくりと地面に寝かせた。そして、彼を助けてと、藁にもすがりそうな声音で私に言うのだ。
彼女らにも回復薬を手渡した後、私は重傷お兄さんの傍らに腰を下ろし、怪我の具合を確かめた。
鬼にやられたのか、酷い打撲に骨折、それに刺し傷や切り傷もある。総じてかなりえげつない損傷と言えるだろう。
出来ればココロちゃんの手を借りたいところだけれど、今はそういうわけにも行かない。
修行期間に覚えておいてよかった治癒魔法。それをMPの過剰供給にて発動し、通常の治癒魔法より遥かに効果の高い治癒力を実現した。
代わりに、結構なMPを持っていかれてしまったけれど、人命にはかえられないというやつだ。
みるみる回復していく彼の姿を目の当たりにして、他の三人はおおと感嘆の声を漏らした。
そしてそんな三人も、回復薬で大きな怪我は大分マシになったようで。しかし流石に私程度が携帯している安物では、回復量もお察しのとおりなのだけれど、無いよりは良いとでも思ってもらえたなら有り難い。
ともあれこれで彼らは大丈夫だろう。
「とりあえず、応急処置くらいにはなったと思います。後は早く街に戻って、しっかり休養をとってくださいね」
「ああ、あんたには何と礼を言っていいか……」
「あ、でもその前に。下級鬼が三体ほど近づいてきてるみたいです」
「「「なっ!?」」」
一難去ってまた一難。
治癒を施している最中に、モンスターの接近を許してしまった。
これは、もう一仕事しなくちゃならないかな。