第六〇五話 一体何者なんだ
オルカたちに呼び出され、彼女らをイクシス邸へと転送してから三日。
時刻は午前九時過ぎ。
まだまだ朝特有の清々しさが感じられる、澄んだ空気の時間帯である。
既に春と言うにはそぐわぬ、生き生きとした草の青が視界いっぱいに広がる季節。
前世で言えば、梅雨頃だろうか。幸いと言うべきか、ここには然程鬱陶しい雨の気配も無いけれど。
そんな私たちが今居るのは、とある草原の只中であり。
遠くへ視線を投げてみれば、そこには既に真っ白な街壁がでんと聳え立っている。
そう、アレこそ私たちが目的地と定めて歩んで来た、グランリィスの街。
即ち、一人旅と銘打って始めたこの活動の終着点である。
延々と道なき道を駆け抜け、同時に鍛錬を夢中で続けた結果、私たちはとうとうここまでやって来たのだ。
思えばグランリィスに近づくにつれて、旅の終わりを惜しむように寄り道をするようなこともあったけれど。
しかしそれも、ここまでだろう。
「あそこに着いたら、この旅もお終いかぁ……」
「グラァ……」
モチャコがゼノワの背で、寂しそうにつぶやく。ゼノワも釣られて元気がない。
勿論、私だって気持ちは同じだ。
待望のグランリィス。仲間たちだって待っているだろう。それを思えば、駆け出したい気持ちもある。
けれど、この旅が終わってしまうのを拒む気持ちもあり。後ろ髪を引かれる思い、とは正にこのことだろうか。
それでも、ここでいつまでも足を止めておくわけにも行かない。
「モチャコ、今日はおもちゃ屋さんでお疲れ様会するんだから、そんな顔しないで!」
努めて明るくそのように声をかければ、ハッとしたように表情を切り替えるモチャコ。
彼女が一緒に行動するようになってから、日数にして一ヶ月近くにもなる。
普段はおもちゃ屋さんでおもちゃをこしらえたり、店番をしたりしている彼女にとって、今回の旅程は非常に稀有な経験だったと言えるだろう。
その締めとして、盛大にお疲れ様会を開こうじゃないか、ということで、おもちゃ屋さんは今朝からその準備で大忙しだった。
ちなみに私は私で、イクシス邸で宴が開かれるっぽいし。コミコトを通じてそうした情報はキャッチしている。
ってことはつまり、ダブルブッキングというやつだ。
まぁでも、コミコトがあるから大丈夫。おもちゃ屋さんの方のパーティーにはコミコトで参加することにしよう。
それに、そうでなくとも……。
「ほらミコト! はやく行くよ! お疲れサマーパーティーがアタシを待ってるんだから!」
「ガウガウ!」
「え、ああはいはい」
現金なもので、さっきまでの寂しげな空気は何だったのか、私を置き去りにさっさと出発するモチャコとゼノワ。
とは言え、さすがにモチャコもそんな単純思考じゃない。その胸中には楽しみと寂しさが綯い交ぜになっていることだろう。
それでも明るく振る舞おうというのだ。
ならば私も、それに乗っかる他ない。
残り僅かな道程を、一歩一歩踏みしめるようにしっかりと歩む私たち。
まぁ、モチャコはゼノワの背中だし、ゼノワは宙に浮かんでいるわけだけれど。
しかしその小さな羽ばたきは、こころなしかいつもより力強く見えた。
彼女もまた、旅の節目に思うところがあるのだろう。何せずっと私と一緒に居るものね。
皆にとって等しく、この道程がいつもより尚価値あるものに思えているのだ。
それは喩えるなら、最後の通学路。
あ、なんか切なくなってきたな……。
なんて、心の裏側でこっそり感傷に浸っていると。
不意に、私とゼノワの目に映る、ちっちゃな人影が二つ。ゼノワはともかく、私は遠視スキルがあればこそ可能な芸当だけれど。
それらの人影は凄まじい勢いで、グランリィスの方から真っ直ぐこちらへ駆けてきているように見えた。
一瞬、すわ鏡花水月のメンバーかと、胸がトゥンクしたものの。
しかしよくよく気配を探ってみれば、確かに覚えはあれど、オルカたちとは異なるようで。
何にせよこちらに向かってくるというのなら、ゼノワをそのままにはしておけない。
今の彼女は鍛錬の一環で、絡繰霊起を使っている状態。即ち、身体を持っている状態なのだ。
皆へお披露目するのには、せっかくだから良きタイミングを選びたいものである。
ってことで。
「ゼノワ」
「グラ」
「え、なになに?」
絡繰霊起を解除し、媒体から抜け出すゼノワ。
媒体はマジックバッグへしまい、迫ってくる彼女らへの接触準備を整えた。
一人状況を理解できていないモチャコには、手短に人影がこちらへ迫ってきていることを伝えた。
相手が子供でなければ、モチャコは視認することも触れることも、言葉を交わすことだって出来やしないのだから仕方ない。
そうして、暫しのんびり歩きながら彼女らの到着を待っていると。
時間にして二〇分ほどだろうか。
想像していたよりもずっと早く、二人は私たちの目前へと至ったのである。
一応コミコトを通して彼女たちの頑張りも、その成長度合いもずっと眺めてきたのだけれど。
にもかかわらず、どうやら二人は私の想像を越えて力を付けているらしい。
ここまで駆けてきた彼女たちのそのスピードが、ステータスの大きな上昇を物語っていた。
ただまぁ、約一名……スイレンさんは膝に手をついてゼェゼェ言ってるけど。
その隣に立つレッカは、息一つ切らしていない。大したものである。いや、流石と言うべきだろうか。
そんな彼女らへ向けて、さて何と声をかけようかと私が迷っていると。
しかし先にアクションを起こしたのはレッカであり。
何を思ったのか彼女はその場で仁王立ちし、腕を組んでこちらを睥睨してきたのである。
俗に言うガ◯ナ立ちってやつだ。普通の人がやってもさして迫力の無いそのポーズだけど、レッカのそれはなかなかどうして様になっており。
思わず「おぉ……」と小さな感嘆が漏れてしまった。
まぁ、その隣で未だ肩で息をしながら、遅れて同じポーズを取るスイレンさんは、すごい弱そうだけども。
っていうか……。
「え、っと……何で二人とも、仮面なんて被ってるわけ? 特にスイレンさんなんて、呼吸困難でフラフラしてるじゃん」
「ガゥ……」
分かる。分かるよ。息切れしてる時の仮面って、物によっては殺人的だものね。
完全装着持ちの私だって、たまに呼吸のしにくい仮面っていうのがあって、軽く殺意を覚えることあるもん。
「待てぇぃ!」
「!」
「空気を読めぇぃ!」
「!!」
レッカが吠えた。
思わずたじろぐ。
空気を読む……それはつまり、わざわざ仮面をつけ、顔を隠して現れた相手の名前をいきなり呼ぶのはマナー違反、ってコト!?
だとするとここは、茶番に乗っかるのが正解か。
私は一つコホンと咳払いをすると、努めて表情をキリッとさせ、問いかけた。
「な、なんだおまえたちはー!」
ベシンと、私の棒読みにゼノワがツッコミを入れる。が、別にわざと棒読みなわけじゃない。演技が出来ないだけなんだ……。
モチャコに至っては、更に状況がわからず戸惑うばかり。
ゼノワが実況さながらに、ガウガウと状況の変化を説明してあげており、そのせいで一層深く首を傾げる。
私も首を傾げたいところだ。
すると、こちらの混乱もお構いなしに、レッカは私の放った問い掛けへ高らかに返答をよこすのだ。
「ふ、よくぞ訊いてくれたね……」
そのように不敵な笑みを仮面の向こうに匂わせながら、未だ呼吸の整わぬスイレンさんと目配せ。
小声で「大丈夫? 行ける?」「ゼェ、ハァ……な、なんとか」「よし、それなら行くよ、せーのっ」などとやり取りをし。
そこから、シュババッとなにやらかっこいいポーズを決め、そして。
「「我ら不屈の戦士! 仮面ボウケンシャー!!」」
ズドォォォォン!
と、背後で魔法……いや、属性アーツスキルによる派手な爆発の演出付き。レッカによる仕込みだろう。
爆発を背負って名乗りとか、くそっ! カッコイイな!! 私も今度やる!!
……じゃなくて。えっと……うん。
危ない。名前がすごい危ないから!
「ぉ……ぉぉ……」
仮面をした冒険者だから、仮面冒険者。で、仮面ボウケンシャー。何もおかしなことはない。うん、安直安直。
でもこれ、どうリアクションしたら良いんですか。
私には手に負えないんですけど!
レッカたちとの再会の一幕は、斯くして得も言われぬ困惑から始まったのだった。




