第六〇話 試験開始
清々しい朝だ。早朝の空気は相変わらず清らかで、大きく吸い込むと頭も心も引き締まる気がする。
茜色もすっかり抜けた青い空の下、私達は冒険者ギルドへ向けて歩いていた。
修行を始めてから早いもので、もう半月近くが経つ。未だ鬼のダンジョンが攻略されたという情報はなく、内心焦りを感じながら私は課題をひたすらこなし続けた。
その成果は日に日に現れているように思う。以前は気にも留めなかったことが、大切な状況判断の目安だと知った。
スキルを用いずに、知恵や工夫で窮地を乗り越えることも学んだ。
あらゆる困難を想定した訓練を繰り返し、本当に多くのことを考える機会を貰った。
今日、満を持して試験を受ける。それでなにか特別な資格を貰えるわけではないけれど、鬼のダンジョンの奥へ踏み込むことを認めてもらうための、とても大事な試験だ。
これに受かることが出来たなら、私はようやく自身の実力を認めることが出来る。自信を持つことが許される。
今の私にとってそれは、とても重要なことなんだ。試験を突破することが、即ち不甲斐ない自分を乗り越えるための、大切な一歩となる気がするから。
私は必ず受かってみせるという強い意志を携えて、仲間であり、同時に今回は試験官を務めるオルカとココロちゃんを引き連れ、冒険者ギルドへ向かった。
混み合う朝のギルドは、相変わらず得意でこそないけれど、流石に毛嫌いすることはやめた。代わりに話しかけるなオーラを全身から出しつつ、ソフィアさんの担当しているカウンターの列に並んだ。
今身に着けている仮面は、いつもの狐っぽい面ではない。見るからにヤバい雰囲気を放つ髑髏面である。
この仮面で得られる、霊感という特殊能力は、どうやら他者の保有するMPの大きさなんかも感覚的に把握できるらしく。密かにバトル漫画のようなことを考えながら楽しんでいたりする。
例えば目の前で並んでいる冒険者のMPはちっぽけで、ろくに魔法もアーツスキルも放てないだろう。しかし、その更に前にいる魔法使いっぽいやつはなかなかで、相応の実力を感じさせる。
そんな擬似的実力鑑定でこっそり楽しんでいると、いつの間にか私達の番が回ってきた。
しかし今日は別に、依頼を受けに来たわけではない。今日から試験に臨むということを伝えに来ただけなのだ。
私達三人の姿を認めたソフィアさんは、すぐにそれを察したような表情で迎えてくれた。私も大分、この人のか弱い表情筋の動きを見分けられるようになってきたものだ。
「ミコトさん、いよいよ試験に挑まれるんですね」
「はい。必ず合格してみせます」
「条件は以前話し合いました通り、一般人に扮したオルカさんとココロさんを護衛しつつ、鬼のダンジョン五階層へ到達すること。スキルの使用制限もお忘れなく」
「はい。ちゃんと分かっていますし、ズルなんてしませんよ」
「そうですか……それでは、出発される前に最新情報を一つ」
「! はい」
「どうやら、件のダンジョンにAランク冒険者が入ったそうです。焦りは禁物ですが、最奥を目指されるのであれば急いだほうがよろしいでしょうね」
「っ……わかりました。それじゃ、行ってきます」
「ご武運を」
最後にソフィアさんは、オルカとココロちゃんに目配せをし、二人はそれに頷きで返事をした。
そうして私達は早速ギルドを出て、街の北門を目指す。
今回、マップウィンドウのスキルに加え、アイテムストレージにも制限を受けている。
ストレージには、収納することこそ自由であるけれど、試験が終わるまで取り出しはNGという決まりがある。
したがって今回、冒険に用いる道具類は全てリュックに詰め込み、背中に担いでいる。
事前の、荷物を厳選する作業についてはかなり悩んだものだ。しかし修行期間中、あらゆる状況を想定したシミュレーション訓練を行う内に、必要なものと不要なものの見分けというのが自然に出来るようになった。
とは言え、備えあれば憂いなし。出来れば何でもかんでも持っていきたいところを、選びに選んでリュックひとつにまとめたのである。
また、同行者であるオルカとココロちゃんはそれぞれ非力な一般人を演じるため、各々が独自にそれらしい荷物を選び、持っていくとのこと。その中身は秘密であり、あまり期待するわけには行かないため、彼女らが何か困ったことをやらかした場合の予備、というのも視野に入れておかなくてはならない。
そう思うと、試験前から頭を抱えたものである。
そんな風に二人の抱える小さな荷物を訝しんでいると、いつの間にか街門が見えてきた。街から出たなら、そこからが試験のスタートだ。
流石に門番さんたちの前で試験がどうの、役がこうのと話すのは憚られたので、一度何食わぬ顔で門を抜ける。それから話し声が聞こえぬほど離れた後、私達は顔を突き合わせ、最終打ち合わせを行った。
「それじゃミコト、ここからが試験の始まり。たった今から私は、か弱いどこかの御令嬢。好奇心は旺盛ですけれどスプーンより重たいものは持ったことがありませんわ」
「いきなり棒読みだねオルカ」
「私はやんちゃな子供ですよミコト様。オルカ様の妹役で、目を離すと何をしでかすかわかりませんからな!」
「その口調、役が掴みきれてないよねココロちゃん」
二人とも言葉遣いはあれだけど、その行動シミュレートだけはしっかりしているので、油断は大敵だ。
修行中も物凄く苦労させられたので、それは身にしみて理解している。
そんな二人が今回は、気合を入れて厄介な依頼人を演じるというのだから、私も相応に気を引き締めなくてはならない。
「それでは行きますわよミコトさん。わたくしについていらして」
「ココロが一番じゃぞい! うほほい!」
「ああ、早くも気が滅入ってきそうだ……」
主導権を握りたがる令嬢オルカと、ズダダダと無駄に元気よく駆け回るキッズココロちゃん。間違いなく過去最凶に扱いづらいロール(なりきり)だ。
この状態の二人とダンジョンに、数日間潜るとなると……いや、私だってたくさん勉強したし、訓練もしてきたんだ。このくらいきっと乗り越えてみせる!
私は自信満々に明後日の方向へ行こうとするオルカと、目を離すと奇行に走るココロちゃんをどうにか導いて、ダンジョン入り口へ午前中いっぱいを掛けて到着した。メチャクチャ大変だ。
この二人、無理に行動を矯正しようとするとプンスコ怒り始めるため、取り扱いには注意が必要なのだ。演技自体は下手くそなのに、行動がまさにそれっぽいというのが如何ともし難い。
曰く、過去に出会った腹の立つ人物をより厄介にして演じているとのこと。そんなおすそ分けは要らない……いや、正直良い経験にはなってるから、要らなくはないが。でも、うーん。
「さぁミコトさん、入りますわよ! わたくしに傷一つでもつけてご覧なさい。即刻打首なのですわ!」
「モンスターはココロがぶっ倒してやるーだぞー!」
「ああはいはい、危ないので私から離れないでくださいねー」
休憩をとって元気になった途端、スッと立ち上がって再起動。さっきまでバテていたのに、一体どういう体力配分をしているのやら……勿論、こういう人もいるんだぞというオルカとココロちゃんによる再現なのだが、分かっていても頭が痛くなる。
私は二人に急かされ、一定以上距離を離されぬよう努めて追従した。
護衛対象に先を歩かせる、というのは勿論危険なのだけれど、しかし彼女らが大人しく私の後ろをついてくるとはとても思えない。それは寧ろ、より悪い事態を招くことだろう。
振り返ったらいつの間にか、二人とも姿を消していた……なんて未来が容易く想像できてしまう。
なので、敢えて私が二人の背を追う形にした。それに際し、何があってもすぐに駆けつけ対処できるよう、AGIに高い補正のある装備でまとめてある。
そう、装備面でもこの日のために、色々準備してきたのだ。
換装を用いることで、大抵の状況には対応できるようにしてある。ココロちゃんがドタドタと無駄にうろついていても、幾らかの余裕を持って眺めていられるのは、何が起きても対応できる自信があるからである。
勿論、叶うことならおとなしくしていて欲しいのだけれど。
一般人である二人の移動速度は、決して速いものではない。そして無駄も多い。どうしてそこで立ち止まる!? というタイミングで足を止め、変なものに興味を示してみせたりする。かと思えば、明後日の方向に走り始めたり。
それにスタミナもないため、度々途中で休憩を挟んだりもする。そのせいで、普段とは比べ物にならぬほど移動に時間と手間がかかっており、私は二人がうっかり罠に引っかかったりしないかと気が気ではないわけで。
しかし当人たちはそんなことお構いなしのマイペース。尋常ではない気苦労が私の胃をキリキリさせる。というかもう、何なら一周回って愉快ですらある。ナンジャコイツラ! って。
まぁ、それで二人が危険に巻き込まれると、護衛である私の責任になってしまうので、笑ってる場合じゃないんだけど。
「おかしいですわね。このダンジョン、モンスターはいないのかしら?」
「ちっとも出会わないじょー! おかしいんだー!」
「おかしいねー、なんでだろうねー」
それはねー、私がこっそりモンスターのいないルートに先導しているからだよ。
修行期間、どれだけこの階層をウロウロしたと思っているんだ。それに今や、気配探知もお手の物だ。モンスターや他の冒険者を避けて、最短ルートを適宜導き出すことくらいなんてことはない。
なんて、口に出すと要らぬトラブルを招きかねないので、黙ってますけどね。口は災いの元、というやつである。
オルカもココロちゃんも、おかしいですわねーおかしいじょーと、首を傾げながら歩き続けた。
そして、あれよあれよと第一階層が終わった。
二人共ポカーンと、下り階段を見下ろしている。そして。
「どうしてモンスターに出遭いませんの! こんなの冒険じゃありませんわ!」
「ココロがモンスターボコすはずなのにー!」
おこである。
まぁ、そうなるとは思っていた。ここからは一層厄介度が増すのだろうけれど、かと言ってほいほいモンスターのいる場所へ向かうわけにも行かない。
私はとりあえずすっとぼけて、今日は運が悪いのかなー? 下の階層に行けばきっと会えますよーだなんて言葉で、どうにか二人を宥め賺した。
すると、それならさっさと行きますわよと、二人してズカズカ階段を降りていく。私も距離を離されぬよう、それに続いた。
第二階層もバッチリマニュアルマッピングで構造を隅々まで把握済みだ。今更迷うようなこともなく、私は二人をそれとなくモンスターのいないルートへ誘導しながら進んでいたのだけれど。
とうとう業を煮やしたオルカがプンスコしながら言うのだ。
「さてはあなた、わざとモンスターを避けて進んでいますわね! わたくしはモンスターとしのぎを削る冒険者の姿が見たいんですの! あなたも冒険者の端くれならば、コソコソ逃げ回らずに力で敵を退けてはどうですの!」
「なにー! おねーちゃんが引っ張るから仕方なくついてきたら、モンスターを避けてたのかー! ココロはモンスターをボコすんだー!」
「やだなぁ、私にそんな器用な真似ができると思いますか? Dランクのヘッポコ冒険者ですよ?」
「ぬ。言われてみると、確かにそうですの。というか、私の護衛を務めるのがDランクのヘッポコだなんて、今更身の危険を感じますの! チェンジを要求しますの!」
「そうだぞ! ヤクタタズは帰れー!」
「ああ困りますお客様、ああ、困ります。ああ、同意の上で私を雇ったのですから、今更チェンジと言われましても困りますー」
なんて煩わしい茶番なんだ……でも、依頼者をうまく宥めたり言いくるめたりするのも、実は大事なことなのだと私は学んだのだ。今更躓いたりはしないさ。
やいのやいのいいながらも、着実に探索は進んでいった。
が、ついに我慢の限界に達した二人は、分かれ道に差し掛かった瞬間頷き合うと、夫々全くの別方向へ別れて走り出したではないか。
さて、選択の時間だ。どちらを追いかけるべきか、と。
以前の私なら、オロオロして判断が遅れただろう。その間に取り返しのつかないことになっていたやも知れない。
だが、今は違う。それぞれのルートがどこにどう繋がっているのかも把握しているし、敵や冒険者の気配も概ね把握できている。
先に追うべきは、エンカウントが近いココロちゃん。
私はAGI由来のスピードを存分に活かし、まずココロちゃんを確保した。小脇に彼女を抱え、すぐさまオルカに追いついてみせる。ものの数秒でのことだった。
二人はぐぬぬーと恨めしげにこちらを見るが、私はのらりくらりと宥め賺すばかり。
しかしそろそろ、何かしらの形で彼女らの要望に応えねば、暴走を招きかねない。
私は気配を探り、ヒトツメが単独で徘徊していることを察知した。これを倒して進むことにする。
少し歩けば思った通り、ヒトツメの姿を捉えることが出来た。そして案の定、オルカは大興奮。
「いましたわ! モンスターですわ! さぁ奴を倒してみせるのですわ!」
「まかせろー! ココロの力を思い知れー! あちょー!」
大声ではしゃぐオルカと、即座に正面から突っ込んでいくわんぱくココロちゃん。
勿論、このまま見過ごせば大惨事だ。ヒトツメの身長はココロちゃんより一回りほど大きい程度だが、その身体能力は大人の冒険者にも引けを取らない。子供が殴りかかっても、ワンパンでのされることだろう。それどころか殺されてしまう。
しかも、オルカが大声ではしゃぐものだから、こちらの存在がバレた状態での突撃。現にヒトツメはココロちゃんを迎え撃つ気満々だ。
私は換装でスリングショットを構え、ヒトツメが振りかぶった拳が放たれる前に、その肩へ小石を叩き込んだ。
結果、拳を振るうことが出来なかったヒトツメは、仰け反るどころか痛みに悶えた。それはそうだ、撃ち込んだ小石はその肩を貫通しているのだから。
そこへタイミングよく、ココロちゃんのドロップキックが叩き込まれる。
しかし困ったことに、こればっかりは演技ではどうにもならなかったのか、その一撃を受けたヒトツメはえげつない勢いで壁に叩きつけられ、あっと言う間に塵に変わってしまったのである。
これには思わず、場の空気が固まってしまった。が、慌てて演技を取り繕うココロちゃん。
「あちょー! ど、どんなもんだー!」
「す、すごいですわ! これでこそ冒険ですわー!」
ああ、ただでさえ棒読みが酷いのに、この白々しい空気よ。
とりあえず私は、ヒトツメのドロップした魔石を拾い上げると、ココロちゃんに渡した。
「はいこれ。ココロちゃんが倒したモンスターのドロップアイテムだよ。戦利品だよー」
「やった! やった! ココロつよーい!」
小躍りして魔石を受け取るココロちゃん。うん、無邪気で可愛い。演技と分かっていてもほっこりするなぁ。
更に彼女へ、私はもう一つのドロップ品も渡す。
「それからこれも。ヒトツメの眼球だね」
「ひっ、な、何だ気持ち悪いなぁ! いらないよぉ!」
「ダメだよ。モンスターを倒したのなら、戦利品を持ち帰らないとね。それは勝者の義務というものだよ?」
「で、でも、気持ち悪いよ! そうだ、おねーちゃんにあげるじょ!」
「いらないよ。私のリュックパンパンなんだもん」
「じゃ、じゃぁオルカおねーちゃん」
「ひぇっ、じょ、冗談じゃありませんわ! そんなばっちいもの触りたくもありません!」
と、いうようなことがあり、それ以降二人がモンスターを求めることはなくなった。そんなに眼球が嫌だったのか。
ちなみに嫌がられた眼球は、無理やりココロちゃんに持たせた。テンションだだ下がりである。
それから程なくして今日の探索は打ち止めとし、寝床を確保すべく、比較的安全で人目につかない脇道へ入り、そこで野営をすることにした。
今のところ順調だが、先はまだ長い。果たしてこの先どんなトラブルが待ち受けているのやら……。




