第五七話 縛りプレイ
洞窟というのは元来、暗いものだ。光を持ち込めば当然、濃い影が生じて荒い岩肌を際立たせる。そんなどこか神秘的で、どこか不気味な洞窟も、ダンジョンとあらばそのようなことはなく。
どこが光源ともわからない光が常時灯っており、影の色もまるで薄い。洞窟というよりトンネル、だなんて印象を覚えるのはそのせいかも知れないな。
そんな違和感たっぷりの洞窟を、私は氷の塊を抱えながら歩いていた。
勿論直接腕で抱えているわけではない。適当な布にくるんで、それごと引っさげているわけだが。それと、氷は魔法で作ったものだ。
何のためにそんなことをしているのかと言えば、勿論修行なわけで。
「あ、あぁ、溶けてきたぁ」
「ミコト、頑張って」
「注意が散漫になっていませんか? マップばかり見ていないで、罠も警戒しないといけませんよ」
「り、了解っす」
ココロちゃんが厳しい。ちっちゃいのに鬼コーチだ。だが、そのギャップがまた……いかんいかん。それどころじゃない。
現在行っているのは、運搬依頼を想定したシミュレーション訓練であり、このダンジョンで行う修行とはそうした、あらゆる状況を擬似的に再現した上で課題に挑むという形式で行われる。
修行内容に関しては、事前に皆で案を出し合って考えた。私もそこには参加していて、何が訓練になるだろう? とあれこれ考えることもまた、トラブルに対する事前の警戒心を養う助けになるのだ、と教わった。
課題が出されるまで秘密、だなんてことはなく、そのため事前に心の準備は出来ていたのだが、実際現場に立ってみるとやはり思った通りに行かないこともあり。
「う、このルートが最短なのに冒険者とモンスターが戦闘してるな……迂回するか」
「マップのスキルでそんなことまで分かるの?」
「マーカーの動きなんかで、大まかな推測は立つからね」
「目的地へのルートもそれで丸見えとは、あまりに便利過ぎるスキルですね……ふむ」
ココロちゃんがなんだか、怖い顔で考え事を始めた。さらなる難題を予感しつつ、私は既にマップに捉えている第二階層への階段を目指してどう移動するべきかと思案するのだった。
★
一時間くらい経過しただろうか。私達は何とか目的地と定めた、第二階層への階段にたどり着くことが出来た。
しかし抱えていた布を開いてみれば、随分と氷塊の大きさも小さくなってしまっている。果たしてこれは運搬成功と言えるのかどうか。
ちらりとココロコーチの顔色をうかがってみると、むむむと少し難しい顔をしていたが、ふぅと一つ息をついて「まぁいいでしょう」との評価をもらった。
想像してたより厳しいかも……いや、私の気が緩んでいる証拠だな。しっかりしないと。
「それではミコト様。続いての課題ですが」
「ココロには何か考えがあるの?」
「ええ、オルカ様。今度は先程より大きな氷を抱え、出口まで移動してもらおうと思います」
「ふむふむ。それくらいならなんとか……」
「ただし。マップの使用は禁止です!」
「ええっ!?」
唐突に縛りプレイを要求されてしまった。
常々便利だなぁ便利だなぁって思ってたマップウィンドウが、使用禁止……?
それで、氷が溶ける前にこのダンジョンから脱出しなさいと。
いや、運搬依頼の体を取っているのだから、欠片ほどの氷塊を持ち運んでも意味がないのか。つまり出来得る限り素早く、安全に脱出しなくてはならないということだ……。
「えっと……マジですか?」
「マジです」
「ミコト、今こそ普通の冒険者の苦労を知る時」
「いえ、普通の冒険者はストレージもなければ完全装着もない、もっともっと苦労して冒険に挑んでいるのです。ミコト様はその優れたお力の偉大さを、もっと自覚するべきかと」
「ソ、ソッスネ……」
言われてみれば、まったくもってその通りなのだが。
確かに冒険にはトラブルがつきもの。万が一私の持つスキルの尽くが使用不能になったとしたら、私は冗談抜きに生きていけない。即詰みである。
ジョブの特性なのかは知らないけれど、私のステータスはやたら低い。それを完全装着というスキルの力で補って、ようやく冒険者を名乗れるだけのステータスを得られていると言うのに。スキル使用不能とか、悪夢以外の何物でもないだろう。
それでも、今回封じられたのはマップウィンドウだけなので、まだマシだったと言える。
これを機に、きちんと不便さというものをしっかり学ぶべきなのだろうね。皆が普段何に気をつけ、何に怯え、何を危惧し、そして何を頼りに目的地を目指しているのか、どうやって敵の存在を感じ取っているのか等々。それらを学ぶ絶好の機会だ。
少しの休憩を挟んだ後、早速私は先程より随分大きな氷塊を作った。大きさに制限はないらしいので、とにかく出口まで溶けないようになるべく大きなものを目指したのだ。
するとオルカが、心配そうに声をかけてくる。
「ミコト、大丈夫? そんなに大きな氷塊、出口まで抱えていけるの?」
「もしも氷塊が溶けるのではなく、途中で破損した場合はそこで失敗と看做しますのであしからず」
「ぐぬぬぅ、これも一つの選択ってことか。安全に持ち運べる量や重さ、大きさを見極め、実際無事に運搬すると」
何せマップを確認できないというのが、どれ程の苦労を招くのか。それが詳らかでないというのがキツい。
しかも道中、モンスターとのエンカウントもあるし、冒険者との遭遇もできるだけ避けたい。まぁ、この際冒険者は出遭っても目を合わせなければ絡まれたりもしないと信じるほか無い。これまでは、要らぬリスクを背負わぬために避けていただけだから。
でもモンスターは容赦なく襲ってくるからなぁ。
「ちなみに、モンスターとのエンカウントの際、氷を一旦地面に置いたりっていうのは……?」
「そうですね……今回はセーフとしましょう」
「『今回は』ってことは、それすら禁止のパターンも有るってことじゃないか……なかなかハードっすね」
「それもこれも、ミコトを育てたい一心でのことだから」
「ですです」
出たな! 愛ゆえにって言っておけば大体許されるやつ!
でも、実際私の修行にはなるのだから文句も言えない。
結局私は、バランスボールと見紛うほどの大きさの氷を布で覆って背中に担いだ。かなりの重量だが、ステータスのおかげで運搬には問題ない。だが、あまり派手に動くと布が破れそうで恐い。氷を落としてはきっと破れてしまうだろうから、しっかり注意して運ばなければならないだろう。
「よし、それじゃぁ出発しよう。ちなみに二人とも戦闘には参加してくれるんだよね?」
「はい。ですが、基本的にはサポート程度です。ミコト様が具体的な指示を出してくださるなら、都度それに従いますよ」
「司令塔としての能力を鍛える訓練にもなるね」
「むぅ……が、がんばる」
そうして、久方ぶりにマップを見ぬ移動が始まったのだった。
この世界に来た当初は、マップウィンドウなんて覚えていなかったからね。その頃に戻ったのだと思えば……なんて、ちょっと楽観していたことは否めない。
が、どうやらそれは考えが甘かったようで。
あっと言う間に私は、方向感覚すら曖昧になっていった。似たような通路を幾つか見ている内に、ふと思ってしまったのだ。『あれ、私どっちから来たっけ?』と。
たったそれだけの出来事で、一気に混乱した。自身の信じていた道筋というものが途端に疑わしくなり、急に不安が胸に去来する。
不意になにかの気配がした気がして、バッと通路の先を凝視するも、特に人影があるわけでもなければ、モンスターもいない。気のせいだ。
かと思えば、オルカが言うのだ。
「ミコト、モンスターが接近してる。ウィスプ二体に、ヒトツメが一体」
「どど、どっちから!?」
「左の通路。距離は少しあるけど」
「あ、あばばばばば」
「ミコト様、落ち着いてください」
道もわからず、エンカウントに対しても避けるべきか挑むべきかの判断も付かない。だって迂回すれば、さらに道を外れることになるのだから。でも、もともと道なんてとっくに見失っているのだから別にいいか、と思わなくもない。だけれど、それは自暴自棄ってものじゃないかという自分ツッコミも発生しており、小パニックである。
ちなみにヒトツメというのは、小さなサイクロプスと呼ばれていたモンスターで、私の目には妖怪の一つ目小僧に見えたため、二人にそう語ったところ、略してヒトツメと呼称するようになった。
「と、とりあえず戦闘は一旦避けよう。今はもうちょっと冷静にならないと、碌なことにならないと思う」
「了解」
「では、反対側のルートですか?」
「だね」
そんなわけで、オルカの探知のおかげでエンカウントを避けつつ、私は思いつく限りの手でダンジョン脱出を図ることにした。
分岐点があるたびに目印を置いたり、左手の法則を試してみたり。なんて、思いつく方法などこれくらいなんだけどね。
でもその甲斐あってか、時間こそかかったけれどどうにかダンジョン出口まで辿り着くことは出来た。
外はすっかり夕暮れで、街に戻る頃にはきっと夜になっていることだろう。なんだかどっと疲れてしまった。
そして気になる氷はというと、布をそっと開いてみたところ、ちまっとした欠片が辛うじて残っている程度。
背中に背負っていたせいでビチャビチャになった布は、私の服をしこたま濡らしており、結果長時間に渡り実質氷水で体を冷やされ続けたため、とにかく寒いったら無い。風邪を引きそうだが、それくらいだったら魔法やアルアノイレの再生力などなど、回復の手段は幾つもあるから、一応そこは大丈夫だ。
それより、この不甲斐ない結果が精神的にしんどいわけで。
「ミコト様。流石にこれは、失敗です……」
「ですよね……うぅ」
「ドンマイだよミコト。失敗は成功のもと」
「そう、だね。確かに改めてマップウィンドウがどれだけ便利かを思い知ったし、数え切れないほどの気づきも得られた。すごく勉強になったよ」
私にはマップがあった。だからこれまでは、それと知らず油断していたのだと気付かされた。
注意するべきことを全て見逃し、マップさえ見てればなんとかなるのだし、平気平気~と、すっとぼけたことを考えていたのだ。
もし、マップに映らぬ脅威に相対した場合、自身が如何に無力かも分からぬまま。
それはとても危険なことであり、こういう機会がなければ最悪落命に至っていたかも知れない。
それを思えば、ココロちゃんの厳しい指導には頭が上がらないというものだ。
彼女は彼女で問題を抱えているって言うのに、こんなにも私のことを思って熱心に課題を考え、課してくれる。
勿論オルカだって、沢山協力してくれたし、へこたれそうな時は励ましてもくれた。
私ってば、いい仲間に巡り会えたなぁ。幸せだ……。
「さぁミコト様、今日の修行はここまでですよ。急いで街へ戻りましょう」
「早くしないと、ギルドが閉まっちゃう」
「おっと、それは拙い。急ごう!」
こうして私の修行一日目は、多くの学びとともに終了した。
自身の未熟さというものを改めて深く思い知り、スキルだけに頼る生き方がどれほど危険かに気づいた。
明日からも、もっと頑張らねばならないなと、そう強く思ったのだ。
しかしそれと同時に、気がかりもあった。それは修行を始めるよりも前から思っていたことなのだが。
このダンジョンで下級鬼と遭遇し、ようやくココロちゃんの抱える問題への糸口が掴めそうな気がしたんだ。
叶うことなら、もっと深部へ向かいたい。ココロちゃんと一緒に手がかりを探したい。
だけれどそれは危険で、オルカもソフィアさんも、そしてココロちゃんも認めてはくれない。
ならば一体どうしたら彼女たちは、私とともにダンジョンの深部へ降りてくれるんだろうか?
私は、何をすれば彼女たちに認めてもらえるんだろうか。
そんなことを、悶々と考えながらその日は眠りについた。