第五五話 ファーストコンタクト
時刻は午前九時くらい。空模様は薄曇り。
ギルドの混み具合が解消するには、もう少し時間がかかるだろうか。
私達はロビーの隅っこでぼんやりと、人が捌けるのを待っていた。いい加減この人混み嫌いも克服するべきかも知れない。何せ毎度これのせいで出遅れてる感はあるからな。
とは言え誰かに絡まれるくらいなら、ちょっと出遅れるくらいなんてこと無い、と思ってしまうのだよ。妙な諦念が染み付いてしまったものだ。
今日はいよいよ、鬼が出ると話題のダンジョンへ赴く予定であり、朝から少し気持ちが昂ぶってしまったらしい。
鬼と言えば、モンスターの名だ。しかし同時に、ココロちゃんのもつユニークジョブの名にも冠されている。
鬼のダンジョンに潜れば、その因果関係のなんたるかを調べることが出来るのではないかと、正直期待してしまう。
とは言え、主たる目的は浅い階層での修行となっているわけだが。
しかしそれでも、当のココロちゃん自身もまたどこか落ち着かない様子である。
彼女個人としては、当然過去に鬼と戦ったこともあるとの話だけれど、その際は特に大きな発見はなかったと言う。
ただ、鬼の反応がなにか妙だったとは語っていた。その点についても、今回確かめることが出来るだろうか。
「それにしても、この時間は勿体ない。次からは資料室での勉強に当てたほうが良いかも」
「た、確かに。隙間時間を有効に使える者が、上に行ける者だってことだね……!」
「それなら今度からは、もっと早起きして朝勉ですねミコト様!」
暇を持て余した挙げ句、新たなルーチンワークが生まれてしまったようだ。
なんて話をしていると、ようやくカウンターも空き始めたので、私達はソフィアさんが担当する受付へ歩み寄った。
そして早速、件のダンジョンへ挑むことを告げると、まぁ当然のようにぐっと眉根にシワを寄せ、言うのである。
「ダメです」
バッサリだ。だが、こちらとて何も無茶無謀が恋しくて臨むわけではない。理由あってのことだ。
と、説明したのだけれど、なかなか納得してくれない。が、一応想定の範囲内である。
仕方なく私は、ちょっと込み入った話がしたいので、奥で話しませんかと珍しくこちらから提案を述べ、過去数度に渡りお世話になった個室へソフィアさん共々移動することに。
そうして私は、彼女に語ったのである。この前のダンジョンで得た、スキルの変化について。
アイテムストレージや換装のレベルアップに、新しい魔法やMPの過剰供給が可能になったことなど、一通り説明すると、ソフィアさんはしばらくポカーンとした後、案の定怒涛の質問攻めを繰り出してきた。
私は言わ猿を決め込み、件のダンジョンへ挑むことを認めてくれるのなら、質問に答えてあげなくもないと交換条件を提示した。
その後しばらく攻防を行った後、結局浅い層での修行ということであれば、とオルカやココロちゃんと同じような結論を出し、この人も立派な過保護組なんだなと確信を得た。
そうして認めてもらった代償に、お昼までたっぷり質問攻めを受け続けたのである。
★
ソフィアさんに時間を取られ、出発が遅れてしまったけれど。気を取り直して私達は早足で街を出て、北を目指した。
鬼のダンジョンは、街を北上して山岳地帯を強引に突き進むと見えてくる、渓谷の中程に存在している。断崖の壁面に生じた洞窟がダンジョンの入口なのだとか。
私は、レベルが上がり随分利便性の増したマップを頼りに、その場所を難なく探し当てることが出来た。やはり半径五百メートルのサーチは強い。
それにしても、私達以外の人間を現す黄色いマーカーがちらほら確認できるが、恐らく目的地を同じとする同業者たちなのだろう。
ダンジョン入口を見つけられず、フラフラしているものもあれば、ダンジョンへ入っていくものもある。
これは、もしかするとダンジョン内で他の冒険者と遭遇する可能性も出てきたな。というか、人気のダンジョンなら寧ろ普通のことか。先日のダンジョンが穴場だっただけなのやも知れない。
「どうやら、他の冒険者もそこそこいるみたいなんだけど、もしダンジョン内で彼らに遭遇したら気をつけるべきこととかある?」
「目を合わせない。戦果をひけらかさない。速やかに立ち去る」
「まぁ、そうですね。善性の冒険者ばかりではありませんし、余計なトラブルを避けたいのであればとにかく関わらないことが一番です」
「ふむふむ。それじゃマップをしっかり見て、遭遇しないように気をつけるとしよう。もしもどうしても鉢合わせる事になったなら、なるべく速やかに穏便に去る、と。あ、でもそれでもし絡まれたら?」
「警告を出して、無視するなら実力行使」
「ですねー」
なんとも物騒な話だ。しかしこんな危険危険言われているダンジョンにやってくるほどの強者達が相手なのだし、極力遭遇を避けるよう努めなくてはなるまい。
ただでさえちょっと緊張していると言うのに、更に厄介な話が加わって、早くも胃がキリキリする。いつの世も、一番恐いのは人だと言うしね。ちゃんと気をつけていかないと。
私達はダンジョン入り口で他の冒険者と顔を合わせることが無いよう、こそっとタイミングを見計らって、一気に突入を敢行するのだった。
ダンジョン内はやはり明るく、灯りを用意する必要はないようだ。
今回のダンジョンは遺跡風のそれではなく、見たまんまの洞窟である。ただ、やたら広い。
私としては、洞窟というよりトンネルと言われたほうがしっくり来るほど、優に動き回れるくらい広々としたスペースが延々と続いているらしい。
早速マップウィンドウを確認すると、正常にダンジョンマップへと切り替わっていた。
通路が広々としているせいで、マップを見ても結構大味だ。それ程入り組んでいるという印象を受けない。が、一本道というわけでもない。
中には細い脇道も結構あるらしく、うまく利用すれば他の冒険者との遭遇を回避するのに役立つことだろう。
そして問題の同業者たちだけれど、サーチ可能範囲にも、二組ほどの集団が確認できた。恐らくPTで行動している冒険者たちだ。
五百メートル圏内に二組。あまり余裕があるとは言えないかな。
そしてモンスターの反応もある。しかしマーカーを調べてみても、名前が出てこない。恐らく私が未遭遇の種類だということだろう。下級鬼である可能性が高いだろうな。
一応、このダンジョンに出現するモンスターの情報は、判っている範囲でソフィアさんに教えてもらっている。
第一階層であるこのフロアに出現するのは、まず下級鬼。そしてウィスプ。さらに、小さなサイクロプスが出るとか。
ともかく後続がやってくる可能性もあるため、冒険者達とのエンカウントを避けつつまずはモンスターの力を見ておくべきだろう。
それに、下級鬼とココロちゃんを接触させてみたいという思惑もある。勿論当人には相談済みだ。
ココロちゃんのジョブは、その名もズバリの【鬼】であり、それがモンスターの鬼と対峙した時、一体何が起こるのか。それが何らかのヒントになるかも知れない。
私の修行なんて言うのは、その後で幾らでも出来るからね。まずはココロちゃんに関することで、試せることは何でも試しておきたいのだ。
というわけで、冒険者たちの動きに注意しつつ、私たちは未確認モンスターとの接触を図った。
「前方、そろそろモンスターが見えてくるはずだよ。私が未遭遇のやつだから、ウィスプ以外の何か」
「下級鬼か、小さいサイクロプス……」
「…………」
いつになく表情の硬いココロちゃん。何を思っているのかまでは分からないけれど、一先ず私達は岩陰に身を潜めて、そいつの姿を目視できるまで待った。
そうしてしばらく待っていると、目の良いオルカが一番にそれの正体を見定めた。
「見えた。多分……下級鬼」
「!」
「ココロちゃん、大丈夫?」
「は、はい。ちょっと緊張していますけど、鬼とは初めて戦うわけでもありませんから。でも、少し苦手ではあります」
「そっか……わかった。オルカ」
「心得てる」
事前の話し合い通り、今回はまず下級鬼を問題なく倒せるかという確認もある。だからオルカには、隠密を駆使して奴の背後に回ってもらう手筈だ。
早速オルカはシュバッと姿をくらませ、音もなく鬼の背後へ回り込み、身を潜めた。マップでは確認できるが、目視じゃ無理だ。居場所がわかっていても捉えられない。さすがオルカだね。
さて、あとはココロちゃんが正面に立って奴の気を引くか、それとも一気にオルカに仕掛けてもらうかという二択なのだが。
「ココロちゃん、行ける?」
「はい。下級鬼の反応、しっかり見ていてくださいね」
「任せて。ココロちゃんのステータスに変化がないかも併せてチェックしておくよ」
「よろしくお願いします」
そう小さく頭を下げ、そして意を決したココロちゃんは岩陰からバッと飛び出していった。
相手との間合いは二〇メートルほどか。突然現れたココロちゃんに些か驚いてみせるも、すぐに敵意を漲らせる下級鬼。
その体躯は二メートルほどか。筋肉の鎧をまとった大男という風体である。額からはイメージに反すること無く二本の角が生えており、口元からは牙を覗かせてもいる。厳しい顔つきをしており、どこか獣じみても見える。
肌の色は浅黒く、髪の色は焦げた茶色。腰にボロ布を巻き付けただけの荒々しい姿をしていた。
端的に言って、強そうだ。あんなのに殴りかかられたら、一撃で意識が飛ぶんじゃないだろうか。あれで下級だというのだから、中級、上級は一体どんなやつなのか。想像するだに恐ろしい。
そんな下級鬼が、ココロちゃんめがけて襲いかかろうと、勢いよく一歩を踏み出す。が、しかしその時だ。
妙なことが起こった。
「! ……躊躇ってる……?」
下級鬼はココロちゃんをまじまじと見て、動きを止めてしまった。敵意を引っ込めたわけではないが、襲いかかるべきか否かと躊躇しているように見える。
対するココロちゃんは、怒りとも、嫌悪とも、或いは戸惑いとも取れるような硬い表情でじっと相手を観察している。
戸惑っているのは下級鬼も同じなようで、しばらくココロちゃんを威嚇がてら吠えて牽制していたが、やがてついに意を決したか、一気に彼女めがけて駆け出したのである。
「させない」
『ガッ!?』
次の瞬間には、容赦の欠片もなくオルカの放った矢が、下級鬼の後頭部から額にかけて綺麗に突き刺さり、さながら三本目の角が生えたように、額の真ん中から鏃が顔を覗かせたのである。
奴はあまりの激痛にその場でのたうち回り、しかしやがて力なく動きを止めると、そのまま塵へ変わっていったのだった。
私とオルカはそれを確認するなりすぐさまココロちゃんのもとへ駆け寄って、その顔色をうかがった。
「ココロちゃん……平気?」
「……はい。でも……なんだか、気持ちが悪いです」
「顔色がよくない。ココロ、少し休もう」
私達は比較的目立たない洞窟の脇道へ入り、休憩がてらココロちゃんの話を聞くことにした。それに考察も。
脇道は人がすれ違える程度の広さこそあれ、天井もそれほど高くない窮屈な通路だ。洞窟であるため道も曲がりくねっており、ここならば冒険者にもモンスターにも、そう簡単に見つかりはしないだろう。
私はココロちゃんが落ち着くのを待って、まずは疑問点から話題に挙げた。
「あの下級鬼、どうして一度躊躇いを見せたんだろうね」
「私は背後からだったから、あまり詳しくは分からなかった」
「ココロのことを恐れていた、という感じではありませんでした。まるで何かに戸惑っているような、そういう感じでしたね……」
「やっぱり、ココロちゃんのジョブと鬼は、何らかの繋がりがあると見るべきなのかも知れない」
実のところこの検証は、実験というより確認に近い意味合いでもって行ったものだ。
というのもココロちゃんは、鬼について調べる過程で、過去に鬼と遭遇した経験があると言う。そしてその際、今しがた目の当たりにしたように、鬼が不可解な挙動を見せたらしく。
それが何らかの偶然によるものなのか、はたまた必然だったのか。それを確かめる意味合いもあり、検証に至ったというわけだ。
そしてその結果は、これこの通り。
「ちなみに、以前遭遇した鬼はココロちゃんが倒したんだよね?」
「倒したと言うより、気づいたらドロップアイテムに変わっていましたね……」
「その時もやっぱり、気分が悪くなった?」
「そう、ですね。今ほどではなかったように思いますけど」
「気分が悪くなった理由はわかる?」
「それは……まるで、人間の方が目の前で亡くなられるのを目の当たりにした時のような、そういう精神的な衝撃から来た気分の悪さかと……」
「ふむ……」
以前ココロちゃんは、『私の中の怪物』というような表現をしたことがあった。
ひょっとするとそれはあながち間違いではなく、本当に居る可能性もあるのだろうか。
ココロちゃんの中に、鬼が。或いはそれに類する何かが。
躊躇いつつも、そんな憶測を私は述べた。
ココロちゃんは顔を顰め、身を縮こまらせる。
「やっぱり、私の中には……だからこんな気持ち悪さを……」
「ココロちゃん、ごめん! ただの憶測だから、あまり真に受けないで!」
「それに、もしそうだとしても、それを何とかするために私達がいる」
「う、うぅ……」
軽率だったか。できるだけ考えは共有するべきかと思ったのだけれど、配慮が足りなかった。ココロちゃんにとって、鬼はそれだけデリケートな問題なんだ。
鬼について調べることが、彼女のためになると安直に考えていたけれど、鬼についてなにか分かる度、それは少なからずココロちゃんの精神を揺さぶることにも繋がるわけで。
ましてよくないことが判明したなら、彼女は酷く心を痛めることになるだろう。
これは、想定していたよりも難しい問題なのかも知れない。
このダンジョンでの活動自体、ココロちゃんには精神的に苦しいだろう。
下級鬼との戦闘は、なるべく避けようとしてみたところで、絶対エンカウントしないとも言い切れないのだし。
今日のところは一度出直したほうが良いかも知れない。
「オルカ」
「うん。今日は一度帰ろう」
「! そんな、いけません! ココロのためにそんな……っ」
「大丈夫。下級鬼はちゃんと倒せるってことは分かったんだし、ダンジョンの場所も内部の様子も確認することは出来たからね」
「下見の意味は、十分果たしたから。今は無理をしないことが大事」
「…………わかり、ました」
斯くして、鬼のダンジョンへの初回アタックは下見に留め、私達は無理せず街へ戻ることを選択したのだった。
誤字報告、お世話になっております。
ちょっと無知を晒して恥ずかしいんですけど、「れっきとした」の「れっき」って『歴』て書くんですね。勉強になったです。
感謝ぁ!
 




