第五一七話 小さくて大きな問題
宿のフロントで鍵を受け取り、あてがわれた部屋を早速訪れてみる。
別に本当にここで寝泊まりするわけではないのだけれど、やっぱりどんな部屋かって気になるじゃない。
ゼノワも心做しかワクワクしている。
結構質の良い扉の鍵穴に、ドキドキしながら鍵を差し込んで捻る。
この世界の鍵って、質の良いものになると魔道具式が採用されているため、セキュリティの良し悪しっていうのは結構分かりやすく判断できたりするのだけれど。
その点、どうやらここはしっかりしているようで。
鍵には小ぶりな魔石がくっついていて、そこから魔力が供給される仕組みのようだ。
鍵穴が対となる鍵の挿入を感知し、解錠する仕組みらしい。
こういった鍵に関しては初見ではないため、特に驚きこそしないけれど、自分で借りた部屋についてる鍵ってだけで、何とも特別なもののような気がするのは何なんだろうね。
やろうと思えば似たようなものをパパッと作れそうではあるけれど、今の私はただのBランク冒険者。そんなことはしちゃいけないのである。
ガチャリという解錠音を認め、引き抜いた鍵を懐にしまう私。
そうしてゆっくりとレバー式のドアノブを回せば、いよいよ室内の様子が目に飛び込んできた。
「おお……」
「グルゥ」
まぁ、感嘆するほどのものでもないのだけれど。
綺麗に掃除され、清潔感のある部屋だ。一人部屋にしてはまぁ、窮屈感を感じないくらいには広い。
朝夕の食事付きで、セキュリティもちゃんとしてる。って考えると、一泊五六〇〇デールはなかなかの良心価格なのでは?
問題は、私が一日当たりどれくらい稼げるかってことなんだけどさ。
もし稼ぎがショボければ、最悪宿を変えなくちゃならなくなる。
この宿をお勧めしてくれたミトラさんには、是非そこら辺も加味して依頼を斡旋してほしいところではある。
それもまぁ、明日になれば判然とすることだろう。
一先ず、ストンとベッドに腰を下ろす私。
おもちゃ屋さんのそれに慣れすぎてるせいで、私にとっては大抵の寝具が二流以下の品に思えるわけだけれど。
「まぁ、こんなものか」
お尻に返ってくる反発感に小さく苦笑しつつ、何となく窓の外を見やる。
町のシンボルである時計塔が、ここからでもよく見えた。
朝夕六時には鐘が鳴るらしい。この町の人たちは目覚まし要らずだね。
「さて、次は何しようかな」
「ガウ」
「まぁ、そうだね。散策に行こうか。お世話になりそうなお店の場所なんかも確かめておかなくちゃならないしね」
ご飯屋さんはもとより、外で食べる携帯食料や、各種薬品を扱ってるお店に、装備のメンテナンスをお願いする鍛冶屋さんとか。
今までは完全装着の恩恵により、装備の手入れっていうのはあんまり必要がなかったのだけれど。
しかし今回は、その恩恵も最小限に留めるつもりだ。
例えば武器の切れ味とか、防具についた傷なんていうのは、完全装着の効果により私の体の一部として扱われるため、回復魔法とか回復薬なんかを使えば新品同様に維持できたものである。
汚れに関しても、清浄化の魔法を用いて対処してきた。
そして今回も、それらの魔法は特に禁止対象ではなく、ココロちゃんの強い言い分により、何かあった時のための治癒系魔法と、病気を避けるための清浄化系魔法は封印を免れたのだ。
そのため、装備品の手入れなんていうのは、正直不要ではあるのだけれど。
しかし、勿論普通の冒険者は、そうも行かない。
武器も防具も、使い続ければ劣化するし、破損したりもする。
私もできる限り、そういったリスクを体験しておくべきだと思うのだ。
ってことで、HPを回復する際はなるべく装備を外した状態で行うようにする。
清浄化の魔法も、なるべく装備には掛けない。
何だったら、清浄化の魔法は全裸にならないと使っちゃいけない縛り、とか設けてもいいと思う。お風呂の代わりって感じでさ。
そう言えばこの宿、流石にお風呂まではついてないらしい。
公衆浴場はあるみたいだから、お風呂に入りたいならそこに通う必要があるだろう。
さもなければ、この部屋でスッポンポンになって清浄化魔法を使うか。
「みんなが居ない状態で、仮面をしたまま入浴は流石になぁ……かと言って、お風呂にはやっぱり入りたいし……」
「ギュゥ?」
「難題だ。あ、お洗濯とかも自分でやらないと……」
考えれば考えるほど、やるべきことがもりもり積み重なって行く。なんか頭痛くなってきた……。
ゼノワは良いよねぇ、基本全裸だもの。何か装備したときは、コスプレ姿みたいになるけど。
「ガウ」
「あ、はい。なんでもないです」
ゼノワにはなんとなく、私の考えていることが伝わるらしい。
逆に、私もゼノワの考えてることとか鳴き声の意味なんかも分かるしね。冷静に考えると、なかなかすごい関係である。
まぁそれはともかく。
「ええい、部屋の中で頭抱えてても仕方ないもんね。とりあえず出かけようか」
「グル!」
案ずるより産むが易し、っていうのとはちょっと違うけど、心配事だけ抱えてじっとしている時間っていうのは苦痛だ。
そうと分かっていて受け入れるより、今出来ることをやるのが私のスタンダードである。
懸念ごとに割く脳のリソースを、言動を行うための処理へ割り当てちゃえっていう考え方だ。
もっと簡単に言えば、身体を動かして悩みを吹き飛ばそう! ってやつ。
そうと決まれば早速、私はゼノワを頭に乗せたまま部屋を出て、しっかり施錠。
フロントに鍵を預けると、町へと繰り出したのである。
宿の外に一歩出て、早速右に行くべきか左に行くべきかの二択で迷う。
散策が目的ってことは、どっちに行っても正解ってことだもの。そういうのが一番困る。
こういう時マップがあれば、色々と参考に出来るっていうのに。
「どっちに行こうかな……」
「ガウ」
「左? おっけー」
こういう時って、案外他の人に決定権を委ねたほうがすんなり決まるものだよね。
委ねられた方は、他人事として気楽に決められるし、委ねた方はそれに従えばいいだけだもの。
優柔不断の気がある私も、同じ様に他人から選択を委ねられたなら、存外適当にぱっぱと決断を下せたりするし。
自分の問題じゃ悩むのに、他人の問題には即答できるっていうのは、優柔不断あるあるだと思う。
斯くして、私はゼノワの導きに従って、道を左へ向けて歩き始めたのだった。
「あ。っていうかマップが使えないんだし、迷わないようにちゃんと道覚えておかないと!」
「グルゥ……」
「う、うるさいな。今気づいたんだから仕方ないじゃん」
「ガル」
「ギルドの場所? ……あー……お、おさらいがてら今から探せばいいよ。私地形覚えるのは得意だし」
FPSとかやってるとね、自然とそういう能力は磨かれがちなのだ。
まぁ、マップスキルを覚えてからというもの、道を覚える必要性ってものからは随分遠ざかっていたからね。
ぶっちゃけギルドへの道順は、あんまり覚えてない。
が、思いがけず散策の目的が一つ出来たってことで、早速積み重なっていく一方だった不安を横に退かし、道を覚える作業とその効率化について考え始める私である。
幸先こそ不安なれど、そのようにして町の散策は開始され。
道中お世話になるであろうお店を幾つも見つけては、これを一個一個覚えておかなくちゃならないのかとげんなりしつつ、必需品のお値段なんかを軽く調べて回りもした。
結果として、財布の中身が想像以上に心許ないことを思い知ったわけだ。う、胃が。
一先ず覚書をするための手帳と筆記具なんかは、まっ先に購入した。勿論予備も。
今は町中だから良いけれど、明日は町の外で行動するのだ。迷子とか、マジでシャレにならない。
ましてそれがダンジョンの中だったら……そう言えば以前、マップに頼らずダンジョン内で活動するって特訓をやった覚えがあるなぁ。
その時の経験が上手く活きることを願うばかりである。
そんな具合に、忙しなく動き回っている内にやがて日は傾き。
散策の結果見つけた、公衆浴場。そろそろそこへ向かおうかという頃になって、ふと考えた。
持ち物って、どうしたら良いんだろうかと。
宿の自室に置いて行けば良いのかな? マジックバッグごと? 私の所持金ごと?! いくら魔道具式の鍵が付いてるって言ったって、セキュリティレベルは前世日本のそれとは比べるべくもないだろう。
であるからして、メチャクチャ不安である。
かと言って、浴場の脱衣所に置いておくっていうのも恐い。っていうかそっちのほうが恐い。
宿の自室には一応、小さな金庫が用意されていた。貴重品をしまっておくためのものだ。
やっぱりそれを利用するのが一番安全なのだろうけれど、それでもまぁ心許ない。
だって万が一泥棒でも入ったなら、私は所持品の全てを失くすことになるのだもの。全ロスである。
決まった家を持たない冒険者に付き物の悩みだと言われたなら、まぁその通りなのだろうけれど。
それにしてもストレージがどれほど安全安心なのかを、今更になって強く実感させられる。
アルカルドで呑気に公衆浴場通いをしてた頃が懐かしいなぁ。
こんなことならいっそ、お風呂は諦めて清浄化魔法で済ませてしまうのも手か……依然として浴室で仮面を外す外さない問題には決着もついていないわけだし。
でもなぁ。衛生面は魔法でどうにかなるにしても、やっぱりお風呂でさっぱりしたいしなぁ。
「んんんー……」
「ギャル」
「水魔法を使って、部屋で身を清めたら良いじゃないかって? なるほど……いや、どうなんだろう、そういう問題なのかなぁ……?」
わからん。
わからんので、一先ず今日のところは何も考えず、公衆浴場へ向かうことにした。
一旦宿に戻ってマジックバッグを金庫に入れて、着替えだけ持って浴場へ。
そこで気づく。
浴室で裸になるってことは、ステータスがメタメタに低い状態を他人に晒すってことでもあるんだと。
仲間も居ない状態で、それは非常にまずい。っていうかもう、まずいどころの話じゃない。
私は考えを改め、自室へと引き返した。
やっぱり今の私に浴場は危険だ。清浄化魔法のお世話になろう。
他に選択肢など無いのである。




