第五一四話 普通の旅へ
無事にオルカたちの背を見送った後、一旦イクシス邸へと戻ってきた私とゼノワ。
時刻は午前一〇時を過ぎた頃である。
廊下の窓から眺める外は、何とものどかであり。陰りのない陽光がごきげんに景色を照らしている。
冬枯れはいつしか鳴りを潜め、緑が芽吹き始めた景色が目にも鮮やかだった。
それを横目に眺めながら、向かった先はイクシスさんの執務室。
コンコンコンとノックをし、入室を許す返事を受けて扉を開くと、早速部屋の中へと足を踏み入れる私。
すると、そこには机で書類仕事をするイクシスさんの他に、先客の姿があり。
誰何するまでもなくそれは、オルカたち同様に今日から特訓を開始するレッカとスイレンさんであった。
察するに、イクシスさんのデスクワークが片付くのを待っているのだろう。
何せ彼女らは、いつかの私のようにイクシスさんの仕事に付き添い、各地を飛び回ることになるのだから。
ただし私と違って二人は、並み居る強力なモンスターとガチンコでぶつかり合い、死物狂いで戦闘することになるらしい。
イクシスさんが付いているとは言え、彼女のさじ加減ひとつでレッカたちは幾らでも死線を潜らされる羽目になるのだろう。
クラウが相手でさえなければ、イクシスさんも然程甘々ってわけじゃないからね。
しかも今回は、レッカが「私を鍛えて下さい!」と頭を下げたのである。スイレンさんは巻き込まれた感じだけど。
真剣に頼まれたとあっては、あのイクシスさんのことである。きっと半端なことはしないはずだ。
それが分かっているからか、レッカやスイレンさんの表情は何時になく硬いものであり、緊張していることが見て取れた。
そんな二人は、私が入室してきたのを認めると、早速声を掛けてきた。
「おはようミコト。みんなを送ってきたんだって?」
「特級危険域で命懸けの特訓ですかー……あの王龍にリベンジするためとは言え、すごい覚悟ですー」
「スイレンさんも他人事じゃないけどね」
「ひぃー……」
本当に嫌なら逃げ出すなりなんなりすればよかったのに、結局彼女はここにいる。
なんだかんだで、彼女は彼女で強くなろうとしているのだろう。
或いは異様なほど付き合いが良いと言うか、性格が律儀なだけなのかも知れないけれど。
何にせよ、ことここに至って特訓を辞退するようなつもりもないらしい。
そうしてレッカたちと暫し雑談をしていると、ようやくにらめっこしていた書類から顔を上げたイクシスさん。
「すまない、待たせてしまったな。それでどうしたミコトちゃん、もしやそろそろ出立か?」
「まぁね。だからその前に、渡すものを渡しておこうと思って」
オルカたちの出発も見送ったことだし、私もゆっくりはしていられない。
ここでの用事が済み次第、いよいよ出発の予定である。
だからその前に、イクシスさんにはこれを渡しておかねばならないのだ。
ストレージより取り出したるは、三つのアイテム。
一つは先程オルカたちにも渡した、私も持っているアルバム。
一つは日記。ココロちゃんに渡したのと同じものだ。イクシスさんやレッカたちにも、一応心配を掛けないためにね。
そしてもう一つは。
「はい、コミコト」
「……おぉぅ、何度見ても凄まじく精巧な作りだな。本当に良いのか? これを預かってしまっても。修行に使っているのだろう?」
「大丈夫、その点はちゃんと考えてあるから。それにイクシスさんを転移させるにはどうしたって必要だしね」
そう。イクシスさんに差し出したもう一つのアイテムとは、私のもう一つの体であるコミコトだった。
これを用いれば、遠く離れた地を旅しながらでも、イクシスさんたちを転移させたり、空を飛ばせたりすることが出来る。
つまりは、彼女の仕事を滞りなくサポートするためのツールである。
しかしイクシスさんの懸念したとおり、コミコトは元来魔道具作りの為に作られた人形であり、現在の用途にしても魔道具作りはもとより、スキルなどの鍛錬に使ったりもしている。
イクシスさんに貸し出したのでは、スキルの鍛錬はともかく魔道具作りには使えなくなってしまうのだ。
が、そこは抜かりなく事前準備をしてあるため問題はない。
「うわぁ、なんですかそのお人形さんー! とっても綺麗ですね~……っていうかミコトさんそっくりです~」
「おっと、そうだった。スイレンさん、この人形に関してはトップシークレットだからね。ぶっちゃけ私の逆鱗だから、決して触れ回っちゃダメだよ?」
「ひっ、え、あ、はいー……口の堅さには定評があるので、大丈夫ですー……」
申し訳ないけれど、これに関してはちょっと強めに言わせてもらう。
イクシスさんやレッカには、一応事前にコミコトに関してある程度説明しているわけだけれど、流石に妖精師匠たち謹製の品だということはイクシスさんしか知らない。
スイレンさんにも、詳しいことはぼかして伝えておく。
「これは私のもう一つの体。私にとってものすごく大切で、特殊な人形なんだ。万が一盗まれでもしたら……」
「したら……どうなるんですー……?」
「盗んだ奴とその関係者を、私が全員ボコす。あと仕返しに、そいつらの全財産ストレージにまるっと回収しよう。何ならボコした人もストレージに入れて神隠し……うん、悪くないかも」
「ひぃっ」
「勿論、そんなことしたくないからさ。余計なトラブルが起きないよう協力してね?」
「は、はぃぃ」
よしよし、これだけ大袈裟に言っておけば一層口も堅くなるだろう。
なんだかレッカやイクシスさんまで顔を引き攣らせているけれど、それだけ私がコミコトを、延いては妖精師匠たちを大切にしているのだと理解してもらえたことだろう。
あと念のため『コミコトは私のもう一つの体である』と説明しはしたけれど、余程のことがない限り彼女らの前で動くのはやめておこう。人形のふりをしておけば、それこそただの良く出来たフィギュアにしか見えないはずだ。
イクシスさんの懐にでも潜っておけば、そうそうボロが出るようなこともないだろうし。
けれどもし動けるのだとバレた時は、まぁ仕方ない。その時は改めて口止めするだけである。
「ってことで、レッカもイクシスさんもよろしくね」
「り、了解。っていうか怖いからコミコトには触らないよ」
「なんだか呪いの人形でも持たされた気分だな……」
「失敬な!」
「じ、冗談さ! ハハッ!」
呪いの人形……存外言い得て妙かも知れない。
勝手に喋るし動くしスキルまで使っちゃうし。万が一どっかに落っことしたり捨てられたりしても、転移スキルで戻ってくるし。事情を知らなければ、確かに呪いの人形に見えるだろう。
そういう意味に於いても、やっぱり人前では普通の人形のふりをして過ごすのが良さそうだ。
っていうか人目につくべきじゃない。
まぁそれはともかく。
「さて、それじゃ私はそろそろ行くよ」
後のことは、コミコトを介してどうにでもなる。直接会話だって出来るわけだしね。
なので私本体がここに留まる理由は、既に無いのである。
しかし私がそのように切り出せば、途端に部屋の空気がしっとりとしてしまい。
つい今しがたまでの、冗談めいた空気はたちまち何処かへ去ってしまった。
「そうか……今日から暫くは、正しい意味でBランク冒険者のミコトちゃんになるのだな」
「そのために色々準備したからね。っていうか、本当ならもっと低いランクで活動したかったんだけど」
「流石にギルド証の偽造は出来ないからな。仕方ないさ」
少なくともオルカたちの特訓が一区切り付くまでの間、私はスキルの殆どを封じた状態で、大した能力もないただのBランク冒険者として活動することになる。しかもBに上がりたての、Cに近いBって設定だ。
私の経歴を客観的に鑑みれば、然程おかしなことでもない。
まぁ本当になんでも無いやつが、異例のスピードで昇級を果たすだなんていうのは明らかに不自然なので、一応昇級できた理由付けは用意してあるけれど。
純粋な戦闘技術、つまりはマスタリーレベルの高さによる戦闘力。それが昇級を認められた理由である、っていう設定だ。
しかしそれも、Bランク帯でイキれるほどのものではなく。いい感じに天狗の鼻が折れて、おとなしくなった体で行くつもりである。
実際、装備次第じゃ私の力もそんなもんだしね。
平凡な一介の冒険者として、一生懸命活動する所存だ。
「リィンベルに向かうんだっけ?」
「大丈夫なんですかー? 知らない人について行っちゃダメなんですよー? 私みたいになっちゃいますからね~」
「妙に説得力があるね……気をつけるよ」
旅先で出会ったレッカにホイホイついていった結果、うっかりとんでもない重要機密を聞いてしまい、取り返しがつかないことになったスイレンさん。
私はそうならないように気をつけよう。反面教師ってやつだ。
これから向かうのは、リィンベル。時計塔がシンボルになっている、辺境にほど近い町である。
フィールドに徘徊するモンスターやダンジョンのレベルも、相応に高い。
皆で話し合った結果決まった、一人旅の出発点となる場所だ。
「緊張してないか? もし何かあればちゃんと相談するんだぞ?」
「いやいや、それだと一人旅じゃなくなっちゃうでしょ。大丈夫だよ、どうにか頑張ってみるから」
眉尻を下げて不安げにするイクシスさんや、レッカとスイレンさんにも別れを告げ。
私は静かに踵を返した。
パタリと執務室の扉を閉じると、不意に心臓がドキドキと高鳴りだす。
向かう先は、転移室だ。
頭の上ではゼノワが、無邪気に翼をバタつかせている。彼女も高揚を覚えているようだ。
そう、高揚である。
寄る辺のない旅。目的を自分で見つけ、定めなくては、まっすぐ歩むことすら出来ないだろう。
傍らには仲間などおらず、頭の上に精霊幼竜がいるばかり。
心許なさと好奇心が同居して、足元がグラグラしてるみたいだ。
転移室の扉を開ける。
部屋の中央に立ち、深呼吸を一つ。
すると、背後でガチャリと扉が開き。
「ミコトちゃん」
「!」
掛けられた声に振り向けば、イクシスさんが立っていた。
彼女は優しげに笑って、言ったのだ。
「行ってらっしゃい。楽しんで来るんだぞ!」
斯くして、私の一人旅は幕を開けたのである。
最初から普通じゃなかった私が、『普通』を知るための旅が。




