第五〇四話 次を得た
一応、最悪のパターンとして想定していたのは、一〇一階層からの転移が封じられているというオチ。
もしそうなら、退却を断念して王龍とやり合うって展開も考えられたのだけれど。
しかし幸いなことに、どうやらその必要はなかったらしい。
フロアスキップは正常に発動し、その効果を十全に発揮したのである。
結果、一〇〇階層の入口付近へと転移した私とクラウ、それにゼノワ。
すると途端に膝をつき、顔をしかめるクラウ。
盾と剣をPTストレージへとしまった彼女の手は、だらりと下がっており。どうやら酷い痛みに苛まれているらしい。
そんな彼女をまっ先に気遣ったのは、フロアスキップを見越して待ち構えていたイクシスさんだった。
何ならクラウ以上に顔を真っ青にして駆け寄ってきた。
「なんて無茶をするんだ! 待ってろ、今回復魔法を……あ、コ、ココロちゃんにも手伝ってもらおう!」
「母上、大丈夫だから落ち着いてくれ。ちょっと手と腕の骨が砕けただけだ」
「それが落ち着いていられるかバカ!!」
珍しくイクシスさんがツッコんでる。
って、傍観してる場合じゃないや。私は早速ストレージよりココロちゃんを出すと、手短に事情を説明してクラウを任せた。
流石はヒーラーである。慌てまくるイクシスさんとは違い、落ち着いた対応は非常に頼もしい。
っていうか未だにココロさん状態だから、余計そう感じるのかも知れないけど。
なんて思っていると、徐に元の姿へ戻っていくココロちゃん。
ココロさん状態は消耗がすごいらしいから、当然といえば当然のことである。
そんなふうに、急ぎ治療を始めた彼女らを尻目に、私とゼノワはじっとボス部屋の方を睨んだ。
もしかすると王龍が追ってくるんじゃないか、という懸念あってのことだ。
しかし奴の、異様なほどに重たいプレッシャーは既に感じられず、どうやら脅威から逃れることは叶ったらしい。
それでも念のため、一〇一階層へ続く階段のあったボス部屋の方には、しっかり注意を向けておく。
「とりあえず、クラウの治療が一段落したらイクシス邸に戻ろう。今はこの場に長居するべきじゃないよ」
「ギュルゥ……」
「む、それは、確かにそうだな……」
「ミコト様、一先ず応急手当は出来ました!」
「ありがとココロちゃん。それじゃ早速転移するよ。クラウは辛いようならストレージに入ってて」
「大丈夫だ、問題ない。やってくれミコト」
そんな具合に、私たちはそそくさと百王の塔を後にし、イクシス邸への帰還を果たしたのである。
★
イクシス邸転移室。
思えば昨日同様、未だ午前中だというのに帰ってきてしまった。
しかし昨日と異なり、凱旋とは行かなかった。寧ろ珍しく逃げ帰ってきたわけだ。
そこからは、酷い火傷を負い意識の戻らないレッカや、応急処置しかされていないクラウの治療なんかが慌ただしく行われ。
そうこうしている内に気づけばお昼時も過ぎ、しかし皆で楽しくお昼ごはん、なんて気分にもなれずレッカが目を覚ますのを待っていると、いつの間にやら夕方になっていた。
そんなこんなでイクシス邸会議室。
時刻は夕方五時を回っており、窓の向こうには夕闇にチラホラ星の瞬きを見つけることが出来る。
そんな、アンニュイな気分になりがちな時間帯。
しかしそれとはまた関係なしに、室内には何時になくどんよりとした空気が漂っていて。
理由は当然、今日の敗北にあった。
そう、敗北だ。
私たちは王龍を前に、手も足も出ず撤退を余儀なくされたのである。
それ故に、どんより。
まして珍しく怪我人まで出してしまったのだ。
それに関してはまぁ、当人たちたっての望みだったがゆえ、あまり重く捉え過ぎるべきではないのだけれど。
しかし、鏡花水月と言えば常勝無敗を謳ってもいいほどに、負け知らずのPTだった。
それが今回、高すぎる壁にぶち当たってしまったのである。
嫌でも、こんな空気になるわけだ。
「スキルがどうとかいう以前の、圧倒的なステータスでしたね……」
「全然勝てる気がしなかった」
「も、もう懲り懲りです~……」
「パワーが……もっとパワーが要ります!」
「私の盾も、まだまだ未熟だった。不甲斐ない限りだ……」
「……はぁ…………」
完全に空気が淀んでいる。
かくいう私も、とうとうぶち当たった越えられない壁の存在に、心穏やかでは居られない。
それに何より、そんな王龍を退けなくちゃ得られない情報があるってことが、どうにも歯がゆくて仕方がないのだ。
何時ぶりだろうか、こんな思いを味わうのは。いや、もしかすると初めてかも知れない。
勝たなくちゃいけないのに、勝てない相手の出現。
今までは、別に勝てなくても問題ないって勝負ばっかりだったもの。
そりゃ勿論、中には負けられない戦いだってあったけどさ。
だけど、それも結局はどうにか凌いできたんだ。
ところが今回は、撤退を余儀なくされた。
普通に悔しいんですけど。メチャクチャ悔しいんですけど!
なんて私が静かに悶々としていると、頭上ではゼノワもギャウギャウと荒れており。時折ポコスカと頭を殴ってくる。台パンのつもりなのだろうけど、それちょっと痛いんで止めてもらっていいですかね?
そんな具合に、何とも空気のよろしくない中。
例によってマジックボードの前に立ったイクシスさんが、コホンと一つ咳払い。
皆の意識を集めるなり、話し合いの口火を切ったのである。
「えー、先ずは改めて。皆が無事で本当に良かった。負傷者こそ出たものの、既に処置を終えて後遺症などの心配もないそうだ。それも含めて一安心だな」
イクシスさんの元気な声が、淀んだ空気を幾らか緩和してくれた。
実際彼女の言うとおり、クラウの骨はすっかり元通りだし、断裂した筋肉等も無事に回復したそうだ。
っていうかそれより悲惨だったのがレッカである。
酷い火傷を負い、下手をすれば手が使い物にならなくなるレベルの重症だったらしいのだが、そこは我らがココロちゃん。
イクシスさんや、この屋敷に務める医療スタッフさんすら驚かせる魔法やスキルで、レッカを綺麗に治療してみせたらしい。
そんなわけで、今は元気にしているレッカ。処置に際して体力を持っていかれはしたものの、大事に至るほどのことではなく。此処へやってくる際の足取りもしっかりしていた。
だというのに、さっきから机に突っ伏してグッタリしている彼女。しかしこれは精神的なショックによるものらしい。
それもそうだ。レッカの繰り出した全身全霊の一撃。アレに耐えきれず、彼女の愛剣は柄の部分を残して消滅してしまったそうなのだ。
考えてみたらとんでもない話だが、しかし大切なものを失った哀しみはやはり如何ともし難いもので。
そんなレッカを含めた皆を一通り見回し、話を進めに掛かるイクシスさん。
そう、話し合うべき内容は幾つもあるのだ。
「さて。それでは、改めておさらいから行くとしようか」
彼女の司会により、これまでの経緯と一〇一階層での出来事が詳らかにされていく。
特殊ダンジョンにおける真・隠し部屋に目をつけたことに始まり、ようやっとグランリィスまで到着したレッカと、偶然に出会ったスイレンさんを伴い百王の塔攻略を開始。
早々にヒントを見つけ、『もう一つの百王の塔』へと侵入。さらに、ダンジョン内で見つけたヒントを元に攻略を進めた結果、存在しないはずの一〇一階層、即ち隠しフロアの発見に至った。
そして、NPC疑惑の掛かる王様との邂逅。
新たなキーワードと思しき『キーオブジェクト』について質問してみれば、唐突に変身し始める王様。
からの、撤退。
「よもや、それほどの強敵だったとはな……」
クラウの盾で凌ぎきれないほどの攻撃を繰り出し、レッカの自傷すら厭わない全身全霊の一撃でようやっと片目を焼くも、恐らくすぐに修復してしまうのだろうタフネスを併せ持つ。
更には攻撃速度も尋常ではなかったし、まだまだ力の何割も見せていない気がする。
一目で勝てないと確信するに十分な、正に規格外と言いたくなるような存在だった。
これを受け、流石に神妙な顔つきになるイクシスさん。
単純にとんでもない強敵の出現だ! っていうんなら、まぁ話は簡単なのだ。
修行して強くなればいい。或いはレジェンズの皆さんに協力を仰いで、無理やりなんとかしてもらうとかね。やりようはあるだろう。
だけれど問題は、それだけの強敵が護っている何かがある、という事実である。
「どうするミコトちゃん。手を貸そうか?」
と、実際協力を申し出てくれるイクシスさんだけれど、私は静かに首を横に振った。
「ううん。仮にイクシスさんの力を借りて奴を退けられたとしても、その先にもし王龍よりも手強い存在が居たとしたら、またイクシスさんに頼ることになる。それじゃダメだと思うんだ」
王龍は、私たちの力を試すのだと言っていた。力を示してみせろと。
その言葉はまるで、この先に一層の脅威が待っていると匂わせているみたいじゃないか。
なら、そんな相手を前にして、この先ずっとイクシスさんに頼っていかなくちゃならないのだろうか?
そんなの、やっぱりダメだよね。
っていうか単純に、そんなのはイヤなのだ。
「リベンジを目指したい。自分たちの力で奴を退けてこそ意味があるって、そう思うから」
私の言葉に、ガタっと立ち上がったのはクラウだった。
「よく言った! ああ、私も全く同意見だ!」
瞳に強い闘志を浮かべ、ぐっと拳を握ってみせる彼女。
すると他の面々も。
「次は負けない」
「ミコト様の障害は、このココロが必ずや取り払ってみせます!!」
「次こそ奴のスキルを丸裸にしてやりますよ!」
「ギャウギャウ!!」
と、やる気を示した鏡花水月メンバーたち。
他方で、すっと気配を消すスイレンさん。本当に懲り懲りらしい。
とは言え、興味はあるようで。
「わ、私は~、裏方としてお役に立てたらなぁ~……みたいなぁ~……」
と、消極的なれど協力的な発言をしたのである。
そして。
ゆらりと、陽炎のように静かに立ち上がったレッカ。
彼女もまた、その瞳に強烈な闘志を燃やしており。
「私も、強くなるよ……だから! リベンジする時は必ず私も連れて行って!」
そのように、参戦の意志を表明したのだった。




