第五〇二話 壁の高さを知るために
体高にして一〇メートルは越しているだろう。
全長で言うならその倍以上。それだけ尻尾が長いのだ。
その強靭で靭やかな長尻尾が、ゴウと恐ろしい音を伴い横薙ぎに振られた。
それだけで、恐るべき範囲攻撃……ともすれば全体攻撃である。
しかもその威力たるや、まともに当たれば即死もあり得る悍ましき破壊力を帯びており。
射程内には、身動きの取れない変身中のオルカが居り。
尻尾の速度は音速に迫るほどのそれ。
回避すら許さぬ速攻の一撃だ。
そんな、恐るべきドラゴンテイルの前に立ちはだかったのは、我らが盾であるクラウだった。
彼女にはダメージを無効化し弾き返す、ジャストガードがある。
これを用いれば、如何な王龍の一撃とて意味を成さない。ばかりか、その破壊力を逆手に取ることが出来る。
そのように、期待したのだけれど。
目論見通り、王龍の尾は彼女の盾により確かに阻まれた。ダメージも無効化している。
そしてジャストガードの特性により、衝撃はぶつかってきた尾へと返った。
しかし、私たちはその瞬間我が目を疑うことになったのだ。
『馬鹿なっ……!!』
クラウの驚愕に満ちた表情と、漏れ出た念話がやけに鮮明に感じられた。
それもそのはず。衝撃を打ち返したはずの尻尾は、ほんの少しばかり跳ね返ったかと思えば、その直後、あろうことか再度襲い掛かってきたのである。
考えてみれば、至極シンプルな理屈だ。
例えば全力の拳をジャストガードで返されたなら、その衝撃に耐えきれず拳や腕を壊すことになるだろう。
しかしそれが、全力でなかったとしたら? それどころか、軽い様子見程度だったならどうだろうか。
衝撃を返されたところで、それに耐えるだけのキャパシティがあるのだ。ダメージを負うようなことにはならない。
王龍の尾は、正にそれだった。
あれだけの攻撃を、様子見がてらに放ったのだ。
だからクラウに弾き返されても、痛痒の一つすら受けず。それどころか再び力を入れ直す始末。
今の一撃でジャストガードもバレただろう。何かしらの対策を打ってくるかも知れない。
だというのに、奴の意志は希薄であり、心眼はうまく先読みしてくれないのだ。
手探りでやり合うには、あまりに危険な相手。
これでは勝負にならない。今の私たちが挑むには、明らかに準備の足らない相手だ。
急ぎ念話にて、撤退の指示を出そうとした。
しかし、その時である。オルカの黒繭が解け、その内よりスーパーオルカが現れたのだ。
けれど勢いを取り戻した奴の尻尾は既に目前。クラウは再びジャストガードを狙っているようだけれど、敢えてここは攻めに転じることにする。
『オルカ、用意して!』
『! 分かった』
瞬間、換装にてツツガナシを白黒一対の剣、クロノスタシスへと変更。
その特殊能力を発動したのである。
すると途端に、私の世界は急速に色褪せ、灰色に染まっていった。
と同時、あらゆるモノがひどくゆっくりと動くようになる。
クロノスタシスの能力は、体感時間を引き伸ばす、というものだったけれど。
しかしいざそれをテストしてみて、私はその効果に驚愕したのだ。
体感時間と言うより、それはもはや時間の流れから逸脱するような能力に等しかったのだから。
私だけが、ゆっくりと流れる時間の中に身を置くことが出来る。
この灰色の世界で、私と同じ様に動ける者はどこにも居ない。居るとすればそれは、クロノスタシスと同様かそれに近い能力を持ち、そしてこの瞬間その力を発動している者だけだ。
恐るべきこの能力だけれど、代償として凄まじくMPを食う。
時間を引き延ばせば引き伸ばすだけ、私のMPはみるみる目減りしていくわけだ。
だから、急ぐ。
先ずはテレポートにてオルカを、王龍の頭の上へと転移させる。
次いで自身を含めた全員を尻尾の範囲外へ移動させ、直後に巻き起こるであろう、尻尾の大振りによる風圧と衝撃に備え障壁を展開。
そうしてクロノスタシスの特殊能力を解除し、時間を元に戻した。
直後、尻尾は盛大な空振りを見せ、案の定発生した強烈な風圧はしかし、展開しておいた障壁によりきれいに受け流すことが叶った。
その間に、急ぎ裏技にてMPを補充。
肩透かしをくらったクラウは一瞬目を白黒させるけれど、それどころじゃない。
『オルカの影でもどうにもならないようなら、即刻退却するよ! 怪我する前にさっさと逃げよう!』
私の指示に、異を唱える者はなかった。皆もよく分かっているのだ、王龍と今の自身との力量差を。
そこに悔しさを覚えないかと言えば、嘘になる。
私、負けるのって嫌いだしね。たとえ相手がどんな奴であれ、負けるのは嫌いだ。
だけどそれは、仲間たちや自分の命と天秤にかけてどうこうっていうものじゃない。優先順位なんて初めから分かりきってる。
兎にも角にも生き延びるんだ。それが何より優先されるべき、大前提。
そのために、今は持てる手を尽くすのである。
MPを補充しながら、オルカの様子を確認する。
他のみんなは、奴の注意がオルカへと向かぬよう遠距離攻撃で気を引くべく総攻撃を仕掛けており、オルカもオルカで影魔法の行使を急いでいた。
離れた位置からでも強烈な威力を発揮する彼女の影魔法。
相手に直接触れることが叶えば、それは一層強力なものとなる。
加えて獣耳と尻尾を生やしたスーパーオルカの状態であれば、影魔法は通常時とは比較にならないほどの力を発揮するのだ。
であればこそ、もしかして王龍にすら通用するのではないかと。
皆がそんなふうに期待を寄せる中。
結果は何ら勿体ぶるでもなく、ありありと知らされたのである。
『ごめん、無理みたい。体内の影は濃すぎる魔力のせいで全然操れないし、影帯もこいつの力が強すぎて簡単に破かれる……っ』
正しく、歯が立たないとはこういう事を言うのだろう。
オルカの報告を受け、私はすぐさま決断を下した。
『撤退! 全員急いでストレージへ!!』
これを受け、オルカ、スイレンさん、ココロさんと、次々にメンバーたちが自らをストレージへと収納し難を逃れる中、しかし私の指示に従わなかった者が一人あった。
レッカだ。
彼女は愛剣の柄をぐっと強く握り込むと、念話で叫ぶのである。
『ごめんミコト。せめて一太刀、私も奴に触っておきたい! このまま恐怖してこの場を逃げ去るなんて、私は嫌だ!』
ゴゥと、彼女の感情に呼応するように愛剣が強烈な炎を帯び。
殿のつもりなのだろう、未だストレージに入らず残っていたクラウがそれに応えた。
『はっ! いいなレッカ。それでこそだ! 私も付き合うぞ!!』
なんて、二人して熱いノリを展開し始めるではないか。
感化されたのかゼノワも、『ガウガウ!』とテンション高く叫んでいる。
どうやら彼女にしても、何か思うところがあるようだ。
なにせ王龍はドラゴンである。そしてゼノワも、その正体は精霊でこそあれ、姿形は幼いドラゴンのそれだ。
奴の強さに、羨望とも嫉妬ともつかない何かを覚えているらしい。
そんな彼女たちの熱意を見せられ、私だけが引き下がるわけには行くまい。
と言うか正直なところ、実はもう少しばかり残って精霊術でもぶつけてみようかと企んでいたため、制止の言葉が喉につっかえてしまったのだ。
こうなってはもう、仕方がない。
『分かったよ。でも一撃だよ、それ以上は危険すぎる』
『心得てるよ。ワガママを聞いてくれてありがと!』
『なに、私も気持はよく分かるからな。精々壁の高さに打ちのめされぬよう、しっかり気張れよ!』
遠距離攻撃の手段に乏しいレッカだ。
王龍との戦闘態勢に入ってからここまで、スイレンさんを除けば彼女だけが奴に、直接的な攻撃を仕掛けられていなかった。
だから、奴を撃った時の手応えというのを知らぬままなのである。
ソフィアさんですら、魔術を中断して魔法を行使していたからね。
皆が等しく、その無力感にも似た力の差というものを実感している。
レッカも、それが知りたいと。知らぬまま帰ってたまるかと。一人の戦士として、そう叫んだのだ。
迫力に気圧され、恐怖に竦みそうな足腰を叱咤し、クラウを先頭に私たちは駆け出した。
『私が囮を引き受ける! レッカ、お前は全力の一撃を準備しておけ!』
『なら私がタイミングを見てレッカを運ぶよ。敵は既に間合いの内側だと思って、思い切りぶっ放しちゃって!』
『ギャウギャウ!』
『了解! いっくぞぉぉっ!!』
クラウがガンガンと盾を叩く。
敵のヘイトを惹き付ける為の、強力な挑発スキルだ。
『クラウ! もしかするとジャストガードには既に対策を打たれてる可能性がある。十分注意して!』
『マジか! ならばヤバそうな時は助けてくれ!』
『わ、わかった!』
そういうとこはイクシスさん譲りだろうか。変に意地を張るでもなく、上手に割り切りを行う彼女。
であれば私も、最善を尽くさねばなるまい。
尻尾がうねる。
次の瞬間には既に、私たちの頭上より迫るそれ。
衝突の時は、今。




