第五〇一話 王龍
王様の身体がどんどん巨大化し、龍の姿へと変わりゆく最中。
それと対峙する私たちは私たちで、急ぎ戦闘準備を整えていた。
ココロちゃんはココロさんに変身したし、オルカも黒繭に入りスーパーオルカへ。
ソフィアさんは魔術の準備に入ったし、クラウは聖光を、レッカは紅蓮を夫々自身の愛剣に纏わせた。
寝ていたゼノワも目を覚ましたし、スイレンさんだって楽器を……ってメチャクチャ手が震えてる!
「ひ、ひぇぇ~、な、なんでこんなことにぃ~」
「スイレンさん、自信がないならストレージに入ってて! 多分黒騎士戦なんかよりずっとヤバいから!」
「! で、でも~……私だけ逃げるなんて、そんなことできません~!」
パンと自分の両頬を叩いた彼女は、無理矢理に自身を奮い立たせて演奏を始めた。
緊張で喉が力んだのか、最初こそ彼女らしからぬ硬い歌と演奏だったけれど、徐々にそれも吹っ切れていく。
すると必然、バフにより力が漲る感覚を覚える皆。勿論私も。
音楽はすごい。
かつて対峙した中では、厄災級アルラウネに次ぐ迫力を放っているあの王様ドラゴン……略して『王龍』を前に、流石に気持ちで圧倒されかけていた私たち。
さりとてそんな気持ちを奮い立たせてくれるのが、スイレンさんの奏でる音なのだ。
私もまた、換装にて最強装備へと着替え、ツツガナシを構えて戦闘に備える。
王龍はみるみるうちに原型を失い、広大な玉座の間のやたらと高い天井にすら届かん程、巨大な姿へ変わっていく。
ともすれば、ぽかんと口を開けて放心しそうになる程の、現実離れした光景。
さりとて、如何にとてつもなかろうと、現状の奴は変身の真っ最中である。
そして変身中というのは、我々鏡花水月にとって絶好のアタックチャンス。
『仕掛ける! クラウはオルカのガードを! 他のみんなは遠距離攻撃で支援して! スイレンさんは演奏に集中ね!』
念話で指示を出すなり、私はテレポートを発動。
王龍の首元に飛んだ瞬間、その巨木の如く太くなった首筋へ向けて、ツツガナシによる抜刀剣を叩き込んだのである。
ところが。
ガギッと耳障りな音と共に、容易く弾かれた渾身の一閃。
遅れて皆の支援攻撃が変身中の王龍めがけて殺到するも、全く痛痒を与えられていない。
鱗が厄介なのは分かっていたつもりだ。
けれど、以前戦ったドラゴンの鱗なんかとは、全くものが違う。
こちらの攻撃がまるで意味を成していないのだ。
『くっ、まだ変身中なのになんて堅さ……内側から攻めるしか無いね』
柄を握る手に小さな痛みと痺れを覚えながら、即座にプランの修正を告げる私。
ぱっとその場からテレポートで再転移した、その時だった。
つい今しがた私が居た、奴の首筋。
そこを、ベシンと奴自身の尾先が叩いたのである。それも、もし直撃をくらっていたなら、一瞬でぺちゃんこにされていたであろう程のとんでもない威力で。
それを裏付けるように、発生した轟音は耳を劈かんばかりであり。
しかしそれでいて、尾先が叩いた奴の首には、やはり一切の損傷も痛痒も無いようで。
『こいつ、力も凄まじいな。それにその速度も』
クラウがそのように警戒の色を強めるが、それより何より私にとって恐ろしかったのは、心眼が奴の攻撃を予測できなかった点だ。
いや、僅かには感じたのだ。私の存在を意識し、追い払おうという思考の流れは。
けれどそれは、到底生き物の抱く心理などとは異なっており。
さながらAIのように淡々としていて、その決断にも一切の躊躇いがなかった。
まして、そこに伴う感情なんてものは僅かも感じられなかったのである。
もしかしてこいつはNPCなんじゃないかって疑いこそしていたけれど、いよいよそこに真実味を感じた気がした。
何にせよ、心眼があまり当てにならない相手である、ということは間違いない。
その分よく観察し、状況を俯瞰して的確に動かねば、あっという間に詰みだ。
よもや厄災級や骸以外の相手に、ここまでの警戒心を抱くことになろうとは……。
正直、変身すら完了していない今の段階で、既に想定以上だ。
『みんな、今回は本気で撤退も視野に入れるよ。まずいと思ったら躊躇わずにストレージに入って!』
何時になく鋭く放った念話は、途端に皆の緊張感を高めた。
未だ変身の終わらぬオルカも、黒繭の中から困惑の声を送ってくる。
『そんなに強そうな相手なの……?』
外の状況が分からぬ彼女は、具体性の伴わない漠然とした不安を感じているようだ。
そんなオルカだが、王龍の体内から攻略するとなれば、彼女の力が大いに役立つはず。
私は状況の説明とともに、彼女にやってほしいことを簡潔に伝えることにした。
即ち、私たちの攻撃が今のところ一切通じていないこと。鱗がとんでもなく丈夫なこと。
それに攻撃速度、行動の読み難さ、そして攻撃の威力に至るまで、全てが常軌を逸していると。
だからオルカには、変身が終わり次第影を使って、奴の体の内側から攻撃を仕掛けてほしいと。
同じく念話を受け取っていたイクシスさんから、心配する声が届く。
『む、無茶はするんじゃないぞ! どうしても今倒さなくちゃならない相手というわけでもない。分が悪ければすぐに脱出するんだ!』
オルカ以上に状況の分からないイクシスさんは、不安も一入なのだろう。
助けに入ろうにも手の届かないフロアでのことだもの。胸中に渦巻く心細さは、想像するに余りあるはず。
と、そこで彼女は一計を案じ、提案してきた。
『そうだ、私はそっちに行けないが、それなら皆がこちらへ降りてくればいい! そうしたら私が手伝えるぞ!!』
フロアの探索中、試しにイクシスさんをストレージ経由で呼び出せないか実験してみたのだけれど。
しかしどういうわけか、この一〇一階層でイクシスさんを呼び出すと、何故か彼女だけ一〇〇階層に出現するという不思議な現象が起こったのである。
つまりは、どうやってもイクシスさんをこの階層に連れてくることは出来なかったのだ。
勿論他の方法もあれこれ試したけれど、全て失敗。仕様の壁に阻まれたような感じがした。
だがそうであるならば、逆に王龍の方をこの一〇一階層から引きずり下ろしてしまえばいい。それが彼女の出したアイデアだった。
なるほど、良い発想である。
ならばと早速、皆で一斉に一〇〇階層へ下るための階段へと視線を投げたのだけれど。
『……え』
それは誰の発した念話だったのか。
しかしその驚きは、皆共通のものだったと思う。
何せ、先程までは確かに存在した下り階段が、綺麗サッパリ消え去っていたのだ。
さながら、いつの間にか現れる特典部屋の扉と同じ様に、気づいたら起こっていた変化。
レッドカーペットの先にあったはずの階段が、誰の目にも見つけられなかったのである。
まるで初めから、そんな物は存在しなかったとでも言うかのように。
逃げ場は無し。
もし私たちでなかったなら、迫られるのは王龍を打倒するか、それとも死ぬかという二択になるのだろう。
いや、奴の言う「力を示せ」という言葉が、果たして奴を倒すことかどうかというのは、まだ判然としない所ではあるわけだけれど。
何にせよ、イクシスさんの提案は叶わぬことが判ってしまった。
『すまないが母上、どうやらそれは無理なようだ』
『! な、何故だ?!』
『階段が消えてしまった。奴をこのフロアから動かすことは出来ない……!』
クラウの説明に、言葉を失くすイクシスさん。
そうしている間にも奴の変身はどんどん進み。
対して私たちも、どうにか奴の体内へダメージを与えられないかと、手を尽くした。
ココロさんによる打撃なら、斬撃よりも通りやすいだろうと試すも、通用せず。
雷や冷気、或いは強烈な熱を吸い込ませたなら、流石に堪えるに違いないと魔法を仕掛けてみるも、何とやつの纏う魔力が強すぎて魔法が壊されてしまった。
唯一ゼノワの魔法だけは、奴に幾らかの痛痒を感じさせることが叶ったけれど、しかし全くの出力不足。その上ダメージは即座に回復されてしまい、さっぱり勝負にもならない。
「グルゥゥゥ!!」
と、珍しく悔しげに低く唸るゼノワ。
さりとて幾らやっても結果は変わらず。
どころか、奴が煩わしげに振った尻尾は、ゼノワを頭に乗せている私を軽々とぺしゃんこに出来るだけの威力を孕んでおり。回避の度に肝が冷えた。
ならばと眼球や爪の生え際など、攻撃されたらダメージは免れ得ないようないやらしい場所を重点的に攻めてみたところで、精々が小さな嫌がらせくらいにしかならなかった。
歯が立たないと悟るには十分すぎる程に、惨憺たる結果である。
そうこうしているうちに、王龍の変身もとうとう終わり。
ギロリと睨まれただけで、うっかり魂でも抜かれちゃったんじゃないかと錯覚するほどの、鮮烈な恐怖を叩きつけられる私たち。
スイレンさんの演奏も弱々しく、ともすれば気持ちが折れそうにもなる。
けれど。
これに力を示さねば、その先へと行けないのだ。
こいつが何かを隠してる、或いは護っていることは間違いない。
『深淵』とやらを覗くには、この王龍を退ける必要がある。
これには勝てない。そう認めてしまったなら、そこで終わりなんだ。
だけれど事実、今の私たちじゃ勝てないんだろう。
イクシスさんの言うとおり、ともすればコイツは厄災級にも匹敵するのかも知れない。
そんな相手を、今の私たちがどうこう出来るはずもない。
アルラウネの時は、奴が大量の精霊力をバカスカと体内に取り込んでいたことから、偶然に私の攻撃が信じられないほどの効果を発揮するに至った。妖精師匠たちがそう言ってたから間違いない。
しかしこの王龍は違う。
純粋に隔絶した強さを持つ、恐るべき脅威だ。
『ああ……こいつは、ダメだね』
レッカのその言葉が、酷く印象的だった。




