第四九八話 玉座の間
イクシス邸へ引き上げ昼食を摂った後、ソフィアさんにせがまれ物理無効の特訓を行ったり、皆に交じって新装備のテストなんかをしていたら、あっという間に日が暮れてしまった。
百王の塔踏破まで、ほんの一週間ほど。
世に言う一般的な冒険と比べれば、随分と楽な道のりだったとは思う。
何せ攻略途中でダンジョンからパッと脱出し、好きなタイミングで脱出した階層へ一瞬で戻って来ることが出来るっていうんだからね。それだけでも夢のような話だ。スイレンさんが引くのも仕方がないというもの。
しかしそれを踏まえても、やはりダンジョンボスのノーダメージ撃破というのは、間違いなく偉業と呼べるほどの実績であり。
そこに確かな手応えを覚えた皆は、日が沈んで尚、どこか興奮冷めやらぬといった様子でずっとテンションが高かった。
イクシスさんは終始「こんなことなら私も同行しておくんだった……」と心底がっかりした様子だったけれど。
そう言えば彼女は、通常の百王の塔踏破者だったらしい。
それ故か、もう一つの百王の塔や、そこに眠っていた秘密に関しては殊更興味があるのだろう。
「どうして遠慮なんてしたのさ?」
と問うてみれば。
「だって……スイレンちゃんとはその、複雑な縁があるだろう? 私がしゃしゃり出て水を差すのは野暮だと思ったんだ……」
とのこと。
しかしまぁ、もし本当に隠しフロアに『真なる王』が待っているとしたら、絶対強敵に違いない。こんなことならイクシスさんに初めから同行してもらうべきだったかなと、私や仲間たちも少しばかり後悔を覚えていた。
とは言え、今となっては後の祭り。
明日は覚悟を決めて、私たちだけで隠しフロアへ乗り込む他ない。
ダンジョンボスノーダメージ攻略成功と、明日への景気づけも兼ねて、その日の晩餐はイクシス邸にて賑やかな食事会が催された。
祝勝会本番はまた明日ということで、今回はささやかなものだったけれど、私としてはこのくらいのほうが気楽で好きだ。
そんなこんなで英気を養い、明日に備えて早めの解散と相成ったのである。
★
一夜明け。
天気は晴れ時々くもり。風がちょっと強い。
おもちゃ屋さんにて普段どおりの日課をこなし終えた私は、ゼノワとともにイクシス邸へ。
朝食を摂った後、早速百王の塔へとやって来ていた。
ボスを失ったダンジョンは、そこで機能を停止し、消え去るのが本来の在り方とされている。
百王の塔のような特殊ダンジョンに於いても、ダンジョンボスが倒されたならダンジョンとしての機能は損なわれる。
一定期間を置いたあとに再稼働するわけだけれど、もう一つの百王の塔は何かおかしかった。
ダンジョンボスを倒したにもかかわらず、どうにもまだ機能を完全に停止したようには見えないのだ。
確かにボス部屋の壁に開いた大穴はそのまんまだったけれど、しかし隠し階段が現れたのは黒騎士撃破の後だった。
入り口の魔法陣も、未だ赤く輝いたまんまだし。
やはり、出現させた隠しフロアをどうにかしないことには、真のクリアとはならないってことなのだろう。
もしこのまま放置したらどうなるのか? とか、合言葉なんて知りもしない普通のダンジョン挑戦者には、今の塔は一体どういう状態に見えるんだろうか? とか。
気になることは色々あるけれど、今は隠しフロア探索が優先である。
まぁでも、イクシスさんたっての希望により、フロアスキップで一〇〇階層へ移動する前に、彼女も合言葉を唱えてみることに。
合言葉を唱える前までは、イクシスさんには魔法陣が赤ではなく通常のそれに見えていたらしい。
それが、合言葉を唱えた瞬間、赤へと変化した。つまりもう一つの百王の塔は、ダンジョンボスを攻略してなおダンジョンの機能が生きているようだ。
これはもしかすると、今からでも急いで攻略を進めていけば、私たちと同じ条件まで持ってこれるのではないか?
という期待が一瞬過ぎったけれど。
「フロアボスが居ない!!」
マップを頼りに最短最速で第一階層を駆け抜けたイクシスさん。
けれどどうしたことか、フロアボスのリポップが起こらなかったらしい。
それはつまり、ヒントにあった条件の達成が不可能ということであり。
「つまり、イクシスさんはやっぱり隠しフロアには登れないってことか」
「ぬぁあぁぁあぁんでだよぉぉぉぉ……」
ストレージ経由で戻ってきたイクシスさんに現実を突きつければ、その場に膝から崩れ落ち、悲嘆に暮れたのである。
そんなわけで、イクシスさんは一〇〇階層でのお留守番が決定し。
私たちは羨ましげな瞳に見送られながら、いよいよその不可思議な階段を登ったのだった。
相変わらずイクシスさんには見ることも触れることも出来ないその階段。
「おお、皆が宙に浮かんでる……いや、宙を踏んで登っていってる!」
との言葉通り、どうやら彼女にはえらく不可解な様に見えているらしい。
「ぬぉお! 天井に! 皆が天井に吸い込まれていくぞ!」
という驚きとも実況ともつかない声を背に受けながら、私たちはとうとう隠しフロアへと足を踏み入れたのだった。
そこは、一言で言えば『玉座の間』と呼ぶべき広々とした空間だった。
足元には赤い絨毯が敷かれており、床は大理石めいた質の良い石で出来ている。
壁も天井も遠く、今更にはなるが、とても塔の最上階とは思えないような作りになっていた。
っていうか、一〇〇階層より広いっていうのは流石にどうかと思うんだけど。
そしてそんなデタラメに広い玉座の間の最奥。レッドカーペットの行き着く先に、それはあった。
正に、玉座である。
数段高く誂えられた床に、備え付けられた豪奢な椅子。
ここからだと、正直裸眼での目視が難しいくらいには小さく見えるけれど、遠視スキルを使えば何ら問題ない。
到底普段遣いとは無縁の、ごてごてしたあの椅子が玉座でなければ何だというのか。
そして当然、玉座には腰掛ける者もまた居り。
それを視認した途端感じたその言い知れぬ迫力に、私は否応なく確信したのである。
「あれが、王様……百王の塔の主。真なる王……!」
私の言葉に、皆が小さく構えを取る。
が、奴に動き出す様子はまだない。
玉座に腰掛けるそいつは、頭上に王冠を戴く筋骨隆々な男だった。
そのくせ顔に刻まれた皺は深く、ガタイの良さとのチグハグさが異様に見えた。場の空気感も相まって、荘厳かつ不気味な雰囲気が漂っている。
……っていうか。
「まさか、人間……?!」
遠視で見る限り、それがモンスターの類だとはとても思えず。故にこそ私は、いよいよ目を丸くして驚きを口に出したのである。
しかし、それには待ったが掛かる。
「いえ、そうとは限りません。人の姿に化けられるモンスターというのは、たまにいるものですし」
「ですね。或いは、人に近い別の生き物かもです」
「何にしても油断はしないほうが良い」
皆の忠告を受け、気を引き締める私。
とは言え、どうしたって期待はしてしまう。
だって人の形をしてるってことは、もしかすると人の言葉を話すかも知れないじゃないか。
「この様な場所に居る輩が、まぁただの人間であるはずもないだろうな。良くてオバケとかじゃないか?」
なんてクラウは言うけれど、それならそれでいい。話さえ出来れば、何か有益な情報を得られるかも知れない。
「とにかく先ずは話をしてみようよ。彼がどんな存在であるにせよ、わざわざ人の姿をしてるってことは、会話が成り立つ可能性があるってことでしょ?」
「まぁ、確かにそのとおりだね。私は賛成だよ」
「そういう事なら、私も興味ありますー」
レッカとスイレンさんが賛成を示し、他の皆も頷きを返してくれた。
と、一応イクシスさんにもこまめに現状を共有しておく。
最初は秘密道具のカメラなんかでライブ映像を見せようと思ったのだけれど、どうやら映像を介してすらイクシスさんには、っていうか条件を達成した者以外には、ここへ至る階段もこのフロアのことも視ることは出来ないらしいのだ。
階段は透けて見えてしまうし、このフロアに至っては私たちの姿以外全てが真っ黒に見えるらしい。ちょっとした恐怖映像である。
なので、イクシスさんには念話にて、ライブ実況形式でお送りしているわけだけれど。
今の状況を聞いた彼女からは、思いがけない言葉が返ってきたのだった。
『百王の塔の真なる王……人に化けられる上に、それだけの力と威厳を持つ存在となると……もしかするとそいつ、龍種かも知れないな』
龍種、即ちドラゴン。強力なモンスターの代名詞として有名な、おっかない生物である。
そう言えばこの前攻略した特級ダンジョンのボスも、頭の二つあるドラゴンだった。
魔法にも物理にも強い鱗が厄介な上、雷を纏っていて非常に戦いづらかったやつだ。
しかしあいつは人に化けたりしなかったし、会話が成り立つような感じでもなかった。
それに比べて彼はどうだ。
人の姿をしていて、如何にもお話できそうな感じじゃないか。
まぁ、あれが龍だと断定するにはまだ情報が不足しているのだけれど。
何にせよ、コンタクトを取ってみないことには始まらないだろう。
と言うか、既にここは彼のテリトリー内。何時戦闘になったとておかしくないのだ。
『一先ず話しかけてみることにするよ。だけど何時攻撃が飛んでくるかもわからない。みんな十分に注意しておいて』
『了解』
『し、慎重に行きましょう』
『ミコトさん、本当に彼が龍種だとするなら、虫でも払う程度の感覚で我々を殺しにくるやも知れません。普段相手にしているようなモンスターと同じだとは思わないようにして下さい』
『攻撃の気配が通常とは異なるわけだな。私も気をつけておこう』
『なんだろうね、この場違い感。私も下に残るべきだったかな……?』
『お、おなじくですー……』
なんてやり取りをしながら、私たちは静かに絨毯の上を歩き始めたのである。
一歩進む毎に、ずんと重くなるこのプレッシャーは何だろうか。
背中にじっとりと嫌な汗をかきつつ、果てしなくすら感じられる赤の道を、皆で一歩一歩踏みしめていく。無駄にふかふかしやがって!
そうしていよいよ、私たちは揃って玉座を見上げたのである。
押し潰されん程の重圧の中、ついに訪れたのは第一声を発する時。
ところで。
王様って、どう話し掛けたら良いんですっけね?!




