第四九〇話 弱気
ノーダメージクリア。
それは言わずと知れた、ゲームにおけるスーパープレイの代名詞と言っても過言ではない、基本にして奥義が如き至難の業。
まして初見での挑戦である。
相手は間違いなく、特級クラスのボス。現に九九階層を徘徊していたモンスターの強さときたら、先の特級ダンジョンの深層で戦った奴らにも引けを取らなかったほどなのだ。
となれば必然、一〇〇階層を、延いてはこのダンジョンそのものを守護しているダンジョンボスが、生半可な相手であるはずもない。
そんな強敵に対して、ノーダメージで勝利。
普通に考えて無理ゲーである。
しかし私たちも、自分たちが今更『普通』って枠に収まっているとは思わない。
普通に無理ゲーなら、普通じゃない手段を用いて勝てばよかろうなのだ。
例えば、そう。
ゼノワを送り込んで、一方的にボスをボコるとかね。
ゼノワは精霊なので、如何なボスモンスターだろうと彼女に触れることは叶わないはずである。
逆に彼女からは精霊魔法を撃ちたい放題。ノーダメージクリアもらくらく達成ってわけだ。
とは言え、まぁ流石にそんなことはしないけど。そんなの冒険者の矜持もあったもんじゃないからね。
そりゃ私だって一応、冒険者の端くれだもの。グラマスのクマちゃんに顔向けできないようなことはやらない。
だから、そんななけなしの矜持を全うするべく、今回のボス戦は真正面から当たってノーダメージで勝利しなくちゃならないわけだ。
現在はボス部屋の前に皆で集まり、攻略へ向けての最終打ち合わせを始めたところである。
百王の塔最上階ということで、当然というべきかこれまでの階より装飾が目立つし、不思議な荘厳さすら感じられた。緊張感を煽られているみたいだ。
ボス部屋と通路を隔てる扉も、妙に重厚な感じがする。
そう言えばこの、『もう一つの百王の塔』に入る際述べた合言葉に、『真なる王』ってワードが入っていたけれど。
それってつまり、この扉の先にそいつが待ってるってことだよね。
マップウィンドウには既にモンスター反応があるので、入場してから出現するってパターンではなく、でんと待ち構えてるパターンなのは間違いない。
「とりあえず透視のスキルでボスがどんな奴か見てみるよ」
皆にそう告げると、私は早速扉を透かしてボス部屋の中を覗き見た。
部屋の中央には、豪奢な全身甲冑に身を包み仁王立ちする、大柄な白い騎士の姿が一つ。
携えたるは巨大な剣。床に突き立て、杖のようにその柄尻に手を置いている。さながら何処かの騎士王様みたいなポーズだ。
となれば、あれが百王の塔の真なる王。
なるほど如何にも威風堂々、威厳に満ちた佇まいである。
早速私は、今目にしたままの情報を皆に共有。
それを受け、戦略会議が加速した。
「ふむ、ボスは単体か。乱戦が避けられるのならば、無傷での完勝という条件も満たしやすくなるな」
「しかしどんな手札を隠し持っているかは、現状不明ですからね。防御や回避スキルが肝になるでしょう」
と、クラウとソフィアさんが述べれば。
「そもそもさ、無傷って言うけどその定義ってなんだろう?」
レッカがそのように、前提となる『ノーダメージ』の定義を確認してきた。
これには皆で一時逡巡し。
「やっぱり、『全員がHPを全く減らされずにボスを撃破する』ってことじゃないかな」
という内容を共通の認識とした。
メンバーの誰も、1のダメージすら負ってはならない。
こうして考えると、とんでもない話である。
だって、ちょっと躓いて転んだだけでも、普通にHPって減るからね。それすらボス戦じゃ許されないってことだ。
まぁ、ボスの攻撃によるダメージがカウント対象なのか、それともボス部屋で生じるあらゆるダメージが対象なのかは不明なため、転ぶのはもしかするとセーフかも知れないけど、如何な要因にせよHPが減らないに越したことはない。
求められるのは、正に完璧な勝利。
これまでにない、独特の緊張感がある。
特に厄介なのが、一発勝負ってところだ。
ちまちま一〇階層毎に課された条件をクリアし、ここまで登ってきた百王の塔アナザー。
その努力が、たったの1ダメージで水泡に帰す。
そこから来るプレッシャーたるや、ただならぬものがあった。
それ故だろうか。
「あ、あのさ。私、今回は戦闘に加わらないほうが良いと思うんだよね」
なんてレッカが言い出したのは。
ギョッとする私たち。あの何時だって前向きなレッカが、よもやそんなことを言い出すとは誰もが想像だにしていなかった。
するとそれに倣うように、
「わ、私もー、後衛での援護とは言え足を引っ張りかねませんからー……」
と、自信なさげに辞退を申し出てくるスイレンさん。
思いがけない二人の言葉に、一瞬絶句する私たち鏡花水月の面々。
そんな中、最初に口を開いたのは私である。
「い、一緒に戦ってくれないの? ここまで頑張ってきたのに?!」
自分でも意外なくらい、感情的な言葉が口をついて飛び出した。
対してレッカは、気まずそうに苦笑を作ってもっともらしいことを言う。
「だってさ、無傷って条件だよ? 私はここまで来る過程で、この中の誰よりダメージを負ってきた。もし今回もやらかしちゃったら、ここまでの頑張りが無駄になっちゃうよ。それに私が抜けても、鏡花水月ならきっと戦力面でも十分だと思うし」
ぐっと、思わず拳を強く握り込んでいた。私も、レッカも。
彼女の言うことに間違いはない。
レッカの被弾が多いのは事実だし、恐らく戦力的に鏡花水月だけで何とかなるのも事実。少なくとも、ただ勝利するだけなら。
何せ私たちは、未だスイレンさんにある程度手札を隠したまま戦闘を続けてきたのだから。
しかし逆に言えば、彼女ら二人が居たからこそそれが可能だった。余計な手札を切ることなくここまで来れたのは、二人の力があってこそなのは間違いない。
スイレンさんも被弾こそ無いが、ダンジョンボスが如何な攻撃手段を用いるかも分からない現状、これまで通り無傷でしのげるとは限らない。
それを鑑みれば、彼女が辞退したいと言い出すのも理解できる話ではあるのだ。
でも、理屈の上ではそれが正しかろうと、やはり納得はし難く。
私は歯噛みし、眉根にも力が入った。
「だがレッカは、戦いたいだろう? 普通の手段では入れない、もう一つの百王の塔。その主だぞ? 間違いなく貴重な戦闘経験となるはずだ」
「それは……」
クラウの言葉に、ゆらぎを見せるレッカ。
次いでソフィアさんがスイレンさんへ向けて誘惑を掛ける。
「スイレンさんは吟遊詩人として、詩の種を求めて冒険を繰り返してきたのですよね? それなのに、こんな絶好の機会から身を引くのですか? 自ら体験せず、どんな詩を書こうというのです?」
「うぐ。なかなか痛いところを突いてきますねー……」
やっぱり、二人とも挑戦したいという気持ちはあるようだ。それはそうだろう、冒険者だもの。
勿論相手は強敵だ。しかもとびきりおっかない奴に違いない。
ノーダメージだなんだと勝つ前提で話をしてはいるけれど、もしかしたらそれどころじゃない、恐るべき相手だって可能性も否定は出来ないだろう。
それでも、そこに挑んでいくのが冒険者である。
危険の中に何を求めるのかは人それぞれ。
お宝が欲しい人もいれば、名声が欲しい人もいる。誰かを救うために戦う人もいるし、強さを追い求める人も。それにスイレンさんのような、アイデアの種を求める人だって。
求めるものは違えど、私たち冒険者は何かを求めて戦うものなんだ。
レッカもスイレンさんも、今回のボス戦には価値を見出している。
レッカは貴重な戦いの経験を。スイレンさんは世にも珍しい体験談を。
そこに欲しているものがあるのに、敢えて手を引っ込めようだなんて。
やっぱりそれって、冒険者としては間違った選択なんじゃないだろうか。
私は意を決すると、駄々をこねることにした。
「やだ! レッカもスイレンさんも一緒じゃなきゃやだ!!」
〇歳だもん、許されるよね。むしろこねてなんぼの駄々である。
それに実際問題、結局の所はそれが本音なんだもの。
せっかく一緒にここまで来て、最後の最後に気まずい勝利を得ても意味なんて無いじゃないか。
だから、ダンジョンボス戦だって一緒じゃなきゃやだ! とどのつまり、それだけのことなのだ。
すると案の定レッカもスイレンさんも、困った子でも見るような目をこちらへ向けてくる。
ついでにオルカたちの視線もちょっとばかり痛い。
「ミコト、どうしたの急に」
「ミコト様がこのように仰せなのです! レッカ様方の辞退権限は爆散しました!」
「これはアレだな。ミコトなりに色々考えた結果、おかしな手段で押し通ろうというパターンのやつだな」
「ですね。ミコトさん、せめてもうちょっと分かるように説明してください」
「何で分析しちゃうかな?!」
ああ、開始したばかりの駄々っ子作戦が、仲間たちの手であっという間に挫かれてしまった。
やっぱり言葉が足りなすぎたようだ。
思惑を理解してもらえて嬉しいような、邪魔されて悔しいような。
ともあれ、こうなってはソフィアさんの言うとおり、分かるように説明する他ないだろう。
私はレッカたち二人へ向き直ると、一呼吸置いてからゆっくりと語り始めた。
「……確かにさ、分かるよ。二人の言うことも、その気持ちも。だけど、冒険者たるものそんな消極的な理由で手を引っ込めちゃダメなんじゃないかって、そう思ったんだ」
「!」
「そ、それはー……」
「そりゃさ、まだ冒険者になって一年にも満たない新人の言うことだもん。説得力なんて無いかも知れないけど……でも、私なりにこれまで色んなものを見て、様々な経験をして、その上でそう感じたんだもん。勿論引き際は大事だし、強すぎる相手にはそもそも喧嘩を売るべきじゃないとも思う。でも、今回はそうじゃないでしょ?」
「え、ちょ、ま、一年……? えー……?」
おかしなところで引っかかりを覚えたらしいスイレンさん。
まぁそこは敢えて気にしないでもらうとして。
「失敗したらまた塔を登り直せばいいだけじゃん! たかが一週間だよ! なんてことはないさ! だから一緒に戦おう!!」
「ミコト……!!」
「え、えっと、そもそも私にとっては強すぎる相手なんですけどー……」
「大丈夫だスイレン。私が守ってやる」
「!! ク、クラウさんー……!」
ここぞとばかりに差し込まれたクラウのイケメン発言に、まんまと陥落したスイレンさん。頬がピンク色である。
そしてレッカは、ガッシリと私と握手を交わし。
「分かった。ミコトがそこまで言うんなら、私も精一杯頑張るよ!!」
と、実に彼女らしい熱い反応を返してくれたのだった。
斯くして私たちは具体的な作戦を話し合った後、皆で揃ってボス部屋の中へと足を踏み入れたのである。
無論、始まりは奇襲から。




