第四八八話 沈黙と蜘蛛猪
一一階層の攻略は順調に進んだ。
さして代わり映えのしない塔の景色の中、階層によってラインナップがちょいちょい変わるモンスターに適度な歯ごたえを感じながらも、私たちの攻略速度は未だ陰りを見せず。
言ってもまだ一〇〇階層中の一一階層目。苦戦するには早すぎるので、現状は及第点でしかないわけだけれど。
一時重たくなった、私たちスイレン班の空気。
さりとてそれも今はすっかり失せ、むしろスイレンさんには幾らか吹っ切れた様子すらあった。
私がモンスターに対して容赦のない戦法を取ろうと、いちいち大げさに驚いたり引いたりすることがなくなり、むしろ良いぞもっとやれと言い出す始末。
当人曰く、
「ミコトさんは、もはやそういうものーって考えるようにしただけですー」
とのこと。
なんだか釈然とはしないものの、そこは私も敢えて深く考えないようにしておく。
きっと私がイクシスさんとかサラステラさんみたいなレジェンズに感じる、越えられない壁、みたいなものを私に対して感じちゃったんじゃなかろうか。私と言うよりは、スキル格差みたいなものに対してなのかも知れないが。
そう考えると心の距離が開いたようで、ちょっと寂しくもあるのだけれど。さりとてそれも一つの割り切りである。
一一階層でのフロアボス戦の折には
「さぁミコトさんー! どんなゲスい指示でもびっくりスキルでもバッチコイですよー!」
とかなんとか。
私のこと、ホント何だと思ってんだ。
「ならスイレンさんを囮にした立ち回りを試そうか。スイレンさんの演奏が戦力の要だって相手に思わせることが出来たなら、一気にヘイトが向くだろうから。そこをガッと叩く感じで」
「ひえぇ、前言撤回ー! 道徳心を大事にしましょうー!」
「大丈夫ですよ、ミコトさんの張る障壁は硬いので」
「物は試しだよね!」
「誰か味方は居ないのー?!」
まぁ、やり取りにも一層遠慮がなくなったってことで、怪我の功名だったのかも知れない。
ソフィアさんもレッカも面白がってるしね。
あと、一〇階層フロアボスから得られたドロップは、全ステータスに常時6の上昇補正を及ぼし、且つHPがじわじわ自動回復するって効果の特殊能力を持つ首飾りだった。
ハイ・ゴブリンの歯と思しきものがジャラリとぶら下がった、シャーマンめいた首飾り。
かなり性能の良い装備だけれど、なにせ可愛くない。
結局所有権は、最後まで上げた手を降ろさなかったレッカへと渡り、今は彼女の首元でジャラッと時折音を奏でている。
まぁ常時小回復は、前衛で生傷の絶えない剣士にもってこいだろう。
彼女の手に渡るべくして渡った、というわけである。決して見た目がいまいちだから譲ったとか、そんなね。まさか。ワガマママウントフラワーじゃあるまいし。
★
時刻はいつの間にやら午後四時を回り、皆に少しずつ疲労の色が見えてきた頃。
せっせと攻略を続けた結果、私たちの到達階層はなんと、二〇階層にまで至っていた。
流石にスイレンさんに重力を軽くした、いつもの移動方法を強要するのには気が引けたため、普通に駆け足攻略を行っての二〇階層だ。
一階一階の広さが控えめだったとは言え、なかなか良いペースであることは間違いない。
一方でオルカ班だけれど、何処にどんな形で隠されているとも知れないヒントを見つける作業というのは、なかなかどうして大変であるらしく……っていうか私もコミコトで一緒になって探していたため、全く人ごとではないのだけれど。
常にあっちこっち注意を張り巡らせたせいで、まぁ疲れた。
けろっとしているのはオルカくらいのものである。
彼女はダンジョンに潜ると、いつもこのくらい真剣に周囲に意識を張り巡らせ、罠を警戒してくれているのだ。
だからこそ耐性があるわけだけれど、そこまで慣れるのには相当な努力と苦労があったはず。
うちの斥候担当、想像以上にすごい娘です。誇らしい。
で。
そんなオルカ班の頑張りもあって、新たなヒントが発見されたわけだが。
見つかったのはこの二〇階層。
その内容は前回と同じく、文字による指示だった。
『言葉を交わすことなく撃破せよ』
このことから、幾つかの推測が成り立つ。
既にフロア中央の広間前に集結し、しかしそのヒントゆえ念の為念話を介して話し合う私たち。
『これって多分今回のフロアボス戦では、指示出しとか声での合図とか、そういうのを一切禁止するってことだよね』
『それじゃ、念話はどうなんでしょう?』
『使わないのが無難』
『ハンドサインでも決めておきますか』
そう言って、幾つかの手の形を作ってはポーズを決めるソフィアさん。表情筋は鈍いくせに、身体はよく動くらしい。コンテンポラリーダンスとか得意そうだ。
それにしても戦闘中のやり取りが禁止というのは、念話に慣れている私たちにとって、ちょっと難しい条件かも知れない。
ハンドサインも実際有効な合図になるだろう。
『どうする、今回もそちらの班でやるか? 無難なのは鏡花水月で当たることだと思うのだが』
『それはそうだろうね、手の内を熟知している間柄だもの。予期しないことが起こっても、柔軟に対応できそうだし』
『私の場合、そもそも詩が言葉として捉えられかねませんー。控えに回ったほうが無難ですー』
というわけで、今回のフロアボスは急遽班を崩し、鏡花水月で当たることが決まったのである。
とは言ってもやり取りを全くせずのPT戦闘か。何気に初の試みかも知れない。ちょっと緊張する。
早速軽い打ち合わせに入るわけだけれど。
『とりあえず今回はプランAだな。なのでミコトは秘密兵器だ』
と、早速外野に回されてしまった。
おさらいすると、プランAは私というへんてこスキル使いが、みんなにとってのチートツールにならないためのプランである。
なるべく私のスキルを廃した、真っ当な戦い方でぶつかるというのがコンセプトとなっている。
そしてプランBでは、私が率先して介入。まさにリーダー然とした立ち回りを披露することになる。
ただ、プランBこそ念話に頼ることになるので、今回の戦闘には不向きだろう。
そのことは皆も既に理解しており。
『Bには頼らない。Aで十分』
『以心伝心阿吽の呼吸ツーカーというのを、レッカさんたちに見せつけるのです!』
『ふ、腕が鳴るな!』
『一先ず作戦を立てましょう』
と、やる気満々な様子。
私、ちょっぴり蚊帳の外感。寂しい。私同様ゼノワもしょんぼりである。
それはさておき、広間の中央で待っているフロアボスは、やけに細長い八本脚を持つイノシシだった。
まぁ気持ちの悪い外見である。まさにモンスター。
ソフィアさん情報によると、『スパイダーブル』というらしい。
その長くしなやかな脚をバネのように使い、みょいんみょいんと跳ね回るのだそうだ。
イノシシらしく突進も強力な武器で、時折凄まじい速度で体当りして来るのだとか。
『それに加え、ハイ・ゴブリンの例もあります。普通の個体ではない可能性を考慮しておくべきでしょう』
ということで、私たちは戦闘前に結構ガッツリと打ち合わせを行い、本番に臨むこととなったのである。
まぁ念話でのやり取りなので、実時間にすれば然程のこともないのだけれどね。
ともあれ、準備は完了。
レッカとスイレンさんに見守られながら、いざ戦闘開始である。
初手にオルカ。影帯でいきなり奴の足をがっしり捕まえると、グサッとそこから棘を突き立てダメージを与えた。
と同時、蜘蛛猪の胸元にて核が光り始める。
それを認めるなり、突っ込んでいくクラウとココロちゃん。頼もしい背中である。
そんな二人へはバフを掛けつつ、状況を俯瞰する私。
ソフィアさんは閃断のタイミングを狙っているようだ。何せ初見殺しだもの、最も動揺の狙える場面で仕掛けたほうが、そのまま決着に持っていきやすいからね。
と、ここで異変。
クラウとココロちゃんの接近を認めるなり、突然体に火を纏った蜘蛛猪。
その灯りにより影の力が緩んだのだろう。奴は思い切り床を蹴ると、強引に拘束を脱出。かなりの脚力である。
もしかすると体に火がついたことで、火事場の馬鹿力、みたいなブーストが掛かったのかも。
何にせよその脅威度は一気に跳ね上がった。恐らくこれが奴の特異性。
この状況変化を受け、仲間と言葉を交わせないというのは確かに厄介だ。
さて、クラウたちはどう動くのか。
と、ここでソフィアさんがハンドサイン。と同時にポージング。なにそれマイブームなの?
事前の話し合いにより、幾つかのパターンを想定してある。
ソフィアさんの送った合図は、その内の一つへ作戦をシフトする、という意味をはらんでいた。
即座にそれを理解した皆は、各々次の動きへ移る。
オルカが気配を顕にして姿を見せ、影帯をわざとチラつかせた。
奴にとって、優先的に警戒するべき脅威である影帯。何せ今のところ、自身に確かな痛みを与えたのはそれだけなのだから。ならば必然、影帯の操り手を見つければ、自然とヘイトはそちらへ向くだろう。
案の定バネのように身を縮めたかと思えば、とんでもない速度でオルカへと突っ込んでいく蜘蛛猪。
だがその時だ。
ガンッ! とクラウが一つ自身の盾を叩いて鳴らせば、突然奴の動きが不自然に曲がったではないか。
無理やり敵の攻撃を自らの盾へ引き寄せる、クラウの盾スキル【メナステイカー】の効果だ。
進行方向は歪に曲がり、蜘蛛猪の突撃はクラウめがけて一直線。
そうなれば待ち受けるのは、彼女の十八番である。
ジャストガードによりダメージを無効化。と同時に衝撃を反射。
大きく吹き飛ばされた奴へ、迫るは金棒を振りかぶったココロちゃん。
ぎょっとして体勢を立て直そうとするも、踏ん張るはずの足がその瞬間、満を持して放たれたソフィアさんの閃断により断ち切られ。
私のバフをガッツリ受けたココロちゃんの一撃が、的確に奴の核を肉の上より叩き潰したのである。
斯くして二〇階層のフロアボスは、戦闘開始から程なくして黒い塵へと還ったのだった。




