第四七九話 スイレン
英雄の街グランリィス。
美しい白い街並みが特徴的な、非常に治安の良い街である。
それというのも、ここには世界中から英雄の冒険譚が集められており、書籍から演劇、創作物に各種グッズなどなど、英雄にまつわる様々な物が一堂に会している。
謂うなればこの街は『英雄ヲタクの聖地』とでも言うべき場所なのだ。
そんなこの街でうっかり悪事を働こうものなら、それはもう酷い目を見ることになる。
誰も彼もが英雄に、殊更大英雄たる勇者イクシスに強い憧れを懐いているから。
自身もそんな、後世に名を残せるような英雄になりたいという尊い夢を懐いた冒険者も、ここには多く集っているのである。
そんな彼らの前に、悪党が現れようものならどうなるか。
そう。それはそれはとんでもないことになる。
だが、集団で一人を囲んだのでは、それはそれで英雄にあるまじきことであるとし、この街ではしばしば『真の正義って何だ……??』という話し合いが井戸端感覚で行われていたりする。
ここはそんな、英雄の街。
英雄に憧れる人々のユートピア。
そんな個性的な街に、今一人の少女が足を踏み入れた。
街門をくぐり抜けた彼女は、その真っ赤なショートヘアーをフワリと風に撫でられながら、感慨深げにため息をつく。
「はぁ……やっと着いた……!!」
彼女の名はレッカ。
卓越した剣技を操る、Bランクのソロ冒険者である。
長らくせっせと一人この街を目指し旅を続けてきた彼女は、途中なんやかんやとトラブルに巻き込まれたり人助けに奔走したりと、結構な冒険を経てようやっとここへ至ったのだ。
その道のりを思えば、喜びも一入。ぎゅっと拳を握り、ふるふると静かに達成感を噛み締めたレッカ。
しかし何時までもその場に突っ立っているはずもなく。一つ息をついた彼女は改めてぐるりと街並みを見渡した。
以前も見た景色だけれど、やはり美しいところだと。レッカの口元は自覚もなく綻んだ。
今日からはこの街を拠点に活動する予定なのだ。それを思えば、嫌でも気持ちが高揚してくる。
時刻はお昼過ぎ。先ずは滞在する宿を探さなくちゃならない。そうしたら……。
「ふふ……急に訪ねたら驚かれるかな? 早くみんなの顔が見たいな!」
思い浮かべたのは、以前お世話になったお屋敷の人々の姿。皆との再会も、この街を目指した理由の一つであった。
急に顔を見せたなら、きっとビックリするに違いない。
少しばかりの悪戯心を胸に、旅疲れを感じさせぬ軽やかな一歩を踏み出したレッカ。
その時だった。
視線の先、通りを横切るフワリとした青色がその目にとまったのは。
ドキリと。
どういうわけだか胸が高鳴った。
と同時、脳裏にとあるビジョンが浮かび上がってくる。
あれは暫く前のこと。不思議な力を持つ友達が見せてくれた、とある『記録』。
そこに、あの青を見た気がしたのだ。
小さく念じれば、彼女の視界に表示される一枚の窓。或いは厚みという概念のない板。
それは友達が自身に提供してくれている力の一つ、【アルバム】を映すウィンドウだった。
レッカはこれを慣れた様子で操作する。念じるだけで思った通りの効果が反映される、謎の塊が如きその窓を眺めながら、直ぐに一枚の写真を呼び出した。
そして、「やっぱり……」と小さく漏らす。
レッカの目にしか映らぬその窓には、確かに先程目にした青色の髪を携えし、吟遊詩人の姿が映し出されていたのである。
そうと確信するなり、レッカの足は自然と動いていた。
先程の人影を追うように、白の街並みを駆け抜けたのだ。
そうして一心不乱に青い髪を追いかけて、くぐり抜けた扉は。
冒険者ギルドのそれだった。
時間帯も時間帯なので、ロビーに冒険者の姿というのは殆ど無く。
代わりにスタッフが働いている姿が目立ち、他には依頼を出しに来た相談者らしき人の姿を見かける程度。
そんな最中にあって、青髪の吟遊詩人はと言えば。
「はわー……ここがグランリィスの冒険者ギルド、英雄の卵たちの集う巣箱ー!」
ロビーの真ん中で、うっとりと自分の世界に没入していた。
時折ホロホロと独り言が口から漏れている。
その背を何とも言えない表情で見つめるレッカは、今更になって思う。
(何となく追いかけてきちゃったけど、その必要ってあったのかな……?)
込み入った事情から、レッカは友達であるところのミコトより、彼女と馬が合いそうな人物、即ち『キーパーソン』を探すよう頼み事をされている。
そしてこれまた複雑な事情で、目の前のこの吟遊詩人がキーパーソンであることは確定しているのだけれど。
しかしまたまたのっぴきならない出来事を踏まえた上で、既に彼女の出番は終わっているのである。
キーパーソンはキーパーソンでも、別にミコトへ紹介する必要のない人物。
それでいて、ちょっと人には言えないような事情から、一方的に彼女のことを知っているレッカ。
しかし現状、紛うことなき初対面だ。いや、背中を見ているため対面してすらいない。未対面だ。
こうして思い返すと、自身も随分おかしな事に加担しているなと苦笑しながらも、考える。
そんな相手を、わざわざ追いかけてまで何をしようというのか。
レッカは自身の起こしたアクションに、急に自信がなくなり。
さりとて。
(ま、いっか)
持ち前の軽いフットワークに任せ、それ以上敢えて深く考えるでもなく、取り敢えず声を掛けてみることにしたのだった。
「こんにちは、そこの青い髪の人」
「?」
斯くしてこの日レッカは、偶然か必然か青い髪の吟遊詩人と面識を持ったのである。
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「というわけでですねー、この街にはずっと興味があったのですよー! 話に聞いていたとおりー……ううん、それよりもずっと素敵な街ですー! 通行人がみんなイキイキしてて、キラキラしてるんですもんー。同好の士にもたくさん出会えそうですよー。出会いと言ったらレッカちゃんみたいな素敵なお友達も早速できちゃったし、来て正解でしたグランリィスー!」
「あはは、よく喋るねスイレンは」
穏やかな昼下がりの陽気の中、喫茶店の窓際席で向かい合うレッカと青髪の吟遊詩人こと、スイレン。
遅めの昼食を摂りながら彼女の話に耳を傾けるレッカは、やっぱり声を掛けてみて正解だったと、自らの判断を内心にて称賛していた。
だってそうだ。レッカにとっては必要性がどうとかじゃない、友だちになれるならそれで良かったのだから。
そして案の定、話してみたら面白い娘だった。
彼女は如何にも吟遊詩人らしく、面白そうな話を聞きつけては西へ東へ、危険も顧みずフラフラと引き寄せられるように向かい。
幾度となく修羅場を潜っている内に、なんと今ではAランク冒険者にまで上り詰めていたというのだから驚きである。
Aランクと言えば、英雄並みの力と活躍を認められた者にのみ与えられる格付けであり、当然生半可なことではない。
当人からは全く強そうな気配なんてしないのに、さりとて不思議な強かさを感じ、こんな人も世の中には居るのだなぁと、そう言った意味でも彼女と知り合えたことに喜びを感じるレッカであった。
「あのですねー、私ですねー、お話するのも歌うのも、それを聞いてもらうのも大好きなのですけれどー、それと同じくらいお話を聞くのも大好きなのですよー」
「私の話が聞きたいってこと?」
「はいー!」
「おっけー、そうだねぇ。それじゃぁこの街に来るまでのエピソードでも語っちゃおうかな」
時間泥棒とは、もしかすると彼女のような人のことを言うのかも知れない。
いつの間にか橙色に染まった太陽を眺めながら、レッカは小さな苦笑を漏らした。
間延びした独特な口調と、途切れることのない彼女のトーク。
苦痛を感じるでもなく延々とそれに付き合っていたレッカは、今になってあることを思い出した。
「あ、やばっ! 私まだ宿取ってないや!」
「えっ、えっ、そうだったんですかー? ごめんなさい、長々と付き合わせてしまってー……」
「あはは、平気だよ。今からでも探せば宿の一つや二つ見つけられるだろうし」
宿の部屋が全て埋まっているだなんて、何かしら催し物でも行われていない限りそうあることじゃないだろう。
問題は宿の質だが、幸い治安の良い街である。多少お安い宿でも然程の問題もないはず。
こんなことならギルドでオススメの宿でも聞いておくのだったと、小さな失策に気づきつつも、かと言って気にするほどの失敗でもない。
「それじゃスイレン、私行くよ。よかったらまたお話しようね!」
「あ、待って待ってくださいー! それでしたらレッカちゃんも、私と同じ宿に泊まりませんかー? きっとお部屋もまだ空いてると思うのですよー」
「ほんと? 助かるよ!」
すっかり長くなった影を携え、オレンジと黒に染まった街並みをのんびりと横切る二人。
話し上手なスイレンの多彩なエピソードトークはついぞ終わりを見ぬままに、太陽はゆっくりと彼方へ沈み姿を隠したのである。
宿の食堂では初めて彼女の歌を聴いた。
その澄んだ水が如きクリアな歌声と、洗練された手並みで掻き鳴らされる弦楽器は、聞く者皆の心を鷲掴みにするようで。不思議な力が込められているようにも感じたレッカだった。
彼女曰く、吟遊詩人の奏でる音には味方に力を与える効果があるとかなんとか。
スイレンの音楽を耳にし、ようやっとレッカはその意味を肌で感じたような、そんな感想を得た。
ステージと食事が済んだなら、スイレンの部屋で夜遅くまで話の続きをする。
話題は何時まで経っても尽きることを知らず。気づけば揃って寝落ちしていた。
結局、レッカが念話を通じて皆にスイレンのことを知らせたのは、翌朝になってのことだった。




