第四六四話 飛び級
空気が重たかった。
それはそうだろう。何せ私たちが今行っているのは、なかなかどうして正々堂々とはかけ離れたエゲツない行為なのだから。
空間魔法は非常に強力だ。流石に隔離障壁ほどではないにせよ、イクシスさんが蹴っても揺らがぬほどには頑丈なのだから、それはもう生半可ではない。
故に、変身に伴い肉体を膨張させる無印くんを閉じ込めておくのに、何ら支障はなかった。
すると当然、空間魔法により体にジャストフィットするようあつらわれた窮屈な不可視の箱の中、膨らむ肉体の変化は行き場をなくし、肉体の内側へ強烈な負荷を掛けてしまう。
結果として、骨がバキボキと折れ、関節も酷く損傷し、内臓も圧迫されて幾つか破裂した。
頭蓋骨にもヒビが入り、やがて脳にも取り返しのつかないダメージが行くのは間違いない。
よもや窮屈な箱に閉じ込められるだけのことが、このような惨事に繋がろうとは、変身を始めた無印くん自身だって予想だにしなかったことだろう。
きっと変身を決めた彼には、怒り任せに影の拘束を破って私たちを皆殺しにする。そんな未来像が見えていたに違いないのだから。
それが、蓋を開けてみればどうだ。
影帯に拘束されたまま空間魔法に封じ込められ、変化していく肉体によりまさかの自壊が始まってしまった。
心眼を通して、彼が死の予感に恐怖していることがひしひしと伝わってくる。
それと同時、この理不尽への凄まじい怒り、怨嗟とも言えるそれを懐いていることも。
今更、そんな状態の無印くんを開放しようものなら、一体どれほど怒り狂って大暴れするかも分からない。考えただけで身が竦むようだ。
さりとて、このまま無印くんが黒い塵へと還ってしまったのでは、私たちの狙いが叶うこともない。
それゆえ待っているのだ。
無印くんが変身を遂げるのを。それに程よくダメージを負い、満身創痍になるのを。
下衆の所業だとは思う。勿論いい気分ではない。
が、忘れてはならないのだ。
ここは特級ダンジョン。人間が踏み込むような場所ではない。
本来なら特級冒険者という、公式に人外認定を受けたような者だけが立ち入れる場所であり、私たちはまだソレではないのだ。
だから、非道だろうと下衆の所業だろうと、掴んだ優位を同情で手放すような真似は出来ないのである。
罪悪感からは逃れるべくもないけれど。
『ミコト、変身が終わったみたい』
と、オルカからようやっとその知らせが念話にて届いた。
ならばこれ以上体は大きくならないだろう。が、このまま放置しているだけで、無印くんは直に力尽きるに違いない。
『分かった。それじゃ、空間魔法を解除するよ。みんな十分に警戒して、無印くん滅茶苦茶怒ってるから。影魔法は解かないでね』
念話で皆に指示を飛ばせば、即座に気を取り直して各自構えを取る。
私はそれを認めると、小さく息をつき、意を決して空間魔法より無印くんを解放したのだった。
皆に緊張が走る。迸る殺意は濃密で、弱り切ってるとは言え、死力を尽くして飛び掛かってくる可能性すら十分に有り得る。そう感じさせる程の雰囲気を、影帯越しに奴は発していたのだ。
だが殺気とは裏腹に、どうやらダメージは余程深刻だったらしく。
空間魔法より開放された無印くんは、直後ドチャリと床の上に倒れ伏してしまったのである。
影帯にくるまれており、その中身がどの様なことになっているかは分からないけれど、どうにも些か形が歪なようには感じられた。
依然としてこちらへは凄まじい敵意を向けてくるものの、既に踏ん張りの利くような状態ではないらしく。正に虫の息といった体であるようだ。
こうなっては、一思いにとどめを刺してやるのがせめてもの情けだろう。そんな恩着せがましいことを宣うつもりもないけれど。
『まずは私が核の位置を教える』
そう言って、弓を構えたのはオルカだった。
彼女はもはやピクリとも動かない無印くんへ向けて、矢を一本バスンと容赦なく打ち込んだ。影帯にくるまれたその体は、もはや何となくしか体の部位も判断がつかないのだけれど、恐らく胸の辺りを射たのだろう。
しかし疑問なのは、オルカはその矢でどうやって核の位置を知らせるつもりなのだろうか?
なんて私が小首を傾げていると、その答えは目の前に現象として示された。
オルカの矢は、残念ながら核を砕くほどの威力を持っていなかったらしい。それどころかこんな状態になって尚、無印くんの防御力は余程高いと見える。鏃は僅かに奴の体へ埋まっただけに過ぎなかったのだ。
だが、それで十分だった。
何と矢が刺さった瞬間、影帯越しにもはっきり分かる、一等星が如き光が一つポツンと赤く灯ったのである。
『この光が核。すぐに消えるから、その前に狙って』
『了解しました。発射します』
『ひっ、みんな離れておかないと火傷するぞ!』
いつの間にそんな便利スキルを覚えていたのか、オルカのスキルにより無印くんの核が輝きを放ち始めた。
どうやら物質やオルカの影帯すら貫通する特殊な光らしく、私たち全員がそれをしかと捉えることが出来た。
となれば後は射抜くだけ。ソフィアさんの出番である。
先程余波で痛い目を見たクラウは、皆に十分な退避を呼びかけ、我先にと大げさに飛び退いた。私たちもそれに従い射線上から十分に距離を取る。
直後だった。
『発射』
ソフィアさんの平坦な合図の後、彼女のかざした手の先よりパッと飛び出したのは、鉛筆ほどの細いビームだった。
それが視界に一文字を描いたかと思うと、狙い過たず核を示す赤い光へと見事に照射されていたのである。
だが。
『! まさか、抵抗してる?!』
『核に届いてないみたい』
『バカな……既に立ち上がる力すら残っていないだろうに、そんな事が!?』
『待ってください、何かおかしいです……どんどん気配が強くなっていってます!』
『まさか……変身が、まだ続いていたということですか?!』
目をやられぬようにと展開した遮光魔法の向こう側。ソフィアさんの放った細い熱線は、確かに無印くんへ突き刺さって見えた。
しかし如何した事か、熱線の先端は核の光へ到達せぬまま消失しているのである。あまつさえ熱線の飛び込んだ穴からは、逆流した光が花火のように凄まじい勢いで飛び散っており、あわや大惨事である。
私はとっさにそれを障壁にて封じ込め、辛うじて事なきを得ることに成功しつつ、引き続き状況を見守った。
熱線の照射も、無印くんの抵抗も続いているのだ。
数秒。スキルの効果が切れたのか、核を示す光は失せ、オルカがすぐさま追加の矢を打ち込んだ。
ついでである。私も無印くんの気を逸らすべく、魔法で光の矢を作り打ち込んでみる。
時間の問題だ。最後の悪足掻きだ。すぐにでも熱線は奴の核を焼き貫くに違いない。
私を含む、この場の誰もがそう思っていたのだけれど。
しかしココロちゃんの言うとおり、どうにも不穏な空気が漂い始めていた。
奴は事ここに至ってなお、敗北を認めていない。生きることを諦めていない。
反骨精神と呼ぶには、あまりに強かな意志。悍ましい程の怒気と殺意。
何が何でも私たちをボコさなくっちゃ気がすまないっていう、凄まじいまでの激情でもって、奴は死にかけの状態にも拘らず運命に抗ってみせたのである。
その結果、私たちの予想に反し熱線は依然として核に届かず、私の嫌がらせもまるで意に介さず。
挙げ句、ボコリと奴のシルエットが変化を始めたのだ。
強烈に嫌な予感がした。
『全員ソフィアさんの援護を! 今仕留めないと多分ヤバい!』
私の発した警告に、皆の対応は素早かった。
オルカは影を操作して無印くんを串刺しにし始め、クラウは魔法による攻撃を叩き込み始めた。
ココロちゃんは遠距離攻撃をほぼほぼ有していないため、一瞬あわあわと慌てた後、足元に落ちていた瓦礫の破片を手当たりしだいに投げつけ始め、ソフィアさんは熱線を幾らか太くするとともに、その出力を引き上げてみせた。
ゼノワも皆に負けじと私の頭上から、ビームをバシバシ奴へと浴びせ掛けている。
そして私はと言えば、これみよがしにレラおばあちゃん直伝のスキルを発動する。
それは厄災戦の折、イクシスさんの技を超強化してみせたブースト技。
その名を【ブーストリング】という。任意の場所に輪っかを生成し、その内を潜ったスキルの威力を大きく引き上げる効果を持つ。
この輪を熱線の射線上に生成。熱線は当然輪を潜ることとなり、その火力は一層凄まじいものとなった。これならば不穏な様子を見せる無印くんとて、一溜まりもないはずである。
そう、思ったのに。
『なん……だと……?!』
熱線は確かに奴の抵抗を物ともせず、その核へと至った。
だと言うのに、あろうことかそれを破壊することが出来ずにいたのだ。
あり得ない。
如何な特級ダンジョンのボスとて、この威力の攻撃をまともに受け続け、破壊を免れる核だなんて、あり得るはずがないのだ。
明らかな異常事態。一様に皆が動揺する中、念話にてオルカが叫んだ。
『ミコト、徒花を!』
『わ、わかった!』
こうなってはレアドロップ狙いがどうだとか、そんな呑気なことは言っていられない。
無印くんのHPは現在、間違いなく一割を切っているはずだ。私の必殺技で一気に飛ばせるはずである。
急ぎ黒宿木を発動しようとした、その時だった。
バヅン! と、内側から爆ぜる影帯。
さながらそれは羽化の如く、黒き繭を突き破り。途端に溢れ出したるは、絶対強者の気配。
生存本能が警鐘を鳴らす。あれはまずいと。
厄災級を除けば、ここまで凄まじい威圧感を放つモンスターになんて、出会ったことが……無くもないか。尤もそれは、イクシスさんと一緒に行動していた時のことで、自分たちが相対するとなるとこれが初めてだ。
徒花は、もう間に合わない。
影帯を引き裂き、濃密な殺気を身に纏いながら現れたのは、案の定先程までの無印くんとはまるで異なる姿をした一体のモンスター。
所詮ただのマッチョなトカゲでしかなかったスーパーリザードマン。
さりとて私たちの前に立ったそいつは、もはやトカゲですら無い。
頭には二本の角。背には翼を携え、鱗は金色の輝きを放っている。
ドラゴンだ。人型のドラゴンがそこに立っていたのである。
人型とは言っても、創作物で描かれるような人間ベースのキャラクターとは違う。頭部は間違いなくドラゴンのそれであり、そのくせスーパーリザードマンの特徴そのままに、人間の戦士が如きバキバキの肉体を有している。
そこには既に、損傷の一つも認めることは出来ず、変身に伴い全回復したことが見て取れた。
おまけにドラゴンだもの。鋭い牙と爪もしかと備えていて、あんなので引っ掻かれようものなら容易く八つ裂きにされてしまうだろう。
どうやら私たちは、とんでもないやつを顕現させてしまったらしい。
まるで品定めでもするかのように、ギラついた目で私たちを睥睨する無印くんだったもの。
『これが……スーパーリザードマン・スリー……?』
さながら蛇に睨まれた蛙が如く、身を強張らせてその様に問えば、同じく緊張したような声が返ってきた。
しかしその内容は、想像だにせぬもので。
『いえ、違います……これは、この姿は……スーパーリザードマン・フォー。スーパーリザードマンの特異種です!』
っ……べぇ。




