第三八五話 常習犯
あれよあれよと、早くも修行を始めてから一ヶ月と半分ほどが過ぎた。
正に戦力強化月間とでもいうべき濃密な日々に、私は随分と疲労を溜め込みこそしたけれど、それだけの成果は間違いなくあったと自負している。
いつの間にやら年も越し、折角の異世界で迎える初めての年越しイベントも、随分と簡略化されたものでしか無かったのは如何とも心残りではあるものの。
さりとてそれはまた来年のお楽しみってことで。寧ろ『今年一年死ねない理由が出来た、とでも考えればいい』とは、冒険者の先輩方より賜った有り難いお言葉である。
そうして現在。
私たちは久しぶりにイクシス邸の会議室へ集い、この強化月間の成果報告会を行っている最中であった。
参加しているのはお馴染みの鏡花水月、蒼穹の地平に加え、レッカにチーナさん。
イクシスさんにサラステラさん、レラおばあちゃんも居り、そこに加えてオレ姉。
そして、何とオレ姉の師匠であるゴルドウさんまでもがやって来ていた。まぁ、錚々たる顔ぶれである。
冒頭の挨拶もほどほどに、早速イクシスさんの司会により始まった報告会。
先ずは皆が気になっているであろう、『綻びの腕輪』の育成状況について、私から説明させてもらうことに。
人が多いと緊張するな……椅子から腰を上げれば、否応なく視線が集まる。心眼のせいで、必要以上に皆の意識を感じてしまい、些かビクビクしながら口を開いた。
「えっと、綻びの腕輪の育成状況を説明させてもらいます。モンスターを吸収することでステータスの補正値を上昇させていくこの腕輪ですが、フィールドやダンジョンでなるべく強いモンスターをもりもり吸わせた結果、現在は──」
《綻びの腕輪》
ステータス補正値
HP:+180 MP:+230
STR:+68 VIT:+57
INT:+71 MND:+60
DEX:+52 AGI:+63
LUC:+48
「──という具合です」
おさらいだが、この世界のステータス値というのは、100を超えると『超越者』と称されるようになる。要は人外認定を受けるほどとんでもなく凄いってことなのだが。
HP・MPに関しては、値が大きいため他の項目の三倍。つまりは300が超越者と普通の人を分かつラインとなっている。
ただまぁ、すごい人に囲まれているためつい忘れそうになるのだけれど、戦えない普通の人っていうのはステータス各値が10前後しか無いのが一般的で、装備を外した私も大体それくらいである。
30もあれば普通に冒険者としてやっていけるし、50あれば一流としてそれなりに名を馳せることが叶うとか何とか。
そして99が人間の至れる限界とされており、それを超えるには【限界突破】という希少なスキルが必要になる。
それを踏まえた上で腕輪の性能を見ると、それが如何にヤバい代物かが分かろうというもの。
現に、私の報告を聞いた皆からはざわつきが起こっており、オレ姉やゴルドウさんなんかは殊更目をまんまるにしている有様だ。
ただまぁ、普通の人からしてみればちょっとおかしな話でもあって。
この世界の装備品というのは、それを活用して初めて補正値の効果が機能するというような代物なのだ。
例えば武器なら、何かをそれで叩くなり斬るなり突くなりする際にのみ補正値が乗っかるし、防具なら実際盾なり鎧なりを駆使して攻撃を受けて初めて意味を成す。
装備するだけで身体スペックが上がる、なんてことはないって仕様なのである。
例外的にLUCなんかは装備を身につけているだけでも効果が期待できるらしいんだけど、そもそもLUCはイマイチ効果の程がはっきりしづらい項目なので、重視する人は少ない。
故に、アクセサリーにそんな各種補正効果がついていたところで、ハッキリ言って使い道に困るわけだ。
まぁこの腕輪に関しては、特殊能力である光の白枝の効果に影響するものと考えれば、全く役に立たないとも言い切れないのだけれど。
しかし私の場合、【完全装着】というスキルのおかげで、装備を『体の一部である』として捉えることが出来る。
そのため装備の持つ補正値が、そのまま私のステータスに加算されるわけで。
それがどういうことかと言うと、要するに。
「この腕輪一つ装備しておけば、私はAランク冒険者として通じるだけのステータスを確保できるってわけだね。やぁ、凄いアイテムだなぁ」
と、雑感なんかを軽く添えておけば、皆のざわつきは忽ちため息に変わった。呆れられているようだ。
「はぁ……まぁいい。それでミコトちゃん、腕輪が育つ過程で新たな特殊能力が発現した、みたいなことはなかったか?」
「え、そんなことってあるの?」
「成長する装備には、稀にあることじゃ」
そう答えてくれたのはゴルドウさんだ。
こと装備に関して、彼の言に間違いはないだろう。
ということはもしかすると、綻びの腕輪にも何か新しい力が芽生えることも、あり得ない話ではないわけか。
「そっか……でも残念だけど、今のところはこれと言った新能力っていうのは無いかな」
「そうなのか。それはなんというか……残念なような、ホッとしたような」
「ああでも、腕輪の扱いなら大分上達したと思うよ」
「上達……ああ、例の『光の白枝』だったか。扱いの難しい能力なのか?」
そのようにイクシスさんが疑問を浮かべれば、つられたように声を上げたのはオレ姉だった。
「それそれ、話には聞いてたけど実物は見たこと無いんだよ。ミコト、ちょっと見せてくれないかい?」
と、目を輝かせる彼女に、私は待ってましたとばかりに腕輪のついた左腕を掲げてみせた。
そして、仮面の下でニヤリと笑み、「ご要望とあっては仕方ないなぁ」と早速発動しようとしたのだけれど。
「バカ仮面! このバカ仮面! あんた屋内でやっていいことと悪いことがあるでしょうが!!」
と、血相を変えたリリに叱られてしまった。
しかし寧ろ他の面々は、そんなリリの慌てっぷりにこそ疑問符を浮かべ。
応えるように蒼穹の地平の四人が口を開いた。
「私たちはこの一ヶ月、対骸戦に備えるべくミコトとの連携強化や戦力アップに努めてきたわ。その過程で腕輪の育成にも携わったし、白枝なんて毎日のように見てきたのだけど」
「ミコト様の白枝に触れると、分解されちゃいます。要注意です」
「枝は天使様の意思に沿い、稲妻のように一瞬で伸び、標的と定めたものを確実に捉えます」
「しかも枝って言うだけあって、幾らでも枝分かれするからね。モンスターの群れを一瞬で全部分解したのを見た時は、流石に引いたよね……」
なんて、彼女らが神妙な顔つきで語るものだから、皆からは警戒するような目を向けられてしまった私。
さながら危険人物でも見つけたときのような、妙に物々しい空気感である。
私がなにか弁明しようとする前に、オレ姉が機先を制してくる。
「あ、やっぱり今じゃなくていいや。またの機会にお願いするさね」
などと、目を逸らしながら言う彼女に、危なくないよと食い下がろうとした私だけれど。
しかしそんな隙も許さぬとばかりに、イクシスさんが言葉を挟んでくる。
「では丁度いいので、連携訓練の進捗を聞かせてもらうとしよう」
そのようにリリたちへ水を向ければ、合点承知とばかりに成果報告を始める彼女たち。
私の出番はどうやら、強制的に終了させられたらしい。
せっかく白枝で編む立体アートでも披露しようかと思ったのに、残念だ。
「連携の方は大分仕上がってるわ。今の私たちなら、たとえ骸がどんな強敵だったとしても、バタついて乱れるような無様は晒さずに済むはずよ」
「それに皆さん御存知の通り、ミコト様の新スキル【念話】がものすごく便利なんです!」
「正しく天使様の御業……思念だけで意思疎通が出来るため、一秒を争うような戦闘に於いて、強力なアドバンテージとなります」
「要するに、バッチリって感じだね」
クオさんがそう簡単に締めくくれば、ゴルドウさん以外は納得の表情である。
ゴルドウさんだけは未だステータスウィンドウのPTメンバー欄に名前がないため、念話どころか通話も未経験となっている。
ちなみに念話は通話と異なり、独立した一個のスキルであるため、PTメンバーに名前がなくとも使えないことはない。
なのでリンクを繋ごうと思えば繋げられるのだけれど……彼とは以前一悶着あったため、念話を使うのには少なからず抵抗があった。
まぁ、必要性を感じたならその時にでも繋げばいいだろう。
そうして連携に関する報告はさっくりと済んだのだけれど。
しかしそれを聞いて、一人プルプルと震え始めたものがあった。
誰あろう、ソフィアさんである。っていうか泣いてる。
「わ、わだぢ……わだぢを差し置いて、念話の実戦投入とか……っミコトさんの浮気者ぉぉぉ!!」
「えー、では次にレラおばあちゃん。ミコトちゃんにバフを教えたのだよな。進捗はどんな感じだろう?」
「ヒヒッ、それはもうこちらもバッチリよ! ステータスの問題で、出力こそおばあちゃんには及ばないけれど、テクニックならおばあちゃんにも負けないくらいすごいんだから!」
「ぱわ! なにげに負けず嫌いのレラおばあちゃんにそこまで言わせるなんて、道理で模擬戦のときエゲツないはずぱわ……」
「みんなスルースキル磨かれてるなぁ」
ソフィアさんの絶叫など、まるで誰の耳にも聞こえていなかったかのように流され。
さらさらーっとレラおばあちゃんによる報告も済んでしまった。
や、おばあちゃんに課せられた訓練も何気に地獄だったんですけど……。
サラステラさんVS蒼穹の地平っていうあの模擬戦以来、私が思いの外器用にバフを操れると認めたおばあちゃんは、それ以降私に超絶技巧を当たり前の如く要求してくるようになった。
とは言え危険な訓練とかではなく。
蒼穹のメンバーを協力者に据え、例えば一〇〇メートル走で特定のタイムを叩き出せと求められたり。砲丸投げで指定された距離に届かせろと課されたり。
かと思えばサラステラさん相手の模擬戦もちょくちょくやったし。
っていうか、それでキツい思いをしたのは私より寧ろ、蒼穹の面々だった。
私がバフを駆使し、彼女たちのスペックを限界以上に引き出さねば、課された目標は超えることが出来なかったのだ。レラおばあちゃんはその辺りの設定がやたらうまく、ちょっとやそっと頑張ったくらいじゃ超えられない絶妙なラインというものを、毎回毎回適切に用意してくるのである。
おかげで私も、ついでに蒼穹もかなり鍛えられたと思う。
レラおばあちゃんからは、アレを教えたコレを覚えさせたなど細かな説明もあり、時折質問とその答えが飛び交いもしたが、滞りなくバフに関する報告も済んだ。
するとお約束のようにソフィアさんが、「私を差し置いて!!」と嘆いたけれど、もはや誰も構ってはくれない。ちょっと可哀想になってきたが、絡まれると長いのでやっぱりスルーである。
そうしてバフに関する話が一段落したなら、次はいよいよこの特訓期間で私が一番苦しめられた、サラステラさんによる近接戦闘訓練の話題である。
「それではサラ、ミコトちゃんが仮面の化け物より受け継いだという力に関してはどうだ?」
「ぱわ。毎日血湧き肉躍る模擬戦が、楽しくて仕方ないぱわ!」
「もう勘弁してください。マジ勘弁してください!」
ここぞとばかりに、私は思い切り誰へともなく泣きついた。っていうか陳情である。
「訓練場では迷惑がかかるからって、場所を外に移し始めてからというもの、もう無茶苦茶なんだよ……最近なんて、模擬戦なのに金ピカモードまで発動するし!」
「しーっ! ミコトちゃんそれは内緒ぱわ!」
口元に人差し指を当て、青い顔で「しーっ! しーっ!」と、ともすれば威嚇でもしているかのように繰り返すサラステラさん。
だが毎日毎日、直撃したら四肢欠損どころか即死間違いなしってレベルの攻撃を捌き続けなくちゃならない私にしてみれば、これはある種の命乞いに他ならないのだ。
ここで黙れば、私はそのうちうっかりぽっくり逝ってしまいかねない。それは嫌なので。
「模擬戦も後半になると、ハイになったサラステラさんは加減を忘れて大暴れするんだ。毎日命懸けなんだよ……」
「おい、サラ」
「ひ……え、えっと……ぱわ……」
「お前、ミコトちゃんの修行にかこつけて、自分の修行をしてはいないだろうな?」
「あ、あうぁぅ……えっと、その……ちょ、ちょびっとだけ、ぱわ……」
次の瞬間、イクシスさんの右手が輝きを放ち始めた。
焼いたものを塵をも残さず消し去る彼女の必殺技が一つ、【灼輝の剣】。
その輝きはまさに、灼輝そのものであった。それをまさか、右手に直接纏わせることが出来るとは……!
そうしてまばゆく輝くその右手で、サラステラさんの額をグワシと鷲掴み。メリメリと剛力を宿した指が彼女の頭にめり込んでいく。痛々しい音と、サラステラさんの悲鳴が部屋の中に反響した。
「いぎゃぁああああ!! ごめんパワ! 許してパワ! つい出来心だったんパワァアアア!!」
「毎日やったら常習犯だろうがボケがぁアアア!!」
ヤバい。初めて生で見ちゃったよ、シャイ◯ングフ◯ンガー……!
相手がサラステラさんの場合、まるで容赦のないイクシスさん。
結局ドサリと机に突っ伏したサラステラさんは、頭からプスプスと煙を上げ、白目をむいて気絶した。
そんな彼女に代わり、引き継いだ力に関しては私の口から直接報告することになったのである。




