第三八一話 カグナ
最強の盾使い、カグナ。
それがクラウの父の名である。
勇者PTにてタンクを担っていた彼の勇姿は、今も勇者の冒険譚に於いてしかと語り継がれており、当然それはクラウとてよく知ってのことではあった。
しかし、彼はもうこの世には居ないのだ。
魔王戦の折、カグナは魔王の放った最後の一撃から仲間を、イクシスを護り、そして力尽きたと。
様々な冒険の思い出を聞かせてくれる母イクシスも、魔王戦に関しては殆ど教えてくれなかった。
だからクラウはカグナの最期について、誰が書き記したとも知れない冒険譚や、演劇等で間接的に知っている程度だった。
家でもあまり進んで彼の戦いぶりについて語られるようなことはなく。
彼の人柄についてはよく話してくれるイクシスだったけれど、クラウが「父上はどんなふうに戦ったのだ?」と訊いてみても、彼女は曖昧にぼかして語るのみ。
そこには一種の頑なささえあり、子供ながらにクラウは察していた。
もしかして母上は、私に盾を使わせたくないのではないか。
私が誰かを護り、倒れることのないように……。
けれどそれがどうしてだか、今は鏡花水月で盾役を担うクラウ。
鏡花水月にタンクが居なかったというのもある。ソロ時代に、鎧や盾で身を固めていたことも理由の一つだ。
さりとて、やはり一番は性分なのだと彼女は思う。
自身は、護ることにこそ生き甲斐を感じる性分なのだと。
それに彼女には、防御に関するスキルも殊の外豊富に宿っていた。
父の戦い方は知らねど、それでもその才能は確実に受け継がれているらしく。
クラウは盾をかざす度、そこに父との繋がりを確かに感じ取っていたのである。
そんなクラウを前にして。
あれほど頑なにカグナの戦い方を語ろうとしなかったイクシスは、言ったのだ。
「ならば今こそ教えてやろう。アイツの……お前の父の技を!」
そこに込められた想いの如何程を、クラウは感じ取っただろうか。
少なくとも、思いがけない母の提案に意表を突かれた彼女は、ただ間抜けな声を返すのがやっとだった。
だが、数拍置いてその言葉をようやく咀嚼し飲み込んだクラウは、改めて問い返した。
「お、教えてくれるのか? 父上の技を……?」
目をまんまるにして訊いてくる娘に、母は苦笑しながら肯定を返す。
「ああ。盾主体で行くと決めたお前には、きっと必要だものな」
最強の盾使いカグナ。
しかしてその戦い方については実のところ、一般的にあまり詳しく知られておらず。
クラウ自身、母に気を使ってか進んで調べるようなこともしてこなかった。
結果、今に至るまで父がどの様な技を好んだだとか、どんな立ち回りを見せたのか、なんてことはただの少しも知らないでいた。
だからこそ彼女の中でそれは、『世界一護りの堅い盾使い』という認識で固定されていたのだけれど。
さりとて、早速イクシスより語られた一言に、またもクラウは面食らうことになる。
「カグナ最大の特徴は、その『カウンター』が強力無比だったことだ。確かにアイツの護りは堅く、ともすれば私の隔離障壁よりもずっと強固だった。しかしそれ以上に注目するべきは、カグナの盾に触れて無傷だった者が居ないという点だ。何ならその殆どが、返しの一撃で消し飛ばされたほどだ」
「!! は、初耳だ……父上は、ただ護りに長けただけの戦士ではなかったのか! てっきり私は、父上が護って母上たちが殲滅するという戦闘スタイルだったのかと……」
「はっはっは、それは間違いだぞクラウ。カグナの必殺スキルは、受けた攻撃を何百倍もの威力で跳ね返す、超攻撃的なものだ。あのサラですら、結局アイツには最初の一度しか挑まなかったくらいだからな」
「なんと……」
「付いた二つ名が『最強の盾』。誰より堅い盾役という意味ではなく、誰より強い盾使いというのが正しい意味だな」
「おぉぅ……」
母より聞いていた父の人柄は、非常に仲間思いであり心優しく、勇敢で律儀な人でもある、というものだった。さながらタンクの鑑が如き人物像だ。それ故、攻撃的というイメージは今の今まで全く懐いていなかったクラウである。
無論父の二つ名くらいは知っていた彼女ではあるが、それはカグナが誰より頼もしき盾役であったために付いた名だと、ストレートにそう思い込んでいた。
しかしそれがよもや、そんな戦闘スタイルを主体とする人だったなどとは寝耳に水であった。
そのように口を空けて驚く娘の反応が面白かったのか、イクシスは先程まで幾らか帯びていた憂いを引っ込め、にやりと口角を上げながら、
「今のお前にはぴったりなスタイルだと思ったんだが、どうだ?」
と、確認の問いを投げたのだった。
無論、返答など分かりきったことで。
さりとて一つだけ、聞いておきたいことがあったクラウは、少しだけ返事を先延ばしにし、代わりに質問を返した。
「……母上は、私が盾を使うことをあまり喜んではいないんじゃないかと。そう思っていたんだが……違うのか?」
「! それは……まぁ、そうだな」
思ってもいなかった内容の声が返ってきて、次はイクシスのほうが面食らってしまう。
少しばかり目を泳がせ、小さく腕組みをした彼女は、しかし素直にクラウの言葉を肯定した。
「アイツは……カグナはな。魔王戦の最後の最後、私を庇って倒れたんだよ……」
「!!」
「流石のアイツだって攻撃を返すだけの余裕もない、絶望的な一撃だった。正直、私を含めた誰もが全滅を確信したほどには、どうしようもない一撃だ。……けれどアイツは一人、私たちをその背に庇って前に出たんだ」
初めて聞かされる、父の最期。
それはおおよそ、様々な冒険譚や演劇で描かれている内容に違わぬもので。
しかしイクシスの悲痛な、それでいて淋しげな表情から紡がれた言葉は、これまで見てきたどんな魔王戦の描写よりも断然生々しく聞こえ、短い言葉でこそあったが、クラウは胸を抉られるような衝撃を受けていた。
「クラウには……アイツの忘れ形見であるお前には、あんな危険を冒してほしくなかった。何なら冒険者なんかじゃなく、もっと安全な生き方をしてほしいとまで思っていた。っていうか今だって思ってる」
「母上……だが、幼い頃剣の手ほどきをしてくれたじゃないか。魔法だって……」
「護身術のつもりだった。なのに、やたら覚えがいいから、ついあれもこれもと……」
「……親バカなのか?」
「あ、ちが。いや、親バカはまぁ認めるが」
クラウはイクシスの言う通り、親の贔屓目を抜きにしても類稀なる才能を秘めた娘だった。
剣も魔法も、僅かでも手ほどきをすればあっという間に上達したし、それが面白くてついなんでも仕込みたくなるイクシスの心境も、それこそ親バカも相まれば致し方ないものだったろう。
加えて、時折遊びに来た勇者PTの面々も、面白がってクラウに手ほどきをしたりもした。その誰もがクラウの才を認めたほどである。
さりとてイクシスの懐く、娘には平和な道に進んでほしいという願いもまた、確かなものだったのだ。
彼女はクラウを冒険から遠ざけるように育て、家の中に押し込んだのである。
その結果。
すっかり出番もなくなり、置物同然の扱いを受けるようになった聖剣と、わんぱくを溜め込んだ幼きクラウは結託。
家出という暴挙に踏み込み、あまつさえそのまま数年にも渡って独力で生き延び、Aランク冒険者にまで上り詰めたのだった。
「しかし驚いたのは、お前が教えても居ないのに鏡花水月で盾を担っていたことだよ。こういうのを『血は争えない』というのだろうな。お前の構えはカグナにそっくりだった……最初にそれを見たときは、本当に驚いたものだ」
「そう、だったのか……あまりそんなふうには見えなかったが」
「それは仕方ないだろう。他にも驚くことが山ほどあったしな……主にミコトちゃんのせいで」
「あぁ……うん」
数年ぶりに再会した日のことを思い起こしながら、遠い目をする二人。
だが、彼女を引き合いに出して考えることの無意味さは、互いによく分かっている母娘である。
回想はサラリと打ち切り、話を元の路線へ修正した。
「それでどうだ、お前ならばきっとカグナのスキルを使いこなすことが出来ると思うのだが」
「しかし母上、父上と私ではジョブが違うだろう。望んだからと言って父上のスキルを私が習得できるとは思えないのだが」
「む。それはまぁ、確かにそうなのだが……その点はソフィア殿に相談だな。根拠こそ無いが、お前なら習得できるような予感があるんだ」
「予感って……いや、存外バカに出来ないか。素質次第ではジョブに関係なく、芽生えるスキルもあるらしいからな」
「そういうことだ。その点はそれこそミコトちゃんが雑に実証もしている」
「魔力のカタチ、だったか。なるほど……」
ミコトによる謎理論によれば、人にはそれぞれ決まった『魔力のカタチ』が存在しており、そのカタチと相性の良いスキルが即ち、習得可能なスキルであるらしい。
それに則り考えるのならば、クラウは父カグナからも魔力のカタチを受け継いでいる可能性があった。
流石に親子と言えど、完璧にカタチの特徴を受け継げるわけではないらしいが、それでもクラウがカグナのスキルに開眼する可能性自体は確かに、低からずあるはず。
そのように納得したクラウは、暫し沈黙し。
そして心を決めたのか、改めてイクシスへ向き直り、その目をしかと見つめ言うのだった。
「母上の気持ちは、よく分かった。私が盾を持つことに否定的だった理由も。……けれど、安心してくれ。約束するから」
「…………」
「私は、父上のような無茶はしない。というか、私が鏡花水月の一員である限り、うちのリーダーはそれを決して許さないだろう。あと、死の淵からでも引っ張り戻してくれるヒーラーも居るし、セオリーなんて無視して初手で敵の急所を破壊するやつも二人ほど居るからな……そこに加えて最強の逃げ足だ。ぶっちゃけ死にようがないぞ」
「! ……ふふ。まぁ、そうだろうな」
「それに、母上に二度も同じ悲しみを味わわせたりはしない。約束しよう、私は何があろうと生き残ってみせる! そして仲間たちとともに、何時だって無事に帰還を果たそう」
「クラウ……!」
娘の宣言に、いよいよ目尻に涙を浮かべるイクシス。
そんな母へ、クラウは「だから」と頭を下げた。
「だから私に、父上の技を教えてくれ! 最強の盾は、私が引き継ぐんだ!」
「ふ……はは! なら『勇者』は要らないか?」
「む。冗談はやめてくれ。無論、勇者だって引き継いでみせる! いや違うな、父上と母上のいいとこ取りをした強かな勇者。それが私の理想とする、『勇者クラウ』なんだ!」
そのように、二カッと笑ってみせるクラウに、つられるようにしてイクシスもその相好を崩した。
その目尻からは、とうとう溢れるようにして雫が流れ出したけれど、そこに悲壮感などは微塵もなく。
恥ずかしそうにグシグシと、手の甲で涙を拭い、ずびっと鼻をすすったイクシスは、努めて力強い声で言うのだ。
「いいだろう。お前がそこまで言うのなら、しかとものにしてみせるが良い。カグナのカウンタースキルを。万難を退ける、攻防一体の技を!」
そうして母娘もまた、モンスターとのエンカウントを求めて歩き出した。
向かう先は、先行して実践訓練に精を出すオルカたちのもと。
その足取りはここまでのそれとは一変し、軽やかであり、力強いものだった。
斯くして新たな勇者の芽は、ようやっと土の中より頭を覗かせたのである。




