第三七八話 ぐにゃ
普段であれば寒々しい風の音や、時折上空を横切る鳥だかモンスターだかの鳴く声くらいしか響かぬ雪原のさなか。
しかし今日ばかりは打って変わって、いやにけたたましい音が頻りに大気を揺らしていた。
今もまたドカンと凄まじい衝撃音が爆ぜては、近くに潜む生き物を怯えさせている。
音の原因は明らかで。
雪原の只中に於いて、ぶつかり合う四つの人影。
即ち、リリエリリエラ、アグネム、クオの三人が、邪竜殺しの英雄と称されるサラステラへ果敢に攻撃を仕掛ける度、凄まじい激突音が生じ、それが静寂の雪原を駆けているのだ。
離れた位置からはクリスティアが隙を見て、的確に光魔法を打ち込んでも来る。
彼女ら蒼穹の地平の動きは、つい先程見せたそれとは段違いに冴えており、流石のサラステラもこれまでになく余裕のない動きと表情で彼女らと相対していた。
しかしながらその口元には、楽しいという気持ちが浮き出しており、ともすれば模擬戦ということも忘れて大はしゃぎしそうな危うさが感じられる。
が、その点はレラおばあちゃんこと、祝福の魔女レラハトラが目を光らせているため、抑止力には十分であった。
もしサラステラがはしゃいだ挙げ句大暴れした場合、即座にその身には重度のデバフがのしかかり、瞬く間に蒼穹の手で袋叩きにされることだろう。
それを分かっていればこそ、彼女はあくまで模擬戦に用いても問題のない範囲の力で蒼穹の面々とやり合っているわけだ。
ただ、能力強化を盛っている彼女らを相手に、引けを取らず拮抗を演じているサラステラの力のほどは、正しく超人と呼ぶに相応しいものであった。
彼女の真正面を担うのは、蒼穹の中でも最も格闘戦に秀でたアグネムである。
ミコトの卓越したステータス操作技術を受け、繰り出されるアグネムの拳や蹴りの技。その何れもが瞬間的に引き上げられたSTRにより凄まじい威力を孕んでおり、しかも彼女自身の負荷魔法により、技を出した後の隙というのが非常に小さいのである。
これにより、雨あられが如く大威力の打撃がサラステラへ浴びせかけられるが、しかし彼女もまた徒手空拳のスペシャリストなれば。
アグネムの攻撃を真正面から受け、いなし、打ち返すということを実に楽しげに行ったのである。
さりとて彼女の相手はアグネムだけにあらず。
横合いより器用に隙を狙ってけしかけられるのは、リリエラの魔創剣による鋭い一撃だった。
器用にも、アグネムの動きに干渉しない絶妙なタイミングを見つけては、強烈な攻撃が差し込まれる。
如何なサラステラとて、魔創剣を直に受けてはダメージを免れ得ない。その余波ですらも危険な威力を孕んでいるほどだ。
リリエラの振り回す、熱線で模ったような刃渡りの長い剣身は、確かにサラステラが警戒心を傾けるべき脅威だった。
しかし、そんな彼女らへ注意を向けていると、いやらしく飛んでくるのがクオの弾丸である。
幸い弾丸程度の威力では、サラステラがさしたるダメージを負うようなこともないのだが。さりとて、眼球を狙われたなら当然避けねばならないし、浮いた足を側面から弾かれれば、当然姿勢を崩されもする。
クオはそれらの嫌がらせを狙い、チクチクと引き金を絞るのである。
そして、極めつけとばかりにクリスティアによる光魔法が、常にサラステラを狙っているのだ。
時に閃光で視界を奪い、時にレーザーで狙撃を仕掛けてくる。
なんなら、突然頭上や足元からそれらが発せられることもあり、当然まともに貰えば痛手を負ってしまうだろう。
本来であれば、何れの攻撃もちょっと歯を食いしばれば耐えられるはずなのだ。
だと言うのに、今は歯を食いしばった程度ではどうにもならない威力にまで、引き上げが成されている。
それを成り立たせている原因を、サラステラはほんの一瞬だけ睨みつけた。
今も黙々と彼女ら四人分のステータスを繊細に管理し、能力を最大以上に引き上げ動かしている張本人。
この戦闘に於いて、ただバフを用いるだけの手出ししか出来ないはずのミコトをである。
だが、その一瞬が拮抗を崩した。
「ぱっ!?」
「せぇっ!!」
ズゴンと、アグネムの強烈な踏み込み。
負荷魔法により練り上げられた力の本流は、彼女の体を駆け上がり、拳の一点へ収束される。
間違いなく重たい一撃が飛んでくると、流石のサラステラも背筋を冷たくするが、これみよがしに他の三人が逃げ場を塞ぐよう攻撃を投げてくるのだ。
無理にいなせば更なる隙を晒してしまう。
最善は、真正面から一撃を受けることと理解するサラステラ。
とっさの判断で、地より足を浮かせ。アグネムの拳を手の平で包むように受けながら、そのあまりの威力に大きく吹き飛ばされた。が、ダメージ自体は最小限に抑えたのである。
打撃の欠点は、衝撃の逃げ場が大きければ大きいだけ、威力が霧散してしまう点にある。
他ならないサラステラなれば、その対処は当然のものであった。
が、故に。
彼女の吹っ飛んでいった先で、間髪入れず凄絶な大爆発が撒き起こったのだった。
それは、リリエラによって予め仕込まれていた魔法であり、アグネムの拳はとどのつまり、彼女を所定の位置へ飛ばすための発射装置に過ぎなかったというわけだ。
ハッキリ言って、模擬戦で使っていいレベルを超過した、尋常ならざる威力の爆裂魔法である。
だがそれは、相手がサラステラであればこそ例外足り得た。
「ぱ、ぱわ……」
現に彼女は、分厚い煙に視界を塗り潰されながらも、爆心地にて健在なのだから。
ただ、衣服はそうもいかず。相当に際どいボロボロの姿に成り果て、それでも危なげなく二本の足で立つと、すぐさま警戒心を強めた。
何せ視界が全く利かない状況である。これではどんな手で畳み掛けてくるかも分からない。
これはまずいと彼女はとっさに、天へ向けて一声吠えた。「ぱ!!」の一声。
それだけで、一気に辺りを覆う分厚い煙の壁は吹き散らされ、見事なまでに視界が晴れたのだった。
そこでようやっとサラステラは、異変に気づいたのである。
「な、何パワ!?」
思わず口に出た動揺は、それだけ彼女に大きな驚きがあったことの証左だ。
視界は確かに晴れた。
だが、世界の様子がおかしいのだ。
ぐにゃりぐにゃりと視界が歪み、足元の大地すら奇妙な感触がする。
踏ん張りが利かず、ともすれば地面に足が飲み込まれそうな、嫌な感触さえある。
何が起きているのか、理解が及ばなかった。
ただ、何らかの術中にハマったのだろうということだけは察しがつき、彼女は一先ずこの場に留まるのは危険と判断。
思い切りそこから飛び退こうと地を蹴ってみたのだが、しかしそれは失敗に終わる。
蹴った足が本当に地面に飲み込まれ、結果体は一ミリも浮き上がらなかったのである。
流石に面食らってしまうサラステラ。
その時だった。
「うぱぁばばば!!」
突如口から飛び出た奇妙な悲鳴の原因は、全身に強烈な電撃を浴びたせいである。
直感したのは、それが魔法攻撃に依るものだということ。きっとリリエラの仕業である。
そして確信する。彼女たちはこの不利な状態の自身を、一方的に攻撃できる状態にあるのだと。
背中に嫌な汗をかき、これはいよいよ本当にまずいと、どうにかこの場から抜け出すべく足掻こうとした。
が、電撃を浴びたせいで一瞬、体がまるで言うことを聞かない。
「ぱ……」
「動かないで」
そんなサラステラのうなじに、リリエラの魔創剣がしかと突きつけられたのを気配で察した。
それだけじゃない。
アグネムも、いつの間にやら面前に立っており、拳に力を溜めて。
こめかみにはクオが銃口を向けており、頭上にはクリスティアの強烈な光魔法が、ホールド状態で留まっていた。
「な……え……??」
まるで、狐に化かされでもしたような、或いは鳩が豆鉄砲を食らったような、そんな呆然とした顔で辺りを見回すサラステラ。
気づけば今のぐにゃぐにゃした空間は、その余韻も痕跡すら残さず消えており、ただチェックメイトを掛けられているという事実だけがそこにあった。
そして。
「ま、負けたぱわ……??」
「そうね、サラちゃんの負けね」
彼女のつぶやきに応えたのは、ふよふよと長杖に腰掛け飛んでやって来たレラハトラであった。
彼女のその表情から、どうやら傍目には『真っ当な試合の結果』として自身の今の状況があり、あのぐにゃぐにゃは何かしらの超常的なハプニングに依るものではなく、蒼穹の地平が仕掛けた罠だったのだと確信を覚え、今度こそ脱力して天を仰ぐサラステラ。
「何がどうなってるぱわー……」
そんな彼女の哀しげなつぶやきとともに、模擬戦の第三戦は決着を見たのだった。
★
三戦目が無事に終わり、休憩を挟むことになった私たち。
雪原の只中に熱魔法で防寒の結界を張り、その中にくつろぎセットを出してテーブルを囲えば、先程までの真剣な空気もどこへやら。
皆お茶とお菓子を片手に、先程の感想を述べあっているのだが。
しかし脳を酷使した私と、ブーストの反動で体が悲鳴を上げているリリはテーブルに突っ伏して、皆の話に耳だけ傾けている状態だ。
そんなさなか、身を乗り出して質問を繰り返しているのはサラステラさんである。
「つまり、あのぐにゃぐにゃはクオちゃんの仕業だったぱわ!? 状態異常ぱわ!?」
「まぁ、そうです。とっておきってやつですよ」
そのようにあっけらかんと言うクオさん。
しかしサラステラさんはどうにも納得がいかないようで。
「それはおかしいぱわ! 私は【状態異常無効】のスキルを持ってるぱわ! 幾らクオちゃんがその道のスペシャリストでも、私を状態異常に掛けることは出来ないはずぱわ!」
解せないと、眉根を寄せて騒ぐサラステラさん。そう言えば厄災戦でも全然花粉の影響を受けていなかったけど、なるほどそのスキルの効果なのか。私も今度なんとかして覚えておこう。
そんな駄々っ子めいたサラステラさんへ向けて、クオさんが何時になくドヤッとした顔でタネ明かしを始めた。
「確かにサラステラさんには、状態異常が効きません。っていうか、状態異常無効とか……まぁ納得ですけど」
「それなら、あのぐにゃぐにゃはどうやったんぱわ?」
訝しんで首を傾げるサラステラさんへ、クオさんは楽しそうに言うのである。
「対象に直接状態異常を掛けられないのなら、間接的に掛ければ良いんですよ」
「??」
「つまり。今回状態異常に掛けたのは、サラステラさん当人じゃない。あなたの居た、周りの空間そのものを異常に掛けたんです!」
「ぱわ?!」
なんだかすごいことを言っているクオさん。
しかしそれより何より、彼女が敬語を使ってることが妙に新鮮に思えて、話がいまいち頭に入ってこなかった。




