第三五七話 腕輪の正体
久方ぶりに訪れた百王の塔。その第一階層。
古めかしい石造りの巨大建築は、外観からして圧巻ではあったが、その内部もまた無骨で趣がある。
そこかしこに見える石に刻まれた彫刻は、前世で芸術的価値がどうとか歴史的価値がこうとか言う言葉が耳に染み付いている私からすると、うっかり触ることすら憚られた。戦闘に巻き込んで壊すだなんて、考えただけで肝が冷える思いだ。
まぁ、そうは思えどここは既にダンジョン内部。壁も床も天井も、備え付けの備品でさえ、壊してみたところで勝手に修復されるのだから、余計な配慮ではあるのだけれど。
考えてみたら以前ここを訪れた際もそんなことを思ったなと、少しだけ懐かしくなる。
以前は確か、縛りを設けた状態での戦闘訓練を行うべくここを訪れたのだったか。
闘技祭への備えのために、急遽グランリィスの冒険者ギルドでシトラスさんに紹介してもらったんだっけ。
クラウの幼馴染である彼女は、あの後も何かと理由をつけてはイクシス邸を訪れているらしく、私もたまに顔を見かけるのだけれど。
思えばまだ、闘技大会からそんなに経ってないんだよね。懐かしいと言うには早すぎたか。
この世界に来てからというもの、何だか一日一日がやたら濃密な気がする。
まぁ、それはさておき。
そんな、縛りありでの戦闘訓練に用いた百王の塔低階層。中でもここは第一階層なので、モンスターの強さというのは然程のものでもなく。
そんな場所へあろうことか、イクシスさんたちやリリたちという、超越者集団を伴いやって来てしまった私である。
おかげでモンスターにより脅かされるような心配は一切ないのだけれど、しかし私はむしろ、そんな頼もしき仲間たちにこそ脅かされていた。
塔に入って早々に意気揚々と駆けていった彼女らは、適当にそこら辺でエンカウントしたモンスターを魔法等で氷漬けにして身動きの一切を封じ、ワクワクとした表情で抱え戻ってきたのである。
そしてそれを徐に、私の前に置いて言うのだ。
「さぁ、召し上がれ!」
……と。
彼女ら曰く『綻びの腕輪』にはもしかすると、草人形の見せた、腕を針のように変形させ対象を突き刺し、その体から養分を吸い取るような、そんな特殊能力が宿っているかも知れないのだそうで。
そんな世迷い言とも取れるトンデモ説を唱えながら、熱心に期待の眼差しを向けてくる彼女らから視線を逸しつつ、徐に私は自らの左腕を見た。
この腕が、針のように変形する可能性があると。
えっと……そんな気持ち悪い特殊能力、ぶっちゃけ嫌なんですけど!
仮面の下で泣きそうな表情を作り、改めて皆の顔を見回してみる。
同情してくれる人は、どうやら一人も居ないようで。
むしろ、「何してるの? はやくして」とでも言いたげに皆がこちらを見ている。
私は肩を落とし溜息をつくと、諦念を胸に氷漬けのモンスターたちを眺めた。
「召し上がれって……不味そうなんですけど」
「! ミコト、モンスターの味に興味が湧いたのか?!」
「これは可能性ありですかね!?」
「違う違う! そういう意味じゃないし! みんなが変なこと言うから乗っかっただけだし!!」
本当に困ったことに、一見悪ノリにしか見えないこの検証実験に対し、みんな真剣な心持ちで取り組んでいるのだ。
真剣故に、こちらの苦痛や苦悩を顧みない恐ろしさがあり、その結果私は酷く迷惑しているのだけれど。
ともあれ腕輪を与えられた当の私だもの。腕輪の秘めた力の正体を知りたいという気持ちは一入だ。
だからこそ手酷い罰ゲームめいた試みにも耐え、ここまで根気強く付き合ってきたわけなのだが。
しかし、流石に『モンスターを食べろ』というのは、比喩だとしても如何なものかと……。
実際氷漬けにされた彼らを目前にしてみたところで、何をどうして良いかさっぱり分からないのである。
先ず、口で齧りつくというのは論外だ。いくらなんでもそんな暴挙は働けない。
が、かと言って本当に草人形のような真似が出来るとも思えないのだが。
けれど出来そうにないからと、何もしないわけにも行かない。背中に刺さる期待の眼差しが痛い。
「とりあえず触ってみようかな……」
なにはともあれ、先ずは手で触れてみることにする私。
変形云々はともかく、草人形が養分を吸い取る対象に直接触れていたことは確かなのだ。まぁ、触れるというか針を体内に挿し込んでいたわけだけど。
それならもしかして、針の代わりに剣を突き立ててみるのはありかも知れない。手で触れて何もなければ、その次にでも試してみよう。
と、そのように精一杯前向きな考えを巡らせながら、私はおずおずと氷漬けのモンスターに腕輪のついた左腕を伸ばし、ゆっくりと指先を近づけていったのである。
そうして程なく、ツンと指先に硬く冷たい感触を感じることが出来た。
が、しかし。これと言って何か変哲を見つけることは出来ず。
故にこそ些か警戒心の緩和された私は、続けざまに何度か、ちょんちょんと凍ったモンスターの感触を、指で突いて確かめてみたのだが。
しかしそれでも、何ら特筆するような事が起こるわけでもなく。ただ虚しげな静けさが、漠然と横たわるばかりだった。
「……うーん」
「ミコトさん、ちゃんと能力発動を念じてますか? ただ触るだけじゃダメなアクティブタイプの特殊能力なのかも知れませんよ!」
「まぁ、そうだね。ええと……」
焦れったそうなソフィアさんの声を背に受け、それもそうかと納得を覚えた私はひんやりした指先に意識を集中する。
だが、そこでふと今更の疑問にぶつかったのだ。
そもそもモンスターから吸おうっていうその『養分』は、アルラウネ戦でやった【吸収】を用いることで吸い取る事が恐らく可能なわけだし、ならばこんな貴重な腕輪を着けてまでやるようなことじゃないな、と。
そう思うと、果たしてもしこの腕輪の能力が本当にただの【吸収】に類するものだったとしたら、私には不要な可能性さえ出てきてしまう。
それはなんだか、ソシャゲでピックアップがかぶったような複雑な気分になっちゃうやつではなかろうか。
とは言え今大事なのは、腕輪に秘められた特殊能力を詳らかにすることであって。
たとえ【吸収】と効果がかぶっていようといまいと、それはさしたる問題ではないのだ。
問題なのは、このひんやりとした指先を通じて、スキルに頼ること無く凍ったモンスターから養分の吸い出しが可能か否か、というところなのだが。
しかし、やはりあれこれ試してみたところで、芳しい結果は得られなかった。
試しに剣を突き立ててもみたけれど、結局それも意味を成さず。
「どうやら、『養分の吸い出し』っていうのは違うみたいだね」
と私が皆に告げると、またも難しい顔で唸り始める彼女たち。
ここまで様々な案を出しては試しを繰り返してきたものだから、いい加減ネタも尽きてきたのだろうか。いよいよ本気で見当がつかないといった様子である。
そして私もまた、自分なりに逡巡する。彼女たちにばかり任せていては、またどんな無茶振りをされるとも分からないから。
しかしながら、ここまで出てきた考えの尽くが的を外しているわけで。いよいよ正解の在り処に検討をつけることさえ難しくなってきているのは、私にしても同じことだった。
なので一先ず、初心に戻って考え直してみることに。
腕輪の能力に見当をつける際、どんなやり取りをしたっけと思い返してみて、ふとあることが頭に引っかかった。
「綻び……解ける……食べる……吸収……消化……いや、『分解』?」
口の中で考えを転がしながら、まさかという小さな期待感を胸に、物は試しと私は改めて氷漬けのモンスターへ手を触れた。
そして、念じる。
次の瞬間だった。腕輪が、光を放ったのだ。
かと思えば突如、氷漬けだったモンスターは『ほどける』ようにして形を失い霧散し、そしてゆっくりと黒い塵へ変わっていったのである。
背後で、皆が瞠目する気配を感じた。他でもない私自身もまた、まさかという思いで呆気にとられそうだった。がしかし、大事なのはここからだと思い直す。
もし私の想像がきちんと的を射ているのだとするなら、この現象は過程に過ぎないはずなのだ。
私は解けて塵になったモンスターに対し、固唾をのみつつ手をかざした。そして、更に念じるのである。
するとまたも、驚くべきことが起こった。
そのまま空気へ溶け込みそうになっていた黒い塵が、突如私の突き出した手に向けて殺到したかと思うと、何とそのまま吸い込まれていったではないか。
瞬間、嫌な記憶が脳裏を過る。
それはアルラウネに初めて【吸収】を用いた時のこと。私の左手より侵入した奴の養分、或いは『生命力』とでも言うべき何かが、水に墨汁を垂らしたかの如く私の中に混ざり込もうとしたのだ。
その時の感覚たるや、思い出しただけで背筋に冷たいものが走るほどである。
黒い塵を吸い込んだ瞬間、その時のイメージが強烈にフラッシュバックし、全身の強張りを覚えた。思わず構えた左腕を右手で掴んでしまうが、それに一体何の意味があるわけでもなく。
またあの時の感覚に見舞われるのかと、考えるより先に私の危機感は魔力調律を開始していた。アルラウネの生命力を自らのそれと分離させ、体外へ弾き出したあの時の術を再現しようというのだ。
ところが、である。
「……っ??」
背中に嫌な汗をかきつつ、歯を食いしばって身構えてみたところで、不思議とあの時のような感覚はいつまで経っても感じられはしなかったのである。そう、僅かさえもだ。
しかしその代わりに、異なる感覚が全身を伝い、私はもしやと思って直ぐにステータスウィンドウを確認する。
結果、今度こそ私は驚きに声を漏らしたのだった。
「え……ええええ?!」
そのように私が一人で盛り上がっているものだから、いよいよ後ろでその一部始終を目の当たりにしていた面々が驚きとも困惑ともつかない声を上げ始める。
皆で一斉に、今のは何だ、どういうことだと掴みかかりながら問うてくるものだから、私はあっという間にもみくちゃにされ、暫し説明の機会を逃し続けたのだった。
そうこうしてようやっと皆が静かになった頃、私はため息とともに胸を一撫でし、改めてもう一度氷漬けにされている別のモンスターへ手を触れたのである。
そして、皆に向かい口を開く。
「ええと、とりあえずもう一回やってみせるね」
そう言いつつ、私自身確信を得るためにも再度、腕輪の能力を発動する。
「先ずは、『分解』」
瞬間、いつの間にか輝くのを止めていた腕輪がまた光ったかと思えば、先程と同様にモンスターは解け、粒子状へ変わっていく。改めて見ても、怖気すら覚えるとんでもない現象だ。
「そうしたら、これを『吸収』……って言うとスキルの【吸収】と紛らわしいね。まぁ効果は見てのとおりだよ」
続けざまにかざした私の手には、これまた先程と同様、分解されたモンスターの欠片たちが引っ張られるように集まり、シュルシュルと吸い込まれていった。どうやら黒い塵になる前の状態でも問題なく吸えるらしい。
私はその様子とステータスウィンドウとを交互に見ながら、今度こそ鳥肌が立つほどの感動を覚えていた。
しかし他方で、その様子を眺めていた皆は、誰もが心配げに眉を顰めたのである。
たまらずと言った様子でココロちゃんが声を上げる。
「ミコト様、それ、だ、大丈夫なんですか?! モ、モンスターを吸い込んでいるように見えるのですが……」
「そ、そうですよ天使様! てっきり『吸収』はその、例のスキルに近い形でなされるものとばかり想像していたのに、その様な……お体に異常はありませんか?! 今浄化の魔法をお掛けしますね!!」
「だ、大丈夫だよ。別に何ともない……っていうか、吸い込んだモンスターはこの腕輪に行ってるみたいだし。私にはこれといった負担もないから安心して」
そう言って、私はちょんちょんと光の収まった綻びの腕輪を指しつつ、努めて明るい声で彼女らに心配は無用であると伝えた。
が、それならばと更に質問が飛んでくる。
「モンスターを吸い込んでおいて、何ら影響がないということもないだろう。悪い効果がないというのなら、もしや何か良い効果があったんじゃないか?」
「! 流石イクシスさん、鋭いね」
イクシスさんの指摘に私は頷きを返し、そしてステータスウィンドウを改めて一瞥した後、それを発表したのである。
検証開始時、念入りに確認していたため覚えていた、自らのステータス値。
あれから装備の内容は変えていないため、上下しているのはHPとMPくらいのもの。
そのはずなのに、である。
「実は、モンスターを吸い込んだら……ステータスがちょっとだけ上昇するみたいなんだ」
少しばかり勿体ぶって述べたその内容に、皆は数拍の間黙りその意味を咀嚼した。
そしてようやっとそれを飲み込んだ途端、まさかという面持ちで全員が私の左腕を凝視したのである。
そこにしかと着けられた、『モンスターを取り込み、成長する腕輪』を。




