第三二三話 重力こわい
『ミコト様、大変恐縮なのですが……リリエラちゃんの重力魔法をかけ直しては頂けないでしょうか。このままではダンジョン攻略になりません……』
通話越しにそんな声が飛んできたのは、二七階層の攻略を始めて半刻と経たない内のことだった。
相手はリリと行動を共にしているアグネムちゃんであり、聞けば余程酷い状態であるらしい。
曰く一人だけ空中をギュルギュル回り続け、地面や壁や天井を跳ね回り、トラップもモンスターも気にしていられないほど不規則な動きでダンジョン内を彷徨っているそうだ。
それでもなまじ反射神経や動体視力が良いものだから、迫りくる危険からはどうにか身を守ろうとするらしく。
けれどそれが却って体に余計な勢いをつけてしまい、結果姿勢制御のできぬまま目を回しているのだと。
『あんなリリエラちゃん、もう見ていられません! っていうか足手まといです!』
『だずげで……だずげで……』
「気持は良く分かります……」
「ああ……ソフィアさん、私ちょっと行ってくるね。アグネムちゃん、ストレージに入るから取り出しよろしく」
『り、了解しました!』
『し、しぬっ……はやくっ……』
ということで、召喚に応じた私は直ちにPTストレージ経由でアグネムちゃんの元へやって来た。
するとすぐに、彼女の言ったとおり乱回転を続けながら通路をピンボールが如く跳ね回るリリの姿を見つけることが出来たのだった。
それを見て、いつかの光景を思い出した。
あれはソフィアさんが鏡花水月に加入してまだ日の浅い頃。
とあるダンジョンにて、重力軽減状態での運動に慣れてもらおうと攻略がてら訓練を行ったのだけれど。
例によって重力魔法という珍しいスキルに大はしゃぎした彼女は、今のリリが如く大変な目に遭ってしまい、暫くは重力魔法に対する苦手意識に悩まされたほどである。
とは言え、それは『スキル大好きソフィアさん』の名折れであると自らを叱咤、鼓舞し、気合で乗り越えたみたいだけど。
よもや超一流の魔法剣士であるリリまでもが、こんなことになろうとは……ちょっと酔うくらいで済むと思っていた私の予想が外れてしまったようだ。
申し訳なく思いながら、直ぐにリリに掛けた重力魔法を解除してやる。
すると彼女は天井付近からドシャリと地面に落ち、倒れたままヒクヒクと痙攣し始めた。
かと思えば、口元を抑え通路の隅っこに駆けていく。
私はとっさに、リリとアグネムちゃん用に稼働させている羽つきカメラへ駆け寄ると、それをガシリと掴んでそっぽを向かせた。
「こんな事もあろうかと!」
そうしてストレージより取り出したるは、自作の秘密道具カメラで撮影した綺麗な景色を印刷し、そこに『しばらくお待ち下さい』の文字を入れた一枚の写真であった。大きさはA4紙程だろうか。一般に出回っている魔道具カメラで撮ったそれとはまるで違う、鮮明な写真である。
それを羽つきの前にバッとかざして、ついでにカメラの集音機能も一時的にオフにする。
これで疑似テロップの出来上がり、というわけである。すると案の定、モニタリングを行っていたレッカたちからすかさず通話が飛んでくる。
『なになに、何かあったの!?』
『緊急事態ですか?!』
「ああごめん、今リリが乙女にあるまじき状態に陥っちゃってるんで、ちょっと見せられないんだよ。なので少しの間、私の撮影した綺麗な写真をお楽しみください」
これで状況を察してくれたのか、二人はそれ以上特に言及するでもなく通話を切った。
それからリリが喋れるようになるまで、少しの暇を要したのである。
★
時刻はお昼。午後〇時も中頃。
リリは一旦聖女さんの元へ送って、魔法による治療を受けてから戻ってきた。
重力魔法を掛け直そうかと問えば、絶対嫌。要らない。無理。と、酷い拒絶反応を示す彼女。
結局リリだけは通常と変わらぬ重力で行動したせいか、彼女たちのチームはいまいち活躍できず。
しかしながら残りのチームによりフロア踏破は速やかに行われ、結局お昼休憩に入るまでの時間で二階層分進めることが出来たのであった。午後からは二九階層目の攻略に当たることとなる。
現在はイクシス邸に戻り、昼食を頂いている最中である。
リリは食欲が無いのか、相変わらず普段より白い顔をしてゆっくりと匙を口に運んでいる。口数も随分少ない。
しかしそんな彼女を尻目に、聖女さんとクオさんは何時になくテンションが高かった。
「本当に驚きです! こんなにダンジョン攻略がスイスイ進むなんて!」
「マップの時点で頭おかしいと思ったけど、重力魔法は本当にバカだよね! 最高にクレイジーだよ!」
クオさんの言葉選びは、喜んでるのか何なのかちょっと分かりにくいんだけど。まぁ楽しかったみたいで何よりである。
他方でリリに付き添ったアグネムちゃんは不完全燃焼のようだ。
「私ももっと重力魔法を満喫したかったのに、リリエラちゃんがー! もー!」
「あれは狂気の魔法よ、人を駄目にするわ……」
「自分でミコト様たちと同じじゃなきゃ嫌だって駄々こねたんじゃない! 午後からはちゃんとしてよね!」
「重力怖い、重力怖い……」
なんてプルプル震えるリリ。相当堪えているようだ。
他方で四つ目のダンジョンを担当している勇者チームと、モニタリング兼オペレーターのレッカとチーナさんは。
「ぶーぶー! 私もそれやりたいぞ!」
「ぱわ! ぱわ!」
「私だってそうだよー!」
「そうですね、ちょっと興味あります……!」
と、自分たちも軽重力でダンジョンを走ってみたいと騒ぐ彼女ら。
ともあれ何時になく賑やかな食卓となったのは間違いなかった。
★
午後。時刻にして一時半くらいか。
自分たちも体験したいと言って聞かないイクシスさんとサラステラさんにも、一応重力魔法を掛けて体感重力を半分にしておいた。時間制限があるため一時的な体験とはなってしまうだろうけれど、ともあれリリの二の舞にならぬよう注意だけはしっかりしてから、彼女らと別れた。
四つ目のダンジョンにイクシスさんたちを送り届けたら、MP節約のためストレージ経由にて拠点に戻り、鏡花水月・蒼穹の地平のメンバー全員で三つ目のダンジョン二九階層入り口へぱぱっと転移する私たち。既に慣れたものである。
それからは午前中同様蒼穹の四人には重力半減を、私たち鏡花水月には月の重力をあてがい、早速フロア攻略開始である。
最後までイヤイヤと抵抗していたリリも、アグネムちゃんに首根っこを掴まれ、通路の向こうに消えていった。
斯くして攻略は凄まじい速度で進み、二九階層もあれよあれよと踏破。
体が軽ければ疲労も溜まりにくいのだが、しかし不慣れだと普段使わないような筋肉が疲れたりする。要はプールでの運動に近い疲労感があり、今日の攻略を終える頃にはいつもと趣の異なる疲れに首を傾げる蒼穹の地平の面々。
しかしながらその甲斐もあって、今日だけでなんと四三階層にまで到達することが叶ったのである。
時刻は夜も八時を回り、場所はいつものイクシス邸小会議室。
最後に今日の成果報告や話し合いの続きなんかを行っている最中だ。
話題の中心となっているのはもっぱら、重力魔法に関するもので。
「ダンジョン攻略の常識がひっくり返る音を聞いた」
とはクオさんの言である。
一時的にとは言えそれを体験したイクシスさんたちも、うんうんと深く頷きを見せており、今更ながらにこんなことならもっと早くに彼女らにも掛けておくべきだったかと、少しだけ後悔を強いられた私だった。
そして、それを終始羨ましげに聞くレッカたち。今度自分たちにも是非と、ちゃっかり約束まで取り付けられてしまった。
とまぁ、そんな話題も一頻り終わると、いよいよ見えてきた各ダンジョンのゴール。
それに伴い、ボスをどうするのかということを決めなくてはならない。
「一気にボスを倒せば、その分一気に何らかの異変が生じ、最悪地上戦力が対応しきれず破綻を起こすかも知れない、か」
「けどかと言って手をこまねいていれば、被害は着実に増えて、その分厄災級の成長を許すことにもなる」
「私たちで地上に待機してるっていうのはどうかしら。それなら大抵の異変に対応できるはずよ」
「むぅ……確かに。それが無難か」
「であれば『怪しい集団』を先に見せておいたのは正解でしたね。上手くすれば冒険者たちと連携が取れるでしょう」
「しかしそれでは母上たちに、ボスとの連戦を強いることになってしまうぞ。っていうか私だってボスと戦ってみたいんだが!」
「うちと鏡花水月の合同でボス一体に当たるっていうのはどう?」
「ぱわ、確かにそれなら私たちの負担は減るぱわ」
「お二方には、なるべく余力を残していただかなければなりませんからね」
「四つ目のダンジョンを攻略した時、厄災級を守る障壁は全て消え去るんですよね。それなら待ち受けてるのは……」
「厄災級との直接対決……!」
地上に屯する草人形の変化。或いは予期せぬ未知の異変。
それらへの対応も確かに重要だが、何より大事なのは障壁を解除し終えたその時こそが決戦の幕開けであるという事実なのだ。
厄災級アルラウネを守護する幾重もの障壁。それさえ無くなれば、奴を直接叩くことが出来るようになる。
如何なイクシスさんとサラステラさんと言えど、ダンジョンボスとの連戦後にこれに当たるのは間違いなく厳しいはず。
であればせめて、ボスの一体くらいは私たちで請け負うのが得策だろう。
幸いダンジョンボスがどの程度の脅威度を誇るのか、というのは一つ目のダンジョンをイクシスさんたちが攻略した際確認済みである。それを踏まえた上で、蒼穹の地平と協力すれば負けることはないだろうという判断でもあった。
それにしても、とふと思う。
もし私たちにワープやフロアスキップのスキルが無かったらと考えると、ボスを倒せるだけの戦力をダンジョンの底に残した状態で、本体との決戦に臨まなければならないわけで。
正攻法でこの厄災級を倒そうとした場合の被害というのは、正直計り知れないものがある。それこそ、湯水の如く戦力を投入してようやっと対峙できる相手である、というのも頷ける話だ。
想像だに恐ろしい。
しかし幸いなことに、私たちには転移やマップスキルがあった。
ダンジョン攻略は速やかに成され、厄災級の成長度合いも相当に抑え込むことが出来ているはず。
……っていうかちょっと待てよ?
冷静に考えてみると、ダンジョン生成だの大量の草人形使役だの、その凶暴化だのに厄災級は大きな力を使ったに違いない。それに障壁生成と維持にもか。
だとすると、奴が成長し切る前にダンジョンを攻略し切ることが出来れば、もしかすると蕾の段階より弱くなってる可能性すらあるのでは……?
「もしかして、思ってたよりあっさり片が付くかも」
私は早速、今しがた思い至った考えを皆に聞いてもらい、意見を求めたのである。
すると皆からも納得の声が返り、一応楽観的見解であるという点に留意するべきとした上で、一層攻略を急ぐことが決まったのだった。
出来れば、明日中に片を付けるつもりで動く。
そのように話は決着し、決戦に備えるべく今日は解散となったのだった。




