第三〇八話 トラブル発生?
それは、ゴルドウさんとの交渉も済んだ翌朝のことだった。
連日のダンジョン探索による疲れのせいか、いつにない妙な気の重さを感じながら、私はふかふかのベッドで目を覚ました。
妖精師匠たちの住まうこのおもちゃ屋さんは、その超技術により空調もしっかり管理されている。
外の気温は順調に冷え込んでいる昨今でも、おもちゃ屋さんの中は快適だ。
おかげさまで、布団から出るのが億劫だなんてこともなく、今日も今日とて朝から魔道具作りの修行に勤しんだ私は、概ねいつもどおりの時間におもちゃ屋さんを出て、イクシス邸へとワープで移動した。
飛んだ先は転移室であり、いつも私がこの時間にやって来ることを分かっているためか、暖房の魔道具にて部屋を温めてあるというのは使用人さん達による有り難い気遣いであろう。
ただその分、一歩廊下に出れば急に訪れる肌寒さに、思わず身が縮こまってしまう。
既に馴染んだイクシス邸に於いて、今更迷うようなこともなく。
廊下ですれ違う使用人さんたちと挨拶を交わしながら食堂まで行けば、既に仲間たちの姿がそこにはあった。最早日常の一部となった光景である。
ただ、いつもと違って些か空気が張り詰めて感じられた。心眼も、何やら彼女たちから不穏なものを読み取っているようで。
不思議と嫌な予感が当たったような、そんな気がした。
「おはようみんな。どうしたの、何かあった?」
と先ず声を掛けてみれば、一頻り返事のおはようが返ってきた後、それが告げられたのである。
教えてくれたのは、ココロちゃんだった。
「ミコト様、また正体不明のアイコンがマップ上に出現しました……!」
「えぇ?!」
その思いがけなかった知らせの内容に、困惑を感じながらもすぐさまマップウィンドウを立ち上げて確認する私。
マップを縮小表示すれば、まだ訪れたことのない空白地帯に、誰かが付けてくれたマーカーが一つ。
急ぎそのポイントを拡大表示してみると、確かにこれまでに見た覚えのない、特殊な形のアイコンが表示されていたのである。
アイコンの形は、ドラゴンをデフォルメしたようであり、如何にも凶悪なモンスターの存在を示しているように見えた。
色は赤を基調としており、きっと碌でもないものであろうことは想像に難くない。
しかし何より特徴的だったのは……。
「大きいね、このアイコン……」
そう。その大きさである。
これまで見たことのあるアイコンに比べ、ざっと三倍ほどはあるサイズ感で、デカデカと表示されているのだ。
それ故にそこから受ける印象というのは、余程の大事を予期させるものであった。
「これ、いつ見つけたの?」
「ついさっきです。カンカンでの用事も済みそうなので、ミコト様に関する手がかりは何かないかとマップを洗い直していたら……」
「この前までは無かったはず」
「そうだな、私も初めて見たぞ」
「私なんて毎日隅々までチェックしているというのに、どうして私より先に異変に気づくんですか!」
「ふふん、日頃の行いの差というやつですよ!」
などと睨み合うココロちゃんとソフィアさんは置いておくとして。
とどのつまりこのアイコンは、今日になって突然現れた、ということだろうか?
「ふむ……私たち、アイコンの出現に関係するようなことってなにかしたっけ?」
「ううむ。心当たりはないな……」
「同じく」
「ココロもですね」
「私もです。というかそも、このアイコンはあの仮面の化け物と関係するものなのでしょうか?」
ズバリソフィアさんが切り込めば、誰もが小さく唸って考える。
確かに突然出現したアイコンと言えば、思い起こされるのは以前現れた、仮面の化け物のことなのだが。
しかしあの時は一応、切っ掛けらしい切っ掛けもあったような気がする。
「ミコト、アルバムは?」
「そうだね、調べてみようか。量が多いから、みんなも協力してくれる?」
「勿論ですミコト様!」
「今度こそココロさんより早く不審な点を見つけてみせます!」
「まだ何かあると決まったわけではないがな。ともかく、早速取り掛かろう」
ということで、皆にアルバムウィンドウを共有化し、見覚えのない不思議な記録というのを探してもらうことに。
なんとも言い知れぬ不安感が漂う中、さりとて皆の手際や対応には淀みがなく。全員がテキパキと己にしか見えないアルバムウィンドウを、夫々に操作し始めたのである。
程なくして運ばれてきた朝ごはんを頂きつつ、続行される作業。
そこへふらりと朝食を食べにやって来たイクシスさんは、私たちが揃って虚空を見つめながら食事を摂っている姿を見つけ、一瞬ギョッとするも何かを察してくれたようで。
「何だ何だ、何かあったのか? 私の力が必要か?」
と、早速首を突っ込んできた。いや、有り難いことなんだけどね。
私たちはそんなイクシスさんにも事情を説明し、ついでにアルバムのチェック作業も手伝ってもらうことに。
ただ、アルバムを眺める彼女は「私の知らないところでこんなことが……」と、度々手を止めて過去の記録を感慨深げに眺めるという、掃除が捗らないムーブを始めたため、この作業においては戦力外であった。
そんなこんなで急ピッチの作業は二時間近くも続いたが。
しかしその結果はと言うと。
「……ダメ。見つからない」
「ああ。私の方も、特におかしなものは見つからなかった」
「うー、ココロもダメでした」
「ぐぬぬ……私もです」
「私もだね。イクシスさんの方はどうだった?」
「クラウが勇ましくて可愛かったな」
「ああ、そう」
どうやら不審な記録は見つからなかったようだ。
仮面の化け物が出現した際には、時を同じくしてレッカやソフィアさんなんかが写ってる、全く覚えのない写真がアルバム内に出現した。
そのため今回も、謎のアイコンに応じてアルバムにも何か変化があったのでは、と思ったのだけれど。しかしどうやら見当外れだったらしい。或いは見落としでもあったのか。
「何にせよ、一応調査する必要はあるかもね」
「だな。これだけ目立つアイコンが、理由もなく突如出現するとは考え難い」
「これまでも、知らないアイコンが出たら必ず何かが起きた」
「でも、危険じゃないですか? 絶対ヤバいやつですよこれ!」
「そうですね。アイコンの色、形、大きさ。全てがそれを物語って見えます」
「つまり、今度こそ私の出番ということだな?」
「リサーチしてみないことには、正直なんとも言えないけどね」
ともあれ、未知の異変が起こっている可能性は非常に高い。
場合によっては本当に、イクシスさんの手を借りることもあり得るだろう。
何にせよ先ずは調査を行ってみないことには始まらないが、如何せん前回仮面の化け物相手に大きな苦戦を強いられたこともあり、準備はしっかりしてから赴かねばなるまい。
「一先ず、カンカンにて依頼完了の手続きを済ませてしまいましょう」
「そうだね、取り敢えず目の前のことから順に片付けてしまおうか」
「仮面の時を鑑みるなら、それ程緊急性のあることでもないのかも知れないしな」
「でも、仮面と違うのなら断言はできない」
「ココロ、何となく胸騒ぎがします」
ココロちゃんの漏らした言葉に、皆内心で共感を覚えながら。
何にしても先ずはやるべきことから片付けていこうと、各々席を立つのだった。
「では、私は念の為情報を集めておくとするか。もしかするとギルドの方に何かしらの知らせが届いているかも知れないしな」
「うん。何かわかったら通話して」
「任せてくれ」
そうして私たちはイクシスさんと別れてカンカンへと飛んだ。
時刻は一〇時を過ぎた頃である。カンカンは標高もなかなか高い位置にある町なので、日が昇ってそこそこ経つであろう現在も気温は低く、私たちは直前までとの気温の落差に身を強張らせながら、そそくさとギルドへ向け歩き出した。
町中は今日も、相変わらずあっちこっちから金属を叩く作業音が響いており、職人の人たちがせっせと作業に勤しんでいることが窺い知れた。
町中を歩けば、相変わらずモジャモジャで筋肉質な小さいおじさんをちらちら見かけることが出来、他方で外見はロリっ子の女性も多く見える。ドワーフ女性の特徴らしい。
そんな一種独特な風景も、しばらくは見れないのかと思うと少し寂しく感じた。
そうして、それ程大きくもない冒険者ギルドのカンカン支部を訪れたなら、そこには思いがけない顔があった。いや、マップを見て知ってはいたのだけれど。
オレ姉とチーナさんが、飲食スペースで飲み物を飲みつつ駄弁っていたのだ。
彼女らは私たちの姿を見つけるなり、手を振って声を掛けてきた。
どうやら私たちのことを、予めここで待ってくれていたらしい。
「何だいあんたたち、思ったより遅かったじゃないか」
「な、何かありましたか?」
「ああ、ちょっと思いがけないことがあってね……それより二人こそどうしたの?」
「見送りだよ。この町を離れるつもりなんだろう?」
「皆さんにはとてもお世話になりましたから、是非にと思いまして」
私たちが完了手続きを終えるなり町を出ることを予期して、そのお見送りに来てくれたという二人。
感激しながらも、一先ず用事を済ませてしまおうと、私は受付カウンターの方へ移動。わざわざ全員で向かう必要もないため、受付には私と、念の為ソフィアさんが付いてきた。
今回受けた依頼は初の指名依頼ということで、いつもと勝手が違うのだろうかと些か緊張したが、案外そんなこともなく。
仕組みとしては、依頼者がギルドに申請を出した際に持ち帰ることになる、依頼達成の証明書。
これに依頼者がサインを入れることで、この書類は達成の証明として機能するらしく。これを受け取りギルドに提出することで、達成報酬を得ることが出来るようになっているらしい。
証明書にサインを貰うためには、当然依頼内容を達成し、それを依頼人に認めてもらう必要があるわけだけれど。証明の方法等に関しては予めギルドの受付窓口でしっかりと打ち合わせの行われた上で定められるため、変なイチャモンを付けてくる人というのは滅多に居ないらしい。
というわけで滞りもなく手続きは済み、報酬を無事に受け取ることが出来た私たち。
そのついでに、受付嬢さんへ町を離れる旨を告げておく。
今回は予め短期の滞在であることを知らせておいたため、担当受付嬢というのは付かなかった。なので淡白なやり取りで済むわけだ。
時間帯もギルドが混み合う頃合いを少し外れているため、さして時間も掛からず用事を済ませた私たちはオレ姉たちのもとへ戻ると、一緒にギルドを出た。
「それで、ミコトたちはこの後すぐ出立するのかい?」
「ん、どうだろうね。何事もなければ、最後にゆっくり町を巡ってみたいなって思ってたけど」
「や、やっぱり何かあったんですか……?」
「あったと言えばあった。でも、まだ急ぎの用事ってほどではない」
「なら折角だ、師匠に創作武器を認めさせてくれたお礼もちゃんと出来てなかったしね。お昼何かご馳走させとくれよ」
「み、皆さんにはお世話になりましたから、私からも是非!」
という二人の計らいにより、私たちはのんびり町を歩きながら、暫し他愛ない話に花を咲かせたのだった。
そうしてやがてお昼も近づき、空腹を感じ始めた頃。
不意に、そこへ通話が届いたのである。
イクシスさんからだった。
『すまないみんな、どうやら緊急事態が起きているらしい。一度戻って来てくれないか』
漠然とした胸騒ぎが、いよいよ輪郭を持ち始めた瞬間であった。




