第三〇三話 チーナの判断
ギガポロック。
それは見上げるような巨体を誇る、一見してただの岩の如きモンスターである。
形は概ね綺麗な球体をしており、表面は岩らしくゴツゴツしてはいるものの、転がるのにはさぞ楽そうなフォルムだ。
体高は五メートルを優に超え、見るからに重量質量ともに恐ろしいものがある。
体当たりこそが最強の武器であり、もしもあんな巨体に潰されようものなら一溜まりもないことは火を見るより明らか。
しかもそれに加え、頑丈さもまた飛び抜けているらしい。
昨日手を焼いたメガポロックを鑑みるに、その上位個体と思しきギガポロックは余程のタフネスを有していると見て間違いないだろう。
しかも、である。
「ギガポロックは体当たりに加え、魔法まで使ってくるそうです」
「ひぇ」
元ギルドの受付嬢であるソフィアさんから、そんな情報が語られた。
体当たりだけでも十分に過ぎる脅威だと言うのに、それに加えて魔法?
これは拙い。間違いなく厄介な手合である。
「よし、引き返そうか」
「いいの?」
「ミコト様がそうおっしゃるのなら!」
「え、あ、ちょ、待ってください! 戦わないんですか!?」
ただでさえダンジョン踏破を成してから帰るか悩ましいと話し合っていたところに、このボスである。
倒す倒さないと言うより、倒せる倒せないという話になってしまった。
いや、勝算は確かにある。
メガポロック攻略に当たり、未だ名前も知らないあの術を行使すれば、やってやれないこともないのだ。
ただ、一見無敵かに思えるハイエルフ由来の術にも、実は弱点というものが存在している。
彼の術は、他者の魔力に干渉することで、対象の体内で魔法現象を引き起こすという大変エゲツないものとなっているわけだが、しかしその仕様上逃れ得ぬ問題点もある。
それは、自身の魔力を高度に把握、支配している相手には通用しない、しづらいというものだ。
長けた戦士や魔法使いなどは非常に力の使い方が上手く、その『力』には勿論、魔力やその素となるMPまでも含まれる。
そうした力の制御に長けた者たちは、当然『力の異常』には敏感であり、ともすればその異常を自ら正してしまったりする。
すると結果、ハイエルフ由来の固有魔法というのは不発に終わってしまうわけで。
ただソフィアさん曰く、他者への魔力への『干渉力』というのにもまた、個人差があるらしく。凄腕のハイエルフは力づくで術を成立させてしまうらしい。
そしてソフィアさん自身もまた、その凄腕に数えられる一人だと胸を張って主張していた。
大して私はと言えば、まだその干渉力云々の概念にすら及んでいないペーペーである。
そんな奴が、魔法まで扱うというギガポロックに件の術を成功させられるかと言えば、はっきり言って確証のない話となってくるわけで。
「確実性を期すなら、もう少しあの術を磨いてから出直すべきだと思うんだけど」
と皆に語れば、私が昨日急場しのぎ的に会得した術であるということを知っている彼女らは、流石に納得を覚えたらしい。勿論、チーナさんも。
「それは……確かにそうですね。昨日覚えて、たった一日練習しただけの新しいスキルをボスへの切り札とするのは、リスクが大きすぎます」
「だがどうする? 流石にこれだけ厄介そうなボスをみすみす放置して帰るというのはどうかと思うのだが」
「ギガポロックの出現例というのは、一応これまでにも確認されていることです。その都度特級の冒険者が出張る案件となったり、多くの冒険者が一丸となって対処したりと、なかなか人騒がせなモンスターのようですが」
「こんな深層に『多くの冒険者』は無理がある」
「ということは、特級冒険者の派遣案件ですか? それって、すごくお金がかかるんですよね?」
「そう言えばうちにも特級が一人いるけど、そこのところはどうなの?」
すっと、皆の注目がソフィアさんへ向き、彼女は眉をハの字にした。
「まぁ、本気を出せば倒せるとは思いますけど。と言うか、皆さんだってこれまでの戦闘とは異なり『後先考えない本気』を用いることが出来るんです。私が一人で踏ん張る必要はないように思うのですが」
という、頼もしいと言うかやる気が無いと言うか、指摘めいた返事が返ってきた。
しかし彼女の言うことも尤もで。
ここまで私たちがテーマとして掲げてきたのは、『MPを節約して、低燃費で切り抜ける』というものだった。
冒険者にとって、ダンジョンでのMP管理は最重要事項。
なれば、それをバカスカ使っての攻略というのは一般冒険者からするとあり得ないことだ、という指摘をチーナさんに受け、反省を覚えたためである。
だが、ことボス攻略となれば話は違ってくるだろう。
節約より何より、ボスを倒すことが最優先事項となる。
なれば、これまであまりの消耗の大きさに控えていたあんな技こんな技を解禁して、大火力を出すことが出来る、というわけだ。
ココロちゃんとクラウ辺りは、そうした必殺技級の攻撃を持っているし、それでダメそうなら更に奥の手もある。
即ち、私の【キャラクター操作】だ。
流石にそれらを駆使すれば、ギガポロックといえど倒せない手合ではないだろう。
すっかり節約脳になっていた私は、ソフィアさんの指摘に納得を覚える。
っていうか、何も考えずに全力を出しても良いシチュエーションというのは、なんだか久々な気がするな。
「つまり、皆さんならギガポロックを仕留めることが出来る、ということでいいんですね……?」
「そうだね、頑張れば出来ると思うよ」
「よかった……」
ホッとしたようにため息をつくチーナさん。
無理もない。ギガポロックを放置するということは、特級冒険者の派遣をギルドに依頼して、このダンジョンを攻略させるということだ。
そうなると、いい具合に育ったダンジョンが一つ潰れる他、依頼費用も相当に取られてしまい、総じて鍛冶師の町であるカンカンは大きな打撃を受けることが想像に難くないのだから。
「それじゃ、後の判断はチーナさんに委ねようかな。ここでボスを倒して帰るのか、はたまた今回は見逃して帰るのか」
「! あ、えっと……」
「ダンジョンボスがギガポロックだというのなら、何れの判断にせよ文句を言うやつは居ないだろう」
「そも冒険者がダンジョンを攻略するのは、当たり前のことでもあるわけですからね。中には侵入に際して、ボスは討たぬようにと契約を強いられるダンジョンもありますが、ここにはそうした厳しい約束事はありませんでしたし」
自らの判断力が低いばかりに、手痛い失敗を犯したと以前チーナさんは語った。
だから私たちはこのダンジョン攻略に際し、ことある毎に彼女へ『判断の機会』を与えるよう振る舞っている。
この件もまた、その一環だ。勿論、事はカンカンの大事に繋がる話でもあるため、カンカンを故郷とする彼女の判断を仰ぎたいという事情もあってのことだが。
何れの決断が成されようと、私たちには否やも不都合もない。委ねた以上、支持するのみである。
それを受け、彼女は眉根にシワを寄せて暫し唸った。
そして確認の為問うてくる。
「あの、もし今回ここで引き返すことにしたとして、皆さんにもう一度協力を仰ぐことは可能でしょうか……?」
そう、そこだ。
ギガポロックを倒せると言い切った私たち。その力の片鱗も見ている彼女には、その言葉を疑うつもりはないようだ。
だが、果たしてこの機を逃して私たちが再度この場所へ足を運ぶのか。討伐に協力してくれるのか。或いは討伐が必要になった未来、私たちがちゃんと健在でいる保証もない。
逆に、私たちが何かの拍子に滅茶苦茶有名になって、指名依頼を出すのにとんでもない指名料を取らないとも限らないわけで。
一番確実なのは、そんな不確定な未来を切り捨て、ここでギガポロックを討伐しておくことなのは間違いないのだ。が、それにはそれで不都合がある。
そこで彼女は問うた。あわよくば言質を取るべく。
対して私たちに、否やはない。
「それはもち……」
「待ってくださいミコトさん」
と、返事をしようとした私を遮ったのは、ソフィアさんだった。
彼女は口元に小さく不敵な笑みを浮かべると、チーナさんに向けてこんな事を言いだした。
「私たちの協力を再度求めたいというのであれば、一つ条件を呑んでいただきましょう」
「じ、条件、ですか……それはどのような?」
緊張し、その内容を問う彼女に、ソフィアさんはいつもの無表情で告げた。
「我々に関する情報を、決して他者へ漏らさないことです」
「! は、はい。それはもちろん……!」
「…………」
「……? えっと、他には?」
「いえ、私からは以上ですが」
「えぇ……」
無表情のソフィアさんは、こういう交渉事を言い出すと妙におっかないのだ。
何を言い出すかも分からず、何を考えてるかも表情から読めないから。
そのため、なんだそんな事ですかと、どっと疲れたように肩を落とすチーナさん。
しかし、「他に皆さんから何かあれば」とソフィアさんが続ければ、再度身を強張らせ私たちを見回す彼女。
それに対して私たちから出た条件とは。
「特にない」
「ミコト様を崇めるのです!」
「折角だしな、その、ゴルドウ殿に注文の融通を……ああいや、やっぱりなんでもないっ!」
という、気の抜けるような内容ばかりで。
最後に私へ視線が向き、良い機会なので一つ注文を付けておくことにした。
「『オレ姉を超一流の鍛冶師に育て上げること』……とかどうかな?」
条件を聞き終えたチーナさんはほっと安堵し、それならば問題なく約束できると確かな頷きを見せたのだった。
斯くして彼女の心は決まったようで、今回はボス討伐を見送ることが決定した。
折を見て、私たちには再度指名依頼が出されるらしい。お仕事の予約が入り、こちらとしても悪い話ではない。
精々その依頼が出されるまで、無事に冒険者活動を続けていかねばなるまい。
尚そんな交渉の最中、依頼料は据え置きでお願いしますという、存外ちゃっかりしたおねだりをされてしまい、私たちは苦笑交じりにそれを了承したのである。
そうと決まればボスフロアに用は無い。
私たちは踵を返して今来た道を引き返し、しかし時刻はまだまだ午前も早い時間。帰るのには惜しいと、二九階層に戻ってもう一稼ぎしていくこととしたのだった。




