第二九話 これからの話
街に魔道具の街灯がポツポツと灯りはじめ、夕映えはやがて趣深い夜景へと移り変わっていく。
そんな、薄暗さに包まれていく景色を背に、ココロちゃんは静かに語り続ける。
「最初に目にしたミコト様は、オルカ様に宿っておいででしたね。遠目にではありましたが、ココロは確かな予感を感じたのです……あの方は、きっと特別だと。もしかするとあの方こそが、神様かも知れないと、そう思えてしまうほどに」
「ドレッドノートと戦ったあとのこと、だね」
「はい。ココロはそのお背中を必死に追いかけました。自慢ではありませんが、私単純な足の速さだけなら自信があるんですよ? なのに、追いつけないばかりか、どんどん引き離される一方で。私の期待はどんどん膨らんでいきました」
ぎゅっと拳を握り、声に熱の籠るココロちゃん。
薄く目を閉じ、あの日のことを瞼の裏に幻視しているようだ。
「ですからあの時、ミコト様を見失ってしまったと思って、ココロは酷く落胆しました」
「【キャラクター操作】を解除して、私は死にかけちゃったんだよね」
「はい。あの時は、酷く憔悴した女性の冒険者が、重傷者を抱えて駆けているだけだと思ったのです。そんな方を見捨てたとあれば、神様に顔向けできませんから、私はお声がけしたんです。まさかそれが、ミコト様であらせられたなどと思いもせずに」
「そう言えば、よく分かったね。私がその、オルカと融合していた本体だなんて」
「ご尊顔と髪のお色を拝見し、ココロは確信しました。さっきの神様は、この御方なのだと」
「な、なるほどなぁ」
オルカと融合中の私は、どうやら融合相手の髪色を銀髪に染めてしまうらしい。私の毛髪が銀色だから、融合先にもそういう形で影響が出るんだなぁ。
他にも何か影響が出ていないとも限らないけど、確認したことは未だに無いからなぁ。機会があればその辺もチェックしておかないと。
「ミコト様にお仕えするようになってからというもの、ココロの期待は日々膨らむ一方です。長らく冒険者を続けておりますが、ミコト様は常識の埒外にて過ごしておいでです。見たことも聞いたこともないようなスキル、不思議な出生、そして生まれて一週間でドレッドノートを仕留めてしまうそのお力。どれをとっても常人のそれでは起こり得ない奇跡ですもの」
「う……そう言われると、否定のしようもないけど」
「ですから、ココロは……気を抜いていました。ミコト様のお側に居れば、ココロは自身を化け物だなんて思わなくていいのだと。そんなはず、無いのに……」
ココロちゃんは苦しそうに、悲しそうに、そして悔しそうにきつく拳を握り込んだ。小さな肩が震えている。
「ココロは、頭に血が上ると自分を保てなくなるのです……。感情の赴くままに暴れて、気がつけば辺りが廃墟になっていたこともあります。ココロは、どう足掻いたって化け物なんです……っ」
「ココロちゃん……」
「お願いです……どうか、お願いです、ミコト様。ココロを……心の中に巣食う化け物を、退治してください。どうか、どうか……っ」
その場に膝を突き、手を組み、祈るように頭を垂れる彼女はまさに、神へ祈りを捧げるシスターだった。
流石に、こんな話を聞かされてしまえば嫌でも理解する。この娘は伊達や酔狂、はたまた冗談で私を神様扱いしているわけじゃないんだ。
彼女にとっての神様とは、自力ではどうしたって変えようのない部分を何とかしてくれる存在。何とかしてくれるかも、という希望を抱ける存在。縋るべき対象ってことなのだろう。
だけど。私にココロちゃんを救う手立てはないんだよ。やっと自分の生活を安定させることができた程度のヤツに、なかなかどうして寄せられた期待は過剰が過ぎるというものだ。
……そう、だとしても。
「……ココロちゃん。何度も言うけれど、私は神様なんかじゃないよ」
「…………」
「私に、ココロちゃんを助けるすべの持ち合わせはないんだ。特別な奇跡を起こせるわけでもない」
「……う……うぅ……」
「あなたの期待に応えることは、残念ながら……出来ない」
ぺたん、と。
項垂れ、床に崩れる彼女は小さく泣いていた。ポタポタと涙が小さな水たまりを作っている。
「でも。それでもいいなら。そんな私でもいいなら、協力するよ」
「……え……?」
恐る恐るといった具合に、ゆっくり顔を上げるココロちゃん。
不安げなその視線に、私は努めて真っ直ぐに向き直り、言う。
「私は神様じゃない。だけど、あなたのことを友達だとは思っている。仲間だとも。それに、命を救われた恩も返したいからね」
「うぅ……ミコト様……」
「神様じゃない私じゃ、力にはなれないかな?」
「そんなこと……っ! そんなことはありません! ミコト様がいてくださるのなら、きっとなんでも出来ます。私の中の化け物だって、きっと退治できます!」
「私だけの力じゃ、きっと無理だよ。でも、オルカにも手伝ってもらってさ、私達三人でならきっとなんとかなる」
そりゃ、根拠なんて無い。希望的観測ってやつかも知れない。
でも、少なくともきっといい落とし所っていうのなら、見つけられると思うんだ。
ココロちゃんは言った。私達と一緒にいたら、自分が化け物なんかじゃないと思えたって。
だったらそれも一つの、落とし所としてはありだろう。もちろん、根本から何とかするのが一番の目標ではあるんだけどさ。
ココロちゃんが自分を、手のつけられない化け物だなんて思わなくて済むように、私ももっと力をつけよう。
「とりあえず、私はもっと強くなるよ。ココロちゃんがキレて大暴れしたって、ワンパンで沈められるくらい強くね」
「! ……そんなことを仰る方は、初めてです。暴れたココロを見ると、誰も彼もが私から離れていったのに……」
「何言ってるのさ。私のために怒ってくれた、大事な友だちを、そんなことで突き放すわけないじゃん」
「ぁぅぅ……みごどざまぁぁ」
とうとう、わんわん泣き始めるココロちゃん。
私は堪らずそれを抱きしめ、彼女が落ち着くまで頭を撫で続けたのだった。
★
辺りがすっかり暗くなり、気まぐれのように配置された街灯を頼りに私達は宿への帰路を辿った。
その最中、息を切らせたオルカに見つかってしまった。心配性の彼女は案の定、私が戻らないために街中を走り回っていたらしい。
結果、右手にオルカ、左手にココロちゃんの手を握って宿まで帰った。仲良し家族かよ。
それからいつものように公衆浴場でひとっ風呂浴びて、宿の食堂で晩御飯を頂き、その後部屋にココロちゃんを招いて話の続きをした。
オルカには、まず私が話してもらった内容をかいつまんで説明しておいた。その上で、これからのことを話し合うのだ。
「私も、ココロには恩を感じてるから。協力することに異論はない、よ?」
「オルカ様……ありがとうございます!」
「うんうん。それでなんだけど、ココロちゃんのその力の理由っていうのは判ってるの? 『私の中の化け物』って言ってたし、もしかして何か心当たりがあるとか」
「あ……はい。心当たりは、あります」
ココロちゃんはそう言って少し押し黙った後、それを明かしてくれた。
「私のジョブは……【鬼】という、ユニークジョブなんです。これがきっと、私の制御できない力の理由ではないかと」
「鬼……そういう名前のモンスターなら、聞いたことがある」
「なるほど。それがどういうわけか、ジョブとして発現しちゃってるわけだね」
「はい……でもジョブなんて、どうにかしようとして出来るようなものではありませんから……」
「それで、神頼みをしていた?」
「仰る通りです……ジョブやスキルとは、神に与えられたものである、という考えは多くの宗教で信じられてきましたし、ココロもそう思いますから」
「それで私になら、なんとか出来るって思ってたの?」
「ココロは、ミコト様に不可能はないと信じていますので!」
「それには、私も同感」
「重い重い! 過大評価が重い!」
ココロちゃんに同調してオルカまで、こちらへ妙な期待の視線を向けてくる。勘弁してくれ……。
私はパタパタと二人の視線をかき消しつつ、話の修正を試みた。
「それで、実際ジョブを何とかする方法って何かあるのかな? ジョブチェンジみたいなことって、この世界では出来ないんだよね?」
「それは、聞いたことがない。けど、クラスチェンジなら聞いたことがある」
「はい。ココロもクラスチェンジについては随分調べました。今に至るまで、成功はしていませんけど……」
「クラスチェンジって言うと、クラスが進化する……みたいな話?」
「そう。一概に進化とは決まっていないけれど、何かの切っ掛けでジョブが変化することを、クラスチェンジっていうの」
「それにしたって、全く別物に変化する、ということは無いみたいです。同系統の専門ジョブへ変化する、というイメージが正しいと思います」
「なるほど……それだとココロちゃんの【鬼】も、それに近い何かに変化するだけってことか」
「ユニークジョブは不明なことも多いので、絶対ではありませんが、恐らくは……」
「そっかぁ」
そうなると、下手を打てば鬼を消すどころか強化することにもなりかねないわけだ。
反面、抜本的解決にこそならないけれど、良い方向にクラスチェンジできれば、現状よりはましになる可能性もあると言えばある。
ただユニークジョブなので、そもそもクラスチェンジの方法が分からないという問題も大きい。
困ったな……ココロちゃんだって独自にいろいろ調べてきたのだろうし、そう簡単に解決できる問題じゃないことは分かってたけどさ。しかしどうしたものか。
「……あ。そう言えばさ、アレとかどうだろう? この前話に出た、鏡のダンジョン? だったっけ?」
「! そうでした、実はココロもいずれ行ってみようと思っていたんです!」
「確かに、自分と向かい合う試練は、ココロの抱える問題に最適かもしれない」
「ただ、試験を乗り越えたとして、それで何がどう変化するのか……」
「何も手がかりが無いよりは、良いと思う」
「そうだね。私も自分を知るために行ってみたいと思ってたし、いい機会かも」
そんなこんなで、話は鏡のダンジョンに挑むということで方向性を得、そのための準備等について計画を詰めていった。
そうして夜は更けていく。いつも何処か張り詰めた様子のココロちゃんは、幾らか雰囲気が柔らかくなったような気がした。
結局その日は遅くまで、三人でわいわいと話し合ったのだった。