第二八話 ココロトラベル
悪夢のような一夜が明け、自身の身に起こったことも把握できぬままに変わり果てた村、そして我が家を目の当たりにしたココロは、わんわんと哭いた。
泣く以外、彼女には何も出来なかった。
心が折れ、足腰に力が入らず、気力もなく。
彼女は年相応に、ただただ泣き続けた。
やがてようやっと泣きつかれてきた頃、不意に背後で何かの気配がし、ココロは肩を震わせ振り返る。
また怖い人が来たのかという恐怖と、誰か村の大人が来てくれたのかという期待の綯い交ぜになった心持ちだった。
するとそこには、村人である見知ったおじさんが立っており、ココロの姿を強張った顔で凝視していた。目が合う。
その途端だ。おじさんは突然腰を抜かし、その場にへたり込んで不格好に後ずさった。ひぃと情けない声を上げる。
何事かと思い、ココロは辺りの様子をうかがった。もしかして怖い人が近くにいて、おじさんはそれを見つけたんじゃないかと、とっさにそう思ったのだ。
キョロキョロと周囲を見回しても、しかし物悲しい風景ばかりが目に飛び込んできて、ココロは胸の痛みを強くするだけだった。
それでも、知った人が生きていた。それは幾らかの安堵をココロにもたらした。
力の入らない足で立ち上がると、ココロはふらつきながらおじさんへ近づいていく。
ところが。
「く、来るなっ、来るなぁぁ! この化け物っ‼ こ、殺さないでくれぇ‼」
「……?」
おじさんの反応が奇妙で、ココロは落ち着くように言おうとした。けれど、そこで異変に気づく。
声が、言葉を紡いでくれない。
アーとかウーとか、まるで赤ちゃんみたいな発生しか、喉が、舌が許してくれなかった。
そのことがおじさんを一層怯えさせ、ココロがあまりのことにショックで呆けている内に、おじさんは這々の体で何処かへ逃げ去ってしまった。
それからココロは、炭になり崩れ落ちた我が家の前で呆然としていたけれど、やがて空腹に耐えかねて我に返った。
時刻はお昼を過ぎ、日差しがぼんやりとする時間帯。
お腹は空いたけれど、考えてみたら食べ物がない。どうしていいかも分からない。焼けた家には近づくことすら憚られた。昨夜の、衝撃的な記憶が色濃く蘇るようで、無意識に体が彼女を家から遠ざける。
そうでなくとも、炭になり砕けた柱は、屋根を支えきれず崩落を許し、すっかり家自体ぺしゃんこになってしまっているのだ。そのせいもあって、どの道ココロにそこへの立ち入りは出来ない。
ココロは頼りない足取りでようやっとその場を離れ、誰かに食べ物を分けてもらおうと村の中を彷徨った。
比較的家の密集している場所へ足を向けても、しかし惨憺たる有様であり、一体生き残りがどれだけいるのかも分からない。
人を求めて彷徨ってみても、目に入るのは息絶えたものばかり。知っている村人の姿もあれば、昨日の男のような粗野な格好をした者もある。
一体何があったのか。どうしてこうなったのか。ココロにはさっぱり訳がわからず、ただただ途方に暮れて彷徨い歩いた。
そんな折だ。
「む、村から、出ていけ! 化け物‼」
「……?」
何処から出てきたのか、男の子が一人ココロに向かってそう叫び、石を投げつけてきた。
石はココロの脇をすり抜けて、地面に転がったけれど、男の子は更に足元から適当な石を拾い上げては投げつけてくる。やがてその一つが肩にぶつかり、痛みで呻き声を上げるココロ。
やめてと言おうとしたけれど、声は言葉の体をなさない。男の子はそれを不気味がってか、出て行け出て行けと投石を続けた。
するとやがて、物陰から別の人影が姿を現す。一人、二人と、生き残った村人たちが憔悴しきった顔で集まってきた。十人にも満たないほどであったけれど。
そんな彼らに男の子は訴える。
「オレは見たんだ! コイツが、この化け物が! すげぇ力で俺んちを壊したんだ! でっかい木もへし折って、人間もたくさん殺してた! 化け物なんだ‼」
「ああ……ああ、俺も見た! コイツがこの村をこんな滅茶苦茶にしたんだ!」
「私も見たわ……化け物! この化け物‼」
皆が、石や瓦礫をココロにぶつける。激しい罵声を投げつけてくる。
ココロは堪らず、その場を逃げ出した。彼らが何を言っているのか理解できない。皆が言うようなことを、自身はやった覚えがない。
ただ、気づけば村の広場に立っていた。村がぐちゃぐちゃになっていた。家が燃えて、なくなっていた。両親が……死んでしまった。
悲劇と言うにも生ぬるい不幸の連続に、未だ十歳にも満たないココロは打ちのめされた。
追われるように村から離れ、いよいよ行くあてを失ってしまった。
日は暮れていき、お腹は空き、心身問わずボロボロだ。
このままだと死んでしまうと。そう思った。けれどどうしていいかも分からない。生きるために出来ることが分からない。
何かを食べなくちゃ。水を飲まなくちゃ。
そうは思うけれど、何処にあるのだろう? 水は井戸にある。けれど井戸は村にある。村には戻れない。
それに村の外にはモンスターが出る。両親からは、危険だから決して勝手に村から出てはいけないと言われていた。
このままでは、モンスターに襲われて、殺されるかも知れない。お腹が空いて死ぬのか、モンスターに殺されるのか。何れにしてもそれは、ココロにとってとてつもない恐怖だった。
だけれど、村に戻ったならそれこそ、村人たちに殺されるかも知れない。それほど、彼らの有様は鬼気迫るものがあった。
そこでココロはようやっと気づく。自身の身につけている衣服が、いやにボロボロになっており、赤黒く染まっていることに。それは、昨日目にした父親の最後の姿をフラッシュバックさせるものだった。
ココロは堪らず口元をおさえ、えづく。
またポロポロと涙がこぼれた。
(おとーさん……おかーさん……っ)
しばらくそうしていたけれど、いよいよ気持ちが諦念に呑まれ始めた。
もうきっと、どうにもならないんだと。自分は終わりなんだと。
しかしそれを、この場所でじっと待っているのも違う気がして、ココロはふらりと立ち上がった。
そうして目的も当てもなく、ただぼんやりと歩き始めた。
なんとなく道沿いに、ひたすら歩いた。さながらそれは、死出の旅路である。
この道の先に天国がある気がして、ココロはただただ歩いた。
道中、何度も死にかけた。何度もモンスターに襲われ、死を覚悟し、しかし気がつくとモンスターは消えていた。と同時に、周囲の地面も大きく荒れていて、さながら怪獣でも暴れたかのようである。
明らかな異常。けれど、ココロにはもうそんなことを気にする余裕もない。
何日も飲まず食わずで道なりに歩き続けた。頭もろくに回らず、意識は朦朧としたまま。
そうしてココロは、とうとう意識を失ったのである。
これで終わりかと、ただそれだけを思った。願わくば天国で、両親に再会できることだけを期待して、ココロは眠った。
☆
結果として、ココロが命を落とすことはなかった。
彼女は朦朧とした意識のまま、町まで辿り着くことが叶ったのである。ココロの歩んでいた道の先には、小さいなれど町があったのだ。
彼女は町の教会に拾われることになった。
そこのシスターはとても優しい人で、ココロにたいそう良くしてくれた。
教会で管理される孤児院は、決して裕福ではなく。常に皆がお腹を空かせているような有様だった。
それでもシスターはココロに嫌な顔ひとつせず、散々に痛めつけられた彼女を根気強く癒やしてくれたのである。
おかげでココロは言葉を取り戻すことが出来た。
ようやく声が言葉を紡いだ日、シスターは泣いて喜んでくれた。他の子達も一緒に祝ってくれた。
居場所を失った彼女が得た、第二の家。それが孤児院であり、教会だったのだ。
ところが、幸せなことばかりではなかった。
村を追われて以来、ココロには異様な力が芽生えてしまったのだ。
それは恐ろしいほどの怪力と、信じられないような再生能力。
モンスターに襲われ、重傷を負った際も気づいたら完治していた。流石に空腹ばかりはどうしようもなかったけれど、怪我も病気もココロにはまるで無縁のものだった。
その代わり、その怪力は意図せず周囲を度々傷つけた。
その度にココロは、何度もごめんなさいと泣いて謝った。最初の頃は、それで済んでいた。
けれど時が経つにつれて、ココロの存在は不気味がられ、疎まれるようになってしまった。
彼女自身、自分が普通ではないということを強く気にしており、何も言い返すことが出来ない。
それでもシスターだけは、ずっと変わらず優しくしてくれた。
それなのに。
「お前気持ち悪いんだよ! もうここから出ていけよ!」
「っ……わたしだって……わたしだって、好きでこんなふうになったんじゃないのに……っ‼」
「いけません、ココロ……!」
子供の中でも一番やんちゃで、歯に衣着せぬ物言いをする少年だった。彼と口論になり、とうとう鬱憤をココロにぶつけてしまった。
けれど少年以上に当の彼女こそが、誰よりも強烈な鬱憤を抱えていたのだ。
それがとうとう、爆発してしまった。
癇癪を起こし、地団駄を踏んだ。それだけなのに、地面は大きく陥没し、局所的な地震を起こし、そしてその衝撃で少年を吹き飛ばしてしまった。
とっさにココロを止めようとしたシスターは、少年以上に大きな衝撃を受け、跳ね飛ばされて地面を転がり、口から血を吐いた。
それを目の当たりにしたココロの頭は忽ち冷め、顔を青くしてシスターに駆け寄った。
シスターは、朦朧とした意識で言う。
「ココロ、癇癪を起こしては、いけま、せんよ……女の子なん、ですもの。お淑やかに、しなくては、ね……?」
「ごめんなさい……ごめんなさいシスター……」
その日初めて、ココロは自身ではなく他人の傷を癒やすことに成功し、シスターは一命をとりとめた。
けれどこの一件は、他の子らとの溝を決定的に押し広げてしまった。
シスター以外の誰もが、ココロに出ていくよう強く迫った。誰もがココロを化け物と呼んだ。その言葉は彼女を深く傷つけ、孤児院を出ていくことを決意させてしまう。
こうしてココロは教会を出て、町を離れ、また別の町の教会で厄介になり、そうしてすぐに追い出されるという。そんな辛い日々を送ることとなった。
縋れるものは、もはや神様くらいのものだった。だからココロは必死に願った。
神様どうか、私を普通の人間にしてくださいと。こんな力はいらないから、取り払ってくださいと。
けれど、どの教会のどんな神に願おうとも、結局ココロの望みが叶うことはなかった。
生きるために、冒険者になった。その怪力と再生力は、皮肉なことに大いに役立った。
けれど彼女自身はそれを忌み嫌い、いつかそれを消し去ってくれる神様が現れると、そう信じ、生きてきた。
いつしか信仰するべき神さえ見失い、自身を救ってくれるものがあるのなら、何だっていいとさえ考えるようになった。否、それこそが自らの仕えるべき神であるとさえ。
――――そうしてあの日。
ココロは、ミコトに出逢ったのだ。