第二七七話 ステージからの脱出
リリの放った、ステージ上の全てを蹂躙するほどの強力な技。マジックアーツスキルなのか、それとも魔法剣によるものなのかは残念ながら確認する余裕がなかったけれど、何れにしてもその威力は凄まじいの一言に尽きるものだった。
まともに喰らったのでは、到底無事ではいられないような一撃である。にも関わらず、私は風魔法にて地面に押し付けられ、身動きを封じられている始末。
あわや直撃かと肝を冷やす場面だったが、私だって無抵抗にやられたりはしない。
風魔法に捕われ地面に叩きつけられた瞬間より、私は既に魔力調律を始めていたのだ。
そうしてどうにか爆発に呑まれるよりも早く、調律により思い切りスペックを引き上げた、最大威力の障壁展開を間に合わせることが出来たわけだが。
使っていいレパートリーは三つまでだと言われているので、ぶっちゃけこれで手は尽きた。
しかも障壁は攻撃のためのスキルではない。今のような、最悪に対処するべく用意しておいた緊急措置である。
障壁は私を包むように、球体状に展開。何と地中までもカバーするという徹底仕様である。
これにより、辛うじて被害を免れた私だったが、しかし壮絶な爆風の去った直後、そこにはリリが間近に迫り、魔法剣を振りかぶっている姿があった。
次の瞬間、あわや一撃で叩き割られたかと思うほどに軋む私の障壁。どうにか耐え切りはしたが、せっかく取ったマウントに於いて、たった一撃で彼女が満足するはずもなく。
「ちょ、ま、ギブ! もうギブアップするから!!」
「――――!?」
ダメだ。障壁のせいで声は届かず、それどころか魔法剣が思いがけず阻まれたことでますますヒートアップしたリリは、私の言葉などどの道耳に入らぬとばかりに、繰り返し繰り返し魔法剣を振っては目の前の障壁を斬りつけた。
私はヒィヒィ言いながら、必至に壁を維持し続ける。っていうか、破られたら殺されるかも!
気分はさながら、浦島太郎に出てくる亀だ。子どもたちにいじめられてるやつ。そりゃ、こんな場面で助けてくれる人がいたなら、恩返しの一つもしたくなるだろうさ。
しかし残念ながら、ここに現れる太郎さんはいやしない。観客ならわんさかいるけどね。
どうやら止まってくれる様子のないリリ。
ならば仕方ないと、私は籠城を決め込むことにした。障壁に籠もったまま少しずつ移動して、ステージ外に出るのだ。
私が立ち上がれば、つられて障壁も動く。
それに対して一瞬警戒を示したリリだったけれど、私が一歩後退ったのを見てすぐに感づいたらしい。このまま場外まで下がっての、ギブアップを選択しようとしていることに。
しかしどうやら、そんな結末を彼女は認めてくれないようだ。なにやら壁の向こうでがなり立てたかと思えば、奥の手と言わんばかりに懐から何かを取り出したのである。
「!」
それは、剣身の無い剣だった。
瞬間またしても、ぞわりと全身に怖気が走る。まさかという強烈な予感が脳裏を駆け抜け、私は一も二もなく走り出した。
蘇るのは昨日の夜、自らの手で紡いだとあるスキルのこと。
魔法剣士の奥義とすら評される強力無比なそれは、考えてみたら当然、リリも習得していたって何ら不思議ではなかったわけだ。
その考えを肯定するかのように、存在しないはずの剣身が魔法によって構築されていく。
濃密な魔法を剣に変え、振るう魔法剣の真髄。その名を【魔創剣】。
リリの手に、今それは間違いなく顕現を果たしたのだった。
そして、その時にはすでに、恥も外聞もなく背を向け駆けていた私。
ステージの外までもう一〇メートルもないという位置まで迫った、のだが。
背後より感じたリリの気配に、咄嗟に半身になって回避行動。
瞬間、私の障壁を叩き切った彼女の魔創剣が、鼻先を掠めていったのである。
派手な破壊の余波など生じない、純粋に触れたものだけを壊す必滅の太刀筋。
私が身を躱した隙に、彼女は素早く私の行く先へ回り込み、こちらへ魔創剣を突きつけた。
そして言うのだ。
「あんた、何逃げようとしてるのよ。ギブアップなんて許さないわよ!」
「ギ、ギブアップは出場選手の正当な権利なんですけど……」
「ちゃんと本気を見せたなら、認めてやるわよ!」
「ちょ、死ぬ死ぬ!」
言いたいことだけ言った彼女は、容赦も躊躇いもなしに再度斬りかかってきた。
マジで、冗談ではない。冗談では済まない事態だ。
私は魔力調律を解除すると、敢えて近接戦に応じることでどうにか対処に成功する。
リリはこの期に及んでアーツスキルや魔法をゴリゴリに交えてくるわけだけれど、ステージ端であることが幸いしてか、大技は放ってこない。万一観客席に被害が及んでは、失格どころか厳罰が待っているから、流石にそこは気をつけているらしい。
とは言え、私に対しての遠慮はまるで無く。
そんな彼女の心情を、心眼はこう解説してくれた。
『分かってるんだから! このくらい、あんたは普通に捌けるんでしょ!? この私を相手に手を抜くとか、バカにして! 手足の一、二本斬り飛ばして、いやでも本気にさせてやる!!』
その遠慮の無さには、悲しいかなある意味で私への信頼めいた感情が含まれていた。私ならばこのくらいやっても死なないという確信があればこそ、即死級の攻撃ばっかり振ってくるわけだ。
そしてその攻めは、加減するどころか苛烈さを増す一方で。
彼女の狙い通り、本当に縛りを維持していては手に負えないような、そういう段階へ突入しようとしていた。
要は剣身に触れさえしなければいい。ということで、どうにかこうにか体捌きや、小さな魔法で軌道を逸らすなどして対応していたのだけれど、そのせいで段々とステージ中央側へ押し戻されていく。
それにつれて、使用される魔法やスキルの規模も膨れ上がっていった。そうなるともう手に負えなくなってくるわけで。
「っ!」
「そこぉ!」
再び頭上より襲い来る、抗いようのない風の圧力。来ると分かっていても、避けようがなかった。
しかも先程のようにステージ全体をカバーするわけではなく、面前の私をその場に押さえつければいいだけなので、狙いが絞られる分威力も先程のそれとは比べ物にならない。押し潰されて、うっかり内臓が口から出そうである。
そんな私へ、彼女は最終通告を投げてくる。
「真面目にやらないなら、本当に今からあんたの手足を斬り飛ばす。それが嫌なら、早く本気を出しなさい」
「…………」
「……? ちょっと、聞いてるの?」
「…………」
「……はっ! まさかあんた、そんな手で……ふざけんじゃないわよ! 何気絶したふりなんてしてるのよ!!」
「…………」
「こんのっ、そっちがその気なら、容赦しないんだから!!」
事ここに至っては、私に取れる戦法なんて一つしか無い。
そう、死んだふりならぬ、気絶したふりだ。
この大会のルール上、勝敗を決定づける判定基準は幾つか用意されている。
ステージの外に落ちてしまう場外や、相手を戦闘不能に陥らせるノックアウト、ギブアップ宣言、それから制限時間を使い切った後の判定などがそれに当たるわけだけれど。
ギブアップをしようにも、リリがそれを認めず、あまつさえ妨害までしてくるというまさかの展開である。ステージ外にも逃してくれないし。
たとえ私がギブアップを大声で叫ぼうとも、審判にも観客にも聞こえないのでは意味がない。
ただでさえ観客席からは様々な声が常に鳴っているのだ。私一人の声量が、それによってかき消されぬ道理もない。
ならば拡声魔法でも使って、ギブアップを叫んでも良いのだけれど、それはリリが確実に妨害してくるだろう。
っていうか通常のギブアップは、先ず相手選手にその旨を告げ、審判に判定を貰って成立するっていう流れのはずが、このスポーツマンシップの欠片もない展開である。
なので、そちらがそのつもりなら私も強硬手段に出させてもらう。
気絶したふりをしておけば、観客からも審判からも勝敗は明らか。一目瞭然というやつだ。
そうなれば流石に如何なリリとて、倒れて動かない私をどうこう出来はしないだろう。最悪過剰な攻撃として反則を取られるような行為と見なされるはずだから。
それを理解していればこそ、ぐぬぬと歯噛みするリリ。流石にお手上げだろう。いや、お手上げなのは私の方なんですけどね。
剣も魔法も通じない。その上何より、勝たなくちゃならない理由さえ無い。
シジマさんとの戦いで良い経験を得られた。リリというとんでもない実力者を前にしてみて、絶対者に手も足も出ない『普通の冒険者』の気持ちもよく理解できた。
新たな戦い方も得られたし、幾つもの出会いがあった。
急遽参加することになったこの大会だけれど、十分すぎる成果を得られたと思う。
観客がざわつき、審判が今にも判定を告げようとしている。
さぁいよいよ幕引きだ。
と、その時だった。
『何なのよもう! こうなったら、無理やり魔法で立たせて斬りつけてやる! 致命傷狙いの一撃なら、コイツだって避けないわけには行かないはず! そうしたら試合は未だ終わらない!!』
心眼がリリのそんな企てを読み解き、直後魔法が生じる前兆を感じた。これは拙い。
已むを得ないと、私は縛りを破ってたった一つ、術を行使することにした。
用いるのはハイエルフの秘術。相手の魔力に干渉し、魔法の構築を妨害するという、切り札殺しの一手である。
「な!?」
結果、リリの発動しようとした魔法は不発に終わり、私は無理やり起こされることもなく。
そしてついに試合終了を告げる、判定が下されたのである。審判が大振りなジェスチャーでそれを示せば、実況が素早くそれに反応。
大声でリリの勝利を会場中に知らせたのだった。
「あんた、今……っ」
「…………」
驚きと憤りの綯い交ぜになった、強烈な感情を抱えた彼女は、私が担架に乗せられ退場するまで、実に忌々しげにこちらを睨み続けていた。
非常に後が怖い終わらせ方になってしまったが、ともあれ私はどうにか急場を乗り切り、担架の上でこっそりとため息をこぼす。
それからスタッフさんたちの手で速やかに医務室まで運ばれた私は、続いて体を抱えられベッドに移されそうになった。ので、慌ててムクリと上体を起こし、大丈夫ですアピールをしてみせる。
「仮面さんさん、その、大丈夫なのですか?」
と、医務室勤めの聖女さんが気遣わしげに問うてくるけれど、私は精一杯の演技で応える。
「そ、そりゃぁもー、死にそーでしたけど、一周まわって元気です!」
「これは、頭を打っているかも知れませんね……」
「元気ですってば!」
口先だけの誤魔化しは、下手くそすぎて逆効果らしい。
ということで、実際立ち上がって問題ないことを示してみせると、少なくとも私を運んできてくれたスタッフさんたちは、自分で立てるなら自分でベッドに移れるだろうということで、納得し去って行った。
苦笑交じりにそれを見送れば、それを尻目に聖女さんが熱心な診察を行っている。これもスキル由来のもののようで、私の体に手をかざして状態を探っているようだ。そう言えばココロちゃんもたまにそんなことしてたっけ。
しばらく丹念に調べていた彼女は、驚いた様子で診断結果を述べた。
「軽い打ち身が幾つか見られる程度、ですね……と言うか寧ろ、どうして気絶なんてしていたんですか?」
「え? えー……昨日、夜遅くまで特訓してたから、とかじゃないですか?」
「睡眠不足の症状は確認できませんでしたが」
「う」
お医者さんに適当は通じないのである。
ともあれ、斯くして私は何とかリリとの試合から生還し、縛りもおおっぴらには破ること無くこの大会を乗り切ったのだった。
結果だけ見ればマスクちゃん同様、三回戦敗退。
でもまぁ、目立たずに終わったのなら何よりである。




