第二七六話 VSリリエリリエラ
分厚く堅固な空気の巨壁を物ともせず、リリの魔法剣より放たれた恐るべき冷気は瞬く間に私へ迫り。
さりとて当然、それを素直に受けてやる義理もないわけで。
咄嗟に私はエアロクラフトにて、自らの足元より空気を固めた柱をギュンと伸ばした。目的は、この場を緊急離脱するため。即ち、柱の先っぽには私が乗っかっているわけだ。
空気を固めたそれは不可視の足場であり、観客の目にはさぞ異様な光景に映ったことだろう。
何せ飛んだわけでも跳ねたわけでもなく、身構えた体勢のまま私がすごい勢いで宙を移動しているのだから。
斯くして回避は間に合い、今しがたまで私の立っていた場所はあまりの冷気でステージの床に大きな罅が走っており、まともに浴びていたなら今頃氷像になっていたことだろう。
一回戦の人もそう言えば氷漬けにされてたけど、アレって大丈夫だったのかな? まぁ、リリが失格になってないってことは、聖女さんが無事に解凍してみせたってことなんだろう。すごいや異世界。
ともあれ、あんな寒そうな負け方はまっぴらゴメンである。
確かにリリの魔法剣は一撃必殺級の脅威だけれど、かと言って私の生み出した巨壁が破壊されたわけではない。
ステージを隔てる不可視の壁は、今現在もリリをステージ外へ押し出さんと直進を続けているのである。
それが分かっていればこそ、彼女は忌々しげに眉を歪め、別の魔法を用意し始めたのだった。
用いたのは地魔法。靴裏で一つステージを叩けば、途端にその目前には頑丈な石のトンネルが地面よりせり上がり姿を見せた。
それは丁度、迫りくる空気の壁のしたからニョッキリと、である。
壁は盛り上がった地面の形に沿うよう変形するため、壁自体が持ち上げられるということはなかったのだけれど。
しかし持ち上がった地面にトンネルがあったのでは、彼女の狙い通り通り抜けの用途が実現してしまうことになる。
とっさの機転にしては賢いじゃないか。もしかすると前の試合を見て、対策を考えていた、ということだろうか?
何れにしても、コレをやられたのでは場外への押し出しというのは無理な話だ。
私は柱の上で歯噛みしつつ、しかし早速次の手を打った。
魔力調律の長所は、現在の魔力のカタチを維持し続ける限り、特定の魔法ないしスキルを凄まじい威力で発生させることが出来る、という所にあるわけだが。
しかしその反面、魔力のカタチを維持しているせいで、他の魔法やスキルを使えないという短所もある。
特に痛いのは、強化系スキルに制限が付くことだ。
強化系スキルって幾つか種類があるんだけど、一度掛ければ一定時間効果が持続する、時間制限型は問題なく作用するにしても。
強化を維持するために、常に魔力を消費し続けるタイプのスキル等は、魔力調律を行っている状態では無効となる。
そのため現在は、エアロクラフトこそ超一流のレベルで操れるわけだけれど、それ以外のことが出来ないという一点特化型になってしまっているわけで。
かと言って今のカタチを解除したのでは、再調律にそこそこの隙を要してしまう。上手く状況に合わせて使い分けなくては、すぐにボロが出てしまうだろう。
現状、リリ相手にエアロクラフト一本というのは先ず勝ち目がない。空気の壁などお構いなしに攻撃を通せる魔法も多数所持してそうだしね。
ということで、魔力のカタチをニュートラルに戻し、トンネルの中を行く彼女の足元を溶岩に変えるというエゲツない嫌がらせを試みた。
トンネルのサイズは精々、人が一人通れる程度であり、天井が仇となってその場から飛び退くことも出来ないはず。
上手く行けば大ダメージを狙えるかとも思ったのだけれど、流石にそう甘くはなかった。
「ぐぬ……」
彼女は常に、魔法による障壁を纏っているようなのだ。
その障壁が、魔法だろうと物理だろうと何でもかんでも弾いてしまい、頑張って策を弄したところで必ず阻んでくるわけで。
今回も何食わぬ顔でトンネルを抜け出てきた彼女には、何ら痛痒を覚えた気配はなく。どうやら靴裏にまで障壁は有効らしいことが判明した。厄介極まりない。
エアロクラフトで生み出した壁や足場は、役目を終えると霧散して消える。私は空気の柱から飛び降りつつ、また別の魔法を展開した。土煙である。
リリの周囲に突如として生じたそれは、瞬く間に彼女の視界を覆った。
が、何よりもリリが先に警戒したのは、シジマさんとの試合で見せた粉塵爆発である。
間髪入れずに風でそれを吹き散らそうとする彼女。そこを狙い、落とし穴をしかけた。彼女の足元に、人一人が落っこちるには十分な穴が空く。しかし今回はその底に溶岩を仕込んだりはしない。どうせ無意味だから。
彼女の生み出した風により、勢いよく土煙が晴れると、そこには穴に落下していく彼女の姿があった。
が、既に何らかの対処を行おうとしている。流石に反応が速い。
だがしかし、そうはさせじと私は一瞬で穴を閉じ、リリの下半身を地中に埋めることに成功した。
しかもこのステージは自動で修復するという、ダンジョンの壁が如き仕組みを持っている。うっかり地面に埋まっていると、ステージの一部にされかねないだろう。
それが分かっていればこそ、少しは焦るかと思ったのだけれど。
どうやら、私の度重なる嫌がらせのような攻撃の連続が、いよいよ腹に据えかねたらしい。
脱出よりも私への攻撃を優先してくるリリ。翳した手からは光が迸り、一筋の閃光が発射されたのである。
が、心眼持ちの私が、そんな直線攻撃を避けられないはずもなく。
文字通りの光速で繰り出される直線的なビームを、一度二度とひょいひょい躱す。が、当たったら絶対貫通するような威力を孕んでいるだろうから、内心は全く穏やかではない。
けれどこれは一種の煽りだ。さも簡単に見えるよう、最小限の動きで避けて見せれば、思ったとおりムキになった彼女は同じ魔法を連射。
尚も同じ調子で避け続けて見せれば、いよいよ憤慨し始めるリリ。
とは言え、流石にこのままステージに呑まれるような愚は犯さない。
一度深く息を吐き、我に返った彼女は地魔法を駆使してステージからの脱出に難なく成功する。
その間に、新たな手を打ったのは私だ。
時間制限のある身体強化スキルを、魔力増し増しで掛けておき、直後魔力調律にてとあるスキル専用のスタイルを構築。
彼女が地面より脱出したその瞬間を狙い、発動した。
スキルの名は【瞬刃閃】という、剣術系アーツスキルだ。
その効果は言ってしまえば単純で、素早く駆け寄って、斬って駆け抜ける。という、通り魔的犯行を可能とするスキルなのである。
移動速度と斬撃に補正がつき、極めるとそれだけで一つの戦術が組み上がるような代物だ。
ゆえに、魔力調律のレパートリーに加えたわけだけれど。
「っ!?」
「!?」
さながら瞬間移動がごとき超速で迫り、斬撃を叩き込んだ私。
ところが驚いたことに、リリはこれに見事反応を示したのだ。
ただし、完全に対応しきれたわけではなく、浅いなれどその左腕に傷をつけた……つもりだった。
なのに、何だあの障壁の硬さは。結局私の一撃は、彼女の服を僅かに切り裂いただけで終わってしまった。
リリも私の動きに驚いたようではあったけれど、寧ろこっちの方がビックリである。
強化スキルまで使って、調律で威力を最高に高めたはずの一撃だったのに、僅かなダメージすらないって。流石にショックだ。
サラステラさんを前にしたクラウって、もしかしてこんな気分だったのかな。
何をしてもどうにもならない。そんな実力差をひしひしと感じる。
細剣なんて携えて、如何にも身軽で打たれ弱そうな軽装なのに、反則級の防御力を持ってるとか。
しかも攻撃はどれも一撃必殺の可能性を十二分に抱えた、直撃の許されないものばかり。
加えて反応速度も一級品とくれば、私どうしたら良いんだコレ。縛りの状態で相対していい相手じゃないよ。
ともすれば戦意からして根こそぎ喪失しそうな程の衝撃を受けつつも、しかしみんなが応援してくれている前で無様を晒すわけにも行かない。
距離を取っても大規模魔法が恐い。かと言って近づいても、相当に剣の腕もたつらしいし、それこそ魔法剣の餌食になりかねない。
ならば取れる手は、瞬刃閃を駆使したヒットアンドアウェイ戦法くらいしか無いだろう。
それで碌な痛痒が与えられるとも思えないけれど、こうなったら試合時間終了まで粘って判定にまで持ち込んでやる。
そうしたら最低限の面目は立つだろう。酷く後ろ向きな考えではあるけど。
と、私が再度アタックを仕掛けようと構えた、その時だった。
リリより、凄まじい熱波が放たれ、一も二もなく回避を余儀なくされる。瞬刃閃を応用し、移動スキルとして用いればそうそう捉えられることもない。
が、この回避が余計に彼女を苛立たせたらしい。
これまでちまちま仕掛けた、数々の小細工。それに加え、いよいよ服に傷をつけたことで、堪忍袋の緒が切れてしまったのだろうか。
こめかみに青筋を立て、目の色を変え魔法剣をぶん回すリリ。纏うは灼熱の赤。剣が一つ振られる度、その延長線上には岩をも溶かさんばかりの熱波が迸るのである。
っていうかさっきから思ってたんだけど、あの人試合だってことちゃんと理解してるのかな!? 殺す気で来てる気がして仕方ないんですけど!
距離を取りすぎては範囲魔法の脅威に晒されるため危険。かと言ってあの魔法剣と近接で打ち合おうものなら、私の剣が一瞬でダメにされるに違いない。
なので中距離をなんとか維持しつつ、リリの攻撃を躱しながら反撃の機会を待った。
時折誘いのつもりで、美味しそうな隙を巧いことチラつかせてくるのだけれど、心眼持ちにそれは通じない。
あくまで狙いは、当人の意図せぬ隙でなくてはならないのだ。
しかし、ただ待っているだけでは望むべくもないか。
彼女がわざわざ誘いのために用意してくれる隙には、すかさずフェイントで応え揺さぶりをかけるも、ますます彼女はプンスカキレ散らかし、いよいよ手がつけられない感じになってきた。
ステージ上はこれまで見たこともないような酷い有様となっている。広大なそれは凍ったり燃えたり隆起したり、穴が空いたり泥状に変質したり深々と抉れていたりと、足の踏み場にも困るような惨状である。
もうこれ、ギブアップして良くない!? 勝負って体をなしてないよ、避けゲーだよ!
そうは思えど、頭に血の上ったリリは時折、養殖ではない天然物の隙を晒したりするのだ。
ならばとすかさず瞬刃閃を叩き込めば、しかしやはり恐ろしい反応速度で直撃を避けるため、精々軽い切り傷を与える程度のダメージしか与えることが出来ない。
敢えてポジティブなものの見方をするなら、私は未だ無傷であり、大してリリはごく僅かなれどダメージを受けている。まぁ、既に回復しちゃってるんだけど。
そういう意味では、私が今は優勢を取っていると言えなくもない。
だがしかし、いよいよ痺れを切らしたリリは、不意に動きを止めた。
彼女のイライラゲージが、ついにライン超えを果たしたようだ。
はぁぁぁ……と、深いため息をつくリリ。そのくせ油断はまったく無く。打ち込んだところで迎撃されることは間違いない。
私はゴクリとツバを飲んで、彼女が何をしでかすつもりなのか観察する他無かった。
が、妙に嫌な予感がして、私は思わず心眼を『広く浅く』から『狭く深く』へと切り替え、リリの考えを読むことにしたのである。
結果聞こえてきた、彼女の心の声は。
『あー……もういいわ。ステージごとぶっ飛ばそう。そうしよう』
「ひぇぇぇ……っ!」
完全なヤケクソのそれであり、ステージ全体を範囲に巻き込んだ広範囲魔法をぶっ放すつもりのようだ。
そうなってはもう、回避もへったくれもない。
こうなったらいよいよギブアップも已む無しである。だが、そう言えばギブアップってどうやったら受け付けてもらえるんだろう? 審判の人に言えばいいの?
いや、それよりもステージの外に自分から出るのが一番早そうだ。
私は急遽瞬刃閃を用いて、ステージの外へ逃げようと試みた。
が、それは許されなかった。
「がぁっ!?」
瞬間、大気が異様なほどの重みを持って伸し掛かってきたのである。
一瞬、まさか重力魔法の類いかと思ったけれど、違う。風魔法だ。効果は単純で、高所から低所へ強烈な圧をかける。それだけの魔法。
だが、シンプルが故に出も速く強烈だった。現に私はゴリゴリに地面に体を押し付けられ、身動きを封じられたのだから。
逃亡を図ったことで、ほんの一瞬反応が遅れてしまった。痛恨のミスである。
『捕まえた……!!』
最悪だ。
身の毛もよだつような悪寒が背筋に走った、次の瞬間。
リリから放たれたのは、ステージ上にある全てを破壊し尽くすような、大爆発だった。
身動きを封じられた私は、否応なくこれに呑まれる他無かったのである。




